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薫かあさん  作者: 白夜
1/12

一、兼良薫(イケメンアニキ義母)

 俺の名は、平川かずみ。いま、俺は困っている。親父の再婚相手、つまり俺のあたらしい母親の、薫さんのことだ。

 兼良薫(かねよし かおる)さんは、数ヶ月まえに親父がひょっこり連れてきたとびきり美人の女性で、歳は三十代なかばくらいに思われた。髪はうしろ頭にゆわえた活発的なポニーで、いつもほそい眉が、きりりとした口元と一緒につりあがっているドヤ顔で、体格も女性にしてはがっちりと引き締まって肉付きがはんぱなく、その風貌は、はち切れそうな巨乳とでか尻がなければ、土木作業の男と見まがうだろう。

 会って数ヶ月だが、かかとの高い靴をはいているのを見たことがない。いつも肩で風を切って堂々と歩いているので、もし厚着をしてしゃべらなければ、ただのポニーテールの男にまちがえられても、不思議はない。話すと声で女だとわかるが、それでも一般女性とくらべるとかなり低くハスキーで、たとえば俺なら、たぶん同じ声が楽に出せる。そのうえ、しゃべり方は女言葉がほとんどなく、語尾に「わよ」「ね」などはほぼつけないので、声を聞いていると、喉が酒焼けしたアンちゃんがしゃべっているみたいだ。


「とまあ、そういうわけで、今日からお前の母親になった兼良薫だ。よろしくなっ」

 出会ってそうそう、そう言ってウインクし、おちゃめに敬礼した。隣で仔細(しさい)をあらかた説明しおえ、ほっとたばこをふかす親父は、いつもどおりの、のん気な男だった。風に吹かれるのれんのような、飄々(ひょうひょう)とした男だ。仕事だけきっちりやって、うちのことはぜんぶ女房にまかせきり、というよくあるタイプだが、ほかの男とちがうのは、女房のサイクルである。


 俺の記憶するかぎり、こんどで五人目だ。こう言うと、親父がまるで、再婚してもすぐ女房に逃げられる問題のある男みたいだが、俺の見るかぎり、そういうわけではない。おたがいにあきて、自然に別れるってのがほとんどで、けんかとかの修羅場は、あったためしがない。あとはむこうが事故で死んだ、とかのやむをえない事情だ。それ以外は、「あきた」とか「おたがい、よそに目うつりした」とかの、ほんとうに簡単な理由で別れ、また軽い相手とくっついて、また数年で離婚、というのをくりかえしている。男も軽ければ、寄ってくる女も軽い。

 ようするに、なにか重大なわけがあって同じ伴りょが続かないわけではなく、たんに軽くて適当だからすぐ相手が変わるという、ひとり息子としては、わりと恥ずかしい理由なのだ。ただ、うちは親せきとまるでつきあいがないので、誰からもとやかく言われないから、そこはいいんだが。


 前のお母さんはいかにも女らしく、すべてにおいてやわらかかった。いや基本的に、親父はそういうしおらしくておとなしい女が好みだったはずだ。今回みたいに、ガッチリした、荒ぶる重機みたいのが来たのは初めてなので、俺はとまどった。

 薫さんはよく、「いやあ、カズちゃんはかわいいなぁ。女の子みたい」などと、よだれたらしそうな勢いで目をギラつかせ、息を荒らげて言うが、その行状は、ほとんどスケベオヤジで困る。


 そう、俺がいま困っているのは、まさに彼女のセクハラにあるのだ。たしかに俺は女顔で、ガキの頃から、まわりから「かわいい」ともてはやされ、自慢だが女の子たちがやたらキャーキャー言ってきて、小学校から今の大学にいたるまで、一貫してイケメンのアイドルあつかいだった。

 だが、特定の相手はまったく出来なかった。というか、俺につくる気がなかった。告られても、すべて理由をつけて断った。「いま好きじゃなくても、つきあってみて、わかる場合もあるぞ」と親父に言われたが、なぜかそうする気がおきなかった。

 しかし薫さんに出会って、はたとわかった。今まで告ってきた女の子たちは、全員がぽやっとした少女っぽくて愛くるしい子ばかりだった。そういう、見た目が俺より小さくてか弱そうで、清楚可憐な美少女しかいなかったから、俺の恋愛センサーが反応しなかったのだ。べつに女や恋愛が嫌いとか興味がないとかではなく、たんにそういう「可愛い」娘が好みじゃなかった。では、どういうのが好みかというと、それを自分で分かっていなかった。というか、そのことをまじめに考えることがなかった。

 しかし最近、あるきっかけで、それを知ることになった。じつは俺の好みは、かなり特殊だったのである。



 ある日、薫さんが買い物カゴをさげて、「ちょっとスーパー行くから、つきあいな」と強引に手をひいてきたとき、俺はどういうわけかドキドキしてしまった。も、もしかして恋か、これ?! と思った。

(ば、バカ、なに考えてんだ、血がつながってないとはいえ、母親じゃないか……)(しかも、親父の女だぞ……!)

 しかし、薫さんは俺の恋心を見すかしたように、スーパーで野菜や肉をえらぶときも、レジに並んでるときも、終始、俺の顔にじっとりとした横目をおくり、その目つきが、またおっそろしくねっとりとイヤらしくエロく、(そうか俺をたぶらかしてやがるな! 母のくせに息子をさそうとは、とんでもねえ野獣だ!)と、こっちまでハアハアしかけたが、別にそんなつもりはないようだと、あとでわかった。けっこうがっかりした。

 彼女はたまに俺の顔を、食いつきそうな勢いで、鼻息荒くほめ倒すが、べつに本気ではなく、あくまでおふざけのようで、誰かが来れば、ぱっともとの陽気な姉ごに戻る。


 でも俺が、年上の女性にもてあそばれるのが好きなのは、事実だ。そうだ、それまで気づいていなかったが、俺は年上のほうが好きだったのだ。べつに学校の女の子でも、もし薫さんみたいなかっこいい先輩がいたら、俺の方から寄っていったかもしれない。

 だが、今までそんな人はいなかった。ロリロリしたかわいい子ばっかだった。仮にもしいたとしても、運命がよけていたのか、出会うことはなかった。校内で無数の女の子に追いまわされて、ほかの男どもにねたまれても、本命がいないんじゃ意味がない。

 薫さんに会って、最初はドンびいた。そしてひと月後には、もう惹かれた。

 だから、俺は困っている。



 彼女が、ふざけて俺で遊んでいるだけだと言ったが、もしかしたら、そうではないかもしれない。

 いつも親父は仕事で夜おそいから、うちに帰ると、たいてい彼女と二人きりだ。いつも自分の部屋にいるし、そうせまい家でもないので、そんなに顔をあわせるわけではないが、きのうはドアをノックされて、あけると薫さんが苦笑いのような複雑な顔で、ブルーレイのケースを持って立っていた。「面白いから一緒に見よう、さっき見てたんだが、もうダメだ、一人じゃ耐えられねえ、お前にも見せなきゃ死ぬ」などと、いつもの素っ頓狂に近い早口でまくしたてるので、死なれたら困るから、一緒についていった。


 彼女の部屋には、呼びに行ったりしてちょくちょく入っていたが、こうも長居するのは初めてで、へんな緊張があった。それに気づいたのか彼女は、「ははは、乙女の部屋でもねえんだから、気にすんなよ」と笑い、床のざぶとんをぽんとたたいて、俺をひくいテーブルにすわらせた。

(いや、乙女じゃなくても、巨乳・巨尻で、超スタイルのいい超絶美女なんですが……)

 と言いたかったが、彼女はその自覚がまるでないようだ。いや、あるいは分かっていて、わざと無防備なフリをしてあおっているのかもしれない。鈍感な俺にはわからない。

 顔とスタイルがいいだけで、勘も頭もよくない俺は、もし悪い女に目をつけられたら、かんたんに餌食になるだろう。今までは、運命がよけてくれていたように、たまたま、そういうのが現れなかっただけだ。

(だがもしかすると……)(これが、その――?!)


 卓上には、つぼにクッキーがつめてあって、彼女は「勝手に食っていいぞ」と言い、飲み物を取りにいった。あらためて部屋を見わたすと、やはり彼女らしく、女の部屋なのにオンナオンナしておらず、ピンクのものはほぼなく、ただ窓のカーテンは白くてきれいだった。そとからの風でひらひらなびいて、幼い少女がスカートをひるがえして踊っているようだ。窓からの気持ちのいい風が、俺の髪やうなじをさーっとなでて、目先のあけっぱなしのドアの隙間から廊下へ流れていく。

 テーブルの前に机があり、そこにでんと置いてあるモニターの前に、黒いキーボードがある。そこでいつもパソコンしたりブルーレイを観たりしているわけだ。今日の彼女は、白い肩だしセーターに、足を膝下までまくり上げたジーンズに素足という、ラフな格好だった。俺は、彼女が机でボードをたたく姿を想像した。

 部屋だけ見ると、ひとり暮らしみたいだ。ふつう、夫婦は同じ部屋に住む気がするのだが、こんなそれぞれがアパートの個室にいるような、別居のような暮らしで、親父はさびしくないのだろうか。

 いやないな、あの親父じゃ。この二人は明らかにべったりではなく、プライベートを大事にする夫婦だ。いちいち毎晩いっしょに寝ることもない。ふだんは兄弟に近い関係とすら言えるかも。


 そのとき、いきなり首筋がひやっとして、思わず前に飛びのいてテーブルにへばった。いつのまにか来ていた薫さんが、うしろからいきなり首筋に、麦茶の入ったグラスを押しつけたのだ。

「ひひひひ、カズったら、ぼうっとしてるからさぁ」とうれしそうに言うと、卓にグラスを置き、モニターのところへ行って、隣のハードディスクをあけた。

 あーびっくりした。ったく、おかげで首がぬれちまった。そう思っても、顔が自然に笑ってしまい、怒れない。もしや、こういうのを、しあわせというのだろうか。

 そういえば、前の母さんは実の母を含めて皆、こんなふうに気楽にいじったりはしてくれなかった。みんな最後まで、俺にどこか気をつかっていた。こんな気のおけない友達みたいな関係は、はじめてだ。

 準備して隣にすわり、「よっしゃ、行くぞ!」とリモコンを押したが、ボタンを押し間違えてディスクが出てきて、また笑った。


 映画は面白かった。たしかにこれは誰かに見せたいよな、という内容だった。基本コメディだが、シリアスになる場面もあった。ある場面で――主役のさえない男が、いよいよヒロインに告白する、という映画の山場だったが――薫さんは観ながら興奮し、いきなり右にいた俺の肩に腕をまわして、だきついてきたので、あせった。

「ちょ、ちょっと、か、か――」

 まだ母さんとは呼べない。といって、他人行儀に「薫さん」とも言えず、出会ってから、まだ一度も呼んだことがない。が、心では「薫さん」と呼びまくっているから、つい出そうになる。

 だが、薫さんは俺のことにまるで気がつかないように、俺に左から抱きついて、その体を密着させたまま、ただ画面を食い入るように見ながら「おおっすげえぞ、いよいよかぁ!」などとさわいでいる。俺はうすいセーターごしに、彼女の豊満でなめらかな肉体のラインと熱い体温を感じて、全身がぼわっと火照り、心臓がどきどきしだした。まずい、これはまずい。

 彼女のでかくてやわらかい胸が、俺の骨ばった肩にぐいぐい押しつけられ、それも彼女の興奮とともに強く、ねじこむようにこっちに入りこんでくる。俺の腰にも、女のしなやかなそれが、肉食獣が獲物を抱きすくめるように、べったりと密着してくるのを感じる。わざとか、本当に気づかないのかは、わからない。だが、そんなことをされて俺が完全に度を失い、身動きできなくなったのは、事実だ。


 しかし、いちばんビビったのは、だきついたまま、ほほを俺のそれに、ぐいぐい押しつけてきたことだ。化粧っ気はまるでなく、ファンデも塗っていないような顔なのに、しっとりと艶があって清潔感もある。髪のいいにおいがして、そのあまりのエロさに、俺の心臓はさらに早鐘になり、額と首筋に汗がにじんだ。まずい、顔がほてってるのがバレやしないか。いや、それ以前に、この胸の高鳴りは、彼女にしっかり伝わっちまっているはずだ。

 ところが、そうでもなさそうだ。彼女の、俺とはちがう意味の胸のばくばくが、俺の体に直撃のように食いこんでいるからだ。彼女は完全に映画に没頭して、俺に気づいていない、たぶん。てか、そもそも冷静だったら、だきついたりしないだろう。


「○○さん、好きだ……!」

「ば、××君……!」

 手をにぎり、近づく唇のアップで、薫さんは「ぬおおおお――っ!」と野太い声をあげ、目が飛び出てんじゃないかと思うほどのエキサイトぶり。まるで、ネットで初めてエロ画像を見た小学生である。

 俺は、困惑と混乱のまっただなかで、ただ横目で彼女の顔をうかがうしかない。が、もちろん、ほほをほほに押しつけられているから、表情なんて分からない。あるいは、叫びながら向こうも俺に流し目をくれて、心でニヤついているかもしれない。

 いや待てよ。とてもそんな感じじゃない。俺は確かににぶいが、そのくらいはわかる。きっと、わざとじゃない。本当に興奮して、われを忘れているんだ。そう思いたい。いや、きっとそうだ。そう思ったとたん、ある革命的な、ものすごい感動が襲った。

(ああ、なんてかわいいんだろう……)


 生まれてはじめて、女をかわいいと思ったかもしれない。俺からも抱きつきたい衝動にかられたが、全身が硬直したように動けない。なさけないけど、今の俺は完全に彼女のトリコだった。

 彼女のほほは熱かった。こっちとおなじに、じっとりと汗がにじんでいた。それがさらに痛いほどにぐいぐい押しつけられ、二人の汗がまじりあって、鼻を刺すようなあまい香りを放った。俺の鼻腔はもだえ死んだ。

(ああ、もうダメ。このまま気絶してしまいたい……!)

 と、いきなり彼女が離れた。この醜態がバレたか?! と一気に恐れたが、彼女は何も気にしないようすで、にこにこ笑って俺を見た。映画は、とうにエンドロールになっていた。


「いやぁ、よかったねえ。ただ笑かすだけじゃないとこがさ」

 かるい運動でもしたようにさわやかに言い、何事もなかったようにグラスの麦茶を飲む。一気にあおり、ふと聞いた。

「ん? カズ、おもしろくなかったか?」

「い、いや、そんなことは……」

 まだ体のほてりがぬけないので、ばつ悪く目をそらしたが、彼女はそれを映画への不満と取ったようだ。それでも、いつもの素っ頓狂に近い浮かれ口調で笑った。

「んまぁ、途中までは良かったろ? お前もゲラゲラ笑ってたし」

「ま、まあね」


 なんとかそっけなく言えたが、部屋に戻ると、ため息が出た。

 いや、これは恋心じゃない。だんじてちがう。もう二十歳の大学生だというのに童貞だし、女に免疫がないから、あんなしょうもないことでも、純な中校生のような反応をしちまっただけだ。

 それに、相手は男らしいとはいえ、すさまじくパツンパツンにはちきれた肉体を持つ絶世の美女だ。三十代だとは思うが、もしかしたら四十は行ってる可能性もあり、そうなると、かなりの年上にメロメロになったわけだ。しかし俺が年下に反応しない体質だから、しかたがない。不可抗力だ。

 だがもちろん、薫さんは親父の女であるのみならず、形式上は俺の母親なんだから、手を出すなんて、とんでもないことだ。だから、劣情に押し流されないように気をつければ、なんてことはない。

 だが、さっきのアレを思い出すと、とてもそうは出来そうにない。もし、あっちから迫ってきたら、こばめるだろうか? むりだ、絶対。いまのところ、むこうは俺に対しては性的には無関心のようだからいいけど、もしそうなったら、おわりだ。


 が、そこで首をぶんぶんふった。

 おいおいアホか。薫さんは、俺を息子として好きなだけで、それ以外のよこしまな感情なんぞ、持っているはずがないだろ。俺のほうが一方的に意識してるだけだ。たぶん。

 それなら、コトは早い。いっこくも早く、薫さんを「お母さん」と呼ぶよう努力すりゃいいだけだ。母親と思いさえすれば、そう変な気はおきないだろう。こんなあいまいな状況だから、俺の感覚もおかしくなるんだ。

 しかし、いまさら彼女を母と呼ぶのは、かなりむずかしい。



 今までは、新しい母親が来たときは、その翌朝に必ずこっちから「お母さん、おはよう」と呼びかけ、以降、その呼び名を定着させてきた。躊躇なんか何もなく、平気だった。ところが薫さんが来た翌朝、同じようにあいさつしようとして、「お母さん」の語句が出なかった。いきなりあいさつになり、そのままとぎれてしまった。

「お、お――おはよう、ございます……」

 そして、かたまった。なぜなら、彼女のかっこうが、すさまじくエロかったのだ。部屋から出て、洗面所に向かう廊下でばったり会ったのだが、とろんとした眠たげなまなざしで、むすばないバラけた髪が何本か額や頬にたれてぬれたようにはりつき、寝まきの片方ははだけ、露出した丸い肩が、窓からの日をうけてきらきらとつやめき、思わず言葉をうしなうほどに、壮絶な美麗さだった。

 だが、彼女はそれにまるで気づいていないように、いつものように「おはよう。いい天気だな」と機嫌よく笑い、廊下の先に消えた。俺はかたまったまま、親父がとおりがかって正気にもどるまで、しばらくそこに突っ立っていた。

(……一目ぼれ?)

(ちがう。男なら、アレを見たら誰でもこうなるさ……)

 こうして俺は、彼女を母親にする機会を失ってしまった。


 母と呼ばないままで時間がたってしまうと、それが定着し、いまさらそう呼ぼうとしても、とてつもなく骨がおれる。ついに三ヶ月がたち、彼女のことは、母でも名前でも呼ばずに、呼ぶときは「ねえ」「あのう」みたいのですませ、呼び名をさける状態になっている。

 このよそよそしさは、まるで彼女を嫌っているか、あるいは苦手なようにも見えるだろう(苦手っちゃ苦手だが)。しかし向こうは、それをまるで気にしていない様子なので、事態はぜんぜん進展しないのだった。


 ところが、そんなある日のことだった。

「おいカズ!」

「はっ、はい……?」

 答えた俺は、とんでもなく混乱した。それはそうだ。その晩、大学から帰り、部屋のベッドにすわってくつろいでいたら、いきなりドアが、バン! とあいて、巨大な犬のようなものが飛び込んでくるや、前述のセリフを吐いて、俺のうえにかぶさってきたのだ。

(酒くさっ)

 べろんべろんの薫さんが、いきなり這うように部屋に入ってきて、ベッドでおどろく俺の下半身にしがみついてきたのである。

 家の鍵は閉まっていたから、てっきりいないのかと思ったら、屋内のどっかで酔いつぶれていたようだ。でも、まだ七時頃だぜ。彼女が飲んでいるところは何度か見たが、こうも酒癖がわるいのは、はじめてだった。


 とまどう俺に、彼女は乱れ髪のかかる赤ら顔を向け、半びらきのイヤらしい目でじっと見つめながら、俺の喉のあたりまで這いあがってきた。俺は逃げるようにあお向けのまま後ずさった。するとまた、ずずっ、と寄ってくる。彼女は、イライラしたようだった。

「あんだよ、にげんなよ、おい」

「で、でも……」

「あー、にげんのはわかるよ。あたしからは、どんな男もにげんだよ。でも、息子のお前までにげんでもいいだろ。家族じゃねえか、ういっ」

 そうか、失恋のヤケ酒か。


 事態が飲みこめてほっとするはずが、何かいやな気持ちがした。胸がちくと痛むような。あとで考えたら、相手の男への嫉妬だったとわかった。同時に、こんなイイ女をなんでふるんだ、という男へのいきどおりもあった。

「カズ、お前……かわいいな……」

 急にしおらしくなって、俺のほほをさわる。きゃしゃな指だ。

「き、キッスさせてくれ……」

「ええっ――?!」


「あたしのこと、きらいか……?」

 すがるような目できかれ、俺は思わず胸がきゅんとした。

(かっ、かわえええ――っ!)

 だが、わずかにのこる理性が、俺の中に押し寄せる劣情の波を押しとどめた。

「き、きらいじゃないけど、でも、俺は……」

「大丈夫」と口もとをつりあげる。「まだお前、あたしのこと母さんって呼んでないよな? 今から、あたしのことは、薫さんて呼びな。そうすりゃ母親じゃないから、へんなことしても近親姦にはならねえ」

(そ、そういう問題か?!)


 だが、じつは俺は、彼女の泣きそうなすがり顔を見たときから、とうに観念していたのだ。もともと、彼女を呼びそこねて、そのままでいた俺がわるいのだし。薫さんも、俺が名を呼ばずによそよそしくしている態度に、本心では傷ついていたかもしれない。なのに、いつもあんなに明るく笑って、さばさばした態度で……。

 そのけなげさ(注意:俺の思い込み、妄想)に、俺の奥深くから、なにか熱いものがこんこんとわきだした。自分が泉になったように全身がうるおい、つま先までじっとりとぬれたようだった。その瞬間、俺は彼女に恋した。思わずうっとりと見つめ、つぶやくように言った。

「か……薫さん……!」


「そう……それでいいんだよ……」

 薫さんもつぶやき、一気に俺の目の前まであがると、そのふっくらした唇を重ねてきた。キスなんてしたことない。それを知っているように、彼女のほうからすべてリードした。思わず目をとじた俺の唇を、彼女のぬめったリップがぬるぬるなめまわし、俺の息はぐんぐんあがり、だらしないうめきが出た。薫さんは唇を重ねたまま、舌を俺の中に差しこみ、俺のに絡みつけて、根から先までたんねんに舐めあげた。

「む、むううっ……!」

 息も絶え絶えにうめく俺におおいかぶさり、舌をつかって激しくディープキスしまくる薫さん。俺の恍惚とした顔を見て、彼女が息を荒らげて興奮しているのがわかる。

(ああ、うれしい。薫さん、好き。好き。もっとして。もっと――)

 だが、そのとき。


「ぱらら、らっらー、ぱらら、らー!」

 いきなりスマホがなり、すべてをぶちこわした。薫さんはぱっと飛びのき、ポケットから取って俺に背を向けると、ドアの前まで行って話しだした。横顔が見えた。ぱっと花が咲いたようだった。

「あ、アッキー?! ううん、わかってるよおー、怒ってないよー。うんうん。あ、チケット取れたんだあ。デートはやっぱ、あそこしかないよねえ……」

 声が廊下に遠ざかり、俺はあおむけで空しい恍惚の余韻におぼれたまま、ひとり苦笑した。


 夜中、思い出して抜いた。

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