【第30話】採用
そのまま俺はショッピングモールに戻る。先ほどと同じコーヒーチェーンに入り、再び一番小さいサイズのコーヒーを頼むと、グエンはつい一時間ほど前まで二人で座っていた席に座り続けていた。
コップの中のコーヒーは着実に減っていて、俺に気づくとスマートフォンから顔を上げて、縋りつくような表情をする。
俺が再びテーブルに腰を下ろすと、グエンは二言目には面接はどうだったのか、島屋さんはどんな感じだったのか訊いてきた。俺も「初めてにしてはうまくいったと思う」とか「島屋さんは穏やかな人だったよ」と答える。
それは俺からすれば素直な返答だったのだが、それでもやはりグエンの中からは、不安は完全にはなくなってはいないようだ。
でも、実際に面接をする前なら、それも当然だろう。俺が「丁寧に答えられれば大丈夫だって」と励ましても、グエンの返事はどこか覚束なかった。
そうして少し話した後に、グエンは残りのコーヒーを飲み干すと「じゃあ、行ってくる」とコーヒーチェーンを後にしていった。俺も「おう」と返事をして、グエンを見送る。
そうすると、面接を終えた俺には少し手持ち無沙汰な時間が訪れた。ひとまずスマートフォンで漫画を読みながら時間を潰す。
そうしている間にも時刻は夕方の六時を回っていて、今頃はグエンも面接をしている最中だと思うと、自分の面接が終わった俺でさえも、少し気が気でなくなるようだった。
「面接が終わった」とグエンからラインが入ったのは、夕方の六時半を回って少ししてからだった。俺も「おつかれ」と書かれた漫画のキャラクターのスタンプを送って返す。「店の外に出て待ってる」と送ると、すぐにグエンから「了解」と、別の漫画のスタンプが返ってくる。
そうして、俺がコーヒーを飲み終えて店の前に立っていると、グエンはほどなくしてやってきた。合流して見たグエンの表情は安堵に満ちていて、ほんの少しだけれど疲労感も窺える。
俺が「お疲れ。面接どうだった?」と訊くと、「うん。悪くはなかったと思う」と答えていて、すっかり落ち着いていた目に、俺はグエンが強がってはいないことを感じ取った。
次に島屋さんから連絡が入ったのは、翌日の夜の九時を回った頃だった。自宅で夕食も食べ終えて、これからシャワーでも浴びようかというときにかかってきた電話に、俺はすぐに応答する。一日ぶりに聞く島屋さんの落ち着いた声に、俺の緊張は否が応にも再び高まる。
島屋さんは簡単な世間話も抜きにして、いきなり本題を切り出していて、「はい」と返事をしながら、俺は思わず息を呑む。
そして、島屋さんは次の瞬間には「面接の結果ですが、当館では継本さんをアルバイトとして採用することになりました」と言ってくれた。
その瞬間、俺には心の底から喜びが湧き上がる。初めて応募したアルバイト先で採用されて、願ったり叶ったりだ。「ありがとうございます!」と返事をしながら、電話なのに俺は自然と頭を下げてしまう。
島屋さんは「金土日は忙しくて仕事を教えている暇がないから、月曜日にまた来てくれませんか」と言っていて、俺も「はい、もちろんです」と答える。大学の講義が終わってからの都合の良い時間帯を伝えると、島屋さんは「じゃあ、午後四時半に来てください」と言っていて、俺の背筋はしゃんと伸びた。
それからも少しやり取りをして、電話は切れる。すると、俺はスマートフォンを持ったまま、誰も見ていないのをいいことにガッツポーズをした。喜びは一人では抱えきれないほどに膨らんでいて、ラインを開いてグエンに「アルバイト受かった!」とシンプルなメッセージを送る。
だけれど、グエンからの返信はすぐには来なかった。既読さえついていないことに、もしかしたらシャワーを浴びていたり何らかの事情でスマートフォンを見られない状況にあることを、俺は察する。
それでも、グエンにはグエンの都合があるのだから、俺はことさら気にしない。スマートフォンを置いて、そのままシャワーでも浴びようと俺はユニットバスに向かっていく。シャワーを浴びている間も嬉しさは収まらず、鼻歌さえ歌ってしまったくらいだ。
そして、シャワーを浴び終わって寝間着に着替えると、スマートフォンには一件のラインが来ていた。待ち受け画面に表示された通知を見ただけで、俺は飛び上がりたくなるほどの喜びに駆られる。
グエンもまた面接に合格して、アルバイトに採用されていたのだ。「やった!」という文面が、俺にはまるで自分のことのように、いや自分のとき以上に嬉しく感じられる。「やったな!」と、返信を打ち込む手も軽やかに動く。「友貴と同じ職場で働けて嬉しいよ!」というラインにも、一言一句同意だ。生まれて初めてアルバイトをすることを考えると、友人であるグエンが一緒にいてくれる安心感は計り知れない。
「一緒に頑張ろうな!」と送ると「もちろん!」という漫画のキャラクターのスタンプが返ってきて、俺は思いっきり表情を緩めた。
それから金土日を過ごす中で、どの瞬間にも月曜日から始まるアルバイトのことは、俺の頭から離れなかった。講義を受けていても、家で漫画を読んだりアニメを見ていたりしていても、生まれて初めてアルバイトを始めることに、緊張とワクワク感を感じる。
それはグエンも同じようで、話していても話題は自然とアルバイトに関する話題に流れていく。仕事はキツくないだろうか。同僚となる人は良い人たちだろうか。
正直に言ったら心配事は尽きなかったけれど、それでも働くという行為自体に、俺はまだ前向きなイメージを持てていた。
そうしていると、日付はあっという間に月曜日を迎える。そして、気づいたときにはこの日の講義は、四限で全て終わっていた。講義の間も俺はいよいよ始まるアルバイトにドキドキしっぱなしで、内容は完全に頭に入ったとは言い難い。
それでも、講義が終わった解放感のもと、俺は大学の西側入り口でグエンと落ち合う。グエンも緊張している様子だったが、それでもどこか楽しみにしていることは、その表情や雰囲気から俺には伝わってくる。
そうして、俺たちは一緒に大学を出てモノレールに乗って、勤務先である映画館へと向かった。
二〇分ほどモノレールに乗っている間も、俺たちは気を紛らわせるように喋ったり、かと思えば急に黙ってしまったり、一言で言えば落ち着かなかった。気持ちばかりが逸ってしまい、途中の駅に着く度に何度も、「まだ着かないのか」と思ってしまう。
それでも乗り続けていると自然に、モノレールは映画館の最寄り駅に到着した。駅を出た俺たちは平日でも相変わらず賑わっているショッピングモールを横目に進む。
そして、映画館の関係者通用口に到着したとき、時刻は四時一五分を差していた。面接のときと同じように島屋さんに電話をかける。
それから数分もしないうちに関係者通用口のドアは開けられて、俺たちは今一度「よろしくお願いします」と挨拶をしてから、再び映画館のバックヤードへと足を踏み入れた。
島屋さんがまず俺たちを通したのは、面接のときの事務室ではなく、その手前にある男性用のロッカールームだった。室内にはロッカーが八つと、腰を下ろせる平らなベンチが置かれていて、そのうちの二つのロッカーにはちゃんと俺たちの名前が記されている。
そして、ベンチの上には透明な袋に入った、二着分の制服が置かれていた。黒に近い紺にピンクのワンポイントが映えている。
さらに、その上には俺たちの名前が書かれた名札も置かれていて、島屋さん曰くこの名札が関係者通用口を通るカードキーの役割も果たすらしい。「なくさないでくださいね」という言葉に、俺たちも素直に頷く。
そして、「着替え終わったら、筆記用具とハンコを持って事務室まで来てください」と言って、島屋さんは一度ロッカールームを後にしていった。俺たちは自分たちの荷物をロッカーに入れて、すぐに着替え始める。
俺たちは制服のサイズは同じだったが、俺のほうがグエンよりも多少身長が高いので、グエンの制服は少しぶかぶかになっていた。
(続く)




