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薫かあさん  作者: 白夜
8/11

八、四京院はるか(二)

 顧問の水谷先生と演劇部の人たちは、練習初日から初心者の俺をやさしく指導してくれた。みんなで努めて避けるようにしていたのか、はるかの話題の「は」の字も出なかったので、たすかった。あいつとのことは、今でも思いだすと不愉快になる。もしかしたら、犯罪者の春日部あきらを除くと、いままで会った女の中で、いちばん嫌いかもしれない。


 女性部員が俺の容姿だけでいちいちキャーキャー言うのは慣れていたし、男の部員にも、そのことでとやかく言われないどころか、嫉妬の「し」の字もないようなのも、よかった。みんな笑顔だった。はるかのことがあるので懸命に笑顔を作っていたのかもしれないが、それ以上に、誰もが本当に演劇が好きでやっている感じがして、ほっこりした。だが逆に、そんなところへ、こんな生半可な気持ちのが入ってきていいんだろうか、とも思った。

「平川くん、楽しんでくださいね。演技は、楽しむのが基本です」

 水谷先生が目じりをさげて、それこそ楽しそうにそう言ったのが、印象にのこった。


 部活は終わったが、まだ腑におちない動きがあったので、ステージの上でひとり残って、練習していた。日もおちて体育館を使うものはなく、俺の声とステップの音だけが、ひろい館内にさびしく響いた。


「ロミオとジュリエット」は、十四世紀のイタリアを舞台にした有名なシェイクスピアの戯曲だが、ロミオが仮面舞踏会で一目ぼれしたジュリエットが、じつは敵対するキャピュレット家の娘と知り、それでもあきらめられずに、主催者であるキャピュレットの屋敷に残って植えこみにいる。すると、窓から顔を出したジュリエットが、彼のいるのを知らずに独り言で愛の告白をするのを聞き、その場で告り返し両想いになる……という場面が最初の方にあるのだが、そこのセリフを感情をこめて言うのが、なかなか恥ずかしい。相手を蘭子さんと思ってやろうとしても、全然ちがうかわいい系のタイプなので、役に入れこむのが厳しかったのだ。

(こんなことじゃ、はるかからロミオなんて奪いとれないぞ)

 なんて半分冗談で思ったとき、急にゆっくりした拍手が聞こえた。舞台のそでから出てきたのは、たったいま思いだした、いけすかない奴だった。


「ど素人にしては、上出来だ」

 はるかは、キツネみたいににんまり笑って、こっちへ来た。完全にバカにしているが、あんなことがあったあとでは仕方がない。俺は今いそがしいし、めんどいので、さっさと問題を切りあげようと、簡潔に言った。

「ああ、きのうは悪かったな」

「謝るな。僕が悪いんだから」

 ぜんぜん自分が悪いと思ってなさそうなドヤ笑みでそう言うと、腕ぐみして、感心するように続けた。

「君には、天性のそしつがある。特にロミオみたいな役をやるために生まれてきたような男だ」

「ああ、死にかたもな」

「せっかくほめてやってるのに、なにひねくれてるんだ。たしかに僕は君に嫌われてふられたが――」

「まったく、そのとおりだ」と軽蔑の横目で見る。「性犯罪者とこれ以上かかわりたくない」

 たちまち、しおれるように暗くなるはるか。そんなに本気だったのかよ。

 だが、その落ちこむ顔があまりにも、はかなくもろいガラス細工のように美しいので、イライラした。こいつはたぶん、ぶさいくな顔してもきれいなんだろうな。ずるい、ずるすぎる。

 思えば俺は、生まれて初めて容姿のことで誰かをライバル視した、と感動する。

「そ、そんな……」と暗い目で足元を見つめるはるか。「僕はただ、君があんまりエロいから、その……」

 弱るなよ、ゴス的美麗に拍車がかかる。見ながら思わず舌うちした。

「ちっ、どうしてそんな顔かたちしてるんだ。そもそも、そのナリで、なんで女なんだ。卑怯すぎるぞ」

「なに言ってるんだ」と目をつりあげるはるか。「君こそ、なんでその美しい顔とスタイルで、男なんだ。ずるすぎるだろ」

「君が男だったら俺の勝ちだが、女じゃ完全な敗北だ。太刀打ちしようがない」

「その言葉、そっくりお返しだ」と指さす。「君が女なら僕の前にひれふしたも同然だが、男だと? エロすぎだろ、ふざけるな」

「人のエロさをどうこう言う前に、自分のエロさをどうにかしろよ。はあ、ダメだ」

 ため息が出た。

「こんな口論してても、不毛なだけだ。練習の邪魔だから、帰ってくれないか」


 そして演技に入ろうとすると、はるかは横でいまいましそうに言った。

「つまり、はっきりしているのは、君は僕のことが、だいっきらいだ、ということだな」

 そのひとことは、あまりに図星すぎた。だが俺は、そのことをどこかで大人げないと思っていたらしい。カチンときて、思わずそっちを向いて、ほえた。

「そうだよ! これで満足か! もう行ってくれ」

「そうはいかん。じつは僕も君のことが、だいだいだいだいだいっきらいだ!」と目を吊り上げて吠えるはるか。「この美しくて有能な僕を、レイプされても気がつかないほどのフヌケにして、思いっきりおとしめたバージョンが、君だ」

 などと指さすので、さらに頭にきた。

「誰がレイプされて気がつかねえんだよ! そういうお前こそ、球体関節人形みたいな顔して、人のチンチンさわってくるウルトラスケベじゃないか! マンコの関節、はずせ!」

「なに言ってんだか、全然わかんないぞ。だが、これだけは言える」と腕組みしてにらむ。「君が女に襲われるのも、女関係がややこしくなるのも、すべては、君がまったくなにも男らしくないからだ! どうだ、図星だろう」


「ほ、本当にいやな奴だな、お前……」

 俺はうわ目で見て歯がみし、わなわなとふるえた。その握るこぶしを見て、奴はふと口もとをゆるめた。

「なんだ、怒ってるのか。それじゃ怒りに身をまかせて、僕をここでレイプしてみろ。男なら、女にここまで侮辱されて、耐えられるはずがない。さあ、やれ」

 などと親指を立てて自分を指されても、あまり意味がわからない。

「うーん、なにを?」

「レイプだよ! どうやら言葉責めでうながしてるようでもなさそうだな」

 また意味不明なことを言うはるか。

「とにかく、怒ったんなら、犯れよ。君も男だろ? 男は怒りからも勃起する生き物だ」

 たしかに男は、自分も含めてロクなのがいないから、こう思うのも無理はないが、男一般をバカにしすぎだ。本当にこいつ、男好きなんだろうか。いや、もしかしたら、自分を無理やりレイプするような、ケダモノが好きなのかもしれない。その気持ちなら、わかる。

「相手を気に入らないかぎり、勃つわけないだろう」

 俺は無表情に言った。

「嫌いなのに勃起するような、そんな昆虫みたいのはいない」

「いるんだよ、世の中には!」

 おそらく世の有名なシリアルキラーとか、性犯罪者のことが頭に浮かんでいることだろうが、俺には関係ない。指さして、さらにイライラとうながすヅカ系。

「君も男なら、女のマンコにチンコぶっこんで一発射精したい、という願望くらい、あるだろ?」

 美しい顔で下品なことをかますのは、けっこう萌えだと思ったが、そのくらいで相手に「奉仕」なんかする気にはなれない。

 俺は、また無表情に言った。

「男のチンコは、自分からどうこうするものじゃない。ただひたすら女にいじられて、食われるものだ」

 これには、はるかもあきれたようだった。

「それじゃ赤ちゃんと変わらんだろう! 女に母性しか求めてないのか? 最悪だな」

 叫び、軽蔑の目になる。まあ、これで帰ってくれれば、すべては丸くおさまるんだが……。

 そうはいかなかった。


「まあ、とりあえず、君が僕をきらいなのは、たしかだよな」

 はるかは、むっとしながらそう言い、気を取りなおすように髪をかきあげると、ふたたびドヤ顔になった。ほんと、こういう悪の組織の冷酷な下士官みたいな顔がうまいね、こいつ……。

「君にさんざん嫌なことを言ったし、僕が許せないだろ? こんな失礼な女には、天ちゅうをくだせよ。ほれほれ」と人差し指を上にまげてカモンカモンする。

「俺が勝手に自己判断でやるなら、天ちゅうじゃないじゃん」

「いちいちうるさいな。よし分かった、僕が君を男にしてやる」

「なにが『分かった』なんだよ。……あっバカ、よせ! なにやりだすんだ、やめろ!」

 だがはるかは、俺がいくら止めてもかまわずシャツを脱ぎ、ブラをはずし、ぼよんと乳をだした。服のうえからはわからなかったが、けっこうでかい。その飛び出た隆起は、上から下までするっとなめらかなラインをえがき、高みからくるうすい照明を受けて艶々ときれいだが、ここステージのうえだぞ。それも、こんなただっ広い体育館の。

 だが女は恥ずかしそうでもなく、自分の乳を手でやわらかそうに揉みながら、その赤い先端を俺に突きつけるように向けた。ピンクなんだろうが、うす暗いからどす黒く見える。

「どうだ、僕のカラダは」

 眉をつりあげた凶悪な笑いで、乳もみする。それは次第に硬くなっていくように見えた。ヤバい、こんな顔で見られたら、俺も……。乳がどうより、目つきにヤラれたのだが、相手はそれに気づかなかったようだ。

「これでもダメか。なら、これでどうだ」と、今度はスラックスをするすると下ろす。意外にも地味な白い下着が現れたとき、子供のころ、一緒にテレビのCMを観ていたときの、親父との会話を思いだした。


「お父さん、勝負下着って、なに?」

「ああ、女が男に気に入られるために履くもんだよ」

「ふうん、それってやっぱ、あんな派手なのがいいの?」と、画面に出ている赤や黒の扇情的なのを指すと、父は笑った。

「いや、男なんて気が弱いんだから、あんなの出てきたら、怖がって縮んじゃうよ。そうだな、子供が履くような白い地味なのがいいんじゃないか。とにかく相手が好きなら、まずは安心させなきゃ」

「それって、勝負にならなくない?」

「勝つためには、いったん引くのも手だろ? スポーツでもよくある。押してばっかじゃ、戦いには勝てない」


 そこで当時の母親の誰かが来て、父に変なことを教えるなと怒って会話が終わったが、今まさに、そのとき父が言ったのと同じ状況が起きている。

(そうかこいつ、最初から俺を落とすつもりで……)

 おたがいに嫌いなのに、本来なら好きあう同士がやることをこれからしようってんだから、メチャクチャだ。

「おい、もうよせ。お前がエロいのは、よく分かったから」と手で制したが、はるかはとうとう白ハイソひとつを身につけたすっ裸になって、俺の前に腰をおろした。そしてほほを染め、官能に細めた目で、じっと見つめる。

「あ、あんまり見ないで」

 女言葉になって顔をかくす。

「は、恥ずかしいっ」

 声をうわずらせ、座ったまま両足を思いきりがばっとひらき、つま先立ちになった。そして、大きくのけぞってあごを見せ、自分の肩を抱きながら頭を左右にふって、身もだえした。あらい息づかいがあたりに響き、エロさ爆発の誘いのポーズのはずだが、俺は完全に醒めきって言った。

「ごめん、それ、むしろ俺がやりたいんだけど……」


 とたんに、きっとなって顔をこっちにむけ、ケモノみたいに床に手をついて、噛みつくように言う。

「どこまでマゾなんだ、お前は! よおし、もう手加減は、なしだ! なにがなんでも、キサマを男にしてやる!」

 そして犬のように這ってくると、いきなり俺の下半身に飛びついた。しりもちをつく俺のズボンのチャックに手をかけてジイッとおろし、中に指を突っこむ。

「な、なにすんだ、やめろ!」

 あせって叫ぶ俺をものともせず、はるかはベルトを外してズボンをブリーフもろとも膝まで引きおろし、俺のを露出させた。もちろん、いきなりそんなことをされて勃つはずもなく、押しても引いても揉んでも小さいままだ。

 すると奴は俺を見あげ、射ぬくような視線を向けてニヤついた。飢えた野獣の目。背中まで刺しつらぬくイナヅマのような鋭い目つきと凶悪な口もとに、俺の体はいきなり反応してしまった。

「ふふっ、なんだかずみ、僕に見られると勃っちゃうんだね……」

 甘く脅すように言われ、俺は官能の海に溺れはじめた。

「よ、よせっ、そんな目で……」

 思わず顔をそむけると、はるかはうっとりとささやくように言った。

「かわいいよ、かずみ……いま君を、僕のモノにしてあげるよ……!」

「う、うあああっ――!」


 そのとき、あることで突如、正気にもどった。いきなり奴の髪をがっしとつかみ、舞台そでにたれている幕のうらに飛びこんだ。


「誰か、いますかー?」

 足音が俺の右側をタンタンと移動して舞台の階段をあがり、女の声が続いた。劇部の新見さんだ、ヤバい。仕方なく、バレたときの言い訳のために、奴の口にブチューとキスをした。足音はついにそでに来て、俺たちのいる幕のまえを通り、舞台を横断した。

 新見さんが去り、電気が消えてまっくらになると、やっと俺たちは離れ、幕から出て、腰をおろした。闇のなかでしばらく、たがいの激しい息づかいだけが聞こえた。それほどに俺たちは異常興奮していた。そして考えたら、舞台の陰でいちゃついていたからって、なんの言い訳にもならないと気づいた。


「鍵……かけられたよな、きっと」

 俺は、ぽつりと言った。

「ああ……」

 はるかも、ぽつりと言った。

「今夜は泊まりだな」


 しかし、そのまま恋人になることはなかった。背後にかすかな明かりがさしているので見ると、ドアのひとつが少しあいている。鍵のかけ忘れだ。

 あけて外に出ると街灯の下で、やっとたがいの姿が見えた。それで一気にさめてしまった。

 だが、相手はそうではなかった。

「さて、僕は君のことが、ムチャクチャ好きになったんだが……」

 はるかはそう言って、エロい流し目を送った。

「君はどうなんだ、かずみ」


「それは……」

「言うな」と手で制する。「モデル部の部長のことが好きなんだろ? わかってる。僕が聞きたいのは、いまも僕のことがきらいなのか、そうじゃないか、ってだけだ。どうだ、さわるのもイヤなくらい、きらいか?」

「さ、さわるのは……いいよ」

 俺がこまったまま言うと、はるかは、ぱっと顔が明るくなった。それは、下手したら恋しそうなほどに、さわやかでイイ顔だった。

「それだけ聞けば、じゅうぶんだ」


「じゅうぶん? どうして。ムチャクチャ好きなんじゃないのか?」

「だって、さわるのはいいんだろ? それって、そうはきらわれてないってことだから、望みはあるじゃないか」

「そんなセフレみたいので、いいのか」

「よかないよ」

 はるかはそう言ってうつむいたが、すぐまた俺を見て、口もとをゆるめた。

「でもさ、僕は初恋のときとおなじくらいに、かずみのことを好きになれそうな気がするんだ。今すぐふりむいてくれ、とは言わない。それに、部長にはまだ告ってないんだろ?」

「う、うん、そうなんだけど」


 そのことが、いちばんの問題だった。宙ぶらりんでいるから、気づけば、ほかの誰かとこんなふうに変なことしちまうんだ。そして、結局はこういうふうに、新たな宿題みたいのをかかえることになる。

「いいよ、僕は待ってるから」

 そんなことを言われても、俺が蘭子さんとデキたら、即、こいつは失恋てことになるんだよな……。


 俺が誰かをえらぶと、えらばれなかった誰かが傷つく。オーディションなんかの審査員の気持ちがわかる。だが審査とちがって、この場合は、相手の目的がもろに俺そのものなのだ。責任がでかい。そして、俺がぐずぐすしているうちに、傷つく人がふえていく。まさに俺は悪の根源だ。

 一気にいたたまれなくなり、「じゃあ」と行こうとしたはるかを呼び止めた。ふりむいたそのおどろく顔は、街灯の光にきらめいて、やはりガラス細工のようにきらきらと美しい。今さらだが、どきんとした。


「そのう……」

 俺は、きまり悪そうに切りだした。

「よかったら、その……あの計画のことなんだが」

「ああ、あれか」と、さわやかな笑みを浮かべる。「今度は、次の日曜にでも練習しようか。君んちじゃヤバそうだから、僕のとこで」

(えっ……?)(最初っから、やる気まんまんだったんですか?)


 てっきり、計画はとうにあきらめてるだろうと思い、わざわざこっちから持ちかけてやろうとした俺のご親切は、まったくの無意味だったのである。こいつは、こういう奴なんだ、とあらためて認識した。


「おいおい、まさか僕があきらめてるとでも思ったの?」とドヤ顔になり、頭まっしろな俺を、ひじでこづく。「冗談じゃない、絶対にロミオ役はもらうからね」

 急になまめかしい目になって、舌なめずりする。

「はははは……」

 俺は、力なく笑うしかなかった。


 これでまた、やっかいなセフレが一人ふえたわけである。

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