第六章 四つ葉の騎士
『私はアキト・ユル・アイデ。型式番号Yr-03。型式名称『騎士』。ルーンの〝ユル〟を名に持つ人形――【創幻人形】です』
それを聞いて、不思議に思ったことがあった。だがそれを口にしなかったのは、あまりに馬鹿馬鹿しいことだからだ。
――なんで鎧を着てないの?
それが美咲の疑問だった。
【騎士】。テレビや小説、ゲームの中でしか聞かない古い言葉。いまはもう、歴史の底に埋もれてしまった存在。彼等は精緻な装飾の施された板金鎧を纏い、雄々(おお)しく戦場を駆け回る戦場の花形。
それはきっと、子供たちを魅了して止まなかっただろう。
本来、無骨であるはずの鋼を曲げ、重ね、削り、芸術にまで高めた鎧。それを纏わないアキトは、とてもじゃないが『騎士』に見えなかった。
だから、いまのアキトは、問題なく『騎士』だった。
「……………」
目を奪われる美咲。少女は歳相応の顔で、立ち上がった彼を見上げていた。
脱皮だと、美咲は思った。
無骨で禍々(まがまが)しかった漆黒の鎧が崩れると出てきたのは、白銀の色。角張っていた肘や肩は丸みを帯び、一枚岩から削りだしたような胴体は、幾つもの金属板の集合体に取って代わられた。
薄くて軽い鎧。凶暴性は消え失せ、流線型の姿は誰もが見惚れ、憧れるもの。
アキトはいま、硬いだけが取り得の重くて歪な鎧を捨て、軽く、美しく、尚且つ丈夫な鎧を纏うための儀式を終え、成体になったのだ。
「―――――」
鎧を纏ったアキトが、地面に座り込んだ美咲を見る。するとシャン、と鈴の音に似た音がして、美咲は我に返った。
「……ア、キト?」
アキトは答えない。イヤな予感が美咲の脳裏を走る。
「あんた、まさかまた……」
言い切るより先に、アキトはヘルムを取る。現れた顔を見た美咲は、目を丸くした。
どうやら変わったのは鎧だけではなかったらしい。アキト自身、瞳の色がアイスブルーからダークブルーへ、真っ黒だった髪が銀糸のように細く艶やかなものに変わっていた。
「アキト……それって」
「えへへ――こっちがホントです」
ニヘラ、と笑うアキト。どこか腑抜けた幼い笑顔を見て、美咲は立ち上がった。
「……ねぇ。あたし、誰だかわかる?」
「わかりますよ、ミサネェ」
「ああ……アキト……あんたって……」
美咲はアキトの顔に手を伸ばし、
「あぁんたぁぁぁってぇぇぇ〰〰〰」
グーにし、
「――こぉんの、大バカ者ッ!!」
渾身の力を込めて殴った。
「ふぎゃ! な、なんですか!?」
ズシンと尻餅をつくアキト。ワケがわからないと『?』を頭上に浮かべて顔を上げ、
「―――あんた、なにしでかしたか、覚えてる?」
見なきゃよかったと、AIの底から後悔した。
美咲の顔に浮かぶのはこれまで以上の激怒の表情。眉尻は極限まで吊り上がり、こめかみには青筋。目には血が奔って、頬は痙攣していた。
「覚えてるか、って訊いてンのよ!!」
「は、はいぃ! 薄っすらとですけど、覚えてます!!」
アキトは立ち上がると直立不動の姿勢を取った。
「なら言うことは!?」
「ごめんなさいッ!!」
「よろしい、じゃあ殴るから目を瞑って歯を食い縛りなさい!!」
「は、はい!!」
目を瞑って歯を食い縛る。
そして来るであろう一撃にビクついていると、
「………えっ?」
ぽふ、と顔に柔らかい感触。唐突な柔らかい圧迫感に驚いたアキトが顔を上げると、目と鼻の先に美咲の顔があった。
「……心配させんじゃないわよ、バカ」
ぎゅっと胸元に抱きしめる美咲。頬を撫でる手は赤く濡れている。布切れを巻くことで、契約の際につけた裂傷の応急処置をしているものの、それ以上に血が溢れ出ていた。
「……ごめんなさい」
アキトはそっと、痛みを感じさせないようそっと、美咲の手を掴む。
「手、痛いですよね……」
「いいのよ、これくらい。それより、あんまり無茶しないでよね……わかった?」
一際強く抱きしめられる。
「……はい」
アキトは小さく答えて目を閉じる。その瞼の裏に映るのは、いまは亡き母の顔。母の抱擁を、思い出した。
「はい。もう、しません」
「ん……いいコね」
「――そこまでですわ」
声が聞え、アキトは戦闘態勢に移行する。
美咲を引き離し、背後に隠すと発声源に顔を向ける。リノアがいた。
「ミサネェ、下がっていてください。敵です」
「あ、待って、アキト。もういいの。リノアは別に」
言って前に出ようとする美咲を、アキトは止める。
「ちょ、アキト?」
「動かないでください。狙われています」
「えっ?」
美咲が驚いていると、建物の陰から五つの人影が現れる。それぞれの手に握ったアサルトライフルを二人に向ける彼らは、無表情のままリノアの左右に並んだ。
「ガンナーが五体ですか。まだボクを諦めてないんですね」
また、えっ、と驚く美咲。しばらく信じられないような顔をしていたが、
「――そうね。そうだったわね。敵、だったもんね」
真剣な顔になると、リノアは笑みを浮かべた。
「そうですわ、ミス・クドウ。ハプニングがありましたから休戦していただけです。わたくしたちはそもそも敵同士。――もっとも」
リノアの左右に立つガンナー五体が、安全装置を解除する。
「Yr-03を譲っていただければ、とても仲の良い友人になれると思いますの」
「何度も言わせないで。お断りよ」
「そうですか。残念です」
まったく残念そうでない顔で、リノアはアキトに視線を移した。
「Yr-03。あなたはどう思います?」
「ミサネェと一緒です」
「あら、即答。強気ですわね。でもこのままでは、あなたも、あなたの大好きなミス・クドウも死んでしまいますわよ」
アキトはガンナーを見る。握った突撃銃はM16A2。5.56ミリ弾を使用する、アメリカ三軍の基幹火器だ。大した脅威ではない。
「【指揮者】さんにしては甘いですね。そんな小口径弾、ボクには通用しませんよ」
「ええ、知ってます。鎧を纏っていなくとも、きっと効きはしませんでしょうね」
なにかある、とアキトの警戒心が高まる。リノアは右手を持ち上げ――
「では、これならどうでしょう」
振り下ろしと破壊は同時。近くの壁に大穴が空いた。
大口径弾による砲撃。判断したアキトは、瞬時に弾道を解析し、火点へと視線を向ける。
アイボールセンサに映ったのは対物狙撃銃を構えた人形だった。
「――狙撃型、実用化していたんですか……」
遠距離操作・傀儡精度・感覚の精密共有。それらの問題点から、実用化が一番難しいとされるスナイパーが存在することにアキトは驚き、リノアは付け加えた。
「武装はバレットM82A1。暴走したあなたをも吹き飛ばす逸品ですわ。わたくしの合図ひとつでそれがあなたの腹部を貫き、ガンナーがフルオート射撃を致しますの」
そこで、リノアはアキトの全身を眺め、
「ずいぶんと装甲が薄くなりましたのね。次は耐えれて?」
「それはムリです。ボクは総合性能を重視した万能型なんですよ。避けることも、耐えることもできません」
あっさり白状するアキト。リノアは笑みを深めた。
「よかったですわ。これを使ってしまうと、あなたどころかミス・クドウにまで大穴を空けてしまいますの。殺人を犯さなくてほっとしますわ」
「ボクもですよ」
「ちょっとアキト!? あんた諦め――」
「ボクもリノアさんを殺さずにすんでホッとしてます」
アキトの発言に、リノアの顔が固まった。
「―――なんですって?」
「たしかにボクは避けることも耐えることもできません。けど、大した問題じゃありません。避ける必要も耐える必要もありませんから」
「……対物狙撃銃の一撃をあの術で防げるとでもお思いですの? 言っておきますけど、風や腕で防げるほど軽い一撃ではありませんのよ」
「はい。知ってます。あ、イクシルのことなら気にしないでくださいね。あれだけは、丈夫なんですよ」
ニコニコとアキトは笑って安心させる。リノアは頬を歪ますと、美咲に視線を向けた。
「あなたから言ってやってください、ミス・クドウ! このままではあなたは死んでしまうのですよ!」
「えっ、あたしから?」
蚊帳の外になっていた美咲は軽く驚いてから、アキトに訊く。
「ねぇ、ホントに大丈夫なの?」
「はい。大丈夫です」
「そう」
言うと、美咲はリノアに視線を戻し、
「いいわよ、撃って」
「なっ……!!」
「なんか、大丈夫っぽいし。降参するのイヤだし」
笑顔での言葉に、リノアの顔から温度が消えた。
「……交渉決裂ですわね。もういいです」
指を揺らす。ガンナーがトリガーに指をかけ、スナイパーがアキトの腹に狙いを絞った。
「ふたり揃って塵になりなさい」
閃光と轟音が木霊した。
†
マズルフラッシュの光が消え、発砲音が止む。
硝煙だけが残る朽ちた遊園地で、リノアは途方に暮れていた。
終わった。最悪に近い結末だ。Yr-03はスクラップになり、ミス・クドウは肉片と化した。得たのはイクシルと復元可能なパーツ――それと、人殺しの汚名だけ。
イクシルだけでも大収穫だが、リノアの顔には落胆しかなかった。
「――本当に、思ってましたのよ。ミス・クドウとは友人になれると……」
空虚な心に徒労だけが重く圧しかかる。リノアはため息を漏らすと踵を返した。
「フレースヴェルグ」
ガンナーとの契約が刻まれた指輪を外し、フレースヴェルグのものへと交換すると呼ぶ。
建物の陰にて待機していたフレースヴェルグの瞳に光が宿ると、リノアの傍らに訪れた。
「……酷い有様ですわね」
リノアは巨体を見上げて呟く。強靭を誇る巨人には、幾多の傷が刻まれていた。
河川敷で削られた脇腹。銃弾を弾いた頭部に胸部。落され擦った背中。
皮膚代わりの樹脂はところどころが削げ落ち、その下の鋼もまた無傷ではない。特に拳の状態は酷く、幾度となく繰り出した拳撃に歪みが生じていた。
「工房に戻ったら、ちゃんと直してあげますからね。終ったらまた、あのまずいコーヒーを淹れなさいな」
苦いだけのコーヒー。眠気どころか意識さえも飛びそうになるあのコーヒーが、なぜか無性に飲みたい。
「ですがその前に、Yr-03の残骸を回収なさい。イクシルは絶対見つけるように。それから……」
一度瞼を下ろし、
「ミス・クドウの遺体も回収なさい」
命令を受信すると、フレースヴェルグの目が明滅する。リノアはもう一度だけ呟いた。
「嫌いでは、なかったのですよ……」
「――あたしもよ、リノア」
「ボクも嫌いじゃないですよ」
聞こえるはずのない声が聞こえ、リノアは固まる。
「仲良くなりたいです。あなたとも、フレースヴェルフさんとも」
上着の裾を靡かせ振り返ったリノアが見たのは、白き人形とその主。
「ね。大丈夫でしたよ」
笑顔のままのアキトに、リノアは顔を引き攣らせた。
「そ、そんな……。あれだけの銃弾を浴びて、無傷ですって……!!」
「そりゃ無傷よね。一発も当たってないし」
人形の背後から顔を出した美咲が言うと、リノアは叫んだ。
「そんなはずがありませんわ! あれだけの銃弾が全て外れるなど、ありえません! どれだけ強力な風の障壁を作っていても、12.7ミリ弾は意も介さずに貫くはずです!!」
「えっと……ボクの使える術って、風じゃないんですけど……」
「バカな! それが最も効率の良い障壁系の術ですわ! それ以外に音速で迫る物質を弾く術など――」
「あの、ボクは弾いてませんよ」
申し訳なさそうにアキトは言った。
「逸らしただけです」
言葉に、リノアの中で該当する術が浮かんだ。
「斥力……!?」
そう、斥力の術。ベクトルを操り、飛来する物質を弾くのではなく、逸らす術式だ。
それならばこの馬鹿げた状況を説明できる。説明できるが――
「ありえませんわッ!!」
信じられなくてリノアは叫んだ。
「斥力は『法則』の術! そんな天体の持つ力の行使には、膨大なエネルギーが――」
そこで、目を見開いた。
そうだ。この人形には――
「別に驚くことはないんじゃないですか? ボクの動力源は宇宙そのものなんですから」
「ッ!!」
苦虫を噛み潰した顔で、一歩引くリノア。アキトは悲しげな顔で降伏勧告を出した。
「もう、やめましょうよ。あなたではボクに勝てません。だからもう、やめませんか?」
哀れみの言葉。それが才女たるリノアのプライドを傷つけ、彼女は指を揺らし叫んだ。
「スナイパー! 威力行使!!」
何度も斥力は使えない。そう踏んだリノアは激情と共に攻撃を命じたが、反応は無い。
リノアは慌ててスナイパーとの情報共有を始める。
そして驚愕の表情。
「スナイパー!?」
脳内に浮かんだのは、何者かに手足を潰されるスナイパーの最後だった。
「やられてる? どういうことですの!?」
「すみません。スナイパーは危ないんで、見つけたときに無力化をお願いしておきました」
「お願い? あなたに味方などは――」
――いる。味方はいる。どうして忘れていたのか……!!
「サポートユニット……!!」
吐き捨てると響く甲高い音。
音の発生源に顔を向けたリノアが見たのは、いつの間にか移動していたアキトの狩りだ。合流したオオカミとタカを従わせた人形は、次々と動かぬ人形を襲いバラバラにしていた。
「反撃なさい、ガンナー3!」
唯一無傷のガンナー3に命じる。しかし、幻糸の外れたガンナーの動きはリノアが操作するに比べると格段に鈍く、結局、ガンナー3は銃を向けることさえできず、バラされた。
「そんな……」
「――リノア」
呆然と立ち尽くしていたリノアの肩がビクリと震える。
恐る恐ると振り返るとそこには天才の娘、人形の主が立っていた。
主――美咲は静かに言った。
「あんたの負けよ」
†
ハンターは暴走したアキトに破壊され、ガンナーはついさっきスクラップ。切り札と思われるスナイパーも、アキトの素早い機転で手足をバラされた。
新たな人形を操る、という可能性はないだろう。ホテルでの爆発は、アキトにこそ傷を負わせることができなかったが、リノアの持ち込んだ全ての武器と人形を破壊した。
転じて、こちらの損害はゼロ。それどころかアップだ。
契約を果たしたアキトは鎧を纏い、術まで行使する。ウォルフとファルケも健在だ。
勝敗はついた。アキトの――あたしたちの勝ちだ。
「諦めなさい。もうあんたに勝ち目はないわ」
「――まだ、まだですわ」
俯いていたリノアが顔を上げる。
瞳を動揺に揺らし、口元を震わせながら叫ぶ。
「まだわたくしにはフレースヴェルグがいますわ! フレースヴェルグさえ健在ならばまだ勝ち目は充分に――」
「ないわよ」
平静さを失ったリノアの言葉を美咲が遮る。そして、論理的に言った。
「たしかに、フレースヴェルグは強力な人形よ。攻撃力も防御力も申し分ないし、機動力だって、決して低くないわ」
「わかっているではありませんの。なら」
「気づいてるでしょ、リノア」
言葉に、リノアの口が閉じる。
「冷静になりなさいよ。あれだけ人形を熟知してるあんたが、理解してないはずがないじゃない。現実を見なさい」
視線を逸らすリノア。拳をぎゅっと握り、肩を震わす。
「気づいた――つーか、思い出したみたいね。フレースヴェルグの欠点」
そこで「違うわね」と美咲は訂正。改めて口に出す。
「あれって、欠点じゃなくて仕様よね。フレースヴェルグは」
「あまりに巨体すぎる――ですわね」
俯いたまま、リノアは暴露した。
そう。それがフレースヴェルグの欠点。攻撃力と防御力を両立させ、尚且つ機動力を保持するあまり、そのサイズが通常の人形よりも一回り以上も大きい。
つまり、小回りが利かないのだ。
「別に悪いことじゃないのよね。特にこっちから攻撃する場合なら、全然問題ないの」
「ですが、防戦になるとそれが浮き彫りになりますわ。特にわたくしを護るために間近で操るとなると、その長い腕と強力過ぎるパワーがあだになり、ハンター以下の存在になりますの」
だってそうでしょう、とリノアは自虐の笑みを浮かべた。
「万が一にもフレースヴェルグの拳がわたくしにあたったら、即死ですもの」
鉄骨を曲げ、装甲車を吹き飛ばす拳は、人間などあっさり殺す。あっさりと、殺すのだ。
リノアは疲労の見える笑顔で辺りを見渡す。
人形のアキト、オオカミのウォルフ、タカのファルケ。それらに狙われながら、フレースヴェルグを護衛から外すことなどできない。したら最後、すぐに狙われ殺される。
多勢に無勢。対処するには、フレースヴェルグはあまりに小回りが利かなかった。
「わかっておりましたわよ、そんなこと。そのためのハンターやガンナーでしたもの」
「だったら引きなさい。勝てないケンカをするほど、あんたはバカじゃないでしょ」
「――そうですわね。これ以上の争いは無意味です。出費が増えるだけですわね」
顔を伏せるリノア。美咲はそこで気づいた。
震えが、止まってる?
「本当に、いいところがありませんわね。苦労して持ち込んだ火器は爆散。三〇体もあった人形は残り一体。まだ充分なデータも取っていないスナイパーはバラされて、フレースヴェルグも傷だらけ。本当に、失ってばかりですわ」
声に力が戻ってきてる。
美咲が危機感を抱くと、アキトが美咲を守るよう、前に立った。
「ならもういいじゃないですか。ここでやめましょうよ」
言うアキトの顔はどこか固い。リノアからなにかを感じ取っているようだ。
「そうですわね。それがいいですわね。これ以上の出費は、ごめんですわ」
でも、とリノア。彼女は金色の髪を指で掻き上げ、顔を見せた。
決意の双眸。心は、決して折れていなかった。
「わたくしはフィーラムの一族の次期頭首。そのプライドだけは失いたくありませんの」
ゆらり、と指を揺らす。フレースヴェルグの瞳が輝きを見せると、それまでまったく漏れなかった超電導モーターの駆動音が響きだした。
「モーター出力を最大値に設定ですか。――すぐにバッテリーが尽きますよ?」
「かまいませんわ。勝負を長引かせるつもりはありませんし、最後の傀儡くらいは、わたくしもこのコも全力が出したいですもの」
それはつまり死を覚悟している。そう言うことなの?
美咲が唖然としていると、リノアは静かに言った。
「Yr-03――いえ、アキト・ユル・アイデ。フィーラム家の名誉のため、偉大な先祖の名を穢さぬために、最後に一矢、報わせていただきますわ」
覚悟を纏った言の葉。アキトはなぜか顔をむっ、とさせた。
「相手が違いますよ」
「?」
「ボクみたいな人形ごときに覚悟をぶつけないでください。その言葉に答えるのは、もっと素晴らしくて強い人です」
ちょっと怒った顔。言わんとすることに気がついたリノアは、苦笑してやり直した。
「闘ってくれますね、ミス・クドウ――いえ、傀儡師ミサキ」
「あ、あたし!?」
話をふられてぎょっとする。
「な、なんであたしなの!?」
「あなたがアキトの主だからですわ」
リノアはクスリと笑う。
「別にあなたが操作して闘うわけじゃありませんのよ。ただ許可を頂きたいだけですわ」
「えっ? 違いますよ、ボクの操作をしてもらいますよ」
アキトの言葉に、美咲とリノアが揃って驚いた。
「はあ!? あんた、自分で動けるじゃないの!?」
「そうですわ! ミサキのような無知で未熟でおバカな傀儡師に操作されるなど、なめていますの!?」
「うっ、無知と未熟は否定できないけど――誰がバカよ!」
「あなたに決まってますわ!」
「け、ケンカはやめてください〰〰!」
ガァァ! と罵りあいを始めるふたりを見て、アキトが慌てて仲裁する。
まずリノア。
「べ、別になめてるわけじゃないんです! これがボクの仕様なんですう!」
「通常は自分で動いて、戦闘時は操作してもらう。――そういうことですの?」
「そうじゃないと全力が出せないんですよ。だからミサネェに操作してもらわないと、ダメなんです」
と、ここから美咲の説得。
「だからお願いします。ボクを操ってください」
「あんたを操作するのはもちろん、人形同士の戦闘なんて、やったことないわよ!?」
「大丈夫ですよ」
アキトはニヘラと笑い、
「だってミサネェ、七年間ずっと傀儡を続けてきたじゃないですか。毎日毎日、傀儡を続けてきたじゃないですか」
「―――――」
だから大丈夫です。そう言ってミサキの顔を赤面させたアキトは、戦闘態勢のウォルフとファルケを見る。
「下がって、ウォルフ、ファルケ。ミサネェの邪魔になるよ」
「さ、サポートユニットまで下がらせるのですか!?」
「だって必要ありませんから」
「ひ、必要ないですって!!」
「はい。ミサネェが操るボクは、誰にも負けません」
笑顔に宿る絶対の自信。それが見て取れたのか、リノアの顔から烈火のごとき怒りが消え、静かなものとなる。
「――そう、でしたわね。ミサキは天才の娘、あなたは天才の作品。なめていたのは、わたくしのほうですわね」
呟いたリノアは一歩下がる。
小刻みに揺れるフレースヴェルグの腕を撫で、良く通る声で名乗った。
「わたくしはリノア・グレイン・フィーラム! 第5世代人形を作り上げたグレインの末裔! 扱う人形は四つ腕の巨人フレースヴェルグ! その豪腕は鉄骨を曲げ、装甲車をも吹き飛ばす巨人なり! わたくしの前に立ち塞がる汝とその人形、名あるのならば名乗りなさい!!」
「えっ? な、なに……?」
「術師同士の決闘の通過儀礼です。訊かれたら答えなきゃいけないんですよ」
だから考えてくださいね。アキトは落ちていたヘルムを拾い上げ、被ると一歩前にでる。
「ボクはアキト・ユル・アイデ! 探求者ミキエ・クドウが命を賭して作り上げた最高傑作! 北欧の地より生まれしユルのルーン! 守護、成長。そして死を齎す四つ葉の騎士なり!!」
アキトのセリフが終わる。美咲は覚悟を決めると、大きく息を吸った。
「あたしは工藤美咲! 先祖が特になにをしたか知らないし、あたし自身もなにもしていないただの傀儡師! 立ち塞がったつもりはないけど、売られたケンカは買うわよ!!」
言い終えると、アキトの顔が泣きそうになっていた。
「ミサネェ……それじゃただのケンカ好きな人ですよお〰〰」
「う、うるさいわね! こんな短時間じゃこれが限界なのよ!!」
泣くアキトと怒鳴る美咲。リノアは小さく笑うと、指を揺らした。
「行きますわよ、フレースヴェルグ。これは決闘、手加減も規制もなしですわ」
喜ぶよう、一際大きな駆動音を漏らすフレースヴェルグ。その有り余る力を抑える電子の鎖は既になく、豪腕をもちいて主に勝利を齎さんと、四つの拳を作る。
「存分に闘いましょう」
リノアは力強い笑みを浮かべた。
「自律機能カット。最優先処理情報各種センサに変更――モードマリオネット」
体から力を抜くアキト。視線を向けられ、美咲はうなずいた。
「いくわよ」
呼吸を四拍呼吸に変えた美咲は、幻糸を作る。
契約とは縁結び。傀儡師の生体情報を人形に記録させ、常に細い幻糸で繋がり続けるようにする。
運命の赤い糸ならぬ傀儡の糸。それを結ぶのだから、縁結びに似ている。
作り出した幻糸は細い『縁』に絡みながらアキトへ向かい――接続。
「ッ!」
途端、現れるのは頭痛。美咲は歯を食い縛って耐える。
な、なんつー情報量よ……!!
いつも操る人体模型くんとはケタ外れの情報量。
一〇〇メートル先の壁の汚れをも見分けられるアキトの目。一キロ先の川のせせらぎをも聴き取るアキトの耳。園内に生える全ての植物の匂いを嗅ぎ分けるアキトの鼻。外気の状態をゼロコンマ以下で数値化できるアキトの肌。
そして、アキトのもつ全ての情報が流れ込み、美咲の頭はパンク寸前にまでなる。
『も、もうちょっとだけ耐えてください! あと一〇秒で最適化が終了します!』
慌てた声が頭に響いてきっかり一〇秒後。情報量が激減し頭痛が消えた。高機能過ぎる五感が馴染みのものとなる。
『最適化完了。センサ感度設定レベル3、情報処理割合七対三のバイパス設定D⁻に登録しました。――どうですか?』
『ッ〰〰……だ、だいぶラクになったわ。それよりこれって……』
『幻糸を利用して指向性思念を送受信してます。いわゆるひとつのテレパシー?』
なぜ疑問系? そんなツッコミを思える余裕ができると、美咲は改めて訊いた。
『さっきのは、なに?』
『最適化です。傀儡師と人形との同調って、個人差があるんです。いまのはどれくらいの情報が送受信できて、どれくらいの情報が処理できるか、それを調べてたんです。これがミサネェにとって最適な傀儡設定なんですよ』
エヘヘ〰〰、とどこか照れた笑い声を響かせるアキト。美咲は眉を顰めた。
『あんた、なんかうれしそうね』
『うれしいにきまってますよお〰〰。やっとボクに手を出してくれたんですもん。ずっと待ってたんですよ。夢が叶いました♪』
あんたは、なんでそう乙女チックなの。性別間違えてんじゃないの。
美咲は頬を赤くして思っていると、駆動装置の唸りが響いた。
「準備はよろしいですか?」
両手を持ち上げるリノアに、拳を握るフレースヴェルグ。
奇襲をかけてこなかったのは、正々堂々(せいせいどうどう)と勝負をしたいから。それとも必要ないということなのか。
「自信満々(じしんまんまん)なツラからして両方ね。――上等じゃないの」
目の端を吊り上げた美咲は、リノアに倣って腕を持ち上げる。
調子がいい。すこぶるいい。昨日から今日にかけての行動から見れば、もうヘトヘトで傀儡なんてできる状態ではないのに、驚くほどラクに傀儡ができる。
どうやらアキトとあたしは相性がいいらしい。これなら一〇分と言わず二〇分。五〇メートルと言わず一〇〇メートルでもいけそうだ。
美咲は笑みを深くすると、両手を構える。
「オーケー、かかってきなさい。ボコボコにしたげるわ」
「その大口、どこまで持つか見物ですわね」
不敵に笑い合う二人。その忠実な下僕たる人形が一歩、前に出る。
まるで映画のワンシーン。作られた騎士と作られたモンスターの睨み合いは、さながらラスト一〇分前の最終決戦。
盛り上がりは最高潮。全ての枷を外した二体の人形は、いまかいまかと合図を待つ。
「それでは――」
「――はじめますか」
「わたくしのフレースヴェルグが勝つか――」
「あたしのアキトが勝つか――」
「「―――勝負!!―――」」
戦いの火蓋が――落された。
†
四度目の戦いである。
初戦は河川敷。二戦目、三戦目は廃墟と化したホテルだった。
結果は互いに一勝一敗一分。数字から見れば、完全に互角。
しかし、その内容を見れば、優勢なのはアキトであった。
「行け、アキト!」
主の命に従い奔るのは銀色の鎧を纏った騎士。
その動きはまるで燕のようだ。鎧が大地を削るか否かという低姿勢で駆けるアキトは、フレースヴェルグの拳を当然のごとく回避し、空いた脇腹に蹴りを入れる。
いったいどこにそんな力があるのか。一周り、二周り以上はある巨人の体が、グラリ、とよろめく。
その隙を美咲は逃さない。再び身を低くし、足腰に力を溜めると――ダッシュ。
アスファルトの大地を陥没させ、巨人の脇にタックルを決めた。
重い音が空気を震わせる。巨人から見ればなんの痛痒も感じない一撃は、その実、一トンの巨体を宙に浮かせ、地面に叩きつけるほどの威力を秘めていた。
機敏な体と強力な駆動装置。これが優勢の理由だ。運動性とパワーの両立は、巨人の拳を軽やかに避け、重い一撃を与える。
元より性能は高かった。巨人と互角以上に戦える性能を、アキトは持っていた。
初戦の引分けは巨人の腕の不可解さ。二戦目の敗北は、不安定なイクシルの制御にその性能を割いていたから。
巨人の秘密を知り、イクシルを安定させる契約を果たした騎士に、敗北はない。象を狩るライオンのように、ジワジワと巨人を追い詰めるだろう。――傀儡師さえ優秀ならば。
「もらったわ!」
チャンスとばかりにアキトを跳躍させる美咲。その鷲の頭に止めの蹴りをいれようとし、
「甘いですわ!」
素早く指をくねらせるリノア。フレースヴェルグの瞳の光が輝きを増し、右腕二本を持ち上げた。
「おやりなさい、フレースヴェルグ!」
震える大地に砕けるアスファルト。うつ伏せの状態で放った一撃は地鳴りを起こし、フレースヴェルグの体を強制的に仰向けにさせた。
そして、引かれる左の二本。天を見る巨人の瞳は、アキトをロックする。
「倍返しですわ!!」
放たれる拳。攻撃に入っていたアキトに避ける術などなく、その直撃を受けた。
アキトとフレースヴェルグ。その性能の差は歴然で、十中八九でアキトが勝つだろう。
だがしかし、それでもアキトが負けるとするならば、それは後衛――傀儡師の差に他ならない。
美咲とリノア。こちらもその能力差は歴然だ。
前者は簡易傀儡にさえ失敗する未熟な傀儡師だが、後者はまるで違う。
幼いころから傀儡師としての知識と技術を叩き込まれ、その道の学校にまで通ったエリート。最大一〇体もの人形を同時に操るフィーラム家の次期頭首なのだ。
前衛は八対二。後衛は逆に二対八。総合的に見ればイーブン。どちらが勝ってもおかしくはなく、その勝敗の行方は最後の一つの要素にかけられた。
「いったぁ〰〰〰……あ、アキト、大丈夫?」
反動に朦朧とする頭を振ってから、美咲は倒れたアキトを立たそうと試みる。
「な、なんとか〰〰」
反応はすぐ返ってきた。二〇メートルほど吹き飛ばされ、地面に叩きつけられたアキトだが、思いのほかあっさりと立ち上がる。
空中にいたのと鎧を纏っていたのが幸いした。損傷は軽微。問題ない。
ホッ、と息をついた美咲だが、やおら頬を吊り上げる。
「なかなかやるじゃないの。気ぃ抜くとやられるわね、マジで」
「相手は【指揮者】の異名を持つ傀儡師です。いくら操る人形が一体でも、それが重量級人形だとかなりの脅威です」
アキトは探るように続けた。
「こういった場合、傀儡師を直接叩くのがセオリーなんですけど」
「却下よ」
即答する主人。「あぅ……」とその人形が情けない声を上げると、美咲は「だってさ――」と呟いきつつ、アキトに鳶色の瞳を向けた。
「あんなデカブツごときに負けるような人形じゃないんでしょ、あんたは」
ポカンとなるアキト。数秒ほど硬直していた彼は我に返ると、
「――――はい!」
力強くうなずいて敵を睨む。
「ミサネェ、きますよ!」
アキトの視覚越しに見えるのは、突撃してくるフレースヴェルグ。トラックが突っ込んでくるような感覚に襲われる美咲だが、臆することなく立ち向かわせた。
「正面切ってのガチンコ勝負よ! 敏捷性ならこっちが上なんだから!」
初接続の際に、美咲はアキトの性能を朧気ながら理解していた。
パワーと装甲こそ遅れを取っているものの、その他の性能は一枚も二枚もアキトが上。これまで見てきたフレースヴェルグの性能と比較して出した、美咲の見解がそれだった。
その判断は間違っていない。むしろ、武器を持たないアキトがフレースヴェルグを倒すには、その拳を全て避けて懐に潜り込み、地道にダメージを蓄積させるしかないのだ。
「ぶっ飛ばしなさい、アキト!」
「蹴散らしなさい、フレースヴェルグ!」
磁石のように引き合うアキトとフレースヴェルグ。互いの距離が一気に縮まると、騎士と巨人の踊りが始まった。
応酬される拳と拳。互いの立ち位置が目まぐるしく変わり、止まらぬ足が地を砕く。鋼の塊が大気を潰し、収斂された一撃が夜気を穿つ。巻き上げられたアスファルトの破片は一瞬にして砕かれ塵となり、生じた摩擦熱が風を熱くする。踊りは、酷く暴力的だった。
――均衡はゆっくりと崩れだした。
「クッ!」
二対一から三対一、そして四対一となるのは攻撃の割合だ。
フレースヴェルグがその特徴たる四つの腕で繰り出す攻撃の二つを避けたのち、アキトが一撃を返す。しかしそれは装甲をへこますだけにとどまり、耐えた巨人がまた二度反撃すると、かわした騎士の腕か足が繰り出される。
暗黙の了承と言えるそのリズムが、ゆっくり、ゆっくりと崩れだしたのだ。
「ッ――!?」
忙しなく腕と指を動かしながら、汗を浮かべた美咲が唇を噛む。
どういうこと? どうしてアキトが速度で押されてるの!?
決して動きは緩めていない。むしろ速めているはずだ。
なのに、負けている。それまで二発に一発は返せていたのに、いまでは防戦一方だ。
『アキト、あんた手ェ抜いてるの!?』
堪らず頭の中で叫ぶと、慌てた声でアキトは否定した。
『ぬ、抜いてませんよ!』
『ならどうして!? まさかもうへばったとか言わないでしょうね!!』
『ボクはそんなにヤワじゃありませんよぉ! 状態はオールグリーン。リズムに乗ってますし、電動筋の特性上、いまが最上の状態です!! 現に一八〇秒前に比べて12%も加速してます!!』
『じゃあどうしてよ!?』
叫ぶ間にも速度の差は開き、フレースヴェルグの拳が掠るようになっていた。
まずい――マジでまずいわよ!!
いまはまだ鎧の端を削る程度だが、近い未来に本格的にあたりだす。
一発でも受ければそれで終わりだ。衝撃に足を止められ、あとはサンドバック。いくらなんでもアキトがもたない。
ッ――、それにしても熱い。
汗を拭う暇もなくひたすら操る美咲は、激しい運動のためか眩暈を覚えていた。
喉が渇く。熱に頭が浮かされる。塵に邪魔されて、ただでさえ見えづらいフレースヴェルグの姿が、ぐにゃぐにゃ揺らいで見える。
やばい。避け切れなくなるより先に、傀儡をしくじりそうだ。
『って、いくらなんでも熱すぎない!? これって絶対春の気温じゃないわよ!?』
『拳の摩擦で周囲の空気が熱を帯びてるんです! それに高速稼働でボク自身の体温も上がってますし、フレースヴェルグさんの超電導モーターの廃熱だって――』
そこで途切れる声。続いて愕然とした叫びが上がった。
『な、なんですかコレ!? そんな――じゃあこれも視覚センサのエラーじゃなくて』
『なに、どうしたの!?』
『そ、それが……』
『だからなに! 正確に報告しなさい!!』
『は、はい!』
アキトが報告する。美咲は目を見開いた。
『フレースヴェルグの表面温度が三〇〇度!? 内部に至っては五〇〇!?』
『現在もなお上昇中です!』
『じゃ、じゃあこの眩暈も熱さも――』
『反動と蜃気楼です! 熱で大気が歪んでます!!』
『最近の人形ってそんなになっても大丈夫なの!?』
『大丈夫なわけありませんよおッ!!』
悲鳴染みたアキトの叫び。普通ならとっくに壊れていると言う。
『原因は――原因はなに!?』
『リミッターを外したとしか考えられません! ボクより大きいフレースヴェルグさんがボクと同等の運動性を得るために、リミッターを外したんです!!』
『!!』
『限界を超えてます! このままじゃ――このままじゃ修復不能なまでに壊れちゃいますよッ!!』
ここで最後の要素が顔を見せた。
それは勝利への渇望。崖っぷち立たされた者の、執念だった。
気づいた美咲は戦慄する。リノア、あんたそこまでして勝ちたいの!? そこまでして一矢報いたいの!? そこまでして――
ここで均衡が壊れた。
右の拳の一つがアキトの脇腹を打つ。途端に止まる足。そして同時に右肩に衝撃。
『まっ――ず!!』
美咲は即座に判断した。
回避をしようとしたところで意味はないだろう。防御しても二秒も保てず崩される。
だから防御しながら下がる。そして一発をわざと受けて、その衝撃で距離を取る。
その旨をアキトに伝えた美咲は、実行に移した。
胸部を狙った拳がくる。アキトは両腕を重ねて防御体勢を取ると、バックステップ。
恐ろしく重い一撃がアキトを貫き、吹き飛ばした。
「っ〰〰!」
痺れる両腕。鎧越しにこのダメージなのだから、直に喰らっていたどうなっていたのか。
ぞっとしているとアキトが大地に落ちる。受け身を取らせて立ち上がらせた。
作戦通りとはいえ、胆が冷えた。でもこれで距離が――
「ミサネェ!」
「遅いですわよ」
「なっ……」
聳え立つ巨人。四つの腕を持つ重量級人形はもうアキトの目の前にいた。
速い。ただでさえ強力な駆動装置のリミッター解除は、鈍重なはずのフレースヴェルグに爆発的な加速力を与えていたのだ。
「『破城――」
紡がれる言葉。まるでロケットのように跳んできたフレースヴェルグの四つの腕が極限まで引かれ、
「――四槌』!!」
発射。四つの鉄の塊がアキトを打った。
めりこむ拳。鋼の悲鳴。吹き飛ぶ人形。砕ける壁。巻き上がる土煙。追う美咲。
フレースヴェルグの背後、リノアは厳しい目をアキトの空けた建物の大穴へ向けた。
土煙でよく見えないが、アキトの動体反応はなかった。
「――勝ちました、の?」
ゴクリ、とリノアは唾を飲み込み、それは早計だと自分を戒めた。
そんなことを考えている暇がありましたら、フレースヴェルグをどうにかしませんと。
アキトにバリスト・ブラウスを決めた途端、幻糸が切れてしまったのだ。
リノアは片膝をつき、白煙を上げるフレースヴェルグに近寄る。
「本当に、酷い有様ですわね……」
沈痛な趣のリノア。フレースヴェルグはスクラップ同然だった。
原因は、リミッター解除による超電導モーターの異常加熱。最後の一撃を放つと同時に、身に纏うスーツは燃え、肌にみたてた樹脂は全てが溶け落ちた。
内部だって、酷いものだ。四つの腕の主駆動装置は半ば融解、熱は大半のケーブルを焼き切り、内部骨格にまで牙を剥いていた。
「これはもう、どうしようもありませんね……」
原因が判明した。中核――ダイヤモンドの炭化。完全に熱にやられてしまっており、むしろこんな状態になるまで、幻糸を受信し続けていたのが奇蹟だった。
「……がんばってくれたのですね。ありがとう」
リノアは瞼を下ろす。
――思い起こせば、長い付き合いだった。
フレースヴェルグと出会ったのは、リノアが八歳のころ。祖母の工房に忍び込んだときに見つけたのが、その出会い。当時はまだ超電導モーターのように、小型で高出力な駆動装置が存在せず、開発途中で放棄されていたのがフレースヴェルグだった。
手に入れたのは、十三歳の誕生日だ。次の日から本格的な傀儡の訓練を始めるための、人形選びの儀式で、リノアはフレースヴェルグを自分の人形に選んだ。
それからはずっと一緒だった。学校での授業と傀儡の鍛錬。その合間を見計らってはフレースヴェルグを組み立てていた気がする。
諦めろ、と父からは何度も言われた。フレースヴェルグほどのサイズの人形を操るには、リノアは未熟で幼く、なにより虚弱だった。
いま思えば、だからこそフレースヴェルグを選んだのだろう。
リノアが望んでやまない、大きく逞しい体を持つフレースヴェルグ。モヤシのように細く貧弱で、簡単に床に臥すこの体などとは無縁の、鋼の肉体。
けれど自ら動くことができず、父でさえ動かせない巨人が、自分と重なって見えたのだ。
血の滲むような努力をした。がんばりすぎて病院に担ぎ込まれたのも一度や二度ではない。過労のあまり、天国に昇りかけたことだってあった。
それでも鍛錬を繰り返し、父の制止を振り切って繰り返し、友だちを一人も作らず繰り返し――一八のときに、リノアはフレースヴェルグをも動かす傀儡の術を身につけ、巨人もまた、自力で動ける駆動装置と高性能AIを得た。
そしてケルスス学院在学中に改良のための構成を練り、卒業と同時に完成。その後も、ちょくちょく改良し続けて――現在のレベルにまで至った。
思い出に耽っていたリノアは、フレースヴェルグに微笑みかけた。
「本当にありがとう。あなたはわたくしの知る中で、もっとも頑丈で逞しい人形でしたわ」
だから、
「もう少しだけ付き合ってくださいな、フレースヴェルグ」
頼んで、リノアは簡易掌握を行う。
駆動装置は主から副へ変更。焼き切れたケーブルは幻糸で補い、潰れたセンサは自身の目と耳を、代わりにする。
残った電力はあと僅か。他の部品だってもう限界。どちらもすぐに役目を終える。
傀儡は、全ての物において平等に効果するわけではない。
ただのマネキンよりも自ら動けるロボット。電池の切れたロボットよりも、あるロボットと、実際に動ける状態にある物にこそ、その効果は強く現れるのだ。
だからバッテリー切れ、部品の破損が起こると、傀儡の術の特性上、操ることはできるが、性能はガタ落ちになるのである。
――しかし問題はない。すぐに終わる。
「ねえ、そうでしょう?」
視線をフレースヴェルグから外す。
建物からでてくるのはアキトと美咲。騎士と主人は、決着をつけるために、走り始めたところだった。
†
フレースヴェルグによって、建物内に吹き飛ばされた直後。
「アキト、大丈夫!?」
反動に痛む胸を押さえながら建物内に飛び込んできた美咲は、仰向けに倒れるアキトに駆け寄ると、危うく悲鳴を上げそうになった。
細いながらも筋肉質な上半身に瞼の落ちた顔。銀色の鎧は兜諸々(もろもろ)、粉々(こなごな)に砕かれていた。
「まってなさい、すぐにチェックしてあげるから!」
言って幻糸を紡ぐ美咲。
四つの拳に吹き飛ばされた距離は実に一〇〇メートル以上。幻糸は飛ばされる途中で、強制的に切断されていたのだ。
幻糸を作ることに成功した美咲は、すぐさまアキトに接続させる。そして驚いた。
衝撃による基盤保護実行。二〇秒後に再起動。つまりシャットダウン――気を失っているだけだった。
「それ、だけ……?」
ヘタリ、と美咲は腰を抜かした。
壊れたかと思った。真っ二つになったかと思った。バラバラになったかと思った。
そう想像しておかしくないほど、凄まじい一撃だったのだ。
「よか、った……」
はあ〰〰、と大きく吐息をつくと、アキトが再起動。パチリと目を開く。
『――ここは?』
アキト曰くテレパシーでの問いかけ。どうやら基盤保護のせいで、一時的に発声装置が停止しているようだった。
『あんたの背後にあった建物の中。覚えてる、あんたここまで殴り飛ばされたのよ』
『覚えてます。すごい一撃でした。でも――』
そこでクシャリと歪むアキトの顔。美咲は慌てた。
『ど、どうしたのよ? どっか痛いの!?』
『は、い』
『ど、どこが!? どこが痛いの!?』
『―――心が痛いです』
ピタリと止まる美咲。それまでどこに破損があるのか、蒼白の顔で探していた少女の頬がヒクリ、と引き攣った。
『あんた――一度分解してあげようか?』
特にAI辺りを。その後、パソコンに繋げてF5攻撃してあげようか?
脅す美咲。いつもなら慌てて謝るアキトだが、いまにも泣きそうな顔は変わらなかった。
『ホントに、痛いんです。フレースヴェルグさんが、フレースヴェルグさんが――』
『フレースヴェルグ……あいつがどうしたの、アキト?』
『……死んでます』
『えっ?』
『フレースヴェルグさん、もう死んでます。死んでるのに、がんばってます』
アキトは上体を起こし、作った穴の向こう――白煙を上げるフレースヴェルグを見た。
『……死んでるのにがんばってる?』
『はい。だからボクはそれに応えなきゃいけません』
涙を腕で拭って立ち上がるアキト。真剣な顔を美咲に向けた。
『ミサネェ』
『な、なに?』
『ボクはこれから『騎兵槍』を使おうと思います。許可をください』
言ってアキトは『騎兵槍』の情報を美咲に見せる。人形の中で開いたファイルを読んで、美咲は目を見開いた。
『『騎兵槍』って――なにこれ!?』
『騎兵槍』。それはアキトの持つもうひとつの術の略称。斥力場で飛翔物を逸らす『盾』(ラテルン)を応用した、攻撃系の術だった。
美咲は厳しい視線をアキトに向けた。
『あんた、どうしてさっき教えなかったのよ! これがあれば一発じゃないの!!』
『強力過ぎるんですよ! こんなの使ったら、欠片一つ残らないじゃないですか!! それにミサネェへの負担だって大きいんですよ!?』
言葉に、美咲は烈火のごとく怒り出した。
「甘ったれたこと言ってンじゃないわよ!!」
アキトの顔を掴むと、自分に近づけ更に怒声を上げる。
「『強力過ぎる』とか『欠片も残らない』とか、ンなこと気にしてるから、あんたいま、壊されかけたのよ!? そんな情は捨てなさい! 邪魔な上にあいつらに失礼よ!!」
『し、失礼……?』
「そうよ、なめてるとしか思えないわ! あいつらは全てを捨てて勝負を挑んできたのよ! なのにあんたは手を抜く、死に物狂いの相手に手を抜く! それがどんだけ相手を侮辱してるのか、あんた気づいてないの!?」
『……………』
「ただじゃ済まないのは百も承知! フレースヴェルグが壊れるのも、自分が死ぬのも承知してンのよ、あいつらは!! あたしだって、腕の一本や二本、失うことを覚悟してんのに、あんた何様のつもりよ!?」
そこで美咲は、大きく息を吐く。そして、寂しそうに言った。
「あんた、優しすぎるわよ。あたしを助けに来たことといい、リノアを説得しようとしたことといい、あんたはホントに優しいわ」
でもね、と続ける。
「それが相手を傷つけることがあるの」
そう。たとえばなにも言わずに去った、あの女のように。
「だから――だからね。使いなさい、『騎兵槍』を。使ってフレースヴェルグを壊して、満足させてあげなさい。あたしのことなんて気にしなくていい。いまはただ、敵を倒すことだけを考えなさい」
『………はい………』
「それが本物の『騎士』よ」
『はい』
沈痛なアキトの顔。泣きたいのに泣くのを我慢する、そんな顔をするアキトの頭を美咲は撫でると、ポン、と背を押した。
「ほら、走るわよ。女を待たせる騎士は、騎士失格よ」
うなずくと、モードマリオネットに移行。美咲の声と幻糸を背に、アキトは駆け出した。
†
一直進で向かってくるアキトを睨み、リノアは両手十指を揺らす。
腕を引くフレースヴェルグ。歪んだ装甲から擦過音を響かせ、駆動装置より異音を奏でながら、迎撃のために最後の力を振り絞る。
アキトとの距離は一〇〇メートル。ギリギリまで引き付けてバリスト・ブラウスを放つ。
最後のチャンスだ。勝つ方法はそれしかない。フレースヴェルグはもちろんだが、リノア自身も限界なのだ。
無茶な傀儡を行い過ぎた。体はもう疲労困憊で、気を抜けば倒れてしまいそう。
「ですが、倒れるわけにはいきませんわね。自分のためですもの」
呟きながら、幻糸を揺らす。四つの腕の駆動装置の異音が騒音レベルにまで上がった。
アキトが迫る。距離は約八〇メートル。
フレースヴェルグから白煙が上がりだす。リノアはタイミングを見計らう。
残り六〇メートル。
フレースヴェルグのアイボールセンサが熱で割れる。リノアの額を汗がつたる。
あと四〇メートル。
フレースヴェルグの装甲に亀裂が走る。リノアは動じない。
二〇メートル。
フレースヴェルグの背中が弾け跳ぶ。リノアはそれでも動じない。
一〇メートル。
フレースヴェルグの首からオイルが飛び散る。リノアは唇を噛み締める。
―――交錯。
フレースヴェルグは咆哮を上げていた。
それは駆動装置の音、装甲の歪む音、部品の割れる音――それらが奏でる滅びの咆哮。
アキトを走らす美咲は、視覚、聴覚センサ越しに、ようやく理解した。
――フレースヴェルグさん、もう死んでます。死んでるのに、がんばってます――
「ッ……納得。もうとっく、ッ、の昔に壊れてたのね……クッ………」
それでも動く巨人。操るリノアがすごいのか、応じるフレースヴェルグがすごいのか。
「どっちも――すごいの、よッ! ――負けてらん――ない……わ」
美咲は脂汗を拭うと、意識を集中させる。
踏んだアスファルトの硬さ、髪を乱す風の冷たさ、纏わりつくオイルの匂い、体に漲る力の脈動、近づく巨人と女の姿。
頭が割れそうな頭痛。情報量が多過ぎる。
人間と見間違うかのようなAIを持つアキトが傀儡を必要とする理由。美咲はようやく理解した。『騎兵槍』の使用に奪われた演算能力を補うために――戦闘能力を維持するために、アキトは傀儡を必要とするのだ。
納得する美咲だが、気休めにもならない。情報の処理分があまりにも多過ぎた。
頭が痛い。頭が痛い。頭が痛い。
本当に痛い。こんな頭痛ははじめてだ。痛すぎて吐き気と眩暈がする。ああ、本当に痛い。髪を毟って、頭皮を裂いて、頭蓋骨をかち割って、脳みそを直接掻き回したい。
ああ、投げ出したい。請け負うんじゃなかった。こんなに辛いなら投げ出したい。
幻糸を切るか喉を掻っ切ればラクになるかもしれない。
危険な考えが浮かぶ。消さなきゃ。意識が乱れる。集中できない。
巨人の領域に入る。途端、石像のごとく固まっていたフレースヴェルグが動いた。
鋼の、鉄柱のように太い鋼の腕が放たれる。
それはまるで弓のように。強靭にして強力な四つの拳が一斉に迫ってくる。
あたったら死ぬ。避けないと。アキトが死ぬ。避けられない。アキトが壊れる。間に合わない。壊れればラクなる。ムリだ。痛みから解放される。なんて魅力的。
――なら、このまま受け入れようか。
そこまで思考が進むと、視界の端にリノアの顔が映った。
「……なんて顔。今にも死にそうなツラじゃない」
苦悶に、度し難い苦悶に耐える顔。
そんなのに負けるの、あたしは? そんなのにアキトを潰させようと思ったの?
美咲は頬を吊り上げた。
「なめんじゃないわよ――」
死んだ魚のような目に燈る炎。それは荒々(あらあら)しく、生命力に満ちた光。
蘇った意思の炎は、一瞬にして美咲の全身に飛び火した。
「あたしさあ―――負けるのが大っ嫌いなのよね!!」
叫ぶと上げる幻糸の質。底の見えない情報量が噴出し、津波のように押し寄せる。
――約束――
あの女は約束を守るために家を出た。
どんな約束かは知らない。守れたかどうかさえわからない。
けれど――けれどそのために命をかけたのは、わかっている。
その娘たるあたしが、こんな約束一つも守れないでどうするのか――!!
「天才の娘、舐めんじゃないわよォォォォォッッッ!!」
遅れた分を取り戻すため、片っ端から処理を始める美咲。
迫り来る右の拳の一つは首を傾げさせて避け、左の拳の一つを右手で払い、もう一つの拳は半身をずらして回避。そして最後の右の拳を跳躍してかわした。
『アキト、お膳立てはしてやったわよ!!』
ガッツポーズを取り、美咲は気を失った。
『アキト、お膳立てはしてやったわよ!!』
その言葉が終わると戻る身体の自由。宙にいるアキトは、落下の開始と同時に『騎兵槍』使用のための演算処理を終えた。
「あとは任せてください!」
聞えてはいない。わかっていたが、アキトは敬愛する主人に感謝を込めて言った。
そして、術の行使に入る。
「我が左腕に宿るは幸運の四葉。我が右腕に宿りしは回帰の伍葉」
――フレースヴェルグさん。あなたはすごい人形です。
落下地点、拳を突き出したまま停止した鋼の巨人を見てアキトは思う。
皮膚が溶け、駆動装置が壊れ、装甲が割れ、コードが切れ、オイルが漏れ、中核が役目を果たさなくなっても、主に従い続けた人形。まさに人形の鏡だ。
もしもここに心無い傀儡師がいたら、ただ簡易掌握しているだけだ、と笑うだろう。
たしかに、その通りだ。傀儡は物を操作する術。原型さえ保っていれば、動く。
けれど、ここまで壊れてなお、原型を保ち続けたのはフレースヴェルグの力だ。
装甲に亀裂が入っても内部骨格を折らず、その四つの腕も一本足りとて失わなかった。
頑丈だけでは説明できない。偶然だけでは説明できない。
フレースヴェルグは、最後の最後――死して尚、主の役に立とうとしたのだ。
アキトは唇を噛む。壊したくはない。この忠実な人形を壊したくはない。
けれど、壊さなければ、リノアとフレースヴェルグを侮辱することになる。全力で戦いを挑んだ主人と人形を弄ぶことになる。
それこそが、二人を――ひいては大好きな主人を傷つけることになるのだ。
だから、アキトは己が最強の術を以て破壊する。
「還れ、還れ、還れ。全ての存在よ、生まれる前に還れ!」
両眼に紋様が現れる。電子回路にも似たそれは、古き言葉が織り成す乖離の陣。双眸より現れた術式は、頬を通り、首を通り、右肩を通り、右肘を通り、右手に行き着く。
「四つ葉の騎士アキトの名において命ずる! 騎兵槍よ、その力を振るえ!」
大規模術式の高密度行使による可視化現象。右腕に刻まれた術式の輝きが増し、開いた手のひらに闇が現れる。
フレースヴェルグの頭上へと落下するアキト。その右手が巨人の頭部に狙いを定め、
リノアが、呟いた。
「―――フレース、ヴェルグ?」
フレースヴェルグが動いた。熱源などなく、簡易掌握もされていない、完全に停止したはずのフレースヴェルがアキトに顔を向けた。
光の無い独眼を向けるフレースヴェルグ。アキトは驚き――微笑んだ。
おやすみなさい、フレースヴェルグさん。
「不幸の伍葉の騎兵槍(Der Klee von Unglück lance)!!」
闇が、巨人の体を呑み込んだ。
†
春にしては冷たい風がふく。
夜明けが近いらしい。東の空が明るくなっていた。
「――最後の術、なんでしたの?」
ポツリ、とそれまで黙っていたリノアが尋ねる。
顔は見せない。背を向けたまま、訊いてきた。
「不幸の伍葉の騎兵槍。ボクは短く『騎兵槍』って呼ぶ『盾』(ラテルン)の応用術式です。斥力場の干渉対象を分子レベルまで精密化させた術で、その繋がりを逸らす――」
「分子レベルで分解した。つまりそういうことですのね」
「……はい」
「酷い術ですこと。欠片一つ残さず分解するなんて」
リノアの言葉通り、フレースヴェルグの部品はなにも残っていない。
フレースヴェルグを呑み込んだ闇は、その全てを塵へと還したのだった。
「ごめんなさい」
「謝らないでくださいな。余計惨めになりますだけですわ」
「……ごめんなさい」
アキトがまた謝ると、リノアは肩を竦めた。
「もういいですわ。それより、わたくしはどうなるのですか?」
「どう、とは?」
「決闘に負けたのです。煮るなり焼くなり好きになさい。決闘を挑み、負けた傀儡師の扱いを、あなたなら知っているでしょう」
「全てを奪う、ですよね」
沈黙で肯定するリノア。アキトは、背中で眠る美咲の顔を見てから、言った。
「ボクはなにもいりません。主人――ミサネェも、きっとそう言います」
言葉にリノアは振り向いた。冷たい目で、アキトを睨む。
「生き恥を曝せ、と? 人形一体と未熟な傀儡師にやられ、しかも温情をかけられ生き残った、フィーラムの恥晒しとして生きろ。――つまり、そういうことですの?」
「一応、『騎士』ですから。無抵抗のヒト、女性や子供、老人に手は出しません」
それに、とアキト。彼は微笑んで続けた。
「ボクはもう、あなたからフレースヴェルグさんを奪っちゃいましたから」
「―――――」
「これ以上は、とてもじゃないけどいただけませんよ」
アキトは答え背を向ける。これ以上の会話は、溝を深めるだけ。そう判断し歩きだすと、
「……あのコは、不器用なコでしたの」
リノアは、語りを始めた。
「第6世代人形はあなたほどではないにしろ、高性能AIが搭載されてますの。ですから簡単な動作――歩行や運転、コーヒーを淹れるなどは、傀儡しなくともできますの」
穏やかに、とても穏やかに、
「でもね、あのコはそれすらもできませんでした。歩き出せば三歩も進まず転倒して、車を運転させれば真っ直ぐ走らすこともできず、コーヒーを淹れれば驚くほど不味いものを作りますの」
フレースヴェルグとの思い出を、リノアは語る。
「お父様は呆れてましたわ。『こんな能無し人形は見たことがない』。『そんなデク人形にかまうヒマがあったら、ガンナーを完成させろ』とも言いました」
「……………」
「わたくしは悔しかった。時間を作っては、あのコを調整し、プログラムを組みなおしましたの。毎日毎日、寝る間も惜しんであのコを優秀な人形にしようと努力しました」
そんなある日です、とリノアは続ける。
「いつものように庭で自律歩行テストを行うと、今度は歩きもしませんでしたの。どれだけ命令しても、その場でプログラムを組みなおしても、ね。腹を立てたわたくしは、あのコを置いて屋敷に戻りましたの。そのときはもう、廃棄しようと思ったのですが――やはり気になりまして、陽が落ちたころに迎えに行きましたの。そしたらあのコ、動いていましたわ。一歩進み、進路先のタンポポを掘り出して、踏まない場所に埋めなおし、それからようやく次の一歩を進む。それを繰り返して、わたくしの屋敷を目指していましたの」
クスクスとリノアは失笑を漏らした。
「おかしい、ですわよね。花を踏むな、そんな――そんな命令、してません、のに」
鼻詰まりの入りだす声。アキトは止めていた足を進ませる。
「怨――み、ひっく、ますわ、ッ、よ」
嗚咽を含むリノアの言葉は、どこまでも後悔に満ちていた。
「あの、っ、コの……コー、ひっく、ヒー……が――ふぇ――飲め、ない、こと……を」
アキトはなにも言わず、その場から去った。
†
「んあ……」
小さな振動とたしかなぬくもりを感じて、美咲は目を覚ました。
「……ここ、は……?」
「あ、起こしちゃいましたか」
近くでするアキトの声。顔を持ち上げた美咲は、眩しさのあまり目を細める。
「た、太陽?」
「もう朝ですね。今日はいい天気ですよ〰〰」
「アキト……? あんたどこに――って、うわっ!」
そこで完全に目を覚ます。美咲はアキトにおんぶされていることに気づいた。
「ちょ、ちょっと! これどういうこと!? あたしたちは――」
「勝ちました」
簡潔な言葉。しかし、それが一番重要な情報だった。
「――そう。勝ったんだ、あたしたち」
「はい。いま帰宅途中です」
「そう」
美咲はほっと息をつくと、クテン、とアキトの肩に頭を預けた。
「なんか、すっごく疲れた……」
「色々とありましたからね」
色々、本当に色々あった。
美琴が消えて、探し回って、電話して、知らなかったことを聞かされて、拉致されて、助けられて、アキトが暴れて、それを止めて、契約して、リノアと闘って――って、
「そうだ。アキト、あんた美琴知らない?」
「ミコネェですか? ミサネェを助けに行く前に家に送り届けましたよ」
聞いて、美咲は安堵の息をついた。
「よかった……」
「あっ、ミコネェが起きたときに、家に誰もいないのはまずいですね。――ウォルフ、ファルケ」
呼ぶとアキトの隣にくるウォルフと、その背に乗るファルケ。
どうやら背後を歩いていたらしい二匹に、アキトは命じようとし、
「? どうしたの?」
「あの、帰っても、いいんですよね? あの命令は、取り消しでいいんですよね」
向けてくるのは不安げな顔。美咲は雨の日の命令を思い出した。
「……じゃなきゃ、帰れないじゃないのよ。ほら、とっとと行かせなさい。――命令よ」
ぱぁ、と顔を明るくさせるアキト。彼はうれしそうに命令した。
「急いでクドウの家に行って。ついたら寝てていいから」
ウォルフとファルケもうれしそうに一鳴きすると走り、飛んだ。
それを見届けると、二人の間に沈黙が降りた。
「……………」
「……………」
静かな帰宅。白金の脚甲が軽快にアスファルトを叩く中、美咲はふと疑問を思い出した。
「そう言えばあんた、どうしてあのこと知ってたの?」
「あのこと、ですか?」
「あのことよ、あのこと。あたしが七年間ずっと傀儡を続けてきた、ってこと」
そのことですか〰〰、と喜びの余韻に浸ったままのアキト。さらりと言った。
「ミサネェがいつも使ってる工房、あれカメラがついてるんですよ」
「――――――は?」
「ですから、カメラです。ビデオカメラ。それで撮ったビデオを、定期的に送ってもらってたんです。知りませんでしたか?」
ほとんど隠しカメラですからね〰〰、とアキトは苦笑する。
「ちょ、ちょっと待って? 送ってた、って誰が!?」
「キョウシロウさんとキョーコさんですよ」
お父さんはいいとして、工藤恭子――あの女狐……!!
おーほっほっほっほっ、と高笑いする恭子の姿が目に浮かび、美咲は頬を痙攣させた。
「お母さんいつも見てましたよ〰〰。『幻糸の精製が甘い』とか『浸透率が低すぎる』とか『それでもあんたはあたしの娘か』とか言ってました」
「……全部小言じゃないの」
「人前だと素直になれないだけですよ。現に、一人でミサネェからの手紙を読んでるときは、頬が緩みっぱなしでしたもん」
「―――ごめん。も一つ質問」
「なんですか?」
「手紙、届いてたの? 恭子さんが燃やしてたんじゃないの?」
ああ、それですか。とアキトは事の詳細を教えてくれた。
「国際便は遺失が多いんですよ。ですから確実に届けるために、ミサネェが手紙を投函したら、そのまま海外に行く――と見せかけて国内の私書箱に配達。定期的にキョーコさんが取り出して、中の文面を書き直して、改めて持って行ったんです」
「そ、そんなことできるの?」
「助っ人を頼んだらしいですよ。たしかイヨっていう日本のファミリーのボスに直接頼んだそうです」
伊予――伊予組、伊予雅史。あんの妖怪スケベジジイまでグルか……!!
騙されていたことに、美咲の怒りのボルテージが急上昇し――しぼんだ。
「……はあ。なんかもー、むなしい。あたしゃピエロですか……」
ここでため息をまたひとつ。今日――いや、日付が変わっているので昨日からのゴタゴタは、怒る力さえ奪ったようだ。
ぐったりと体をアキトに預けながら、それにしても、と美咲は漏らした。
「文面を書き写す、ってどうしてそんな面倒なことを……」
「お母さん、そのころには目がだいぶ見えなくなってましたから」
「―――――」
「発作的に視力が極端に下がるんですよ。見えない時間が長くなってましたから、点字にしてもらってたんです」
途切れる言葉のキャッチボール。
しばらく沈黙が続き、美咲はそれを破るのに、かなりの労力を必要とした。
「――ねえ」
「なんですか?」
「あ――あの女って、どういう人だった」
アキトの歩みが止まる。しかし、すぐに再開させると、ポツリポツリと語り始めた。
「……お母さんは、不器用なヒトでした。なんでもできるのに、不器用なヒトでした」
「不器用な人?」
「はい。多くの傀儡師が困難とすることをあっさりやったかと思えば、ミサネェへの手紙の返事を書くか書かないかでずっと迷ったり、キョウシロウさんのお葬式にでなかったのに、骨をお墓に埋葬したって聞くと、その日のうちに飛んで帰る。――そんなヒトでした」
新たな事実に美咲は唖然とし、やがて擦れた声で呟いた。
「―――どうして」
ぎゅっ、とアキトの肩を掴んで、続ける。
「どうしてそんなことで迷うのよ、どうしてそんなくだらないことするのよ……」
――堤防に亀裂が入る。
「悩むんだったら書けばいいじゃない……悲しいなら帰ってくればいいじゃない! どうしてそんなことがわからなかったのよ!!」
「――約束、があったからでしょうね」
アキトがポツリと言う。
「約束を守ることができなくて、とんでもなく遅れてしまうことがわかってて、どんな顔をして会えばいいかわからなかったんでしょうね」
約束。恭子も言っていた。約束があると。
「あんた、知ってんの!?」
――お願いします、ミサ姉さま!――
「知ってますよ」
――誰が姉さまか!!――
「教えて! いえ、教えなさい!! あの女が守ろうとした約束ってなに!? あの女がそこまでして守ろうとした約束ってなんなの!? それは守れたの!?」
――そうじゃなくて、どうして『姉』なのよ!?――
「はい。守れましたよ」
――ならミサキ姉さま。あっ、ミサネェさまのほうがしっくりきますね――
「だからボクはここにいます。――お姉ちゃん」
――? ミサネェさまはミサネェさまですよ?――
「―――――」
フラッシュバックする記憶。幼いころ、はじめて傀儡ができたときのことだ。
なにか一つ願いを叶えてあげると言われ美咲は、
『あたしね、おとーとが欲しいの!』
「そう、そうだったの……」
ポタリ、と落ちる雫。美咲の頬をつたる涙が、アキトの肩を濡らす。
「バカよ、ホント、バカよお……」
あんな子供の口約束を守るために、家を捨てて。
亀裂が広がり、
あんな子供の口約束を守るために、大好きな人を捨てて。
七年間も水を溜めた堤防が意味をなさなくなり、
あんな子供の口約束を守るために、命を捨てて。
「不器用すぎるわよ! あたしも、あの女も!!」
堤防そのものが崩れた。
「はい。ホントですね」
暁に響く嗚咽。七年分の涙がとめどなく流れ出し、その思いもまた同じく。
「ミサネェ。不出来な弟ですけど、これからもよろしくお願いします」
美咲は泣きながらうなずいた。
何度も、何度も。うなずいた。