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薫かあさん  作者: 白夜
10/12

十、四京院はるか(三)

「キャー! かずみくん、かわいー!」

「も、もうダメえ、悶え死ぬううー!」


 部室に橘たちの黄色い声が飛びかう。俺がちょっと笑顔で流し目をくれてやっただけで、一年から三年の先輩後輩たちはこぞって大興奮。もちろん蘭子さんだけは冷静にうす笑い。「天性のエロスだけは豊富なんだがな」と、あいかわらず動きのダメ出しの連打。これがモデル部の日常である。

 部室の奥がひろく、そこが練習場所だ。で今、ターンを決めてスマイル、ってのをやったら、たちまちのうちに女どもが激萌えで大騒ぎ。いつものことである。


 ちなみに、この部は俺いがいは女しかいない。まさにハーレム状態。うれしいっちゃうれしいが、部長をのぞけば、好みの女がいるわけではない。だが、もし部長みたいなカッコいい人が部屋中にひしめいていたら、こっちが興奮しすぎて疲れはてるだろうから、このくらいでいいと思う。


「よし、次はここまで歩いてきて……ん、どうした?」

「いえ、十二ひとえの奴が窓からのぞいてたんで」と、窓を見る俺。

振臼(ぶるうす)にも困ったものだな」

 部長のため息に、俺も苦笑した。


 隣の部室の振臼(ぶるうす)撫祇子(ぶぎこ)は、あまりに目立つので、部員全員にすっかり面も名前も割れている。やつは料理研究部と歴史研究会をかけもちしており、それが悪いことに、この部室の両どなりなのだ。おかげで、ときおり、その部活のかっこうでベランダにでて、窓から意中である俺をのぞこうとする。料理のときのエプロン姿はまだいいが、歴史のときは、今みたいな歴史上の人物のコスプレでやるので、かなり迷惑だ。

 というか歴史の部活だからって、べつにその時代の人間のかっこうをする必要はないと思う。おそらく、あいつが勝手にやっているのだ。いかにもやりそうなことだ。やりそうなことの塊である。


 最近は、こっちの部員にも定着して、むこうから手までふり、こっちからも誰かがニコやかにふりかえして、蘭子さんににらまれたりしている。

 まじめな蘭子さんは気がちるからと、「こんど来たら、隣にクレームを入れる」と怒っているが、のぞきの原因が俺だとはしらないようだ。わかったら、ぜったい俺になんとかしろと言ってくるよな。トホホだ。言って素直に聞くような奴なら、苦労はないんですよ……。




 そんなアホでのんきなモデル研究部の翌日は、演劇部員にはやがわり。だが劇部の部室でロミジュリの練習をおえても、まだ続きがある。定期的に四京院はるかの邸宅へいき、劇の練習をしなおさなくてはならない。


 やつの家はそこそこ金持ちで、父親は一級建築士で、家は設計事務所である。父が自分でデザインした、と自慢げだったが、たしかに切りわけたケーキのように端正な直方体に、これも切りぬいたような細長い窓がついていて、おまけに壁は雪のようにまっ白という、とてもおしゃれな外観だった。父はここの所長だから、はるかは、あれで社長令嬢なのである。

 やつの部屋も予想とちがい、さほど地味ではなく、カーテンもベッドのシーツも白くて清潔感があり、机もふちがまるくてかわいらしく、わりと女の子っぽかった。


 やつのロミオ役に対するダメ出しは、やはり幼児期から舞台に立ってきたベテランらしく、劇部のそれよりはるかにきびしいものだったが、俺ははたしてこんなことをする意味があるのだろうか、という疑問を持った。俺は当日、舞台にたたないわけだから、こんな練習など無意味だろうに。


 だが、それを指摘すると、はるかは眉をつりあげて言った。

「なにを言う、当日は、なにがおきるかわからないんだぞ。なんやかんやあって、いきなり君がロミオをやることになったらどうする。演技を覚えておくにこしたことはない」

 なんやかんやって、なんだよ。そう思ったが、あまり俺が無意味さを強調して帰ろうとすると、奴はいきなり泣いて「たのむから、いっしょに練習してくれえ」とすがってくるので、しかたなくつきあうしかなかった。

 どうも、やつはたんに俺といっしょに練習したいだけだったらしい。だから、それにかこつけて、なにかとセクハラしようとするので、いちいち逃げるのがたいへんだった。


 いや、事故とはいえキスまでした仲だから今さらなのだが、視聴覚室で雪乃さんに甘えてしまってからは、蘭子さん一本にしぼろうという決意をしたので、ほかの女と変なことはなるべくしたくなかった。

 といって、べつにはるかが嫌なわけではなく、もしあいつしか知っている女がいなかったら、襲われるまま素直にヤラれまくって、今ごろは恋人同士だろう。ほかに好きな女がいるから困るってだけだ。


 だが、はるかは俺が蘭子さんを好きなことを知っていて手を出してくる。撫祇子もいちおうセクハラ発言はするが、うちに呼んだときに薫さんに怒られていらい、さわってくることはほとんどない。だが、はるかはセリフや演技の練習のとき、相手役をやることにかこつけて密着してきたり、あわよくばキスしようとしたりと、行動が具体的なので、より悪質である。それで本気で怒ると、今度は人が変わったようにしおらしくなって、泣いてあやまってくる。

 ふだんはクールで男っぽくしてるくせに、そんなふうに場面におうじて女であることをフル活用するところは、じつにすがすがしいほどに卑劣である。といって俺もマゾだから、そのねっとりした不快さが、ときに快感だったりもする。そこで、しょうがないからキスぐらいはさせてやろうかな、などと妥協しそうになる。

 いかんいかん、蘭子さんを思いだせ。愛する唯一の人じゃないか。お前が好きなのは、このはるかでも、撫祇子でもないし、ましてやジュリエットでもなんでもない。


「ああジュリエット、今すぐ君のもとへ行くからね」

 俺は、横たわるはるかの前にひざまづき、身ぶりをまじえて口上をのべた。無理にべつの男と結婚させられそうになったジュリエットが、それから逃れるために、特殊な毒薬で一時的に仮死状態になって墓場でねむっている。そうとはしらず墓へ来て彼女を見たロミオが、自分もあとを追おうと、本物の毒を飲んで死ぬ……というクライマックスのシーンである。

 俺は、粉薬の毒を飲む動きをして、はるかの隣にたおれた。本来なら奴が目を覚まして、俺が死んだのを知り、なげいて短剣で自害して、悲劇は最高潮にたっするはずだが、今やってる体勢はそい寝である。これで、なにも起きないはずがない。

 あんのじょう、横から腕をのばして抱きついてきたので、俺はうしろにひいた。すると、こっちへ両腕をのばして横になったまま、ずるずると寄ってくる。妖怪か。


「キサマ、死んでるのに、なぜ動ける」と、うす笑いするえせジュリエット。

「台本とちがうから動くんだよ!」

「言ってることが意味不明すぎる。というか、恋人なんだからいいだろ、さわったって。うりうり」と手をのばす。

「死姦までするジュリエットがいるかっ! プロなら台本どおりにしろよ!」

 うるさく言うと、奴はやっと起きあがって、台本どおりにロミオを見ておどろき、「ろ、ロミオさま! ああ、なんということなの! 今すぐに、あなたのもとへまいります!」と天をあおいでオーバーアクションした。

 このあと、本当ならロミオの持っている短剣で喉をついて死ぬはずだが、天下の四京院はるかさまは、そんなまどろっこしいことはしない。いきなり俺にダイブして下半身にしがみつき、ズボンのチャックをおろそうとする。すごい死に方だ。


「ば、バカっ、なにすんだっ!」

「うるさいっ、ロミオなら男らしくチンコを出せっ!」

 などと意味不明しか言わないので、あごに蹴りを入れると、「ぐはあっ!」と飛びのいて、部屋のすみでひざを抱えていじけた。いじけたいのは、こっちだっつーの。

 だが奴は、そのきれいな顔をうつむかせて、めそめそ泣きながら、か細い声でぽつりぽつり言った。

「す、好きなんだから、いいじゃないか……君がエロすぎて、もうダメなんだ……! こ、この燃えたぎる肉体を、なんとかしてくれ……! はあはあ」

 息はあらく、ほほは上気し、うなじがうっすらと汗ばみ、すさまじく欲情しているのがまるわかりだ。そのうちシャツがずれて、まるくなめらかな左肩がむきだし、その扇情的な白い肌が、にじむ汗で電灯の光にきらきらと輝いている。その端正なギリシャ彫刻のような姿は、まさに至高の芸術品そのもので、思わず見とれた。

(かっ、かわいいっ……!)(い、いかん、このままでは……!)


「ふふん、僕で欲情してるな……」

 泣きぬれた顔でニヤつくので、あわてて「してねえっ!」と後ろをむく。これじゃ、してるとバラしてるも同然だ。だがふりむくと、奴はますます興奮してシャツをずらし、左のパイオツがこぼれてぷるんとゆれた。すでにオールヌードを見ているのでたいしたことはないはずなのに、その胸のはだけたビジュアルの卑猥さは、とんでもなかった。なんでこいつがこうもかわいく見えるのかと思ったら、わかった。


 そうか、こいつは俺なのだ。俺を女体化したら、おそらくこうなるのだ。完全に俺の美化。だから、こんなにエロいのだ。ほかの女とは、ぜんぜんちがう。とても客観的に見れない。

 だめだ、今にも理性を失いそうだ。理性をなくすったって、奴に対して、こっちからなにするわけでもないんだが。

 だが、ふと目を離したすきに、奴はぼくに背後からおおいかぶさっていた。

「う、うわああっ……!」



 おどろく俺を、はるかがうつぶせに押したおしたそのとき、部屋の外から、婆さんのたしなめる声がした。

「お嬢様! おうちで性行為はおやめなさい、と言ったでしょう!」

 ドアの隙間からしわしわの顔がのぞき、俺らは一気にさめた。

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