【第12話】意識
偶然に、いやそれはボクがいつも大学に向かう道の途中にあったからもしかしたら必然なのかもしれない、目にした「日本人ファースト」という言葉は、大学に着いて講義を受けている最中も、ボクの頭からは消えなかった。何をしていても、呪いのように頭から離れない。
教室で、食堂で、大学全体で、あの政党が掲げている「日本人ファースト」という理念に共感している人がいるのではと思えるほどだ。近くに座っている日本人学生でさえそういう目でボクは見てしまって、少し不安にもなってくる。
それは考えすぎだと言える保証はどこにもないように、ボクには思えた。
そして、その漠然とした不安は講義が終わって、午後の五時からコンビニエンスストアでのアルバイトに入っても拭えなかった。
お客さんは当然だが日本人が多くて、レジに立って会計や接客をしている間も、もしかしたら日本語をまだ勉強している途中のボクに、日本人のお客さんがうっすらとした不安や苛立ちを抱いているかもしれないと感じてしまう。外国人であるボクの、中途半端な日本語など聞きたくないのではないかと。
それはボクの被害妄想かもしれなかったが、それでもそっけない様子を見せているお客さんの内心は、ボクには分からない。
二つあるレジの両方が空いているときでも、ボクより入江さんの方を選んでいるお客さんを見ると、外国人であるボクに接客されるのは避けたいという思っているのではないかと、ボクは訝しがらずにはいられなかった。
そうしているうちに二日が経って、日付は土曜日になった。その日もボクは午後の五時からコンビニエンスストアでのアルバイトに入っていた。
その日はちょうど堺谷さんも同じシフトに入っていて、一緒にレジに立っていても、それどころか別々の業務をしていても同じ空間にいるだけで、堺谷さんには申し訳ないけれど、ボクは息苦しさを感じていた。
それはあの「日本人ファースト」という言葉が、未だにボクの中に残り続けていたことが大きい。大学に行くために集会所の前を通るたび、ボクは掲示板のあの選挙ポスターを目にしてしまう。そして、そこに書かれている「日本人ファースト」という言葉は、目にする度にボクの頭により刷り込まれている。
そのせいで、せっかくやってきてくれるお客さんもどこか疑いの目を持って見てしまうし、心なしか堺谷さんがボクに向ける目も、今まで以上に厳しい気がする。堺谷さんの存在を意識するだけで、ボクの心は少しも休まらなかった。
そうした中でもボクがどうにか業務を続けていると、時刻は夜の九時を回り、コンビニエンスストアにやってくるお客さんの数も大分落ち着いてくる。
すると、ボクは堺谷さんに「休憩入っていいぞ」と言われた。自分よりも先に休憩を取らせようとするあたり、堺谷さんも後輩のボクに対して、一応の配慮はあるらしい。
ボクも素直に休憩に向かっていく。バックヤードに入って、堺谷さんが見えなくなると、ボクは少し息をつくことができていた。
そうして、粂田さんもいる控え室に「お疲れ様です」と言いながら入ると、ボクは椅子に腰を下ろした。粂田さんとも少し話してから、ボクはスマートフォンに目をやる。
普段利用しているSNSのベトナムでのトレンドを一通りチェックすると、ボクはトレンド欄の表示を日本用に切り替えた。
すると、トレンド欄でAIが要約した話題のニュースが、いくつかボクの目に入ってくる。その一番上にあったニュースに、ボクの目は留まった。
それは参議院選挙の公示日から三日が経った今日の時点で、とある新聞社が行った意識調査の結果だった。
それによれば「日本人ファースト」を掲げているあの政党が、急速に支持率を伸ばしているというのだ。野党のトップに躍り出るほどの支持率を獲得しているらしく、その事実にボクは七月なのに寒気を覚えてしまう。
もちろん、その政党が掲げている政策は、「日本人ファースト」だけではないのだろう。そっちの方が支持されている可能性も大いにある。
だけれど、その政党を支持するということは、少なからず「日本人ファースト」を是認していることを意味しているように、ボクには思えてならない。
選挙権を持っている日本人の人たちの中で、無視できない割合の人がその政党を支持していることに、ボクは身震いがしてしまう。
ボクたち外国人は二の次なのか。自分たち日本人に比べたらどうでもいいのか。それはあまりに排他的すぎるのではないか。
もちろんこれもボクの誇大妄想かもしれなかったけれど、それでもボクは突きつけられた調査結果に、その思いを払拭できなかった。
それからもボクは大学に行き、コンビニエンスストアでのアルバイトに入り続けた。
だけれど周囲にいたり、ボクがいるレジの前にやってくる日本人の人たちには申し訳ないけれど、ボクは自分勝手に疑いの目を向けてしまう。外国人であるボクのことをあまり良く思っていないのではないかという思いは、どうしても消えない。
それにSNSを開けば選挙期間中ということもあって、常に選挙や政治に関連したワードが一つはトレンドに上っていることも大きかった。それを見る度に、ボクはあの政党の選挙ポスターや、そこに書かれていた「日本人ファースト」という言葉を思い出してしまう。あの集会所の前だって、未だに大学に行く度に通っている。
だったら、意識しない方がいいのではないか。外に出たり、アルバイトに行ったりしない方がいいのではないかと言われたら、それはその通りだ。
だけれど、ボクはせっかくベトナムから日本に留学してきている身なのだ。大学に行かないことはもったいなく感じられて、それに自由に使えるお金もほしかったから、アルバイトに穴を開けるわけにもいかなかった。
そうやってボクがどうにか変わりのない日々を過ごしていると、日付は水曜日になっていた。この日は第二水曜日で、FC KEICHOの活動日だ。
先日梅雨明けが発表されたこともあって、空は今日も晴天で、夕方になってもその暑さは少しも収まることはない。
ボクが集合時間の一〇分ほど前に駅の北口に赴くと、そこには加賀さんや木更津さんをはじめとした数人のメンバーが既に来ていた。ボクもそこに合流する。
でも、簡単な挨拶を交わしたら、ボクと他のメンバーの間に会話は生まれなくなってしまう。入会してから三ヶ月が経つというのに、ボクは未だにFC KEICHOの雰囲気に馴染めていなかった。向こうも自分たちで話すのに夢中なのか、ボクに話しかけてくる様子はない。
自分から話しかけるような話題にも乏しくて、ボクはスマートフォンを見たり、駅前をただ眺めたりして時間を潰す。
幸い、今はどの政党や候補者も選挙運動を行っている様子はない。たとえどの政党であっても何かしらの選挙運動を行っていれば、ボクはあの政党のことを思い出さずにはいられなかったので、その面では助かる思いがした。
集合時間を少し過ぎた頃に、今日の活動に参加する全員が集まって、ボクたちはモノレールに乗って、今までと同じフットサルコートに向かう。到着した頃には辺りは少し暗くなり始めていて、フットサルコートにも照明が灯っていた。
スポーツウェアに着替えると、ボクたちはさっそくチームを決めて、最初の試合を始める。
だけれど、最初に試合をする二チームのうち、どちらにもボクは入ってはいなかった。一回生だからといって気を遣われる期間はとうに終わっていて、ボクは「チームに入りたい」と自己主張することができなかったのだ。
だから、ボクはただコート脇で試合の様子を眺めるしかない。楽しそうにしているコート内のメンバーとは対照的に、ボクの近くには誰もいなかった。
それでも、最初の一五分間が終わって第二試合ともなると、ボクは一方のチームに入れてもらえるようになる。赤色のビブスを着て、同じチームになった木更津さんたちと簡単に作戦会議をする。
でも、ボクは自分から喋ることはほとんどなくて、木更津さんから「グエンはこのポジションね」と指示されるのを聞いているだけだった。
全員がコートに散らばり、第二試合が始まる。
ボクのポジションは、後方のディフェンス担当だ。せっかく始まった試合にも、ボクがボールに触れる機会は少ない。
それはボクが外国人だからではなく、ボクがフットサルが下手で体力もあるとは言えないことを、もうチームの全員が分かっていたからだ。
ボクも数少ないボールに触れる機会を、ボールを失わないことを最優先させて、近くの相手にパスをするだけに留まってしまう。前の方に長いボールを蹴ったり、ドリブルで持ち運んだりすることは、ボクにはできるはずがなかった。
ボクは攻め上がっている他のメンバーを、後ろから羨ましい思いで眺める。下手くそなボクが攻め上がることは許されないような雰囲気が、いつの間にかボクたちの間では生まれていた。
(続く)




