[第一章:旅の始まり] その1
[種子]と[準種子]。それは、[星系樹]になる十二の成熟した果実と、無数にある未熟な果実である。
当然のごとく子孫を残すために次代の[星系樹]の種を内包するそれらは、何百年もかけて大きくなるのだが、現時点において十分熟れた計十二のものを、生まれの速い順に番号を振って[種子]、熟れたとは言い難い段階にあるものを纏めて[準種子]と言う風に呼び分けられている。
さらにそれらは、どちらにしてもこれらの呼称を付けられる時点で既に、簡単に果てが見えない程の大きさを持つ。構造としては中心に種を、その周りが母体から離れた時に種を遠方に飛ばすため、袋状になり、内部に空間を持つという風に。
そしてこの世界に存在する[星系樹]以外の生命の大半は、その内部に家をつくり、遥か昔より生活しており、
「…」
彼女もまた、その一人であった。
「…」
場所は[第八種子]と[第九種子]の間にある、大き目の[準種子]だ。
そこには広大な緑に囲まれ、小山と複数の丘を持つ、中規模の町が存在する。
十数年前に横の[種子]より移住が始まったそこは、新婚の夫婦や、幼い子ども連れの家族が多い場所である。
そんな街の一角にその少女の姿はある。
「…えっと。こっちだっけ?」
中ぐらいの背丈をしている彼女の恰好は、桜色の着物。ただし、着物は動きやすくするためか裾が短くされ、端で絞ってあり、左腰には木刀が吊り下げられている。
裾から伸びる脚は、その付け根から黒いストッキングで覆われ、足首から下は着物に近い色の靴で覆われている。
そして、そんな恰好の彼女の髪は茶色で長く、その下には鮮やかな緑をした、葉っぱにしか見えない耳が生えていた。
それは、彼女がこの[星系樹]内の世界における知性ある生き物、リーフルであることの何よりの証明だ。
[星系樹]をその原点とし、[星系樹]の長い一生の期間の間に分化し、別個の種へと進化を遂げた種の一つである彼女らは、その証かつ遥か昔の時代の名残として、葉っぱを生やしているのである。
そんな彼女…観桜さくは今、街の中心近くを歩いていた。
「…やっちゃんの欲しい食材って、こんなにあちこち回らないといけない…ちょっと困る」
今、彼女の左肩には少し大きめの袋がある。
その中には幾つかの食材の名前が書かれた紙と、小銭の入った財布が入っている。
そして、さくの家族の一人であるリーフルの少女、やっちゃんの名前を挙げていることから推測できる通り、さくは今、家族の頼みでお使いに来ていたのである。
「…暇そうにしてたからって頼まれたけど。それにしても今日は買う者が一段と多い。……そういえば、ここ最近は繁盛しているみたいだし、それでか」
さくは言葉に対して少しさっぱりした雰囲気で言いながらやっちゃんのことを思い浮かべる。
家族の中で二番目に小さい背丈を持つ彼女は、数か月前より小さな移動屋台を開き、粉を原材料とする料理を焼き上げては道中で販売することを繰り返していた。
(やりたいことだからって…)
ここ最近は近隣に味の良さが知れ渡ったこともあって、やっちゃんの屋台の売り上げは上々なようである。
だからこそ先刻、材料不足になってしまったやっちゃんは、さくに材料を買ってくるよう頼んだのであり、特に拒否する理由もつもりもなかったさくは引き受け、こうして街中を歩いていた。
「…さて。次は二件目」
あまり感情の揺れを感じさせない口調でさくは言い、曲がり角を曲がる。
そこに広がるのは、様々な食物を扱う店舗が並ぶ商店街だ。
鮮やかな緑を湛えるアーケードを屋根に持つそこには、木造でありながら一目ではそうと分からない独特の外観の店がずらりと並んでいる。
さくはそこを、やっちゃんに渡されたメモ用紙で買うものを確認しながら、ゆっくり歩いていく。
「…なんか、前来たときより明るい…新しい照明に変えた?」
呟き、さくは天井を見上げる。
そこには、雨風を凌ぐ天井の存在故、暗くなる商店街を明るくするための照明が存在する。
しかし、それは皆、大きな花の形をしていた。
さらに他の照明も見てみると、いずれも花の形をしている。
そしてそれらは、花を模しているというわけではない。あくまでも花、つまりは植物の一部が持つ、子孫繁栄のための器官である。
「新種の奴を持って来たみたい…」
その花がなぜ、光源としての役割をこの場に限らず果たしているのか。それは、
この世界にある技術に理由がある。
「…[付能]でのを…」
それは、[星系樹]内故に全てが植物でできているこの世界でのみ通用する、特殊な技術だ。
対象となる物(この世界は植物内故に石や金属がないので基本植物となるが)に、あるものを使って改造を施すことで、任意かつ、通常の生物ではまず持ちえないような性質にして機能を与える。例を挙げれば、高熱を発する、光るように、と言った風にだ。
そうして与えられたそれらの性質にして機能は、その発動起点となるもの(主に水)に触れさせることで発揮されることとなる。
[付能]の技術とは、そのような改造の技術にして、機械的とも言える性質を植物に付与する技術なのである。
これにより、リーフルたちは食べ物を焼き、映像を流し、部屋を照らすといったような、便利な暮らしを実現していた。
そして、それを支えるあるものとは、[星系樹]の中心に存在するものから発見されたものである。
それこそ、
「[陽華]のようにより明るくなるようにしてある」
さくは照明の明るさを見た後、比較するように商店街の入り口の方を、ひいてはその先にある空を見る。
そこには、彼女らの町を照らす大いなる光が存在する。
三秒以上の直視が難しいほどの光量を誇り、空にあるように見えながら実際は[星系樹]の中心にあって光を届かせる存在。それこそ、今さくが言った[陽華]…[星系樹]の中心に存在する巨大な光源にして花である。
[星系樹]が子孫を残すため、時とともに増える花…後の[種子]へ光を与えて育てるための、一種の生育器官であり[星系樹]の他の部位とは構造や性質が全く違うそれが何故生まれるのか、どうしてそうなっているのかをリーフルたちは研究した。
その過程で、彼らはあるものを発見することになる。それこそが[付能]の技術の根幹となるもの、[星幹流体]である。
これは[星系樹]の幹細胞に見られるもので、[陽華]などの[星系樹]の器官をつくるため、様々な性質や形を発現する力を秘めた特殊な流動体である。
かつてのリーフルたちは培養した幹細胞より抽出されたこれを使うことで、[付能]の技術を確立し、今の生活を実現したのである。
「ああ、ここだ」
照明を見ての独り言の後、さくは目的の店に辿り着き、やっちゃんに指定された食材を購入する。
「…さて。次…」
さくは手早く、安定した動作で買った食材を買い物袋にいれ、次の場所へと商店街を抜けて街中を歩いていく。
その中でふと、さくは目にする。
「…」
メモに付け足されていた、割ってしまって減った分の皿を購入し、食器店を出たところで、子どものリーフル二人が雑談をしていた。
それも、さくが思わず耳を傾けてしまう話題を。
「ななぁ、お前って大人になったらなにしたいんだよ」
角の生えた少年が、目の前の長髪の少女に言う。
「そんなの決まってるでしょ、あっちの商店街にお店を、開いて楽しくお商売するの!」
「へへん。おれはこの[準種子]を出て、[第八種子]で一旗あげるんだよ」
「歌とか、漫画とかいろいろ凄いあそこで?」
「そうだぜ?」
「すっごぉい!」
「ははっ、当然。夢はビックでいいもんだ!」
そう胸を張った少年は、そこで少し顔を赤くして、
「ま、でも、お前のやりたいことも、悪くはないかもな…」
「…ありがとっ!」
「は、は…」
そうして少年は恥ずかしそうに笑いながら少女に手を引かれて食器店の近くから離れていく。
さくはそれをぼんやりと見て、
「…後三つ」
どこか落ち込んだような、何かを気にするような呟きと共に街中を歩く。
(…やりたいこと、か…)
また別の食材を買い、お使いの終わりが近づいてくる中で、一杯になってきた買い物袋を見て、さくは思う。
(…やっちゃんは屋台をやっている)
快活な彼女はいつもお客相手に目の前で料理を焼き上げ、提供して笑っている。
先の子どもたちも、実践はまだにしてもやりたいことを胸に抱いて日々を過ごしている。
さくはその事実を認識し、外見からは分かりづらいが少し気分を落ち込ませる。
「…最後」
指定された全ての食材を買い終え、一杯になった袋を手に、さくは帰路に就く。
(…これでやっちゃんはまたやりたいことを続ける。ずっと…)
そう思うさくの足取りは、少しだけとはいえ、重くなる。
だが、家に戻ることが嫌と言うわけではない。
今の生活に不満はない。
一人の母親と二人の姉妹に囲まれた日々。居心地は決して悪くないし、好きに思ってもいる。
なら、なぜ帰る足取りが重いのか。
それは、さく個人の現状に由来する。
(…私にはやりたいことがない…)
そう。さくにはやりたいことがない。
やっちゃんには屋台での商売があるし、ミスリィも少々方向が違う気もするがやりたいことがあるにはある。
しかし、さくにはそれがなかった。趣味はあるが、それはかなり軽いもので、やりたいことだとはっきり言えるような代物ではない。
だからこそ、さくは日課のあることをする以外は、いつも漫然と日々を過ごしていた。
今日もまたそうだったからこそ、やっちゃんにお使いを頼まれたのである。
(やっちゃんたちにはやりたいことがあるのに…)
ほんの少しの羨ましさを含んだ、僅かな落ち込みの思考。
お使いの終わりが、それを引き起こし、結果彼女の足取りを重くしていた。
「お母さんはいつか見つかるって言ってけど。…見つかる?」
一応幾らかのことを試してみたがいずれもそこまでのめりこめず、何かへの憧れもない。
そんな現状では、あまり感情の起伏の大きくない性格のさくでも、気分を全く落ち込ませないでいるのは難しかった。
(…無気力な日々…)
そう思いながら、とある路地の近くをさくが通過した時だった。
「…ん?」
ふと、さくの視界が、今しがた通りすぎた狭い路地に、何か赤いものを捉える。
「…なんだろ」
気になったさくは数歩下がって路地の中を見てみる。
「…暗い」
周囲が高めの建物であるせいか、路地の底には[陽華]の光があまり届かず、薄暗い。
そのせいで、そこに何があるのか、入り口からは判別しづらかった。
「…これぐらいの寄り道ならいいか」
軽くそう考え、さくは路地裏に入っていく。
そして、数歩進んだところで、彼女は発見する。
「…これは」
「……」
血まみれで倒れている、長い赤毛の髪を持つ、ドレス姿の少女を。