三、伊吹蘭子(姉御クール系美人モデル)
翌日のゼミに、撫祇子は何もなかったようにしゃあしゃあと隣へ来て、「いやぁ、昨日はすまんかったなりねー」などと苦笑し、頭をかくことだけですべてを済ませたので、あきれた。だが薫さんがあれだけ威かくしたから、いくらアバウトな彼女でも、もうあんなことはしないと思うので安心だし、あの暴行についても、自分はもう気にしていないので、また同じように友達やれるんなら、変にこじれるよりは、よっぽどいいと思った。
というか率直に言うと、彼女に襲われてまるっきり嫌だったわけではない。むしろ、うれしい気持ちもあったので、ああいうのがもう二度とないと思うと、かえって心の奥に妙なさびしさを覚えるのだった。
薫さんの言うように、あまりにも無防備すぎると自分でも思うが、しかしだ。そもそも、今べつにつきあってる娘なんかいないんだから、誰になにされようが、俺がそれでよければ、俺の勝手なはずだ。薫さんが母親風ふかせてうるさすぎるのが悪い。いや、あるいは相手の女へのねたみとか、俺への独占欲とか、あるかもしれない。あいつなら、ありうる。
「お母さん、そうとう怒ってましたなぁ」と撫祇子。「あのあと、だいじょぶだったなりか?」
「ああ、説教くらったよ」
「そ、それは申しわけなかったでありんす」
「いいよ、もう。あれ? そういえば」と、あるささいなことを思い出した。「撫祇子って、格闘技やってて、黒帯なんだよな? かお――いや、お、お母さんを……」
急に声をひそめたので、妙に思われたかもしれない。本人がいないところでも、母親と呼ぶのは恥ずかしい。が、そこは話の趣旨と無関係なので、かまわず、すっ飛ばした。
「いや、つまりだ、首根っこつかまれたときに、なんでやっつけちゃわなかったんだ?」
「あー、あれなりか」
少し考えて、いつもの意味ありげなニヤけ顔になって言った。
「だって、格闘技だの黒帯だの、あれ、うそなりよ」
「ええっ、うそ?!」
あまりのことに、思わず聞きかえした。
「さよう、その場のでまかせでありんす。ああ言えば、ビビると思ったんで、つい。ゆるしてたもれ」
「だ、だって、あんなにすごい力で。もうぜんぜん、身動きとれなくて――」
「それは、撫祇子の力が強かったんじゃなくて、君が弱すぎただけなりよ。わっちは運動系のサークルにも入ってないし、特に体もきたえていないぞな」
がーん。
(お、おれって、そんなに……)
ショックで机に目を落とすと、彼女は毎度のことだが、イヤらしい流し目をおくってきた。どうせ俺のアンニュイに萌えているのだろうが、こうも多いと、しまいにはあきてくる。
「いやぁ、かずみ君のひ弱さには、撫祇子、感動すらおぼえましたのぉ」と生つばをすする。「まさに、ガラスのようにもろくはかないお人形ちゃんでしたなぁ。んもう、このまま抱きつぶして、粉々にくだいてしまいたい! という破壊衝動にかられましたぞぉ。お、思い出すだけでも、もう、はあはあ」
「変態かよ」
「おおっ、かずみ君にののしられたなり!」
こぶしをにぎり、ガッツポーズでよろこぶ変態。
「気があいますなぁ。やはり我々は、最強におにあいのカップル決定ぞなもしー」と、うっとりする。
「ちょ、ちょっと待て、俺は、あんたとつきあってるつもりはないぞ!」
あわてた。どうも俺の知らぬまに、勝手に恋人にされているようだ。こいつならやりかねない。
「また俺に手をだしたら、かお――その……かあさんに殺されるぞ!」
「分かっとりまんがな」と手招きして笑う。
「どこ出身ですか」
「まーまー、君がわっちのこと、まんざらでもないことぐらい、よーく知ってるなりよ」
「うっ――!」
図星だ。こいつ、ふざけてるようで、じつはするどい。
そうだ、この撫祇子は、ずうずうしくてスケベでどうしようもない反面、人を気づかう優しさがあって、観察眼がするどいのだ。そうだ、だから俺は襲われてもなすがままに……。
いくら受身の権化のような俺でも、もし相手がほんとうに性欲しかないただの変態だったら、そんなの不愉快なだけだから、なにがなんでも逃げだしたか、助けを呼んだはずだ。
そう思うと、いきなり頭をかかえた。
(お、俺、ほんとうはこいつのこと、好きなのかな……)
「まあ、わっちも命はおしいから、君へのアピールは隠れてこそこそやるなりよ」と、急に席をたつ。
「えっ、どっかいくのか?」
「今日は用事があるから、サボるなり」
肩かけカバンを引っかけ、いきなりふり向きざまに、
「君のこと好きだって言ったの、あれ、ほんとだからね」
などとウィンクし、さっさと行ってしまった。
俺はひとり、席についてまっかになっていた。
俺のかよっている東京エコノミー大学は、その名のとおり経済・経営学をまなぶ学校だったのだが、十年ほど前に学部が一気にふえて、いまでは文学や人文などの文科系、工学部などの理系まであるマルチな大学になっている。俺は経済にまるで興味がないうえ、就職に有利だとかもとくに考えなかったので、文学部に入った。親父も、俺の自主性にまかす人だから反対しなかった。
そんなわけで、以前はほぼ男子校状態だったこの大学にも、ここ十年で女学生が大量に入り、いまの生徒数は男女半々の割合である。部やサークルの数も多く、バラエティに富んでいる。
というか、ふつうの大学には部活とサークルの二種類があり、部は顧問つきの本格的な活動で、それに対して学生が楽しむために自主的に作るものがサークルと呼ばれる同好会らしいが、うちの場合は、その区別がかなりあいまいで、サークルなのに○○部と呼ばれていたり、部なのに○○研究会だったりと、かなりいいかげんだ。
また大学の部活はきびしく、サークルはぬるい、というのが一般的らしいが、これもうちでは、サークルだろうが部長が本気だときびしかったり、逆に部でも顧問の教員が適当だと学生が遊んでばっか、なんてのはザラにある。だが、いちおう「部活の場合は、大学の教員が担当する顧問がいなければならない」という規定はある。
で、じつは俺も、いちおうサークルに入っている。全く出ていないだけだ。入学時になかば強引にサインさせられて、入部したことになったのだが、モデルなんかに興味はないし、まして自分がなりたいとも思わない。街頭で「アイドルにならんか」と誘われたことは数えきれないが、そういう世界に対するあこがれとかは、皆無だ。俺はたんに、ふつうに平凡な人生を生きていきたいだけだ。この容姿じゃ無理だろうが。
「君、モデルやんなよ! ぜーったい、向いてるから!」
大学のキャンパスで、モデル研究部の女の先輩に、ことわってるのに手をひっぱられて簡易机に座らされ、「それじゃ説明会参加だけでも」と署名させられたのが、じつは入部希望の紙だった、という完全に詐欺で入れられたサークルである。そんなもん、「幽霊部員になれ」と言われたようなものだ。
ちなみに活動内容は、有名モデルの追っかけをやって、その仕事や生き方を研究し、発表することらしいが、みずからがモデルを目指して活動する部員もいるようだ。俺はそっちを期待されたわけだから、この参加への極度の消極性に対する連中の失望は、かくべつだろう。ざまーみろ。
幽霊部員だから、サークル棟にはまったく足を運ばないので、部員に見られて気まずくなったことはない。
だが、その日はちがった。
一学期末試験前、六月末の梅雨の貴重な晴れ間で、ひなたでも北風のおかげで暑くない、といってひかげでも寒くないという快適な初夏の昼さがりだった。今日の講義はおわり、試験勉強のために図書館へいく途中、廊下の大窓からふと見えた向かいの壁のまえの木陰を、白いものがひょろりとすりぬけるのが見えた。俺はただちに窓から外にでて、あとを追った。
追いかけたくなる猫なんて、そうとう珍しい。街でちょくちょく見かけるあの生き物は、ぱっと見はかわいいが、じつは目つきがするどく、口もともふざけて笑うようにつりあがり、悪魔的な顔である。ライオンなどの猛獣の直系なだけあって、猫も立派な肉食獣だから、一般に言われるように見てなごむどころか、ほんとうは凶暴じゃないか、とさえ思う。人なれしていて、あおむけで腹をさすられてごろごろするときは、たしかに気持ちよさそうに笑っていて癒し系に見えるが、ふつうは飼い主いがいの誰かがくれば、とつぜん吹きぬける風のように、ぱっと逃げる。家族も飼っていないし、飼っている知りあいもいないので、俺には猫といえば、近づくと逃げるつまらん生き物、というイメージしかない。
だが、今のはべつだった。白いだけではなく、小さい。子猫の可能性もある。なにがそんなに夢中にさせたのか、正直よくわからない。ただ、俺はその白猫を追って、校舎の裏へ入った。そこではじめて気がついた。
(あっ、まずい)(ここは――)
文化部、体育部、あらゆるサークルの部室が集まった棟は独立していて、校舎の裏庭の奥でコの字になり、凹面をこちらに向け、巨大な遺跡のごとくでんと横たわっている。そこには、部活動のため個々にあてがわれた部屋がぐるっとならんでいる。どこかにモデル研究部もあるはずだ。見つかったら、たいへん気まずい。顔を知られているから、心を入れかえてあいさつにでも来たと思われたら、めんどうだ。しかし、あの猫はあきらかにこの先のサークル棟に入った。しかたない、あきらめるか。
と思ったそのとき、足もとを何かがすっと横ぎり、それがあの白い猫だとわかったときには、俺の目は、その先にいる、あるものすごく美しい人をとらえていた。
彼女は腰の下まである茶色がかった髪が風にさらさらとなびき、うすグリーンのシャツに、これもあわい空色のうわ着をはおり、下も水色のパンツで、すらりと長い足にぴったりはりついてすそが広がり、足もとのパンプスは底が黄色だった。服装を全体的にさわやか系で統一してあり、それは恐ろしいくらいに決まっていた。
彼女は今、サークル棟のはじにあるイチョウの木のまえに立ち、やや前かがみになって、あごを引いていた。その足もとに、今の白猫が飛びこむように走ってきて、靴のまわりにまとわりついて、じゃれた。すると彼女はすっとしゃがみ、「よしよし」というように猫の背をなでてから、顔をあげ、こっちを見た。
その顔の美しさに、息をのんだ。
大きなつり目の上に、逆ハの字にひらくほそいまゆ、その部分だけで、美麗な斑紋と長い触角を持つ、優雅な蝶をおもわせた。形よく、すーっととおった鼻すじと、その下の口もとは一文字にきゅっとむすばれ、強い意思を感じさせる。頬はふっくらしているが、全体のりんとした印象は、クールな大人の女性、という感じだ。
その、ぱっちりとつりあがる目が、俺をまっすぐに見すえた。だが向こうも俺を見て、ちょうど俺と同じように感じたかといえば、それはまるでないようだった。
そのことは、かなりのおどろきだった。
おおげさでなく、俺は初対面のあいてには、まず俺の見た目の美しさやかわいさに驚かれてから、会話なりコミニュケーションが始まる。相手が男だとそう驚かれないが、女はほとんど例外なく、俺の容姿に、まず最初にたまげる。一目ぼれも、しょっちゅうだ。ところが、今いるこの美しすぎる人は、俺を見てもろくに反応せず、ただ何かを考えているように、しばらくしゃがんで猫をめでながら、顔だけこっちを向いて、じっと見つめるだけだった。
が、そのうち声を発した。薫さんばりに低い声で、言葉づかいもかたかったが、あんな軽くあかるいテンションではなく、きわめて落ちついていた。
「あー、あんた、すまないが……ちょっと、見ててもらえないかな?」
「えっ? は、はあ……」
いきなり言われて、なま返事しか出来なかったが、とりあえず、言うとおりにした。しかし、「見てて」って、なにを見ていればいいのか。
すると、いきなり彼女は右手をあげ、おもむろにブラウンの髪をうえへかきあげた。髪はいったん頭上に来ると、すぐにバラけて肩の下へおちた。その滑らかな流れは、岩面をさーっと落ちる水のようだった。だが俺を釘づけにしたのは、髪よりも、かきあげざまに見えた彼女の、あごを小さく振ってうす目をひらく、超絶アンニュイな顔だった。
俺はあまりの衝撃に、息がとまった。
(こ、こんな興奮する顔があっていいのか……?!)(これは、本当に地球上の出来事なのか……?)
すると、彼女はおもむろに白猫を抱きあげ、そのまま草のうえに両腿を閉じてすわり、腿のうえに猫をおいた。猫は逃げるでもなく、大人しく太腿のうえに丸くなった。ちょっとのあいだ、彼女はしばらく猫をいとおしそうに見おろしていたが、そのうちにまた猫を抱えて立ちあがり、こっちへ歩いてきた。いきなりだったので、俺はどぎまぎした。
だが、さらなるどぎまぎが俺を待っていた。
「……どうだった?」
えっいや。
なにが、「どう」なんだろう。じつは誰でも分かることで、俺の頭のダメなせいで分からないのか。
把握していないと知ったのか、彼女はさらに言った。
「ほら、今のパフォーマンスだ」
「パフォーマンス?」
「ああ。部活でやってるんだ」と、腰をくいと折りまげて猫を地に降ろす。よほど体がやわらかいらしい。猫がぱっと校舎の方へ走りさるのを見おくってから、またこっちを見た。俺より背が少し高いせいか、目線はやや下向きだ。
「今度『猫とのたわむれ』という題の写真をとるんだ。カメラマンの注文でさ。ポーズはこっちで決めていいそうだから、あれこれと模さくしてるんだ。まあ、そういうわけで、」と、腰に両手の甲をあて、見すえる。「どうだった、今のパフォーマンス」
「え、ええと、ですね。そのう……」
「遠慮するな。率直な感想が聞きたいんだ。悪いと思ったら、ちゃんとそう言ってくれると、たすかる」
「わ、わるいなんて、とんでもないです!」
いきなり大声が出て、自分がびっくりした。相手も少し驚いたっぽいが、もう止められないので、つづけた。
「さいっこうぉぉぉ――でした! すばらしかったです! そ、そのう、まるで、女神さまのようでした!」
俺がどん引かれようがかまわず言いきると、彼女は笑っていったん目をふせた。そして、また半びらきの艶っぽい目で、俺を見た。きれいなだけで、するどくもなんともないのに、その視線に顔面を射ぬかれたと思った。
「ありがとう」と彼女は言った。「それほどなら、次の撮影はだいじょうぶだな」
「部長! こんなところにいたんですか――あっ!」
とつぜん校舎の方からかけてきた女が、息をきらせて彼女に呼びかけた直後、俺を見てさけんだ。げっ、まずい相手だ。校舎からここまでは距離があるし、来るのが見えていたら逃げられたはずだが、いまは接近するまで、まるで気づかなかった。こいつは、入学時に俺を無理やり自分の部の部員にしたやつである。
(あっ、ということは――!)
「なんだ、知りあいか」
彼女がそいつに言うと、俺はかなりの衝撃をうけながら聞いた。
「ええと、それじゃ、あなたは――も、モデル研究部の……?」
「ああ」
女神さまは答え、白い歯をかがやかせて、笑った。
「部長の、伊吹蘭子だ」
「そうか、噂の幽霊部員って、君か」
蘭子さんがなんでもないように言うと、その部員の女は、苦笑した。
「部長も、そっけないですねえ。こんな超絶美形、めったにいませんよ。……いちど、よーく見てください、って何度もたのんだんだよー」
急に俺を向いて言ったが、そんなこと頼んだおぼえはない。
この「むりやり勧誘女」は、三年生の部員で、フリフリだらけのシャツとかぼちゃスカートに、全面カールしまくった癖毛の髪を頭にでんと乗せた、妙にお茶目な雰囲気のめがねっ娘だった。名前はあとでおぼえたが、橘といった。
「まあ、たしかに大学生では、めずらしいかもな」
自然に目が見ひらいてしまった。女にふつうの目で見られるなんて、はじめてだ。男でも、あまりいないくらいである。じいさんとか、ろくに人を見ないおっさんとかなら容姿を気にされないことはあるが、女だと、例外なく「うわ、とんでもないものを見た」という顔をされる。
もちろんわるい意味じゃないからいいし、それがきっと自尊心にもつながっているから必要だとは思うが、誰からも自然に対応してもらえないことは、疲れるのもたしかだ。どこへ行っても、どこかよその金持ちの国から来た王族みたいなあつかいをうける。あるていど親しくなれば、それも薄れるが、結局、うちとけることはない。
ところがこの蘭子さんは、これだけ至近距離ではっきりと見ているのに、俺の容姿にまるで無反応なのだ。何かそんなふりをしなきゃいけない理由でもあって、わざとしてるのかと疑ったくらいだが、そんな感じはまるでない。本当に気にしていないようだ。
これはかなりの衝撃だった。今日はおどろきと衝撃の連続で、晴天なのに俺だけ嵐の直撃を受けてるみたいだ。
「もういちど、見てください。どうです、この神のお作りになったような造形! まさに、存在だけで芸術です!」
鼻息を荒らげて俺をしめす橘。あんた、俺のマネージャーでもなんでもないだろ。すると蘭子さんがいきなり顔を近づけ、片眉をあげて俺を凝視した。
心臓がばくばくした。
(う、うわああっ――!)
「うーん」と顔を引っ込め、橘を向いた。次の言葉が、また驚きだった。
「このくらい、ふつうだろ?」
(ふ、ふつう?! 俺が、ふつうだって……?)
「あ、気にさわったらすまんな」
俺の表情で、いやがってると思ったのか謝ると、隣で橘がため息をついた。
「はあ……。まあ、お仕事でたくさんのプロの男性に会ってるから、目がお肥えになってるのも無理ないけど……。あ、部長はモデルさんのお仕事もしてて、卒業したら、プロ確定なのよ」
俺に誇るように言う。だから、あんたはマネージャーなのかと。
しかし、これでわかったので、気持ちがやや落ちついた。そうか、俺みたいのは見なれてるから、このていどのルックスでは、ぜんぜん感動しないのか……。
ぜいたくな話だが、そうわかると、こんどは妙にさびしい気がしてきた。だが、蘭子さんのお姿に目をうつせば、その天使のような輝きに、たちまちさびしさなどかき消えてしまった。
「これだけの人材が、平凡な学生の中に埋もれてるなんて、もったいない」
いかにも惜しそうに俺を手でしめす橘。
「どうです、部長。次のオーディションに出てもらったら?」
「なにを言ってる、彼はことわったんだろ?」
腕ぐみし、目を細めてにらむ。ああ、怒ったお顔も、死ぬほどうつくしい……。
「橘、お前は強引すぎる。彼に才能があるかどうかはわからんが、いやがっているものを、そう無理やりに――」
「あ、あのう」
ほとんど自動的に割り入った。こっちを見る二人に、ほとんど必死になって続ける。
「いやじゃないんです、じつは。今まではいろいろあって、出られませんでしたが」
薫さんに襲われたり、撫祇子に襲われたりと、たしかにいろいろあったから、うそではない。いや、この部に入れるなら、理由なんてなんでもよかった。
「いまさらですみませんが、僕を入部させていただけませんか?」
「気をつかってるわけじゃないのか? あまり強引に誘うもんだから、それで――」
「いいえ、そんなことは! ほんとうに入部したいんです! どうか、おねがいします!」
深々とおじぎすると、女神さまは苦笑された。
「弟子いりじゃないんだから。でも、そこまで言うならオーケーだ。というか、もう部員なんだがな」
そう言って、きゃしゃな手を差しだした。取るのが恐ろしいくらいだったが、なんとか握った。
「あらためて、よろしく。部長の伊吹蘭子。三年だ」
「に、二年生の平川かずみです。よろしくおねがいします」
あたたかい手だった。その指から、てのひらから、太陽のようなポジティブな熱が体内に流れこんでくるようだ。輝いている人は、すべてがちがう。
蘭子さんは、「明日の午後の夕方、ここへ来るように」と言い、部室のある棟へ去っていった。わきではしゃぐ橘と優雅に歩く、ほっそりとしたうつくしい背には、かすかな夕日が落ちて、両側をかざるイチョウ並木の葉が、風に静かにゆれていた。それを見送りながら、俺にはやっと青春が来たと実感し、胸がおどった。
平川かずみ。生まれて二十年めにして、恋をした。