【第13話】演説
「ところでさ、日本近代文学論の苗代っているじゃん。最近、アイツますますハゲてきてるよな」
「分かる。どうにかバレないように中央に寄せてるけど、でも私から見たらバレバレで。本当、毎回講義のときに笑い堪えるの大変だもん」
「ああ、きっとアイツそのうち、ヅラでも被りだすんじゃねぇ?」
「そうなったらますますおかしいよね。今までハゲてたのに、何急にフサフサになってんだって」
二時間ほどにわたったフットサルの後には、当然のように飲み会が続いた。毎回の活動の後に行く居酒屋も、もう固定されている。
そして、この日もまだ日本でお酒が呑める年齢ではないボクも含めて、全員にお酒は行き渡っていて、乾杯をする前からあちこちで会話に花が咲いていた。大学やアルバイト先での愚痴や、教授の悪口。付き合っていたり気になっている異性の話題や、SNSに最近した投稿など多種多様な話が語られている。
誰もがお酒や料理、会話を楽しんでいるようだ。ただ、一人ボクを除いて。
ボクの座る席はいつの間にか座敷席の端っこになっていて、そんなボクに話しかけてくる人は、誰一人としていなかった。
それはボクの日本語が、まだ発展途上だからだろう。ボクも毎日のように日本語を勉強しているのだが、それでも当然だけれどなかなか日本人のように話すことはできない。この春から日本にやってきたばかりのボクと話すよりも、同じ日本人学生と話す方がストレスが少ないと言ってしまえば、それはその通りだ。
それに、ボクは日本の流行りにまだ疎くて、何を話せばいいのか分からなかったことも大きい。
他の学生も最初のうちはベトナムのことについて色々尋ねてきていたけれど、それも一回か二回くらいで終わっていた。同じ大学に通っているという共通の話題も、ボクはうまく生かすことができない。
だから、ボクはスマートフォンを見ながらたまにお酒を呑んで料理をつまむことで、時間をやり過ごすしかなかった。
そうしていると、ボクはどうしようもない孤独を感じる。家で一人でいるときよりも、大勢の人がいる中で浮いてしまっている今の方が、よっぽど孤独だ。
多分今呑んで騒いでいる他のメンバーは、選挙や政治のことは思いもしていないに違いない。「日本人ファースト」を掲げるあの政党のことだって、何も意識していないだろう。
でも、まるで仲間外れにされているかのような今に、ボクは内輪だけで盛り上がる排他的な雰囲気を感じてしまう。
それを言ってもどうしようもないが、ボクがこうして会話の輪に混ざれないのは外国人だからだとも、ボクは確かに考えてしまっていた。
「それじゃ、二次会行く人ー」
一時間半の飲み放題の時間が終わって全員で外に出ると、木更津さんが言う。他の何人かが「行きまーす」と言ったり、手を挙げたりしているなかで、ボクは何の反応も返せていなかった。
ボクだってアルバイトはしているものの、そこまでお金に余裕があるわけではないし、何よりもう一度蚊帳の外に追いやられているかのような感覚を味わいたくはないと思ってしまう。
だけれど、他のメンバーとの親睦を深めるためには、ここは参加しておくべきなのだろう。
どうすればいいかボクが迷っていると、加賀さんが「グエン、二次会行くか?」と声をかけてくる。ボクは少し考えた挙げ句、「あの、帰ってもいいですか?」と言ってしまう。お酒を呑んで少し酔っぱらっていることもあったけれど、それ以上に二次会まで行くのは面倒くさいと感じてしまっていた。
それでも、加賀さんは「そっか。気をつけて帰れよ」と、ボクを引き留めることはしなかった。それがボクのFC KEICHOでの立ち位置を表しているようで、ボクは切なくなってしまう。
それでも、ここで「いや、やっぱり行かせてください」と言うことはボクにはできなかった。加賀さんたちはボクが二次会に来ることを望んでいるのだろうかと、どうしても思ってしまう。
ボクは「はい、今日はありがとうございました」と言って、加賀さんたちのもとから離れていく。だけれど、加賀さん以外は誰もボクを見送ってくれなかった。それが今のボクに対する印象なのだろう。
ボクを除くほとんどの人が二次会に向かっていく中、ボクは駅への道を帰り始める。一人で街灯に照らされた道を歩いていると、自分のことがとても惨めに思えた。
それから数日が経った土曜日。ボクは都心へと向かう上り電車に乗っていた。留学生支援機構のオフィスにホアさんに相談をしに行くためだ。
ボクはもうすぐである前期の期末試験への対策を、ホアさんに教えてもらおうと思っている。講義には休まず出席しているし、課題も毎回提出しているのだが、それでも初めての期末試験に不安は拭えなかったからだ。
車内にいる人は、ボクも含めて多くの人がスマートフォンを見ている。そのスマートフォンで何を見ているのか。SNSで政治的な投稿を見たり、したりしているのではないか。
今も毎日あの集会所の前を通っていることもあって、ボクは有権者でもないのに、選挙の話題に人一倍敏感になっていた。
山手線に乗り換えて、電車に揺られること数駅。ボクはこの日も留学生支援機構のオフィスの最寄り駅に到着する。ホアさんと約束した時間にはまだ少し早いが、それでも少しならオフィスで待つこともできるだろう。
そうして、ボクは改札を通って駅の東口を出る。すると、そこには思わず目を背けたくなる光景が広がっていた。「日本人ファースト」を掲げるあの政党から出馬している候補者が、選挙カーに乗って街頭演説を行っていたのだ。
自分の名前が書かれたタスキをかけて熱っぽく語っている候補者の前に、支持者と思しき人たちが何十人も集まっている。その光景を見ただけで、ボクはすぐ気分が滅入ってしまう。「日本人ファースト」を掲げるあの政党から出馬している候補者の言うことなんて、内容はもちろん声すら聞きたくない。
それでも、イヤフォンを持ち歩いていなかったボクは、せめて足早に通り過ぎるしかない。
駅前の広場では何人もの支援者と思しき人たちが、熱心にその政党が掲げる政策が書かれたチラシを配っているけれど、それをボクに渡してくるような人は一人もいなかった。そりゃボクはこの国では有権者じゃないし、それが「日本人ファースト」といった排外主義的なスローガンを掲げている政党だったらなおさらだろう。
もちろん、たとえチラシを差し出されても、そんなものはこちらからお断りだが、それでもやはり無視をされていることには堪える部分がある。
それでも、もうすぐ青に変わろうとしている駅前の交差点の信号を目指して、ボクは歩き続ける。そうしていると、再びにわかには信じられない光景が、ボクの目には飛び込んできた。駅前広場の一角で、その政党のシンボルカラーであるオレンジ色Tシャツを着てチラシを配っていた人を、ボクは見間違えるはずもない。
それは明らかに堺谷さんだった。何人もの人に精力的にビラを差し出して、その政党の政策を知ってもらおうと励んでいる。
それを目にした瞬間、ボクの中で点と点が線になって繋がった。堺谷さんがボクに冷たく接していたのは、「日本人ファースト」と排外主義的な思想を持ち合わせていたからだったのだ。
それに気づいた瞬間、ボクには寒気ではとても収まらない恐怖が芽生えてしまう。知っている人がその政党の支持者であった現実に、思わず足も竦んでしまう。交差点の信号も青に変わったのに、歩き出せない。
そして、堺谷さんもチラシを配っているうちに、ボクの存在には気づいたようだ。ボクの方を向いて、束の間でも動きを止めていたことがその証拠だ。
堺谷さんと目が合う。だけれど、堺谷さんは少しも気まずそうな表情をしていなかった。ボクがいることに少し驚いてはいたものの、自分が悪いことをしているとは微塵も思っていないようだ。
もちろん、今堺谷さんがしていることは何の法律にも触れていないし、悪いことではまったくない。
それでも、ボクは身震いがして、気づいたら交差点に向かって駆け出していた。歩行者用信号が点滅する中で、ボクはどうにか横断歩道を渡り切る。
そのまま振り向かずに、ボクはずんずんと留学生支援機構のオフィスに向かっていく。だけれど、心の中で感じた恐怖は決してなくならない。
ボクは今日、夜の一一時から堺谷さんと同じシフトでアルバイトに入ることになっていた。
(続く)




