プロローグ
宇宙。
そこは暗闇が果てしなく広大な空間だ。
上下の区別はなく、前後左右も存在しない。ただただどこまでも続く空間が存在している。
そして、そんな空間の一角に、それは存在する。
まず見えるのは、中央に存在する巨大な光源。
半球型の中心部分を中心に、それに対しては小さな八つの花弁を付けたそれは、あまりにも大きな花だ。
近くでは眩しくて見ていられないほどの輝きを放つそれは、その足元に広がるもの全てを見下ろすように茎の先で咲き誇っている。
その輝きを受けるのは花のついた茎、さらにはその根元の種子から超広範囲に渡って広がるあまりに巨大な緑だ。
中心からは先が見えない程に長く、無数に伸び、時に絡み合う茎と葉っぱ、それに中央の花の半分ほどの大きさを持つ十二の巨大な果実と、その周辺にある無数の未熟な果実。それらは花の輝きを受け、今なお成長を続けていく。
全ては自身の子孫を残すため。
全ては己を継ぐ物を生み出すため。
全ては次を造るため。
太古の昔より、宇宙空間に無数に存在し、同じことを繰り返す巨大な一個の植物であるそれこそ、この宇宙における星系を構成する単一生命、[星系樹]である。
そして、その[星系樹]の一つにおける、八個目と九個目の果実の間にある未熟な果実の中にある森に、彼女はいた。
「はぁ…はぁ」
焦りと緊張で流れた汗が、彼女の頬を伝う。
「…はぁ…!」
体に張り付く衣装を着、どこかつぼみを思わせる模様のあるヘルメットを被った彼女は、バイザー内に息を吐きながら、腕を、手を、足を動かす。
「…わたしは……!」
彼女の声と共に生じる、彼女の手と足の動き…木製の操縦桿、ペダルによる指令に応えるのは、木製の巨体だ。
頭は前に向かって細く、胴体は斜めの箱に近い。肩と膝が大きいのに対し、それ以外の部分はやや細い。
そして幾らかの花の装飾がされた銀色の巨体は、暗い夜の森の中、少女の操作によってその身を動かす。
「…くっ」
端々や凹凸にどこか葉を思わせる形をしている装甲、その下に覆い隠された木の骨格が、関節部に多数巻き付いたツタによって締め上げられる。
それによって、攻撃力のない飾り物の槍を持った両手は今一度しっかりと構えられる。
『…』
そして、そんな銀の巨体が対峙するのは灰色の巨体だ。
一振りのあまりに大きい剣を両手で持ち、地面に突き刺すそれは、銀の巨体を、ひいてはその胴体の操縦席に収まる少女を見つめる。
『……』
灰色は自分より格下の相手を見、胴体の中の操縦者は鼻を鳴らす。
その後、力業な動作で剣を地面から引き抜き、
「…くるっ!」
灰色が剣を構え、踏み込む。
それに、周囲を高い木々に囲まれ、退路を断たれた銀色は身構えることしかできない。
『…っ』
来た。
灰色の、太ももに比べて太いつま先が地面を蹴り、大剣を力業で凪いでくる。
それに、銀の巨体は対応できない。
「つぁっ!」
構えていた槍は半ばから粉砕され、右腕の先と左わき腹がえぐり取られ、木片とちぎれた内部のツタが周囲に舞い、巨体は背後の気に少しめり込む。
その中で、強い衝撃を受けた少女は、ヘルメットを壁に打ち付け、割ってしまう。
「…ぅ」
割れたヘルメットの奥から、少女は操縦席正面にある、特殊な葉による画面を見る。
そこには、大剣を振りかぶった後の、姿勢の悪い灰色の姿がある。
「…っ」
少女に、銀色に勝ち目はない。
性能差もそうだが、実力に差がありすぎる。
その巨体…木材とツタで構成される[騎装樹]をただ動かすだけしかできない彼女には、目の前の相手を倒すことは絶対に不可能だった。
「…このまま…じゃ」
少女は恐れる。
目の前の相手が、自分を捕まえることを。
それだけは絶対に嫌だと、彼女は内心で叫ぶ。
(私には…)
だからこそ、勝てないと分かっていても。
(やりたいことが、あるんですからぁぁぁ!!)
抵抗しないわけにはいかなかった。
「あああああああああああああああ!」
叫ぶ。四肢が[騎装樹]の巨躯に命令を送る。
背中の貯水タンクからの水分の供給を受け、光合成で蓄えたエネルギーを使い、操縦席からの命令に従い、傷ついた銀の巨躯が、一気に動く。
『!』
前へと銀色が出る。
急な事態に、灰色は反応できない。
そうでなくても、重すぎる大剣を振る時間などない。
二歩。それだけ互いの距離はなくなり、銀色が灰色に覆いかぶさる形で、二つの巨体は地面へと倒れこむ。
『…っ!』
少女の行為に、突撃によって灰色の装甲である葉に傷がついたことに、灰色に乗る人物が怒りの声を上げる。
だが、そのときには少女は操縦席の扉を開け、己の[騎装樹]、[シルバレル]を乗り捨てる。
『どこへ行く!』
灰色から、プライドの高そうな男の声が聞こえる。
逃げることを糾弾する、苛立った声が発せられる。
しかし、少女は決して構わない。
割れたヘルメットを捨て、体に張り付く衣装を破り捨た彼女は、中に着ていた花飾りのある簡易的なドレスだけの姿になって、薄暗い森を走る。
「はぁ…はぁ」
決して、捕まらないように。
決して、連れ戻されないように。
二度とあのようなことをされないために。
自分のやりたいことをするために。
彼女は全力で走る。
それを見た灰色の[騎装樹]の操縦者は、放棄された[シルバレル]を蹴り飛ばした後、怒りをにじませて言う。
『許さないぞ…この[グレイカリバー]に傷をつけたこと……』
灰色…[グレイカリバー]は木々を踏みつぶし、蹴り飛ばし、少女の消えた方を見据える。
その遠方には中規模の町がある。
おそらく、彼女はそこに行って隠れようとしているのだ。
『許さない…』
少女の考えていることを推測した操縦者は言う。
『…成功作の…成功作に違いない僕に失敗をさせたことは…絶対に…!』
そして、[グレイカリバー]は進みだす。
一人の、まるで歌姫のような恰好をした少女を捕まえるために、プライドを傷つけた相手に仕返しをするために、大剣を引きずって、町の方へと走っていった。
▽―▽
「…わたしは…」
中規模の町の端にある大きな家で、桜色の着物を来た彼女は、少し憂鬱な表情でそう呟いた。
▽―▽
そうして、今日も[星系樹]は生きる。
あまりに巨大な体内に、新しい出会いと、過去の再燃を宿して。