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挨拶

作者: 泉田清

 朝。二階の休憩室でスマートフォンに目をやる。別に動画を観たいとか、ニュース記事を読みたいとかではない。始業時間を前に、事務室へ降りていくのを渋っているだけである。

 そこへ同僚がやってきた。「おはよう」、「おはよう」。彼とは特別仲が良い訳ではない。それでも何か会話が要るとは思う。が、こう毎日顔を突き合わせていれば話すことは尽きてしまう。というわけで、お互いそれぞれのスマートフォンに目をやるしかないのだった。


 帰りの車中。闇夜の田園の只中を走っていく。一面の真っ暗闇にポツポツと街灯が灯り、それらを水田が映す。揺らめく灯り。夜の港町にいるみたいだ。稲が育つまでの僅かな期間しか見れない、この景色を気に入っている。夜の海を航行している、そんな気分になれるのだった。 

 ひと際大きな光を放つ無人駅、それは夜の海を照らす灯台のようだ。船乗りを導く希望の光、それに見とれていると、路上に仁王立ちする何者かがいた。「おおう!」思わず声が出る。すんでの所でブレーキを踏んだ。カモシカがジッとこちらを見つめる。思わずスマートフォンを取り出し、カシャ!カシャ!カシャ!写真を撮った。ザボン!大きな音を立てカモシカが水田に飛び込む。辺りは真っ暗闇、何も見えなくなった。


 待ちに待った休日。その日は待ちわびたマンガ雑誌の発売日でもあった。

 今や雑誌を立ち読みできるコンビニエンスストアは限られている。立ち読みどころか雑誌そのものを置いてない店も増えてきた。三つの店を素通りし、未だ立ち読みのできる店へ車を停めた。一直線に雑誌売り場に向かう。腕組みしてマンガ雑誌を探す。無い。そういえば売れ筋の雑誌は、発売日だけレジ近くに置き、立ち読み防止措置を取ることがある。万引き防止の一環である、そう言われれば反論のしようもない。

 ペットボトルのお茶とオニギリをレジに持って行った。オニギリの価格高騰には目を見張るものがある。「ポイントカードはありますか?」、「無いです」。日々の暮らしの中で何度断ったかわからない。ポイントカードを持つべきかもしれない。「クーポンが出ました」。店員はオニギリを20円引きしてくれるクーポンを渡してくれた。思いの外うれしい。私はこの手のクーポンを活用した例がないのだった。


 レンタルビデオ店なら確実に立ち読みが出来る。

 「ビデオ店」といいながらビデオテープは置いてない。あるのはデジタルディスクだ。今や店内の殆どを占めるのはマンガ本のレンタルであり、デジタルディスクを凌駕している。デジタルコンテンツの主流はインターネット上の配信になった。マンガというコンテンツさえ配信になっている。レンタルビデオ店そのものが、近いうちに消滅するだろう。車を降り店に向かう。「長い間、御愛顧ありがとうございました」。自動ドアに張り紙があった。閉店のお報せ。何もいま消滅しなくてもいいではないか・・・

 今日発売の、マンガ雑誌の立ち読み、私はまだ諦めない。すぐ近くに同系列のレンタルビデオ店が存在するのだ。

 どうだ、駐車場は車で溢れている。一方が無くなったせいでこちらに客が流れてきたのだろう。

久しぶりで入った店内はずいぶん変わっていた。販売の書籍が奥に追いやられ、手前に文房具やら菓子やらが陳列されている。閉店が近いレンタルビデオ店の典型的な例だ。この店もあと一年か二年で消滅するだろう。

 重要なのは今だ。今、マンガ雑誌を立ち読みできれば良い。見よ、奥に同好の徒、マンガを立ち読みする男がいるではないか。

腕組みしながら男の後ろに回る。マンガがどこにあるか探りを入れる。男の後ろを行ったり来たり。無い。端から端までくまなく探したが今週のマンガ雑誌はどこにもない。男の読んでいるのは先週のマンガ雑誌だった。


 店を出て天を仰ぐ。一体どうしたというのか!今週のマンガを立ち読みしたい、そんなささやかな願いさえ叶えられないのか。

 頭上には厚い雲に隠された、鈍い太陽があった。この太陽の向こうには惑星が続いている。金星、火星、木星、そうか、今日は水曜日だった。マンガ雑誌は木曜日の発売。私は発売日を間違えていたのだった。


 朝。休憩室。「おはよう」、「おはよう」同僚が入ってきた。スマートフォンの中を探す、先日撮ったカモシカの写真を。いい話の種になるに違いない。「今日はいい天気みたいだね」、「そうだね」社交辞令を交わす。同僚よ、待っていてくれ、君が驚くようなものを提供するから。

 ところがだ、いくら探してもカモシカの写真は見当たらなかった。目を赤く光らせ、四肢をいっぱいに広げたカモシカの。3枚のうち1枚だけうまく取れたあの写真は。写真という決定的な証拠が失われてしまった。あの夜の出会いは幻だったというのか。そんなはずはない。しかし、現に写真は失われている・・・

 「そろそろ行きますか」、「そうしますか」。我々二人は階段を降り1階の事務室へ向かった。階段の小さな明かり窓からハッキリと太陽が見えた、知らん顔をして。確かに、本日は晴天なり、である。

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