[第一章:旅の始まり]その5
「…実験体」
さくの呟きだけが響き、その場は沈黙に包まれる。
「…」
口数が多めのやっちゃんも何も言わない。
モモナもまた、何か言うことはなかった。
それにくらんは少しだけ戸惑ったものの、
(いえ、重い意味の単語で驚かれたんですよ。…そうですよね、いきなり実験体なんて言われても)
明らかに、その背景に暗いものを感じる言葉をあっさりと流せるわけがない。
(…迂闊でした。こんな空気にする気は、なかったんですけど…)
くらんは少しの後悔と自己嫌悪を覚える。
しかし、だからといって話を止めるわけにもいかない。
(…さくは、話をこれ以上聞きたくないという表情を、しているわけじゃないんです)
くらんの視界にいるさくは、少し実験体と言う単語に反応していたものの、先ほどまでと態度や雰囲気に差はない。
ならば、くらんの事情を聴きたいという気持ちに変化はないはずである。
であるなら、話を続けなければならない。
(話すと言ったんですから。とめられないうちは、しっかりと話しましょう。それに、早く話を終わらせた方が雰囲気も改善されるかも、ですし)
そう思ったくらんは、意を決して話を続ける。
「…そう、私は実験体でした。日々実験のために苦痛を与えられ続ける」
くらんは過去のことを頭の中で振り返りながら言う。
「…実験って、一体、なんの?」
沈黙から初めに抜けたさくの言葉に、くらんは答える。
「はい。…それはですね」
「それは…?」
『…』
やっちゃんとモモナも静かにくらんの言葉の続きを待つ。
それに彼女は。
「…す、すみません。実は私、何の実験体だったのか、分からないんですよね」
「…わ、わからんのかいな」
「すみません。なんか、無意味に溜めちゃって、こんな答えで」
くらんは頭を下げる。
「いや、別に責めてへんけど」
くらんは確かに過去、実験体であった。
しかし、具体的に何の実験をされていたのかは、彼女本人にもよく分かっていない。
確かに残る痛み。それを自身に強いて研究者たちが何をしていたのか、何を口論していたのかは、くらんにはよくわからない。
ただ、長い期間彼女は同じ場所に囚われ、何かを埋め込まれるようなことを永遠とされ、その結果そうされた部位が痛んでいたのは確かだった。
「…彼らが何をしたかったのは、今でも分からないですし、分かりたくもないですけど。…とにかく、私はどこかの施設に囚われ続けていました」
そう言ったところでモモナが聞いてくる。
『どこかの、施設…?』
「はい。後から[第九種子]のどこかということぐらいは分かりましたけど、それぐらいで。…あの場所の記憶と言えば…」
くらんは記憶を探る。
「…あるとき、[重級]の[騎装樹]が並んでいるのを見たような…」
『そう、なのですね…』
「後は…」
聞かれたのでもう少し思い出そうとくらんは頭を捻る。
だがそれは、モモナによって止められる。
『…いえ、無理をなさらないでください。くらんさんにとってはつらい記憶なのでしょう?』
こちらから聞いておいてなんですが、嫌ならこれ以上しなくても、とモモナは付け加える。
くらんはそれに、
「あ、いえ。大丈夫です。話すって決めましたから」
笑顔で答えて話を続ける。
「…う~ん。すみません。場所については、これ以上は」
くらんはその話は一旦終わらせて話を本筋に戻す。
「…とにかく、私はそこに囚われ続けていたんですけど」
そこまで言って、くらんは思い返す。
自分がいたあの施設で、今から五年ほど前、突如として発生したある事件のことを。
「そんなある日に、それは起きました。施設内部で暴動のような何かが起きたんです」
「暴動のような…?」
「なぁ…?」
さくとやっちゃんの言葉に、くらんは話を続ける。
「一体誰が、どうしてそんなことをしたのかはわかりません。ただ、あそこであの日、[騎装樹]も暴れまわるほどの戦いが、施設の崩壊に近いことが起こったのは確かです。そしてその中で、私は幸運にも逃げるチャンスを得ました」
その日、戦闘用である[重級]に分類される[騎装樹]が内部で暴れ、戦いあうことで廊下や壁が壊れる中、くらんは砕けた部屋の壁から外へ逃げ出した。
痛みを伴い続ける日々に心をすり減らせ、耐え切れなくなっていた彼女にとっては、またとない好機であったからである。
それを半ば衝動的に掴み、部屋を後にし、施設内を外に向けて走った彼女はその先で、使われていない[重級]の[騎装樹]を一体発見したのである。
「幸い、私はなぜかあの[騎装樹]を…今は町の外にあると思いますけど…の、動かし方が分かりました。だからそれに乗って逃げました」
その後もあの[騎装樹]、[シルバレル]とは長い時間を共にしたが、今はやむを得なかったとはいえ乗り捨てて町の外だ。
くらんにはそのことが少し寂しいような申し訳ないように思えたが、今はその気持ちはしまっておく。
「…そうして、私はあの場所からの逃亡に成功しました。それからしばらくの間は、[第九種子]を放浪していました」
そこで、やっちゃんが言ってくる。
「…けどここは、それと[第八種子]の間の[準種子]やん」
「そうですね」
首を傾げて言うやっちゃんの言葉に、くらんは頷く。
「なんで、わざわざ[種子]の間を移動なんてしたんや?一人でできないことはないやろうけど、面倒なことやで?」
「それは、ですね」
言って、くらんは言葉を切る。
そして、両手で何かを掴むような動作をする。
さくとくらんがその動作を不思議そうに見る中、くらんはそのまま言葉を続ける。
「…今の私には、やりたいことがあるから、なんです」
「…やりたい、こと…?」
くらんの言葉に、さくは目を少し見開き、反応する。
「…やりたいことって…」
さくが呟く中、くらんはゆっくりと答える。
「…私は、ですね」
くらんは掴むような形の両手を宙に掲げる。
「歌いたかったんです。…実験体にされていたときに、どこかで聞いた鼻歌でしたかね。それに惹かれていつの間にか歌いたいと思うようになって。それは逃げ出して色々と知るうちに、歌姫になりたいって気持ちになって…」
そこで、歌姫と言う単語にさくはピンと来た様子で、
「歌姫…。あのひらひらの恰好ってもしかして」
「ひらひら…あ、あの衣装ですか?あれはとりあえず形だけでもそうなろうと思って、道中にいろいろやって稼いでいたお金で買ったものなんです。…そして、それもこれも、全ては歌姫の夢を叶える第一歩になる、あるコンテストに参加するため…」
「コンテスト?」
聞き返すさくに、くらんは今まで以上に笑って答える。
なぜならその内容が、彼女にとってとても大切で、楽しみで、一番やりたいことだからだ。
「[第八種子]のある場所。そこでは新人の歌姫を決める大会と言うのが近いうちに開催されるんです。私はそれにどうしても参加したくて。それで、そこに向かって動いていったんです。けど…」
そんな最中、過去として存在を忘れつつあったあの施設から追手が現れたのだ。
「彼らは私を連れ戻そうとしていました。たとえ力づくで、傷つけても、私の体さえ手に入ればと。必要なものだからと。…でも、私は戻る気なんてありませんでした」
その理由は、あの痛みの日々に戻りたくないというのも大きい。
だが、彼女が追手から逃げたその最たる理由は、
「私にはやりたいことが、今言ったとおりにあります。どうしても、それを諦めたくない。絶対にやりたい。だから必死に、必死に逃げました。その結果、この[準種子]に道を逸れて来ることになって…」
「さくに助けられた、ということなんやな」
「はい。…さく」
くらんは改めて、さくの方を向く。
「さくが助けてくれたから、私は連れ戻されずに済みました。やりたいことができず、実験に使われる苦痛の日々に戻ることを避けられました。…だから、重ね重ね」
くらんは頭を下げる。
「ありがとう、ございます」
深く、深くくらんは感謝の気持ちを示した。
「…ああ、いや。別に二度も、そんなに真面目にやらなくて大丈夫だから。別にそこまで苦労に思ってないし」
「…そうですか。分かりました。お礼は、これっきりにしておきます」
くらんはそう言って顔を上げる。
と、そのときだ。
くらんの腹が待ちくたびれたとでもいわんばかりに鳴る。
「あ…」
かなり大きな音であったため、くらんは羞恥心で顔を赤くする。
「見苦しいところを…すみません」
「ええで、別に。ほら、雑炊はできとるわけやし。丁度食べやすい温度になったやろうし」
くらんの腹の音を聞いたやっちゃんは笑って、待ってましたとばかりに雑炊が取り分けられたさらに手を伸ばす。
「食べるとい…って!」
そこでやっちゃんはあることに気づく。
彼女の声に反応し、その視線の向かう先を、くらん達は一斉に見つめる。
するとそこには、スプーンで雑炊を盗み食いしている、今までいなかった少女がいた。
「なに」
背はやっちゃんよりも小さい。肌や髪は全体的に過剰なまでに色白で、着ている薄手のワンピースが白系の色であることもあって、見ている者に儚い印象を与える。
が、それとは対照的に、小さな少女は全員に見つめられる中、雑炊をさらに一口分、口元に運ぼうとする程図太かった。
「こらっ、ミスリィ!それはそこのくらんの雑炊や!勝手に食うんやない!」
「だいじょぶ。ちゃんと残してる」
「だいじょぶなわけあるかいな!一体いつになったら盗み食いなんてこと、やめるんや!」
「…なに?」
やっちゃんの言葉に、ミスリィは目を細める。
「盗み食いなんて、だって?よろしい。ミスリィが盗み食いに限らず、つまみ食い、拾い食いについてしっかり語ってやろう。その意味、価値について」
「また意味の分からんこと言うて!盗み食いは盗み食いや!それ以上でもそれいいかでもなし、意味も価値もあらせんわ!」
「…こんなだから語ってやろうと言ってる。それにミスリィはこの家の中でしか盗み食いはしない」
「おまなぁ!」
やっちゃんは[屋台骨]の脚でミスリィを軽く蹴り飛ばす。
すると、彼女はスプーンを握ったまま奇妙なほどくるくると地面を回転していき、そのまま部屋の外へ転がり出、
「ぐぇっ」
壁に激突した。
「…ストライクや!自分の悪さを思い知ったか!反省しとけ我ぇ!」
やっちゃんは[屋台骨]から身を乗り出し、ミスリィを指さし、そう言い放った。
その数秒後、
「…こほん。見苦しいとこ見せたな」
「え、あ、はい」
取り繕うような笑顔のセリフに、くらんが驚きでまともに対応できないでいると、さくが説明をしてくる。
「…ああ、いつもこんなだから。やっちゃんとミスリィ…私の姉妹は」
「…なるほど。にぎやかな家族ですね」
「そうかもね」
さくはこともなげにそう言う。
「…とにかく、や。くらん、雑炊はなんとか全部は奪われずにすんどる。だから食ってぇな」
やっちゃんは廊下で痙攣しているミスリィに鋭い視線を送りつつそう言って、別の皿に雑炊をつぐ。
「はい。いただかせてもらいます」
さくを経由して差し出された皿を受け取り、くらんはそう言う。
そこで、モモナが画面越しに言ってくる。
『くらんさん』
「はい?」
スプーンも貰って握るくらんは、言葉に画面を見上げる。
『事情は分かりました。…なら、しばらくここでお休みなされませんか?』
「お休み…」
『そうです。ひとまずは回復するまで。また追手に襲われても危ないですし。ここなら隠れ家になるでしょうし、どうですか?』
モモナは瞬きしながらそう言ってくる。
そしてその提案は、くらんにとって非常にありがたいものであった。
(まだコンテストまでは時間ありますし、休んでも、大丈夫ですかね)
「…あれ。狙われてる私がここにいたら…」
くらんはふとそのことに気づいて、モモナを見ながら不安げに言う。
「迷惑になるんじゃ…」
だが、それに彼女は首を振る。
『お気になさらず。よろしいですよね?さく、やっちゃん、ミスリィ?』
「…別にいいけど?」
さくが言い、
「…あ、そやな」
やっちゃんが言い、
「…別に気にしない。それより今度はつまみ食い」
ミスリィが言う。
三人の了承の言葉を受け、モモナは水の中で微笑みを浮かべる。
『そういうわけでございますから、しばらく、ここでごゆっくり』
「…そう、ですね。皆さんがいいというなら」
くらんは部屋を見回す。
そして笑い、
「それじゃぁ、しばらくの間よろしくお願いします!」
言って、空腹に耐えかねて雑炊を一口、食べるのだった。
「…」
さくはそんなくらんを静かに見ていた。
▽―▽
「ふん。なら一緒に行こうか。見つけたら」
サクシドは森の中、二体の赤の[騎装樹]に見下ろされる中、口の端を上げてそう言った。