[第一章:旅の始まり]その6
さく達がくらんの事情を聴いてから数日の時が流れた。
ここしばらくは、サクシドなどが再び現れて襲ってくるということもなく、平穏な日々が続いている。
傷だらけだったくらんは、モモナを筆頭した治療、やっちゃんのつくる食事によって急速に回復。さくたちの家の中を短時間なら歩き回れるぐらいにはなっていた。
そのことをモモナたちは喜び、一家の中で最も仲良くなったやっちゃんは、元気になったくらんとよく語り合う程になっている。
そんな、呑気で落ち着いた日々のある夜、さくは大きな自宅の上部にある、とある場所にいた。
「…」
天井は高い。
暗い夜となっては、昼間時は見えるそれも、はっきりとは見えない。
だが、完全に見えないわけではないのは、天井の一角に、光を取り入れるための大きな窓があるからだ。
透過性の素材でつくられた長方形のそれが、夜の[準種子]に届く[陽華]の光を取り入れ、空間にある程度の光量を確保していた。
そして、その明かりに照らされる木の巨体の下で、さくは作業をしていた。
「……」
行うのはその空間にたった静かに立つ巨体…[騎装樹]の状態の確認だ。
ところどころが桜色をした[重級]の足首の[装甲葉]をめくり、さくは内部の[骨格樹]と[神経茎]の様子を見る。
(…うん。しばらく動かしてないけど、大丈夫そう)
[騎装樹]はこの世界において多数の用途に広く使われているものだが、意外にもそれなり以上に繊細なものである。
それは、あくまでも[騎装樹]がそのために品種改良された植物の幹や茎、葉を利用したものであるからに他ならない。
その巨体を動く状態に維持するだけでも、植物が生育するのと同等に近い環境と管理が必要で、具体的には適量の水分と昼間の日光浴(光合成)などがあった。
水分は、[騎装樹]のほぼ全てに大きさの違いはあれど取り付けられた貯水タンク([重級]は背中に)で、光についてはここのような格納場所の天井に光を取り入れる部分を造ることで対応はできる。
しかし、[騎装樹]の管理は、その二つができていればいいわけではいけない。
例えば、関節駆動と命令伝達を司る[神経茎]はどんな品種でも(特性で分けられている)消耗が激しいためにこまめな状態のチェックが必要であるし、稼働時に光合成で溜めたエネルギーと共に消費する、多量の水分を供給する内部の器官に問題ないかどうかの確認も大事だ。
さらには貯水タンクの定期的な水の補給も必要である。
加えて、それらの作業は[騎装樹]の階級が[軽級]から[中級]、[中級]から[重級]と上がれば上がるほど重要度を増し、頻度の高さと作業の正確さを要求する。
そして、以上の作業を乱雑にする、あるいは疎かにすることは最悪、[騎装樹]という複雑な機械にして生き物の、壊死を招き得る。
だからこそ、それらの作業を疎かにすることはできず、さくはしばらく使っていない自身の[騎装樹]の状態を確認していた。
「…終わり。特に異常はない」
しかしその作業も、これといったことはなく、あっさりと終わる。
それによって、さくはやることを失ってしまう。
「…花の水やりは、今はしなくていい…」
自分の軽い趣味のことを呟いた後、さくは[騎装樹]の足元で、軽いため息をつく。
「…私にはやりたいことが、ない…」
空に、今は見えない[陽華]の光が薄っすらとかかる中で、さくは自身の現状を、どこか嘆くように呟いてしまう。
そして、思わずそうしてしまったのには、理由があった。
くらんの存在である。
やっちゃんと内容こそ違うものの、同じようにやりたいことを持つ彼女は、度々それについて語っていた。
そんな、自分には見つけられないことを持つ相手が身近に増えたことで、さくは以前より少し、自分の現状を意識してしまう。
性格的にそこまで落ち込むということはなかったが、それでもあまり明るい気持ちでいることもできなかった。
「…少し、羨ましいのかも…」
楽し気に、自分のやりたいことをかたるくらん。彼女に対し、自分は嫉妬と言う程ではないにしろ、多少なりとも羨んでいるところがあるのかもしれない。
さくはそんなことを、静かなそこ…[騎装樹]の格納庫で思う。
「……私とは違うから。私にはないものを見つけているから。だから…それをやっちゃんのそれ以上に見せつけられて、こんな気持ちになるのかも…」
さくは一人、自分の心をゆっくりと語る。
そしてそれによって、気持ちは少し沈む。
「私のやりたいことは…」
そんな風に、呟いているときだった。
「…?」
ふと、さくの耳に何かが聞こえてくる。
少しだけ開いた、外に繋がる格納庫の扉より、小さなメロディーがその耳に届く。
「…歌?」
周囲に配慮したのか、妙に音は小さい。しかし、確かで滑らかなメロディーを持つそれは、確実に今、存在している。
「…綺麗な、音…だ」
呟き、さくはなんとなく立ち上がり、音の方へと歩いていく。
まるで引き寄せられるようにだ。
「…歌って、ことは…」
この家には、歌を趣味とするような者はいない。
やっちゃんは屋台一筋だし、ミスリィはつまみ食い、盗み食い、拾い食いに執着し、モモナはまた別の趣味を持つ。
鼻歌すら決して歌わないというわけではないが、このようなメロディーを奏ではしない。だからこそ、この音を出す者の心当たりは、さくには一人しかいない。
「…」
さくは歩く。格納庫を離れ、廊下を進み、階段を下りる。
家にしては奇妙な大きさを持ち、複雑な構造が感じられるそこを、慣れた動きで移動する。
そして、二分程経ったところで、彼女はある場所へと辿り着いた。
「この声…やっぱり」
歌の大元に近づき、はっきりと聞き取れるようになった音の…声の質感から、さくはその主が誰かをはっきりと理解する。
「…これは、くらん」
そう。そしてさくは今、仮に割り当てられたくらんの療養する部屋がある。
少しだけ扉の開いたそこから、先ほどから聞こえてくる歌声が漏れ出ていた。
素人レベルのものではない。
整っていて、滑らかに紡がれるそれは、長い間練習をし、その度に問題点を洗い出し、改善を繰り返してきたことを感じさせる。
そしてそれは、やりたいことがあり、やる気がある者でこそのものであった。
「…やりたいことを、してる」
その事実に、さくはまた少しの羨ましさを感じる。
…と、そのとき。
「…ぁ」
換気かなにかで窓が開けられていたのか、部屋から来た軽い風で、扉が開く。
そして、今まで見えるようになった部屋の内部を思わず見たさくは、目にしてしまった。
「…泣い、てる…」
ベッドの上に座って歌うくらんが、明らかに嬉し涙ではない、マイナスの感情による涙を流しているのを。
そのせいか、何も塞ぐもののない状態で聞こえてくる彼女の歌声は、どこか上ずっていることに、さくは気づく。
「……」
そして、声も出さずにそれを見ていた時、歌が徐々に尻すぼみになっていたくらんが、さくがいることに気づく。
「さく…」
くらんは目尻に浮かんだ涙を両手で拭う。
それでも拭い切れない涙が残り、目元の赤さは目立つ。
「…もしかして、迷惑、でしたか?深夜ではないとはいえ、夜ですし…」
くらんはそう言って、さくに頭を下げる。
「…すみません。やっと、歌声が出せるぐらいになったものだったので、歌ってみたくなって…」
「…なるほど。まぁ、別にそれはいいけど。迷惑じゃないし、綺麗な歌声だったし」
「…そうですか。なら、よかったです」
そこでくらんは少しの間黙ってしまう。
未だ残る涙の理由を、さくは知りたくはあったが、何かを抱えたようなくらんの表情に多少躊躇してしまう。
「…」
数秒程沈黙してから、さくは口を開く。
「…歌うの、好き?」
「…はい」
くらんは残りの涙もシーツでふきながらそう答える。
「…私は歌うのが好きです。ここ数ヶ月の間にいろいろ歌ってみて、より一層、そうなりました」
「…そう」
「はい。だから…歌姫になりたいって、歌っていたいって思います。やりたい、やっていたと思います」
「…やっぱり、羨ましい」
「…え?」
くらんはシーツから手を離してさくの方を見る。
その目に映るさくの顔は、心なしか暗い。
「…私にはそういうのないから。やる気の底が知れた趣味くらいしかない。やりたいことはない…」
「……」
「だから、やっちゃんや…そんな風に、やりたいことを持っているくらんが羨ましい」
「…さく」
「私には見つけられないものを持っているくらん達が、やっぱりどこか羨ましく思える」
やりたいことへの気持ちを示したくらんを前にして、さくは自分の素直な気持ちを語ってしまう。
「……羨ましい、ですか…」
「…くらん?」
さくは、くらんの言葉に含みのようなものを感じる。
そして、それが何かを聞く前に、くらんは言う。
「…なら、私も少し、羨ましいです。さくは、強いですから」
「強い…?」
「はい。…だって、私を痛めつけたあの男を、さくは軽々撃退した、みたいじゃないですか」
「ああ、まぁ。弱かったし」
サクシドの外面だけの態度を思い出しながら、さくは言う。
「…でも、それのなにが?」
羨ましいのか。それに、くらんは答える。
「…だって私、その弱いのに、抵抗すら満足にできませんでしたから…」
「…」
「…必死に逃げても追いつかれて斬り付けられて。さくがいなかったらもう連れ戻されていました。それぐらい、私は弱い。だから…」
やりたいことができなくなるところだった。
「…回復した後。ここを出て言った後、また同じようなことにあったら。逃げるための[騎装樹]もない私は今度こそ、連れ戻される。やりたいことが、できなくなる…」
また、くらんの目から涙が流れる。
「…それが怖い。恐ろしいです。…だから、さくが羨ましいです。私にはない強さを持つ、さくが」
「…」
「…私はやりたい。歌って、歌姫になりたい。でも、それを邪魔する相手を、倒すことはできないんです…だから、いつできなくなってもおかしくない」
くらんは体を丸めてそう言う。
「…歌ってたらふいに、そのことに気づいてしまって…」
「…くらん」
さくはそれ以上何も言えずくらんのことを見る。
「…あ。すみません。私の勝手な不安を、さくにぶつけてしまって」
そこでくらんは、自分の行いと発言内容に気付き、頭を下げてくる。
しかしさくはそれを、手で制止する。
「…いや、いい。別に気にしてないから」
「…そう、ですか。でもやっぱり、すみません…」
くらんはそう言ってより丸くなる。
そんな彼女の様子を見て、さくは思う。
(くらんはやりたいことがある。だけど、それをやり通すために、脅威から自分を守る力を持たない…)
だが、さくは持っている。
自分にはない、それゆえに羨ましい相手を守るための力を、その手に持っている。
(…私は)
そのことを自覚した時、さくの中で何かが生じ始める。
(…私に無いものを持つくらん。…持っている。それは羨ましくて…)
憧れのような気持ちも覚える。
やっちゃん以上に、歌うというやりたいことへの強い気持ちを持つくらんに、さくは。
そしてだからこそ、
(そんなくらんは、一人じゃやりたいことが、できない…)
さくの心が、何かを始める。
どこかへと向かい始める。
「私は…」
気持ちが、形作られていくのを、さくは感じる。
だがそれは、今の時点では完全には形にならない。
はっきりとしない、もやもやとした気持ちだけが、胸に残る。
「…」
(私は…)
そうして、形とならない気持ちに、さくがなんとも言えない表情を浮かべたときだった。
『やっと、やっと見つけたぞぉ、このガワだけ野郎!』
『!?』
聞き覚えのある声が、拡声器を通して外に響き渡る。
その直後、
『さぁ、後悔するがいいさ!僕に恥をかかせたことを、そうする自分のバカさ加減をぉぉぉぉ!!』
その声と共に、部屋の窓の外にに見える奇妙な平地に、三体の[重級]が降り立った。
超重量に由来する、重い衝撃が周囲に、広がる。
『はははっはははは!』
▽―▽
『…やはり、間違いないよ。彼女は』
モモナは一人、拡声器を通しながらも小さな声で呟く。
思い浮かべるのは、数日の間家で娘たちと共に過ごしたくらんのことだ。
実験体であり、それゆえに追われているという彼女のことを、モモナは考える。
『…違っているから確証はなかったけど。でも見てて…』
一人であるがゆえに、普段自らに強いている役割に由来する言葉遣いをしないモモナは、くらんの姿を思い浮かべながら呟く。
『なら。わたくしは…』
誰もいないそこで、歪な見た目のそこで、彼女はあることを静かに考え始めようとしたとき、
『…はっ。これは…』
彼女は敵が現れたことを、全身で悟った。