第四章 探求者の求めたもの
ふたりで生きる。
心に誓ったのは、父の葬儀が終わったときだ。
父の死因は薬物中毒者の放った凶弾。即死ではなかったが、助かる見込みもなかった。
それでも父は戦った。勝ち目のない、苦しいだけの死闘を一週間も続け――死んだ。
引き取り手がなかったわけではない。
ボディガードをなりわいとしていた父だが、ほかにも色々とやっていたらしい。葬儀に訪れた政治家、傭兵、弁護士、学者、警察署長、一等陸佐などが声をかけてくれた。
でも、断った。
理由は簡単。家を離れなければ、ならなかったからだ。
それでもまだ、子供だった自分が自立するには、法的に無理だったので、父の妹である恭子さんに後見人なってもらった。
「あんまり家に居られないけど、いいの?」
それでいい、と自分は言った。むしろ、それがよかった。
恭子さんには悪いけど――あの人は他人だ。他人に家をうろちょろされたくはなかった。
だから自分は、泣きじゃくる妹を抱きしめながら恭子さんを後見人に選んだのである。
ふたりで生きるのだ。
誰の世話にもならず、誰にも守られず、ふたり力を合わせて生きていくのだ。
†
出会いは犯罪的と言えた。
リビングで見知らぬ外人とばったり遭遇。それが美琴とアキトとの出会いだった。
「ぼ、ボクは怪しいヒトじゃありません!」
怪しい人定番のセリフだった。しかも青い目をした外人で、どことなく人形っぽいヒトだったので、怪しさは三倍だった。
すぐに美琴が警察に通報しなかったのは、興味を覚えたから。堅牢なはずの家のセキュリティを破った外人は、物色もせずにリビングの壁にかけられた写真――恭史郎と美咲と美琴が映っている写真を、どこか寂しげに眺めていたのだ。
「あ、あのですね。ボクは今日からここで働かせてもらうことになったしもべでして――あ、名前はアキト・ユル・アイデって言うんですけど」
外人はあたふたとしながら、自分は使用人だと言った。
詭弁にしか聞えない説明を信じたのは、美琴自身よくわからなかった。外人――アキトになぜか親近感を覚え、信用した。その理由がパパに似ていると気づいたのは、最近だ。
それに、そのときの美琴はそれどころではなかった。
昼食を食べていなかった。この前の遠足の雨天決行日だったので給食がない日で、姉にそれを伝え忘れていたため、ごはんを食べ損ねた美琴は、かなりおなかが空いていたのだ。
「あ、なんでも言ってくださいね。家事全般できますから」
タイムリーだと美琴は思った。思ったので、ごはんを頼んだら作り出すのはハンバーグ。
大好きだった。思い出だった。パパの得意料理がハンバーグだったのだ。
けど、お姉ちゃんのハンバーグは嫌いだった。焼け過ぎか、半焼け。どっちかしかない。
そして料理途中で姉の美咲が帰ってきて、雇う雇わないでドタバタした。
父親が大好きだった美咲は、入れるのをイヤがっていたが、美琴はうれしかった。
ハンバーグは、父の作るのと同じ味がした。
それだけで、美琴はアキトを気に入ったのだ。
トントント――トトン、トン?
リズムの悪い、疑問符のついた音がキッチンから聞こえて、美琴は目を覚ました。
「……?」
低血圧な頭を持ち上げた美琴は、寝惚け眼で辺りを見渡す。
朝日を通す窓ガラス。フローリングの床。大きなテーブル。
美琴は姉の帰りをリビングで待っていたことを思い出し、少し違和を感じた。
「……なんだろ?」
考えみるが、わからない。すぐに諦めた美琴は、ベッド代わりにしていたソファーから降りると、ふわ…っとあくびをひとつする。そして覚束無い足取りで、キッチンに入った。
「……おはよ」
「おはよ」
あくびをしたまま、美琴は固まった。
台所で朝ごはんを作っていたのはアキトではなく、姉の美咲だったからだ。
「おなか減ったでしょ。もうすぐできるから待っててね」
ニコリと笑う美咲。いつもと違う、穏やかなその笑顔に美琴は気圧されてしまった。
そのことに関して、美琴自身が不思議に思っていると、美咲がうれしそうに言う。
「これ、美琴が選んでくれたんでしょ?」
美咲は左手首を見せた。薄い青のリストバンド。美琴が選んだプレゼントだった。
「ありがと。うれしいわ」
言って、美咲は美琴の頭を撫でる。
「……うん」
美琴は照れた様子で視線を彷徨わせた。と、姉の後ろ――コンロを見て違和感を受けた。
あるものがなくて、ないものがある感覚。不思議に思っていると、その正体に気づいた。
「……カレーは?」
そう、カレーだった。アキトと共に作ったカレーの入った大鍋が無いのだ。
美琴の疑問を聞いた美咲は、ニコニコ顔のまま、
「捨てたわ」
「………え?」
信じられない説明を受けて、美琴は訊き返した。
「ど、どうして?」
「だって朝からカレーなんて食べないでしょ。だから捨てたの」
「で、でも前にカレーを作ったとき、一週間三食カレーだった……」
「カレーがいいの? それなら作ってあげようか?」
一瞬、怒っているのかと思ったが、違う。姉の顔は心からそう思っているものだった。
「う、ううん。なら、いい……」
「そう。なら席についてなさい。もうすぐできるわよ」
「う、うん……」
ぎくしゃくとうなずいた美琴は、テーブルへと向かう。
サラダとトーストと牛乳が置かれた食卓に座ると、感じてた違和感に気づいた。
ケーキがない。フライドチキンがない。飾りつけがない。
部屋に付けた飾りつけはぜんぶ外されていて、テーブルの上には簡素な朝食。昨日、あれだけがんばって準備したパーティーの面影は、どこにもなかった。
呆然と部屋を見渡す美琴。ふと、その瞳がある一点で止まり、大きく見開いた。
「……お姉ちゃん……これ」
見つめる一点に歩み寄った美琴が拾い上げたのは、細長い小箱。包装を解きもせず、グシャグシャに潰され、ゴミ箱に捨てられていた。
美咲はあっけらかんとした様子で言う。
「それはいらないわ。そこに捨てといて」
「……アキトのプレゼントだよ?」
「知ってる。だからいらないの」
厚手の玉子焼きを切りながら、美咲は笑った。
美琴は、生まれて初めて姉が怖いと思った。
「あいつったら、あたしをあの女と重ねてたのかしら。バカよね」
初めて目の当たりにする陰湿な嘲笑。見たこともない姉の様子に、恐怖を掻き立てられた美琴は、助けを求めて走りだす。
「ちょっと。もうできるわよ!」
「いらない!」
即答した美琴は駆け足でリビングを出る。廊下を突っ切り、アキトの部屋へと向かう。
「アキト!」
襖を開けた美琴が見たのは、誰もいない部屋。
壁には見慣れたスーツがかけられ、床にはウォルフ専用の器があるが――誰もいない。
涙ぐんだ美琴は、同室に住んでいる二匹の名を呼ぶ。
「ウォルちゃん! ファルちゃん!」
工藤家全体に響きわたるような声。狼と鷹は、いつまでたっても現れなかった。
「――アキトならいないわよ」
振り返ると、姉が立っていた。美琴は一歩、後退りする。
「ウォルフも、ファルケもね」
「どうして!?」
鼻を啜りながら美琴が訊くと、
「いらないから」
美咲はあっさりと言った。
「必要ないから雇うのやめたの。だからもういないのよ」
「そんな……」
泣き出してしまう美琴。美咲は困ったような笑顔をした。
「泣かないの。今までずっとふたりで暮してきたじゃないの。別にいいでしょ」
ぶんぶんと美琴は首を横に振る。
ため息を吐いた美咲は、部屋を見渡すと呟いた。
「片付けなきゃダメよね」
「……えっ?」
「だって、こんなのがあるから美琴泣いちゃうもの」
言って美咲は底の浅い器を拾い上げると、ゴミ箱に捨てる。
「美琴も手伝ってね。全部捨てれば、忘れられるわよ」
微笑む姉は次々とアキトたちの持ち物を捨てていく。笑顔のままで、捨てていく。
美琴は美咲が大好きだった。家事と勉強に追われても、いつでも気を使ってくれる姉が。
美琴は美咲を尊敬していた。父が死んだときも、涙一つ流さず抱きしめてくれた姉が。
けれど、今は嫌いだった。美琴の大切なものを次々と捨てていく姉は、大っ嫌いだった。
だから美琴は、生まれて初めてこの言葉を美咲にぶつけた。
「お姉ちゃんのバカ!!」
叫んだ美琴は姉を突き飛ばして部屋から飛び出した。
「美琴!」
慌てた美咲が部屋を出ると、戸の開いた玄関が見えた。
†
アキトは夢を見ていた。
体がバラバラになり、感覚がバラバラになり、意識だけが浮遊する夢。だがこれは厳密的にいえば夢ではない。創造力を持たないアキトの見るそれは、過去の現実だ。
そこは地下室だった。薄暗く、音のない地下の工房。
工具、書物、義肢、人形などが散ばる工房の中心で彼女がいた。
腰まで届く栗色の髪。しなやかに動く細くて長い指。気高さを宿した鳶色の瞳。
工藤美紀恵。アキトの作り手であり、美咲の母であり、傀儡師である女性だ。
単色陣の中、力ある本を片手に詠唱していた彼女は、唐突に膝を崩す。
ガラクタの上に倒れこんだ美紀恵は、激しく咳き込んだ。
アキトは咄嗟に近寄ろうとするが、できない。出力装置がないからだ。
咳き込んでいた美紀恵が立ち上がる。
緩慢な動作で単色陣の中心に戻ると、再び詠唱を始めた。
美咲に似ていると思った。外見だけでなく、集中したときの瞳の色。よく似ている。
見惚れていると、詠唱が止む。作業が終わったらしい。陣から出た美紀恵は、皮も肉もないアキトの頬を撫でた。
「もうすぐよ。もうすぐ、あなたに体をプレゼントできるわ」
美紀恵が幻糸を切った。
場面が変わる。
「誰よ、あんた?」
美紀恵がアキトを傀儡しながら言う。
険しい顔は、工房の入り口に立つ銀髪の女性に向けていた。
「ノックならしたわよ」
「入室を許可した覚えはないわね。出てってくれる?」
銀髪の女は従わず、アキトに近寄る。
「これがあなたの人形?」
顔を覗きこまれたアキトは、なにも言えない。
まだ駆動装置さえ取り付けられていない彼に、発声装置などついていなかったからだ。
代わりに美紀恵が喧嘩腰に答えた。
「だったらなんなのよ」
「大したものね。こんな人形、初めて見たわ。完成は一〇〇年後かしら?」
痛い所を衝かれて美紀恵の顔が苦くなる。銀髪の女はアキトに触れると、呟いた。
「イクシルを使ってるの? でもこのままだと暴走するわよ。足りないのは――色々あるわね。それにこのスペースに入れるのは空気圧駆動装置? だったらやめたほうがいいわよ。出力が低すぎるもの。でもそうすると、冷却液がこれじゃダメになるわね」
「余計な――!!」
「完成させたくない?」
怒声を遮った銀髪の女は、A4紙の束を美紀恵に投げ渡す。
受け取った美紀恵は、警戒しながらもその文面に視線を下ろすと目を大きく見開いた。
「これは……」
「マギノイドプロジェクト。あなたにこれができる?」
「――あたしの言う設備と材料と人材、用意できる?」
「それが必要なら。――どう、話だけでも聞いてみない?」
しばらく黙り込んだのち、美紀恵はうなずいた。
場面が変わる。
「正気か、ミキエ!」
真っ白な部屋で巨漢の大男が怒鳴った。
「たしかに貴女は天才だ。【探求者】の異名を持つだけのことはある。しかしだ、貴女は傀儡師だぞ! 錬金術師でもなければ複製師でもない! こんなデタラメな複合術式、誰だろうと不可能だ!!」
「理論上は充分可能よ。安心して、代償はあたしだけにくるから」
「……どうしてそこまで――今度は腕が腐り落ちる程度ではすまないぞ……!!」
「約束したから」
失った右腕の付け根を撫でながら、美紀恵は言った。
「カルゲ、あなたの力が必要なの。このコにはあなたの作る水銀が必要なの。協力して」
「――くだらない。こんなバカげたことに意味など無い」
「わかっていても試さずにはいられない。それが人間よ」
「早退させてもらう」
去っていく巨漢の男に、美紀恵は微笑んだ。
「よろしくね」
場面が変わる。
「ええ。必要なのはデータだけ。契約通り、Yr-03はあなたの所有物よ」
ベッドの上、無数の医療機器に繋がられ横になった美紀恵に、銀髪の女は言う。
「けど、大したものね。まさかこんな短期間で本当に完成させるなんて」
「約束を守る女なのよ、あたしは」
「手足どころか、内臓の大半まで失ったけどね」
言葉を、美紀恵は鼻で笑って弾いた。
「あたしゃ今世紀最高の傀儡師【探求者】よ」
「異能力者は狂人とはよく言ったものね。それでどうするの、彼?」
美紀恵は、微笑んだ。
「居るべき場所に行かせるの――約束を果たすために、ね」
場面が変わる。
最近のデータだ。美咲に逃げられたあとのデータ。
工藤家の前まできたアキトがチャイムを押す。間延びした音が響く。
反応は無い。誰もいないらしい。
赤外線センサーを使って確認すると、塀を飛び越えた。
敷地内には精神干渉型の結界が張られていたが、人形のアキトには通じない。音もなく庭に着地したアキトは、セキュリティをハッキングして玄関を開けると工藤家に入った。
どこか変。部屋を見て回るうちに、アキトは違和感を覚えた。
残り五室、四室、三室、と続くうちに、それは強まった。
そして、母の使っていた部屋に入ったとき、その正体がわかった。
母の写真が一枚もない。母の部屋も、母の物も、なにもない。
アキトは理解した。母の残滓はとうの昔に消えたのだ、と。
アキトは薄暗い場所で目覚めた。
そこは狭く、湿った場所――穴倉だ。
「雨は止んだみたいだけど……敵はどうかな?」
呟くと穴倉から頭を出し、周囲の情報を集める。
熱源――なし。人影――なし。幻糸――なし。
誰もいないことを確認して、アキトは穴倉から這い出た。
「ようやく、見失ってくれたんだ……」
土を払い落しながら、吐息をつく。昨日、工藤家を解雇されたときから、アキトは複数の人形につけられていた。尾行されていることに気づいた彼は、雑木林に入ると穴を掘り、中にすっぽりと隠れてやり過ごそうと考え実行し、それは見事に成功したのだが、
「……寝過ぎちゃいました」
空を見上げればすでに茜色。時刻は四時を過ぎていた。
スリープモードに移行したのが昨日の十九時なので、十九時間も寝ていたことになる。
「危なかったぁ。【指揮者】さんに見つかってたら、簡単に捕獲されてましたね」
ひとり、呟いたアキトは、穴倉にしまったトランクを取り出そうとする。
取っ手を掴み、片手で持ち上げようとして、
「……うぐ」
胸が痛むと演算能力が奪われる。姿勢制御にエラーが起こり、ふらついてしまった。
「いけない……もう、時間が……」
木に背を預けたアキトは、そっと唇を押しのけ、上歯をなぞる。
乱れなく並ぶ歯の中で、二本だけ伸びる鋭利な犬歯。先日より明らかに伸びていることに気づくと、触れるのをやめた。
しばらく、その場で体を休めていると、聴覚センサが近づいてくる音を拾う。
土を踏む音と荒い呼吸。――ヒット。ウォルフのものだとわかった。
「どうしたの、ウォルフ?」
現れたウォルフにアキトが訊いた。
ハイイロオオカミは「うぉふ!」と一鳴きすると袖を噛み、きた道へと引っ張った。
「ミコネェになにかあったのかな?」
リノアの一件もあり、美咲にはファルケを、美琴にはウォルフをつけていた。
ミコネェに干渉してきたのかな?
思ったアキトが、引かれるまま歩き出すと、
「――発見!」
ドン、と小さな質量が背中にぶつかった。
――どうして背後から?
バランスが悪い状態で押されたアキトは、きた道とその反対の道を不思議そうに、何度も交互に見るウォルフを視界に入れながら倒れた。
「アキトアキトアキトアキトアキトアキトアキト………!!」
連呼しつつぎゅ〰〰と抱きしめてきたのは、美琴だった。
「ど、どうしたの、ミコネェ?」
顔から地面にダイブしたアキトは、頭だけを振り返らして美琴を見る。
驚いた。
変化に乏しい美琴の顔が、涙と鼻水でぐちゃぐちゃになっていた。しかも服は泥だらけで、昨日から着ていたもの。そしてなぜか靴を履いていなかった。
「と、とりあえず、顔を拭きましょう。すこし離れてもらっていいですか?」
うなずいた美琴が背から離れる。アキトはうつ伏せの状態から座り込むように姿勢を変えると、ハンカチを取り出して少女の顔を拭った。
「――これでよしっと。キレイになりました。それで、どう」
またもや飛びつかれてアキトは言葉を切ってしまう。
今度は倒れなかったが、首をぎゅ〰〰〰と絞められた。
「ミ――コ、ネェ……苦しく……は、ないけど……やめて、欲し――い」
「ヤっ!!」
叫んで、美琴は更に力を篭めた。
「ヤなのっ! もうヤなの!! いなくなるのヤなのっ!!」
言い終えるとまた泣き出す。
「いやだよぉ……パパみたいにいなくなるの……ひく……いやだよぉ…」
泣きじゃくる美琴の頭を撫でると、アキトは首を横に振った。
「ごめんなさい。もうムリなんです」
「どう、ヒック…して……?」
「ミサネェに嫌われちゃったから。顔を見せちゃいけないから。だから、帰れません」
「やぁ…なの……。みんな、ック…いっしょなの……」
「けど――」
「かえ、ヒク、ろう……。おうちに、ふぁ、かえろうよぉ…」
「……………」
「…ねっ……グス…みんなで、帰ろう……めい――グス…れい、なの…」
アキトは答えず、美琴の頭を撫で続けた。
†
「――そうですか、ありがとうございます。―――はい。見つけたら連絡をお願いします」
頭を下げながら、美咲は電話を切る。
美琴が家を飛び出したのが八時間前。即座に続いた美咲だったが美琴の影さえ確認できず、帰ってきているのでは、と儚い希望に縋り付くものの裏切られたのが二時間前。
以後、美琴の友人宅に片っ端から電話をかけるという作戦に出たが、成果はなかった。
「どこ行ったのよ……美琴」
電話機の前、落ち着かずうろうろとしながら美咲は呟いた。
もしも美琴になにかあったら。たとえば、交通事故とかにあっていたら……。
想像しただけで、美咲の顔が青くなる。
こうしちゃいられない。待っているだけなんて性に合わない。美咲はもう一度外を探そうと思ったとき、電話が鳴った。
「はい! もしもし――!!」
『一日遅れのはっぴばーすでー♪』
即座に切った。数秒の沈黙ののち、また鳴り出す。
ため息をついて、美咲は受話器を取った。
『いきなり切るって、いくらなんでも酷くない?』
「いまそれどころじゃないんです。あとにしてください!」
『おや、ご機嫌斜めですか。んじゃアキト呼んで。あいつに話があんの』
「いませんよ」
『買い物かなんか? だったいつくらいに戻るか――』
「戻りませんよ。もう二度と」
感情の消えた声。そこに至り、恭子は美咲の様子がおかしいことに気づいた。
『……なんかあったの?』
「――知ってたんですよね、恭子さん。あいつがあの女に作られたって」
『………そっか。バレちまったのかい』
陽気を消した恭子は、美咲のとった行動を言い当てた。
『んで、美咲はアキトを追い払ったっと』
「そうです。あの女の作ったガラクタなんていらないですから」
『まだ怨んでるのかい、美紀恵のこと?』
質問に、美咲の頬が憎々しげに歪んだ。
「当然です! お父さんと美琴を捨てたあんな女を許すなんて―――!!」
『じゃあさ、なんで傀儡の鍛錬なんて続けてるの?』
「そ、それは……」
美咲は返答に窮した。
あの女から教わった傀儡の術。それを未だに続ける理由が、見当たらなかったからだ。
「あ、あれは趣味みたいなものだから……」
やっとの思いで探し当てた理由を口にする。受話器の向こうで恭子が鼻で笑った。
『趣味、ねぇ。そりゃそうか。美紀恵とあんたを繋ぐ唯一の術が、傀儡だもんね』
「あの女のことは関係ありません!」
『でももう、美紀恵は帰ってこないよ』
淡々(たんたん)とした口調で、恭子はもう一度言う。
『美紀恵とは会えない。美紀恵は、もうお空のお星様になったからね。知ってるんだろ?』
「え―――ええ! 当然の結果ですよね、清々(せいせい)しました!」
無理に嘲りの声を出した美咲は、鼻で笑おうとして失敗した。
『ふーん。ならさ、美紀恵の死因の一つがガンだったてのは?』
「へ、へえ。そうなんですか」
『んじゃ、家を出るときには手遅れだった、てのは?』
「――――え?」
美咲の顔が凍りついた。
『なんだ、アキトから聞いてなかったのかい? 美紀恵は先が長くないって知ってたから、残されるあんたらのためにアキトを作った、って話』
「………うそ」
一言、擦れた声を漏らすと、美咲の顔に温度が戻った。
瞳を揺らし、顔を手で押さえながらブツブツと呟く。
「うそ――ウソよ。だってあの女は、あたしたちのことなんてどうでもよくて……。だ、だからお父さんを捨てて、手紙出したのに、返事だってくれなくて……」
『手紙ならオレが捨てたよ』
「えっ?」
その言葉の意味がすぐにはわからなくて、美咲はきょとんとした。
「捨てた……恭子さんが?」
『あれの宛先って、オレのセーフハウスの一つなんだよね』
「で、でも、お父さんはここに送れば届くって……」
『たしかに届けられるさ。あたしだけが美紀恵の居場所を知ってたからね。でも、捨てたよ。一枚残さずに焼却処理。いや、そんとき作ったジャガバターは切ない味がしたねぇ』
「な、なんでよ!!」
目上の者への礼儀も忘れて美咲が怒鳴った。
「どうして燃やしたの! どうして届けてくれなかったの! どうして――!!」
『美紀恵の邪魔をしたくなかったから』
シンプルな答えには、自らの行為に対する非を、一片も抱いていなかった。
『美紀恵――【探求者】は命をかけて人形作りに取りかかってた。抗癌物質でガンを抑えて、それでも衰える体は傀儡で無理やり動かして、一心不乱に人形を作ってた。だから邪魔になる手紙は渡さなかった』
「―――どうして」
母が去った理由を知り、美咲はこぶしを震わした。
「どうして、そこまでして……」
人形などいらなかった。母がとなりに居てさえくれればよかった。
いくらガンだったとはいえ、ちゃんと治療を受けて――ダメでもホスピスにでも入ればまだ生きていられたのに。
どうして、と思っていると、恭子は言った。
『心配と迷惑と約束』
「………えっ?」
『美紀恵の言ったことだよ』
恭子は『心配』と『迷惑』を説明した。
『心配はあんたらを置いて先に行くこと。んで、迷惑は寝たきりな上に術まで使えないなんていう、お荷物にはなりたくないからだって』
美咲は瞬時に理解した。
術は魂と精神と肉体で行うもの。魂は力の根源であり、精神は術式の組み立てを行う。そして肉体は、力と術式を融合させて、世界に干渉するものだ。
力に術式を定着化させるには、脳を筆頭に五臓六腑すべてに通す必要があった。だから、手術などで内蔵を切ってしまうと、術の効力が落ちてしまい――最悪、術そのものが行使できなくなる恐れがあるのだ。
美咲は、最後の『約束』について尋ねる。
「それが迷惑――なら、約束は……」
『知らない。いくら訊いても、美紀恵は最後の最後まで教えてくれなかった』
でも、と恭子。
『よほど大切なものだったんだろうね。期日は過ぎてるけど、絶対守るって意気込んでた』
「そう……」
美咲が肩を落とす。なにも知らずにただ憎んでた自分が許せなくて、でもまだあの女への憎しみは残っていて、それらがドロドロと混ざり、矛盾した感情を作り上げる。
悲しみながら憎む。あの女を怒りながら自分にも怒り、許しているのに許していない。
わけがわからない。
美咲が無言で唇を噛み締めていると、恭子が訊いてきた。
『アキトはどうする?』
「……アキト?」
『アキトが美紀恵の遺産だって知ってるんでしょ。どうするの? いるの、いらないの? いらないんだったら、すぐにでも壊しに行くよ。あいつは危険過ぎる』
「こ、壊すって」
『時間がないんだよ。事が起こってからじゃ遅いんだ。いるんだったらすぐに契約しな。じゃなきゃ壊すよ。――で、どっちだい?』
「それは……」
返事に迷っていると、電話が切れた。
「あ、あれ?」
かけ直しても繋がらない。それどころか、受話器からはなんの音もしていなかった。
「回線が切れたの? でも、どうして……」
「――こんにちは、ミス・クドウ」
玄関からのあいさつ。顔を向けると、そこには目の赤いリノアとその人形がいた。
「ちょ、なに勝手に入ってきてるのよ!」
リノアはムスっとした顔で美咲の怒声を受け流すと、指輪だらけの指を揺らした。
「少々(しょうしょう)事態が変わったようなので、実力行使をさせてもらいます」
飛び掛ってくる黒服人形。
組み伏せられた美咲はなおも抵抗したが、口に布をあてられると急激な眠気に襲われた。
……美琴……アキト……ごめんね……
言葉が出ることはなく、意識は闇の底へと沈んで行った。
†
消えろ―――――――――主人の前から姿を消す。
解約よ―――――――――仮契約の解除。
顔なんて見たくもない――顔を見せるな。
――以上が、あの雨の日に美咲が叫んだ命令の内容だった。
主人の命令は絶対だ。逆らうことはできない。たとえ解約されているとしても、主人設定は美咲のままだから、逆らえない。
だからアキトは逆らわなければいい、と考えた。
みんなで帰ろう――――ひとりと二匹と一体でクドウの家に行く。
この命令を実行させるために必要なのは、美咲の視界に入らないこと。それに尽きた。
「ウォルフは左右、ファルケ後方を警戒。よろしくね」
アキトが油断なく周囲を見渡しながら命令すると、先行するウォルフが「うぉん!」と鳴いて左右を確認し、呼び戻したファルケが「クァ!」と鳴いて背後を見る。
「ミサネェの姿はないよね?」
尋ねると、二匹は肯定するように鳴いた。
「よし、警戒を怠らないように」
念を押してから、アキトは歩き出す。
美琴はすでに寝ている。どうやらかなり疲れていたらしい。熟睡していた。
頬にかかる美琴の髪の感触に、アキトは目を細めて呟いた。
「……これでお別れですね」
命令はあくまでも一緒に帰ること。一緒に暮らすことではない。だから、美咲に気づかれぬよう、美琴を家まで送り届ければ、それでお別れだった。
もしも美琴が一緒に暮らす、という命令を出していたとしても、アキトはそれには従えない。この少女の命令優先順位は第三位。第二位の美咲の命令を取り消す力はなかった。
美咲の命令を取り消せられるとしたら、その方法は四つ。
一つ目は美咲自身が取り消す。二つ目はその命令を実行するにあたって、美咲及び美琴の生命に危機が生じるとアキトが判断した場合。三つ目は主人設定の解除。そして最後の四つ目は、最上位の命令優先権を持つ母――工藤美紀恵が命じた場合だった。
「お母さん、ボクももうすぐ逝きますよ」
アキトは呟く。彼は美咲たちの元に訪れる際に、監察官たる工藤恭子から言われていた。
美咲と美琴が自分を必要としない場合、破壊する。
つまり、雇われなかったらそのままスクラップ、ということだ。
アキトは、快くそれを承諾した。彼は姉妹のために作られたのだ。ふたりから必要とされなければ、存在する意味がない。
工藤の家を囲む塀がアキトの視界に入る。
「たった一週間だけど、一緒に過ごせてうれしかったです」
眠る美琴の耳元で囁き、別れを惜しむよう髪を撫でると、
「急ぎなさい。警察や八神に知られては厄介ですわ」
声紋データ検索――ヒット。リノア・グレイン・フィーラム。
アキトがそっと角から顔出す。人形がぐったりとする美咲を車に乗せるところだった。
「これでエサは撒き終えましたわ。ホームに戻りますわよ」
バタンとドアが閉まる音がして、エンジンが回転する。
咄嗟に飛び出そうとするアキトだが、美琴を背負っていること思い出し、二の足を踏む。
その間に車は走り出し、アキトは叫んだ。
「ファルケ!」
肩にとまっていたオオタカが羽を広げた。
「あの車を追い、行き先の情報を収集。第一にミサネェを連れ込んだ場所の詳細な情報、第二にミサネェに関する情報。感知されないように!」
ファルケは一鳴きすると空に羽ばたいた。
それをアキトは見届けず、今度はウォルフに命令を下した。
「ウォルフ、キミも追跡するんだ。けど、なにがあっても攻撃はダメ。目的地についたら速やかに隠れて待機するように」
ウォルフは瞳に不満の色を入れた。アキトはその頭を撫でる。
「出番は用意するよ。さあ行くんだ!」
肉食獣特有の光を瞳に宿したウォルフは、遠吠えを上げると疾走した。
「――お母さん。ちょっと寄り道してから逝きますよ」
アキトはアイスブルーの双眸を、車の去った方角へ向けた。
†
夢を見ていた。
お父さんが死んでから見ることのなくなったあの女の夢。
女はとっても大きな人形を操る。
ポニテールにした髪を揺らしながら踊り、ターンを決める。人形も女と同じ動きをした。
自分とはぜんぜん違う再現。完璧な同調。
けれど、女は納得しない。難しい顔で腕を組む。
また失敗らしい。女は難しいことをブツブツ呟くと、歩き出す。工房に行くんだろう。
――憧れだった。
かっこよくて、キレイな女に自分は憧れた。
――大好きだった。
優しくて、たくさんお話を聞かせてくれる女が大好きだった。
日々(ひび)のほとんどを工房で過ごす女はあまり構ってはくれない。
寂しかったけど、イヤじゃなかった。
次に顔を出すときはもっとすごい傀儡を見せてくれるから。
次に顔を出すときは美味しい料理をいっぱい作ってくれるから。
だから、イヤじゃなかった。
それはとてもたのしみだったから。
場面が変わる。
桜の咲く春。
女と約束した。自分と女だけの約束。
女は約束を破らないから、来年が楽しみだった。
場面が変わる。
とっても暑い夏。
外から帰ってくると女がちゅっちゅしてくれた。うれしかった。
家族が増えるわよ、と女が言った。その日はお祝いした。
場面が変わる。
葉の散る秋。
女を見なくなった。お父さんに訊くと、病院に入院したのだと言った。
女は風邪を拗らせた。だからあたしも気をつけなさいと、お父さんは言った。
場面が変わる。
雪の降る冬。
女は寝ていた。病院でたくさんの機械に繋がって寝ていた。
おとうとはニクのかたまりだった。
場面が変わる。
また春。
女が帰ってきた。笑っている。――でも悲しそう。
女が今日の料理は自信作よ、と胸を張って言った。――でも悲しそう。
女が頭を撫でてくれる。――でも悲しそう。
――――朝起きると、女はいなかった。
†
「お目覚めの気分はどうですか?」
「……サイテーよ」
それが目覚めた直後の美咲とリノアの会話だった。
ボロボロのソファーに横たわっていた美咲は、痛む頭を押さえながら体を持ち上げる。
元は高級感溢れるホテルの広間かなにかだったのだろう。
二〇畳を越える部屋の広さ。壁には巨大な風景画が飾られ、床一面に絨毯が引かれているが、所詮は過去のこと。あったであろうテーブルやイスのほとんどが撤去され、残ったそれらは傷だらけ。汚れた壁はコンクリートが剥き出しで、風景画は所々(ところどころ)が破れており、風雨に曝され続けた絨毯は、元の色がわからないほど色褪せていた。
ただの朽ち果てた廃墟。美咲は早くも我が家を恋しく思い、無理にでも帰ろうかと考えたが、すぐ諦める。壁に黒服の人形がズラリと立ち並んでいるのだ。
「んで、なんであたしをさらったの?」
軽く痛む頭を押さえながら美咲が訊く。
埃っぽいイスの上で読書をしていたリノアは、つまらなそうに答えた。
「人質以外になにがあるとお思いですの?」
「あたしはもう、あいつの主なんかじゃないわ。解約したの」
「ええ。知ってますわ。言ってましたものね」
「……なんで知ってるのよ」
「盗聴させていただきましたから」
「なっ――!!」
「涙なしでは語れない話でしたわね」
瞬間湯沸かし器の如く顔を赤くした美咲は、怒鳴ろうと口を開き――気づく。
「――あんた、もしかしてマジで泣いてた?」
かすかに充血している瞳。そっけない顔をしていたリノアの顔に朱が入った。
「フ、フロリダのグランマを思い出しただけですわ!」
「泣いたってのは否定しないのね」
「い、いいではありませんか! 涙腺が弱いのは昔からなんですもの! 全米が泣く映画を見ると涙がでるのも、しかたないことなのですッ!!」
「それは重傷ね……まあ、いいんだけどさ。どっちにしたって、あたしをラチっても――」
「Yr-03なら来ますわよ」
リノアは美咲の言葉を遮って言う。
「あの人形はあなたに執着していますから。元とはいえ、主の危機には飛んでくるでしょう」
絶対の自信が入った言葉を聞いて、美咲は自嘲的な笑みを浮かべた。
「くるもんですか。こんな性悪女を助けるわけないじゃないの」
「いいえ。来ますわ。ちゃんと地図の入った手紙を置いておきましたもの」
「こないわよ。あたしなら絶対こないもん」
「来ます。わたくしの勘に間違いはありません」
「こないってば!」
「来ますわ!」
言い合って睨み合う東の少女と西の美女。
ふたりは鋭い眼つきで威嚇しあっていたが、やがて同時にそっぽを向いた。
「……………」
「……………」
場に沈黙が降りる。
錆びた時計だけがチクタクと鳴り続け――美咲が先に耐え切れなくなった。
「――訊きたいんだけどさ」
「なんですか?」
「あんた、アキトを手に入れてどうするの?」
「そんなこと決まっていますわ」
ちらりとリノアを盗み見ると、彼女はそんなこともわからないの? といった表情で、
「分解ですわ」
「なっ……」
絶句する美咲にリノアは言う。
「どのような術式を組み込めば感情がもてるのか、どのような部品を組み込めば術を行使できるのか。本当に、興味深い人形ですわ」
未知への期待に頬を赤くして、リノアは大仰に両手を広げた。
「これが解明できれば、グレイン・ドール・カンパニーは更なる躍進――いえ、あのSE社をも超える大企業へと成長しますわ!」
「あんた、アキトをなんだと思ってるの!?」
「出来の良い人形。それ以外にどう見ろと言うのです?」
本当に、アキトをただの人形としか思っていない顔。
美咲はひさしぶりに、純粋な怒りを覚えた。
オロオロしながらいつも一生懸命なアキトを。主人を守るために体を盾にするアキトを。作り手を悪く言われていまにも泣き出しそうな顔になるアキトを。
そしてなにより、あの女が作ったアキトを、ただの人形と同一視していることに。
気づけば、美咲は人形に囲まれていることも忘れてリノアに殴りかかっていた。
「み、ミス・クドウ! なにをするのですか!」
美咲の拳による一撃を辛くも避けたリノアは、ぎょっとした顔で叫んだ。
「うっさいわよ、このオバハン!」
「オバ―――オバハンですって!?」
リノアは顔を真っ赤にすると右手の指を揺らす。
「ハンター1、ハンター2! この娘を取り押さえなさい!」
黒服の人形が動き出すと、美咲の腕を掴んだ。
「放せ、放せってば! このオバハンは一発殴られなきゃダメなのよ!!」
「ま、また言った! また言いましたわね!!」
メルトダウンするのではないか、と思えるほど赤みの度合いを強めて、リノアは叫んだ。
「ハンター1、ハンター2! 骨の一本でも折ってあげなさい!!」
強まるのは掴まれた腕の圧迫感。美咲の額に脂汗が浮かび、骨が異音を奏で始め、
「ボクの主に触らないでください」
亀裂の入った窓ガラスを突き破り進入する漆黒の影。
絨毯にさざなみを起こして走る影は、美咲の腕を掴む二体の人形を蹴り飛ばした。
「きゃっ!」
急に開放されてよろめいた美咲は、温かい腕によって支えられる。
「大丈夫、ミサネェ?」
ここ最近、聞きなれた声。美咲が見たのは白い肌に黒い髪。そして痩躯の肉体。
――アキトだった。