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【第34話】対面


 電車の中で立ちっぱなしでいること二〇分ほど。俺たちは、途中の駅で電車を降りていた。特に来る理由もないから、俺にとっては初めて降りる駅だ。他の街と比べても特筆すべきところはない駅前の光景も、俺には新鮮に映る。


 時刻は六時四〇分を回ったところで、約束の時間である夜の七時にはまだ少し早かったものの、グエンはそんなことはまったく気にすることなく「行こう」と言う。俺も頷いてグエンの後をついていく。


 どうやらグエンは、以前にこの街に来たことがあるようだった。


 空も大分暗くなってきて、商店街の明かりも目立つようになってきた中を、俺たちは歩く。


 すると、グエンは途中で左に曲がって、とある路地に入った。俺もついていくと、その店はすぐに見えてきた。看板に「ベトナム料理」と書かれている。グエンの話では、今日会う友人は自分と同じベトナムからの留学生だということだから、夕食にもうってつけの店だ。


 生まれて初めて入るベトナム料理店は、俺にとってはまったく未知の場所だったけれど、それでもグエンは何一つためらうことなく、入り口のドアを開けていた。


 グエンに続いてドアをくぐると、俺の目には原色をふんだんに用いた内装が入ってくる。鮮やかな色味はそれでも不思議と統一感があって、この表現が合っているのかどうか分からないけれど、エキゾチックでオリエンタルだと感じる。かすかに香草の匂いが漂い、店内に流れている耳馴染みのない言語の曲は、ベトナムのポップスだろうか。


 とにかく一歩足を踏み入れただけで、外とはまるで別世界のようで、それでも浮ついているような雰囲気は一切ない。全ての要素がうまくバランスを取っていて、どことなく落ち着ける空間は、日本人も来やすそうだ。


 そして、グエンはやってきたベトナム人と思しき店員に、日本語で「トゥー・ヴァン・アインで予約してるんですけど」と告げた。初めて聞くその名前が、グエンの友人の名前なのだろうかと俺は想像する。


 そうして、俺たちは店内奥の四人掛けのテーブル席に座った。グエンの友人が来ることも見越して、隣同士で。


 そして、俺たちは日本語とベトナム語で書かれたメニューを眺める。写真付きのメニューはそれぞれどんな料理なのか、俺にもなんとなくイメージしやすい。


 とはいえ、初めてのベトナム料理店にまったく勝手が分からなかった俺は、グエンに「何から頼んだらいい?」と訊かずにはいられない。グエンの返事は「チャ・ダー」というドリンクが定番で、それは熱いお茶に氷を入れた、ベトナムの屋台でよく販売されている飲み物らしかった。


 俺たちが二人揃ってチャ・ダーを注文してから、提供されるまでには三分もかからなかった。透き通った黄緑色をしていて、何かの花のような匂いがほのかに立ち昇ってくる。


 軽く乾杯をしてから一口口をつけると、日本の緑茶とはまた違ったスーッとした感覚が、口から鼻を通った。味も思っていたほど苦くも渋くもなくて、口に広がる清涼感は、特にもっと気温が上がった時期にはぴったりだろう。


 俺が素直に「美味いな」と言うと、グエンも誇らしげな表情を浮かべていた。


 それから俺たちはチャ・ダーを飲みながら、グエンの友人がやってくるまで軽く話す。話題は自ずと俺が知りたいその友人についての話になる。


 その友人はやはり名前を「トゥー・ヴァン・アイン」と言い、この近くに立地している藍佐大学に通っているらしい。


 トゥーがどんな人なのか、俺の興味は尽きなかったが、それでも俺たちが話し始めてから間もなくして、再び入り口のドアが開いた。


 入ってきたのはおそらくベトナム人の男性で、年齢もグエンとさほど変わらないように見えたから、俺にはこの人がトゥーだと、名乗られる前から分かるようだった。


 そして、それはグエンに手招きされて、その人が俺たちの正面に座ったことで、俺には確証に変わる。二人が交わす挨拶も軽快で、もはや訊くまでもなさそうだ。


 そして、その人は店員に俺たちと同じチャ・ダーを注文すると、改めて俺たちに向き合った。その視線ははっきりと俺に向けられている。


「こんにちは」と口から出た言葉は、比べるのもなんだけれど、グエンよりもいくらか滑らかだった。


「僕は、トゥー・ヴァン・アインです。この近くの藍佐大学に通っています。あなたがグエンの友達の、継本さんですか?」


「はい。僕は継本友貴です。グエンと同じ敬朝大学に通う一回生です」


「そうですか。継本さん、はじめまして。いつもグエンと仲良くしてくれてありがとうございます」


「いえいえ、こちらこそはじめまして。グエンから話は聞いてますよ。これからよろしくお願いします」


 俺たちは、まずはかしこまった挨拶を交わす。トゥーは清々しい笑顔を見せていて、初めて会った俺にも少しも緊張していないかのようだった。


「ていうか、友貴さんも僕と同じ一回生なんですよね? じゃあ、敬語じゃなくていいじゃん」


 あっという間に砕けた態度になっていたトゥーにも、俺は悪い感じが全くしない。根明と言ったらなんだけれど、それでもトゥーには持ち前のとしか形容しようがない、明るい雰囲気があった。


「ああ、そうだな。年も同じなんだし、タメ口でいこうぜ」


「ああ。改めてよろしくな、友貴」


 そう言って、トゥーはさらに白い歯が見えてきそうなほど、笑いかけてくる。俺も釣られるように、思いっきり表情を緩めた。


 そして、俺たちはグエンも交えて再びメニューを開いた。夕食に何を食べるかを三人で考える。とはいえ、写真つきのメニューでも、やはり俺はベトナム料理についてほとんど何も知らない。だから、グエンやトゥーに何がおすすめかを訊く格好になる。


 グエンはバインセオという黄色い生地が特徴のお好み焼きのような料理を、トゥーはフーティウという米粉を用いた麺料理を提案していて、俺はどちらにすべきか少し迷う。


 そして、俺はラーメンやうどんといった麵料理が好きだったので、フーティウを頼むことに決めた。グエンには少し申し訳なかったけれど。


 俺たちはトゥーがまず頼んだチャ・ダーを持ってやってきた店員に、食事の注文をする。トゥーは俺と同じフーティウを、グエンはバインセオを頼んでいて、結局注文するのなら申し訳なく思う必要はなかったと、少し思う。


 加えて三人で食べる用に生春巻きを頼んだのは二人の、俺がイメージするようなベトナム料理を食べさせたいという思いからだろうか。その配慮が、俺にはありがたかった。


「それでさ、まず訊きたいんだけど、お前らはいつ頃からの知り合いなんだよ? 学校が一緒だったりしたのか?」


 俺がそう尋ねたのは、トゥーが頼んだチャ・ダーもやってきて、三人で改めて乾杯をしてからのことだった。


 二人に同時に尋ねたつもりだったのに、答えるのはトゥーの方が早くて、こんなところからも俺は二人の性格の違いを知る。


「いやいや、正直俺たちはあまり長い付き合いじゃねぇよ。確か初めて会ったのも、去年の終わり頃だったと思うし」


「えっ、そうなのか?」


「うん。去年の終わりに日本だけじゃなく、海外に留学する学生に向けての説明会があって、トゥーとはそこで初めて会ったんだ」


「へぇ、そうなのか。俺にはお前らがたった数ヶ月の付き合いとは思えないくらい、仲良く見えるけどな」


「ああ、ありがとな。実際、俺たちは住んでいる場所も近かったし、同じ日本に留学することもあって、打ち解けるにはあまり時間はかからなかったよ。見ての通り、グエンもこんな感じだしな」


「おい、それどういう意味だよ」


「どうもこうも言ったとおりの意味だよ。こんな感じって言ったらこんな感じだろ」


「なんだそれ」


 そういったやり取りをする二人は終始微笑んでいて、軽口を叩き合えるくらい仲が良いことが、俺にも伝わってくる。異国の地で、同郷の気心知れた友人がいることは、どちらにとっても大きな心の支えとなっていることだろう。


「そっか。じゃあ、家も近かったんだな」


「いや、別にそういうわけじゃねぇよ。俺はホーチミンの生まれで、グエンはその隣町であるロンアンに住んでたんだ。まあ、日本で言うところの大阪と奈良みたいな感じだな」


 トゥーの例えは、新潟出身で関西に疎い俺にはいまいちピンとは来なかったけれど、それでも言わんとしていることは伝わったので、俺も「なるほどな」と頷く。ホーチミンならベトナムに疎い俺でも、どうにか名前を聞いたことはあった。



(続く)

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