[第一章:旅の始まり]その4
『…』
『…』
深い森の中を、赤い巨体…[重級]の[騎装樹]がゆっくりと走っている。
その見た目は、[グレイカリバー]等とは色もさることながら、形も全く違う。
[グレイカリバー]がやや細身なのに対し、こちらは全体的に四角の印象が強く、各部がかなり太い。
[装甲葉]が分厚いのか、[骨格樹]の時点から太いのかは定かではないが、とにかく走る赤の[騎装樹]はかなりずっしりとした印象を持たせる形をしていた。
『…』
『…』
双方ともに搭乗者はいる。だが、彼らは一言も喋らない。
[騎装樹]の操縦席から頭部に繋がる拡声器官を通じて漏れるのは、彼らの僅かな息遣いのみだ。
まるで感情を喪失したかのように、彼らは無言で[騎装樹]を操り、森を進んでいく。
先行した一人のリーフルを、ひいては彼の[騎装樹]を追って、ただそれだけを行っていった。
▽―▽
「……」
さくは笑顔で感謝の念を伝えてきたくらんを見て、しばし黙る。
「…えっと」
「…?どうかしました?」
くらんは歯切れの悪いさくの様子を見て、小首を傾げる。
「…も、もしかしてなにか失礼なことを、私しましたか?分かりませんけどしたならすみません」
そう言ってくらんは再び頭を下げてくる。
「…」
さくはくらんの肩を軽くつつく。
「はい?なんでしょう?」
頭を上げずに言うくらんに、さくは軽く息を吐き、
「頭上げて。別に失礼なことはしてないから」
「そうなんですか?それはよかったです」
言ってからくらんは頭を上げる。
それから再び首を傾げ、
「なら、どうして黙ってしまわれたんです?てっきり無自覚になにかやったのかと」
「いや、単にびっくりしただけ」
「びっくり?」
「…あそこまで大仰なお礼言われてるとは思わなかったから」
さく本人が、助けたことそのものをそこまで重く捉えていなかった。そのために、先ほどくらんがしたほどの礼を望まず、想定していなかったからこそ、あまりに真面目で丁寧な彼女の行為に一瞬戸惑ってしまったのである。
「くらん…でいい?」
「はい。それで大丈夫です」
「じゃぁくらん。とにかくさっきのは、ちょっとびっくりして戸惑っただけだから」
気にしないでと言外に付け加えるさくに、くらんは笑顔で頷く。
「はい!さく!」
「うん」
さくは素直なくらんの様子に、また少しだけ戸惑いつつ、頬を掻く。
と、雑炊づくりも佳境に入ったやっちゃんがさくに声をかける。
「…さく。それであの話は聞かんでいいんか?一応、話してくれるみたいやけど」
「あ、はい。私がなんで追われてたのか、ですよね」
「…ああ。確かにちょっと聞きたい」
さくは、あまりにもあっさりと撃退したサクシドのことを思い出す。
「…あのサクシドとか言うのは随分弱かったけど。でも、くらんを狙ってたのは事実。そこになにがあるの…?」
やっちゃんが雑炊づくりの仕上げに入る中、くらんはさくの言葉に、
「はい。それじゃぁ話そうと思います」
座り直し、さくの目を見てそう言う。
そのときだ。
『…申し訳ございません。そのお話、わたくしも同席…といっていいかは微妙なところですが、よろしいでしょうか?』
「え…?」
くらんは驚き、声のした方を見る。
だが、そこにはただの壁でしかない。他にあるのは天井に開けられた穴からぶら下がった、四角い葉っぱのような模様の、あまり奥行きのない灰色の箱が大小二つだけだ。
「?」
一体どういうことか分からずに首を傾げるくらんであるが、さくとやっちゃんは特に驚かない。
なぜならそれの何が、そしてそれを動かした主のことを良く知っているからである。
「ああ、お母さんか」
「そやな」
二人が言うと同時、大きい箱がその正面において別の色を持ち始める。
内部に今しがた流された水を起点とし、[付能]で付与されたその機能を、箱が発揮しようとしているのだ。
「…画面だったんですね」
ただの葉っぱの箱に見えたそれは、五秒と経たないうちに、[騎装樹]の内装にも使われる画面として、完全に動き出す。
そして、元の色とは完全に異なる多数の色によって構築されるのは、薄暗い部屋。
その中心に立っている水に満ちた透明な円柱だ。
「…これは」
くらんは画面を見て驚きに目を丸くする。
そんな中で、円柱内にいるピンクのスカートとエプロン、頭にフリルを付けた少女は、影で背中あたりが見えない中、ゆっくりと目を開ける。
同時に、その口が動かない状況下で、下の箱より声が発せられる。
『…初めまして。わたくしはモモナ。観桜モモナ。今そこにいるさくややっちゃんの母、ということになります』
さくのものでも、やっちゃんのでも、ましてやくらんの声でもないそれは、水の中での少女の瞬きに連動したそれは、確実に水中の彼女のものだ。
「…さくとやっちゃんのお母さん」
くらんは相変わらず驚いた様子で画面を見つめる。
そこにさくは、なんということもない感じで、
「これが私のお母さん。…びっくりした?」
「…あ、はい。これって…」
未だ驚きと戸惑いが抜けない様子で、画面を見つめるくらんに、やっちゃんが言う。
「まぁ、こういうことや。ちょっと複雑な事情があってな。うちらのお母さんはこういうふうになっとる。まぁでも、しっかり生きとるし、話もできるし、なによりこんな状態やけど、いろいろできるんや」
「いろいろ?」
首を傾げるくらんに、画面のモモナは頷く。
『はい。例えば、このように』
その言葉と共に、天井の角からツタが伸びてきて、やっちゃんがつくり終えた鍋の中の雑炊を、近くにあったお玉で掬い、皿に少量移す。
短時間で行われたその動作は非常に安定していた。
「す、凄いですね。…どこかで、[騎装樹]を動かすみたいに操作とかをしているんですか…?…あれでも、手は動かしてないし…」
「それとはちょっと違うなぁ。でもな、[騎装樹]を動かす以上の自由度はこの家の中に限ってはあるで」
「そうなんですね」
くらんは素直に称賛し、軽い拍手をする。
それを見たモモナは画面上で軽くお辞儀する。
(…随分素直なリーフルみたい)
さくはそんなくらんの様子を見て、ある程度彼女の性格を掴んだ。
『…さて。わたくしの自己紹介も終わりました。くらんさん、脱線させた身で申し訳ないのですが、お話、大丈夫ですか?』
「お話…あ。私の事情ですね」
くらんははっとした様子で言い、笑って返答する。
「大丈夫です。さくにも、やっちゃんにも、モモナさんにも、しっかり話させていただきます」
「うん」
「そか。ちなみに雑炊はこの通りやから、いつでも食べてな」
「あ。ありがとうございます」
くらんはわざわざやっちゃんに礼をした後、
「…それでは始めます」
さくが、やっちゃんが、モモナが見守る。
その中で、くらんは話を開始する。
彼女に何があったのか。何故追われていたのか。その答えを、知りたいと思う者へ教え始める。
「…何故、私が追われていたのかと言うと、ですね」
「…それは?」
続きを促すほどの意図はないが、興味故にそう言うさくの言葉に、くらんは静かに答えた。
「私が、実験体だからです」
「…」
その様子を、物陰から静かに伺う者が一人。