第三章 暴かれた真実
工藤家に訪れて五日目の夕刻。買い物を済ませたアキトは、庄内川に訪れていた。
太陽はすでに落ちている。錆びた街灯が弱い光で照らす橋の下、辺りに人がいないことを確認したアキトは、頼まれていた葵屋の限定シュークリームをベンチに置いた。
そして、言う。
「今日は新月ですね。月はでてませんし、辺りには人家も人もいません」
風が吹く。癖のある髪を揺らすアキトは、一度区切ってから言った。
「えっと……もう、いいんじゃないですか?」
風が止むと起こる変化。
アキト以外に人っ子ひとりいなかった河原に、三つの人影が現れた。
今年の流行しそうな服を着た女。リクルートスーツをピシリと着込んだ男。ジーンズを穿いた少年。性別も年齢もまちまちな三人だがただひとつ、共通点がある。
「――傀儡師、ですか」
それは人形だということ。
曲らぬはずの関節を曲げ、見えないはずの瞳でアキトを見る。
三人は、どこにでもあるマネキンだった。
それぞれが安っぽいナイフを持ったマネキンは、一定の距離を保ってアキトを囲む。
「あの、話し合い、というわけにはいかないんですか?」
提案への返答は、攻撃だ。
リクルートスーツのマネキンが正面から襲いかかる。腰だめにナイフを持ち、全身でぶつかろうとしてきた。
「ダメ、ですか……」
諦めると始まる動きは素早い。
アキトの足から出された横蹴りがナイフを握る腕を砕き、リクルートスーツのマネキンが衝撃で体勢を崩すと、その顔に肘が入る。
「――ごめんなさい」
謝罪の言葉は、マネキンの頭を粉砕する音と重なった。
頭部を失ったマネキンが力なく崩れ落ちると、女と子供のマネキンが走りだす。
左右からの挟撃。しかしアキトは冷静に対処する。
僅かに早い女の頭をハイキックで破壊すると、身を低くして背後に当身。後ろから迫ってきた子供の体が吹き飛び、ベンチに激突してバラバラになった。
「ボクを戦わせないでください。嫌いなんです、争いは」
沈痛な顔を土手の方角に向ける。闇の中から、二つの人影が現れた。
「初めまして。Yr-03アキト・ユル・アイデ」
街灯の領域に踏み込んだのは両手十指に指輪を嵌めた女だった。
美女と言っても決して過言ではない。鋭いカッティングがなされたサファイヤのような瞳に艶のあるブロンドヘアー。スタイルは美咲とは比較にならないほどよく、濃い赤のスーツ越しに女性であることを強調していた。
そんな美女の後ろに立つのは禿頭の黒人男性だ。
かなりの巨体だ。背はアキトよりもずっと高く、体格も華奢な彼とは対照的にがっしりとしている。特に腕にいたっては二周り以上もあり、少しでも筋肉に力を込めれば、真っ黒のスーツはあっさりとはちきれるだろう。
アキトの背が低いこともあり、まるで巨人のような男だった。
どこぞの令嬢とそのSP。そんなふたり――一人と一体を前にして、尋ねた。
「……なんのようですか?」
「さっそくですが、試させてもらいますわ。――Go to Fleais velg!」
女が左の五指を揺らすや否や走り出す巨人。
その巨体からは想像もつかない速さで一気にアキトに迫ると、巨大な拳を振り下ろす。
轟音に震える川の水面。砂利が盛大に舞い上がり、小石の雨を降らした。
直撃すればただではすまない一撃。だが、直撃さえしなければただですむ一撃でもある。
「――出力の割に速いですね」
間一髪、皮手袋に包まれた拳をなんとか受け流したアキトは、巨人から距離をとってコメントする。声こそ静かだが、表情は胡乱だ。理由は口角から流れる一筋の水銀だろう。
「……どんなトリックですか? 腕の軌道が変化したように見えたんですけど……」
視覚のみのデータだが、関節は人間と同じだ。完璧に受け流せるはずだった。
だができなかった。打点をずらされ、頬を掠った。逆関節や球体関節ではないのにだ。
アキトが無傷に近いことに驚いた様子もなく、女は言う。
「傀儡師が隠し事を教えると思って?」
「ですよねぇ」
アキトがニヘラと笑うと、女は目を丸くする。つられたように笑みを浮かべた。
「噂は本当のようですね」
「うわさ、ですか」
「傀儡師の制御を必要としない人形が作られた。その人形は喜怒哀楽を持ち、人間と見間違うほど精巧」
「上辺だけですけどね」
「それだけでも充分ですわ。このリノア・グレイン・フィーラムが求めるには」
金髪の女――リノアはまた五指を揺らす。
「踊りなさい、フレースヴェルグ!」
巨人――フレースヴェルグの瞳が一度輝くと、アキトに飛び掛り、拳を振り下ろす。
アキトは後ろに跳んで回避。三メートルほど距離を稼ぎ、懐から黒曜石の埋め込まれたシュバイセン――ナタの形をした超電導チェーンソーを取り出すと、スイッチを入れた。
そして、追撃してきた巨人の懐に飛び込み、隙だらけの横腹に一閃。火花が散る。
「――だ、二層骨格!?」
驚いて、フレースヴェルグの脇からその背後へと逃れるアキト。ゆっくりと振り返った巨人の脇腹からは、鋼の色が見えていた。
「戦闘用の重量級人形。とんでもないものを愛用してますね」
重量級人形。戦闘用の重装甲人形だ。銃弾をモノともしない防御力と建機並みのパワーを兼ね備えた強力な人形で、戦闘以外に使い道のない矛盾した存在でもある。
そんな重量級人形を操るリノアに、アキトは呆れながらも警戒を強める。性能はともかく、パワーと装甲が違い過ぎるのだ。
それでも、アキトは諦めない。シュバイセンを逆手に持ち、足腰に力を漲ら(みなぎ)せ、隙あらば跳び掛ろうとし、
「フレースヴェルグ。もういいですわ。護衛モードに移行しなさい」
命じられ、巨人がリノアの傍らに移動する。出鼻を挫かれたアキトはポカンとなった。リノアは目をパチクリとする人形をしげしげと眺め、感想を漏らした。
「戦闘型人形の攻撃を二度もよけ、しかも反撃まで行う。……大した人形ですわね」
「……えっと、ありがとうございます。【指揮者】さん」
「わたくしを知ってますの?」
「リノア・グレイン・フィーラム。米国の名門フィーラム家の長女にして当代切っての傀儡師。ロンドンのケルスス学院を首席で卒業した、二指で一体の人形を操る天才。【指揮者】の異名は、その優雅な指使いから繰り出される傀儡の術からきている。――ですよね」
「物知りですのね」
「カルゲさんがデータとして入れてくれたんです。あったほうが戦い易いですから……」
シュバイセンを握り直すアキトを見て、リノアは苦笑する。
「そんなに警戒なさらないでくれません? 今日はただの挨拶代わりですわ」
「酷い挨拶ですね。同族と戦わせるなんて」
「人形相手に礼儀正しくする必要などありませんもの」
「人形を大事にしないヒトに、礼儀作法がわかるとは到底思えませんけど」
いつになく痛烈な批判をするアキト。口の減らない人形、と呟いたリノアは踵を(きびす)返す。
「今度会うときは、わたくしのしもべにしてあげますね」
「ヤ、です」
「本当に、口の減らない人形ですこと。行きますわよ、フレースヴェルグ」
傀儡師と人形は、それだけを残して闇の中へ消え――ズシン、と重い音。遅れてリノアのヒステリックな叫びが響いた。
「なんでこんななにもないところで転ぶんですの!? さっさと立ちなさいな!!」
さ、行きますわよ、と声がして、今度こそ消える。
「――――行きましたか」
リノアが消えてから約三分。辺りに気配がないことを確認して戦闘態勢を解く。
ぶらりと垂れ下がる右腕。フレースヴェルグの一撃を逸らしてから、パワーが入らない。
アクトスキンが稼働していたにも関わらず、衝撃を殺し切れないなんて……。
アキトはリノアとフレースヴェルグが消えた闇を見る。
「リノア・グレイン・フィーラム。同時に五体の人形を操る傀儡師、ですか。厄介なヒトに目をつけられちゃいましたね……」
ちょっとおもしろいヒトですけど。思いつつ、アキトはシュバイセンを懐に戻すと歯を撫でる。
均等に並んだ上歯の中、二本だけ少し尖った犬歯があった。
「契約を急がなきゃいけませんね……」
月のない夜空をジッと見上げる。
どこか寂しげな表情をしていたアキトは、突如ハッとなる。
「シュ、シュークリームは……」
ベンチに駆け寄ったアキトが見たものは、バラバラのマネキンとバラバラのベンチ。
そして、クリームと保冷剤を漏らした箱だった。
「……………」
正式商品名、葵屋特製シュークリーム。毎週月曜午後六時より販売する一日二十四個の限定品で買い直しのできない逸品にして美咲と美琴の好物。
案の定、美咲から怒られ、美琴に悲しそうな顔をされるはめになった。
†
ガシャンと音がした。
登校前のコーヒーを飲んでいた美咲が顔を上げる。割れた皿が床に散ばっていた。
「ご、ごめんなさい。すぐに片付けます」
食器を抱えたアキトが頭を下げると、破片の回収にかかる。
また、割れる音がした。
トーストを乗せるのに使った大皿がアキトの手から滑り落ち、割れたのである。
「はぁ……」
ため息を漏らした美咲は、席を立つと廊下に出る。電話機横の収納棚を開け、掃除機を取り出してリビングに戻ると、アキトに言った。
「あんたは大きな破片を集めて。細かいやつはあたしがやるから」
「ぼ、ボクがやります。ミサネェはくつろいでいてください」
「くつろげるわけないでしょ。ほら、いいから」
「……ごめんなさい」
アキトが大きな破片を集め終えると、掃除機をかける。
大体を吸い終えると、手で床に触れて破片が残っていないことを確認し、それから美咲は掃除機を片付けた。
「あんた、このところミスが多いわよ」
リビングに戻ってきた美咲が尋ねる。
「どうしたのよ?」
「すみません」
「あー、もう。謝らなくていいって。それより、どうかしたの?」
「……ごめんなさい」
謝り続けるアキトを見て、美咲は頭をぐしゃぐしゃと掻いた。
アキトの不調は一昨日の夜から始まった。
洗い物をすれば食器を割る。料理を作れば味付けに失敗する。洗濯をすれば生地を破く。掃除をすれば花瓶を落す。そのダメっぷりときたら、目に余るものがあった。
「あんた調子悪いんじゃないの?」
アキトは答えない。無言で割れた皿を新聞紙で包む。
「ねぇ、聞いてるの?」
「……………」
「ねぇ?」
「……………」
「ねぇってば!」
声を荒げると、ようやくアキトが顔を向ける。
「え……あ、はい。コーヒーのお代わりですか?」
とぼけた反応に、美咲は盛大なため息を吐いた。
「……もういい。なんでもない」
「そ、そうですか。そういえば先ほどからミコネェの姿が見えませんね」
「学校よ。さっきあんたが見送ったじゃないの」
「ボク、が?」
美咲は顔を厳しくさせた。
「あんた、わかってるの? 今日は七日目――本契約をするかしないか決める日よ」
「はい、わかっています」
「だったらシャキっとしなさい。シャキっと」
「わかりました。では、シャキっと」
言って、アキトは背筋を今以上に反らした。いや、背筋だけシャキっとされても。
「えっと、ミサネェ。そろそろ登校時間ですけど」
「……そうね、もう行くわ」
ソファーに置いてある鞄を取ると玄関へ向かった。
靴を履き、壁掛けの鏡で髪型の最終チェックを入念に行う。
「よし、ばらついてないっと……」
癖が強くてばらつき易い髪を軽く撫でると、見送りについてきたアキトが弁当とこうもり傘を渡してきた。
「今日の降水確率は八〇%だそうです。持って行ってください」
すりガラス越しに見上げると、たしかに空は厚い雲に覆われていた。
「そうね、持ってくわ」
弁当とこうもり傘を鞄にしまった美咲は玄関の戸に手をかけると、振り返って言った。
「それじゃ行ってくるけど、ひとつ命令しておくわ」
「な、なんでしょうか?」
美咲はピンっと人差し指を立てた。
「あたしが帰ってくるまでにいつものアキトに戻ること。命令よ。もしも破ったら本契約はなし。肝に銘じておきなさい」
なぜかアキトの顔がポカンとなった。そして数秒後、悩むようなものとなる。
「なによ。できないって言うの?」
「――骨格でも、いいんでしょうか?」
「は?」
「えっと、ボクには肝――内蔵がありません。だから骨格に刻むのが妥当かなあ、って」
「………。言っとくけど、肝に銘じるって実際に内蔵に文字を刻むわけじゃないから」
「そ、そうなんですか?」
こんなにアホだったけ、こいつ。
思った美咲だが、時間がないので深くは考えず、最後に念を押しておいた。
「とにかく、そんなんじゃ雇うことなんてできないから――肝に銘じておくように」
「わ、わかりました。工業用カッターで刻むように肝に銘じます!」
すごい信用できなかった。
†
一昨日からエラーが多い。
それを痛感しているのは、アキトその人形自身だった。
洗い物をすればパワーを低くし過ぎて食器を落す。料理を作れば味覚設定が狂っていて味付けに失敗する。洗濯をすればパワーを上げ過ぎて生地を破く。掃除をすれば空間把握計算に失敗して調度品にぶつかる。そのエラー数ときたら、穴があったら入りたいほどだ。
「はぁ……やっぱり、術の使用と戦闘が想定外ですよねえ」
原因はわかっている。解決策もある。しかし、すぐには実行できない。
八方塞な現状にソファーで思考をフリーズさせていると、電子音が響きだした。
「あ、はいは〰〰い」
アキトは立ち上がると廊下にでる。
そして何度も握力設定が通常であることを確認しながら、受話器を取った。
「はい、クドウです」
『もしもーし、オレよオレ』
声紋検索開始―――ヒット。
「キョーコさんですか?」
念のため訊き返すと、向こうも誰を相手にしているか気づいたらしい。
『アキト? 久しぶりじゃないの!』
工藤家の後見人、工藤恭子はマシンガンのように疑問を撃ってきた。
『元気してた? 日本はどう? 美咲と美琴とは仲良くやってる? それからそれから』
「ボクは元気ですよ。日本には食材が溢れてますね、お料理するのがたのしいです。ミコネェとは仲良くしもらってますけど、ミサネェとはちょっと、です」
とりあえず、訊かれた分だけ答える。
『美咲と? ケンカでもしたの?』
「あまり信用されていないんですよぉ〰〰」
『あー。まあ、そりゃしょーがないわねぇ』
受話器の向こうで恭子は失笑を漏らした。
『美咲は警戒心が強いからね。番犬みたいに』
「番犬、ですか」
『そ、番犬。かわいいかわいい美琴を守る番犬さ』
「ボ、ボクはミコネェを傷つけることなんてないですよ!」
『そう簡単に信用できないのが人間よ。あのコの場合、特にね』
「……………」
愁いの入った言葉に、アキトは窮してしまう。
無言でいると、恭子の笑い声が聞こえてきた。
『ハハハ。あんた、ホントに人間っぽいわねぇ。湿っぽい話に弱いんだから』
「すべてにおいて主と共感する。それがボクの仕様ですから……」
『無茶な仕様だねぇ。でもその様子だと、まだ話してないんでしょ。ホントのこと』
「………はい」
『契約も?』
「………そう、です」
恭子は少しだけ厳しい声で言った。
『急ぎなさい。いくらあんたが独立性に優れてるって言っても、そろそろ限界でしょ』
「その通りなんですけど、ね」
『言い出し辛いかい。でも、わかってたことだろう?』
アキトは「……はい」と肯定し「でも……」と付け加えた。
「キョーコさんの忠告以上でした」
『どういうこと?』
「――ないんです」
『ないって……なにがさ?』
「全部です。なにも、ないんです」
合点がいったらしく、恭子はまた失笑を漏らした。
『それも仕方ないね。美咲にとって【探求者】は、敵以外の何者でもないんだから』
「なんとか、なんとかならないんでしょうか?」
『キッカケが必要だねぇ。でもまあ、ムリに美咲と契約する必要はないんじゃない?』
言葉に、アキトは目を丸くした
「まさか――ミコネェを選べって言うんですか!?」
『嫌いじゃないんでしょ?』
「それはそうですけど……」
肯定すると、恭子は軽い口調で言ってきた。
『だったらいいじゃん。美琴が主人でもさ。たしかに、まだちょっと幼い気もするけど――なーにすぐに立派になるさ。最近の子は発育がいいからね。オレの見たところ、Dカップはかたい。賭けてもいいよ』
「そ、そんな問題じゃありません! ボクは普通のヒトと契約した場合の不確定要素を心配してるんです!」
『いーや、そういう問題だね。美琴もあの【探求者】の娘だ、一目で適性者だってわかった。美琴は美咲に劣っていない。むしろ美咲より濃く血を受け継いでる。基本さえ教えれば、すぐに傀儡ができるようになる。土壌は適してるんだから、契約は充分可能さ』
傀儡師でもないのに、どうしてそんなに詳しいんだろう。
思っていると、恭子は訳のわからないことを熱弁し始めた。
『となれば。あんたも男なんだし、やっぱボン、キュ、ボンな上になついてる美少女のほうがいいんじゃないの? それにあのコ、なんだかんだいってイヌ属性だし。いまから躾ければメイド服を着て『ご奉仕……する』なーんて、無表情ながら頬をピンクに染めてイカせてくれるようになる。きゃあーッ! 羨ましいぜ、この果報者が!!』
「ボクはクドウのしもべですよ!? 奉仕させてどうするんですか!!」
『なにいってやがる! メイドにご奉仕、男のロマンじゃないかい!!』
「意味がわかりませんよお〰〰」
『これだからオコチャマは……! オレだったら間違いなく選んでるってのに!! なにが気に入らねぇんだよ!!』
「大好きですよ! ただミサネェがミコネェに傀儡師のことを隠してるから、ボクも人形だっていうことを知られたくないんです」
『――だから美咲を選ぶのかい?』
「そうです。ミサネェが傀儡を教えないのには、きっとワケがあります。だからボクも、人間としてミコネェに接します。けどそれは、尽くさないってことじゃなくて、ボクはミサネェだけじゃなくて、ミコネェの命令も聞き従います」
アキトは断言した。
「ふたりを守り、導く。それがボクの存在理由ですから」
長いセリフを言い終えると、話し相手が沈黙していることに気づいた。
「どうしたんですか、キョーコさん?」
『あんたまさか、姉妹丼を狙ってるのかい……?』
「姉妹丼? なんですか、それ」
疑問には答えず、恭子は震える声で続けた。
『そ、そいつはドリームだ……。しかも美咲と美琴の姉妹丼とくれば無形文化財! その価値は計り知れない――いや、計ることなんてできねぇッ!!』
計ることができないって、どういうことなんだろう。
丼というからには、どんぶりものだと予想できるが、姉妹でミサネェとミコネェ? 日本に人肉を食する風習があったかなあ?
データにないどんぶりものは貴重な逸品だと、アキトは恭子の声色から理解した。
「そんなにすごい価値があるなら、すごく美味しいんでしょうねえ」
『ああ、美味だとも。病み付きになるくらい』
「……麻薬ですか?」
『そうかもしれない。女は麻薬っていうし』
「?」
まだ見ぬ姉妹丼に思考をめぐらせていると、恭子が思い出したように口を開いた。
『そういえば』
「なんですか?」
『今日が美咲の誕生日だって知ってるわよね』
「――――はい?」
現実に戻ったアキトは訊き返した。
「それは、事実なんですか?」
『そーよ。渡した個人データに入れ忘れてたの思い出したから、今日は電話したの。プレゼントでも渡して祝ってあげなさい。ポイントアップにも繋がるわよ』
「プレゼント――プレゼントですかぁ……」
あぅ〰〰、っとアキトは呻く。
「困りました。どんな物を贈れば、いいんでしょう」
アキトは人形であるためか、この手の選択にいまひとつ疎いのである。
本当に困っていると、恭子は助言した。
『美琴に手伝ってもらったら?』
「で、でも、ミコネェの手を煩わ(わずら)すわけには……」
『それしか選択肢がないでしょーが』
「そ、それはそうなんですけど……う〰〰〰」
『ま、がんばりなさいよ。じゃあね』
「あ、ちょっとキョーコさん!?」
慌てて呼びかけるがもう遅い。回線は既に切られていた。
「プレゼント、ミコネェに聞くしかないんですよね……」
ため息をついて、アキトは受話器を置く。
「誕生日、ですか。とりあえず、ケーキを焼かなきゃいけませんよね」
アキトはキッチンに戻ると、早めの夕飯準備にかかった。
†
学校からの帰り道、制服姿の美咲はぶつぶつと文句を垂れていた。
「……まさかあんな隠しミスをされるなんて」
昼食に渡された弁当のことである。
内容は唐揚げ、サラダ、リンゴ、しらすをまぶしたごはん。豪勢ではないが、質素でもないお弁当だ。
どれも美味しかった。唐揚げはベチャベチャになってなかったし、サラダも瑞々(みずみず)しかった。リンゴは極力変色を抑えられ、ごはんとしらすの割合も完璧だった。
――ただ一つ、玉子焼きを除けば。
「砂糖と塩を間違えるなんて、なんて凡ミスを……」
しょっぱかった。しょっぱ過ぎた。
甘い玉子焼きを予想していた分、他の出来が良かった分、しょっぱさは五割増しだった。
真面目なアキトのことだからただの失敗とわかっているのだが、美咲は騙された気がしてならなかったのだ。
今日の弁当の失敗を皮切り、アキトの問題点を口にしながら歩く。
「ヘラヘラする。すぐに泣きそうになる。失敗が多い。アホよアホ。うちのはアホですよ」
美咲の足が止まる。曇天模様の空を見上げた。
うちのはアホ。家のはアホ。家の。
いつからだろう。アキトをうちの一員と認めだしたのは。
視線を下ろすと、目に入ったのはあの公園。アキトと出会った公園だった。
中に足を運んだ美咲は、桜の散り始めた木を撫でる。
ここでアキトと出会い、逃げ、うちの中で再会し、地下の工房でその正体を知った。
それからは色々あった。喜んだり、呆れたり、怒ったりした。
アキトからきてからの一週間。毎日驚いていた気がする。
「……あたし次第なのよね。アキトの今後って」
今日で仮契約が終了する。本当に雇うか、送り返すか決めなければならない。
雇えば騒がしい日常が続く。雇わなければ、美琴とふたりっきりの生活に戻る。
まぶたを下ろし、考える。この日々を続けるか続けないか。元の生活に戻りたいかを。
「――考えるまでもないか」
目を開いた美咲は決めた。
その顔に浮かぶ表情は、柔らかな笑み。
「まあ、ギリギリだけど及第点ってところよね」
がんばってるし。まあまあ役に立つし。あの美琴が人見知りしてないし。それになんだかんだ言ってるけど、それなりに信頼はしているのだ。
「よし、さっさと戻って安心させてやらなきゃ」
美咲は踵を返す。大股で歩き、公園を出ようとしたところで、
「ミサキ・クドウ?」
足を止めた美咲は、首だけで声のかけられた背後を見る。
女がいた。SPっぽい黒服の白人たちを引き連れた外人の、それもスタイル抜群の女がいた。しかもなぜかハマーがあった。
日本の住宅街に護衛つきの美人とえらく大きなハマー。
怪しかった。怪しさ爆発だった。他人のフリをしたかったが――
「そうですけど」
一応、肯定しておいた。
アキトみたいに追われたら堪らないと思ったからである。
赤いスーツを着た女が上品に微笑んだ。
「初めまして、ミス・クドウ。わたくしはリノア・グレイン・フィーラム」
金髪碧眼の女――リノアは笑みを深めて言った。
「あなたと交渉がしたくて参りました者です」
†
ケーキ――――――OK。サラダ――――――OK。フライドチキン――OK。
プレゼント――――OK。ロウソク―――――OK。飾りつけ―――――OK。
美琴ととの買い物を終えたアキトは、キッチンで腕を組んだ。
「あとはメインディッシュですけど――どうしましょうか」
前回のセールと今回の買い物で、材料は一通り以上揃っている。
なんでも作れるが、なにを作れば良いのかわからなかった。
「……カレー」
「えっ?」
振り返ると美琴がいた。彼女はポツリと、
「お姉ちゃん、カレー好き」
独り言を聞いていたのか、美琴は的確なアドバイスをしてくれた。
「カレー。カレーライスが好きなんですか?」
「辛いの、好き」
「ありがとうございます。それじゃ、メインディッシュはカレーですね」
よーし、作りますよ〰〰! と、アキトが材料を取り出し、いざ調理を始めると、美琴に袖を引っ張られた。
「どうしました?」
「……手伝う……」
「……えっ?」
目を丸くするアキト。恥ずかしいのか、無表情ながらも頬を赤らめた。
「で、でも……料理はボクの仕事ですし、ミコネェにはプレゼント選びを手伝ってもらってて、これ以上、手間を取らせるわけには」
「――それ」
「はい?」
「お姉ちゃんのプレゼント選び、手伝った」
「あ、はい。助かりました」
「うん。助けた。だからアキトは借りを作った」
「は、はい……そう、ですけど……」
「ウォルちゃん。くる」
美琴は傍にいたウォルフを呼ぶと、その背中に乗って立ち上がる。
身長をアキトと同じにした美琴は無表情の顔を近づけて、
「命令。手伝う」
それを出されては拒否などできない。トホホ……といった感じで、アキトはうなずいた。
「……Ja〰〰〰」
「……よろしい」
「じゃ、じゃあ。ジャガイモの皮むきをお願いします」
最も安全と思われる剥き機を使用してのジャガイモ剥き。お願いすると、「まかせる」と美琴はうなずいた。
意見を通せたことがうれしいのか、無表情ながらもうれしそうな様子で、皮をむく。
アキトはしばらく、ハラハラとしながら見守っていたが、思いのほか美琴が器用だと知ると、自分もニンジンの皮むきを始めた。
むきむき。むきむき。むきむきむきむき………。
無言で皮を剥く二人。仲のよい兄弟のように皮を剥き続け――唐突に美琴が口を開いた。
「――そっくり」
「えっ?」
皮むきを中断して美琴を見る。美琴は、真剣な顔で皮を剥きながら、呟いた。
「アキト、パパそっくり」
「パパ――キョウシロウ・クドウさんにですか?」
「そっくり」
そこで美琴は手を休めて、アキトを見上げた。
「なんでかな?」
「それはきっと、ボクの――」
咄嗟に言いかけて、口を閉じる。
「……なに?」
「いえ、なんでもありませんよ」
――ボクのお母さんが望んだから。
美琴に笑顔を浮かべながら、心で答えた。
†
公園近くの喫茶店。
リノアはコーヒーの香りを楽しみながら、ガチガチに固まる美咲に言った。
「気を楽にして下さい」
と、言われましても。
美咲は心の中で即答すると、視線をリノアから外す。
チラリと右を見る。黒服サングラスの白人が背を向けて直立していた。
チラリと左を見る。黒服サングラスの白人が背を向けて直立していた。
入り口を盗み見る。黒服サングラスの白人が通せん坊していた。
カウンターを見る。黒服サングラスの白人がメロンソーダをかき回していた。
――なに、この状況?
喫茶店を占拠する黒服集団とその中心でコーヒータイムを楽しむボインの美女。怯えきったマスターはカウンターの奥に隠れてしまい、代わりに黒服のひとりが給仕をしている。
無論、他の客などとっくに逃げ出してしまった。
「飲まないのですか、ミス・クドウ?」
「の、飲ませてもらいます」
必死に愛想笑いを浮かべながら、美咲は出されたコーヒーに口をつける。
「お、おいしいですね」
「そうでしょう。うちのトロプスたちはコーヒーを入れるのがお上手なんですの。――あのコを除いて、ですけど」
「そ、そうなんですか?」
アハハハ……と笑う美咲。その心では、
『トロプスってナニよ? シロップの仲間? 木星帰り? つーかそれ以前に、こんな状況でコーヒーの味なんかわかるわけないっての』
と、思っていたが、内に秘めておいた。
「改めて自己紹介をさせてもらいますわね。わたくしはリノア・グレイン・フィーラム。GELの常務をしている者です」
リノアが指輪だらけの指を揺らすと、傍にいた黒服のひとりが美咲に名刺を渡した。
「GEL……どんな会社なんですか?」
「軍需企業ですわ。無人兵器に取り付ける特別兵器・監査・偵察・探知システム(SWORDS)やエクソスケルトンに組み込むアクチュエータとその装甲板の開発が主な業務ですの。最近ではSE社提携してソロトレックの開発を始めましたわ」
「そ、そうなんですか。なんだかすごいですね。アハ、アハハハ……」
「とは言っても、それは表向きの話ですけど」
「ハハハ―――ハ?」
笑みを深めたリノアが右手の人差し指を揺らす。黒服が別の名刺を出した。
「グレイン・ドール・カンパニー。傀儡師の人形を販売するこちらのほうが、本業ですの」
「……人形の販売? 傀儡師って――」
「ミス・クドウ。あなたと同じ傀儡師ですわ」
驚きのあまり腰を浮かすと、すぐ近くにいた黒服に肩がぶつかってしまった。
美咲はまた驚いた。肩から伝わる感触が、とても硬かったためである。
「まさか、この黒服たちって……」
「第6世代人形狩人型(ゼクステ マリオネット タイプ ハンター)。我が社の主力商品ですわ」
「もしかして、これぜんぶ人形なの?」
「ええ。グレイン社製人形の特徴は、その扱いの容易さにありますの。よろしければ、一体お譲りしましょうか?」
「えっ、マジ? タダで!?」
もちろんですわ、とうなずくリノア。美咲は脊髄反射で「ください!」と言いそうになるが、なんとか言葉を呑み込んだ。
工藤家家訓その一。『おいしい話には裏がある。裏のない話には旨みなし』である。
大っ嫌いな女の残した言葉を思い出し、すこし不機嫌になったものの、家訓には従う。考えてみれば太っ腹すぎた。
「やっぱいいわ」
勿体無かったかなぁ、と後悔を覚えつつ話を進める。
「それで、話ってなに? 交渉って、なにが欲しいの?」
「あなたの所持するYr-03――アキト・ユル・アイデを譲ってもらいたく思いまして」
「アキトを?」
「ええ。是非」
真剣な瞳を向けてくるリノアに、美咲は首を傾げた。
なんでこの人、アキトを欲しがってるんだろう。
美咲は人形だらけの喫茶店を見渡した。
これだけあるのに、まだ人形を欲しがるなんて、もしかして人形コレクターかなにか?
疑問に思っていると、リノアはなにを勘違いしたか、ヘンなことを言ってきた。
「無論、ただでとは申しません」
「えっ?」
「この狩人型と斥候型、最新の銃撃型をそれぞれ一体ずつお付けします。そして」
リノアが左の人差し指を揺らす。黒服――人形がメモ帳みたいなものを取り出し、主に渡した。
「これを」
「えっ、なに?」
すっ……とテーブルの上に出されたのはお金代わりになる紙――小切手だった。
えーと一十百千万――一〇〇万円? でもこれ、¥じゃなくて$だよね?
瞬間、覗き込んでいた美咲の顔が驚愕に固まった。
「じゅ、一億円……!?」
「あら、安すぎましたか?」
信じられない発言をするリノア。もう一枚、小切手を渡してきた。
「それではこれならどうです」
「プラス一億円……」
眩暈がした。
交渉として渡されるのは億の小切手と精巧な人形が三体。いったいどれだけの金持ちなんだアンタ、と美咲は思ってしまう。
そして同時に浮かぶ疑問。
なぜそこまでアキトを欲しがるのだろう?
たしかにアキトはすごい。人間のように喋り、人間のように動き、人間のように働く。
でも、それだけだ。
彼女の人形だって喋りはしないが、同じことができる。
眉を顰めて考え込んでいると、少し苛立った声が耳に入った。
「これでどうですか? まだ足りませんか、ミス・クドウ」
気がつけば、一枚一億の小切手が四枚に増えていた。
「足りませんのでしたら、金額を言ってください。可能な限り考慮しますわ」
「あー、そうねー。でも、そうじゃなくて……」
言葉を遮って、リノアが訊いてきた。
「ミス・クドウ。あの人形はあなたにとって、そこまで大切なものなのですか?」
「大切って……まあ、それなりに重宝してるわね。家事をしてくれるし」
「か――家事ぃ!? ミス・クドウ。あなたはYr-03に雑務をさせているのですか!?」
うなずくと、なぜかリノアはテーブルから身を乗り出して怒りだした。
「やらせることはほかにあるでしょう! 対人会話処理テストとか人格形成プログラムの解析とか最大独立行動時間の把握とかact skinやfalse nerveの限界値の検査とか!!」
「え、えーと、あくと頭巾とふぁ、ふぁる――……なに?」
「〝アクトスキン〟〝ファルスネルヴ〟です! 近年開発された極薄の衝撃吸収繊維と量子暗号通信への使用を目的とした超低減衰光ファイバー交信システムのことですわ!!」
「……なに、それ?」
「あ、あなた……本当に傀儡師ですの?」
今度はリノアが眩暈を起こしたらしい。
彼女は顔を押さえてふらつくと、イスに座る。
「あ、あれだけ高度な人形にそんなことをやらせているなんて……」
なんとなくわかった。実に認め辛いのだが、アキトはとてもすごい人形らしい。
たしかにこっちの常識の(じょうしき)斜め45度進んだボケをやらかすので、すごいと言えばすごいか。
ひとり納得していた美咲は、リノアにじっと見つめられていることに気づく。
「な、なによ……」
「先ほどから思っていたのですけど。あなた、いまどき彫物式呪印なのですか? それらしい装飾具が見当たりませんのですけど……」
「呪印? なにそれ?」
「……………」
リノアは黙り込む。顔が険しくなり、碧眼に怒りが宿りだした。
「ミス・クドウ。冗談も程々(ほどほど)にしてほしいですわ。わたくしは真面目に訊いているのです」
「知らないわよ、そんなもん。あたしゃ術に詳しくないのよ」
高圧的な態度にカチンときた美咲が喧嘩腰に応じると、リノアの顔から怒りが消えた。
代わりに浮かんだのは、戸惑いと驚き。彼女は信じられないといった様子で漏らす。
「呪印を知らない傀儡師。しかも装飾具を持っていない。いくらAIが優秀とはいえ、まさか、そんなはずは……」
ぶつぶつと独り言を続けるリノア。
置いてきぼりを受けた美咲は、やる気を殺がれてしまった。
「もしかして……Yr-03はまだ契約を行っていない?」
聞いてはいないと美咲は思ったが、答えておく。
「そーよ、仮契約の段階。今日、雇うかどうか決めるの」
「いえ、法的な契約ではなくて――」
リノアの顔がぎょっとなった。
「――いま、なんて仰い(おっしゃ)ましたの?」
「へ? だからアキトは仮契約中で、今日雇うかどうか決めるって」
「仮契約中? 雇う? ――ミス・クドウ。わたくしはどうやら、勘違いをしていたようです。それを正すためにも、質問に答えてもらえますか?」
「こ、答えられることなら……」
ずいっと顔をよせられて、美咲はどもりながらうなずいた。
「ミス・クドウ。Yr-03はあなたのものではないのですか?」
「そ、そうよ。あたしはただのモニター。酔狂な傀儡師と錬金術師たちが作った人形のデータ取りを手伝ってるだけ」
「モニター? なにを言ってるのですか」
「なにって、なにが?」
「……あなた、本当に術師ですの?」
声を低くしてリノアは美咲を凝視する。
「考えてもごらんなさい。秘密主義の術師が、他の術師に作品を貸すとお思いなの?」
「そ、それは……量産と安全性の」
「量産? 安全性? どこの世界に量産が可能で安全な人形が存在しますの?」
姿勢を直したリノアは、コホンと咳払いをひとつすると始める。
「いいですか? 術の行使とは危険なものです。傀儡一つとっても、接続中に意識を乱せば人形は暴走。幻糸の過剰浸透は爆発を起こす危険なもの。こんな異端の術を利用する以上、安全なんて言葉はありませんわ」
「だったら量産は……」
呆れ顔でリノアは言った。
「貴重な薬や術式をふんだんに取り入れたあの人形を、どうやって量産するのです?」
「え? でも、あんたの人形は量産してるんでしょ?」
あんたと言われリノアは顔をしかめたが、なにも言わずに答えた。
「我が社の人形はアンドロイドと大して違いませんわ。傀儡の付加など幻糸を受信し易くするための宝石を組み込み、内部骨格と駆動装置に幻糸を通り易くするための術式を刻んだだけの、ただの操り易い人形。もっとも、それだけでもかなりの手間がかかるのですが――あれとは根本的に違いますわ」
熱の入った顔をして、リノアは続けた。
「Yr-03はすべての部品に術式処理を施した人形。指一本、電動筋繊維一本に至るまで術的要素を組み込んだ人形。自らの意思で術を行使する、本物の傀儡人形ですのよ!」
弁の勢いのあまり立ち上がったリノアは、うっとりとした様子で天を見上げた。
「潤滑液、冷却水の生成は鬼才の錬金術師カルゲ・アルツィエラー。内部骨格は術式武具の名匠のアリシア・バダムが担当し、演算処理及び身体反応の高速化の術はタユラの巫女姫、タユラ・マユラが直々(じきじき)に処理。数々の素晴らしい傀儡師、錬金術師、叙術師、複製師が協力して作り上げた前代未聞の人形。それがYr-03ですの。無論、関わった者達はまだおります。買い取った情報には含まれておりませんが、水の使徒と呼ばれるフォンの――」
目を輝かせ熱く語るリノア。しかし聞いている美咲はキョトンとするばかりだ。
カルゲ? アリシア? タユラ?
―――ダレデスカ、ソレハ?
なんだかアキトが言ってたような言ってないような。美咲は頭の上に疑問符を大量に浮かべるが、自分の世界に浸っているリノアは気づかずに、益々(ますます)もって熱弁を続けていた。
「――と、これが常識的に考えて関わっているとされる術師たちです。けど、この中で一番素晴らしいのは、究極のオンリーワンたる術師を集め、説得し、纏め上げたマギノイド計画のリーダ、【探求者】の異名を持つミキエ・クドウですわね」
「――――えっ?」
聞き慣れた、忘れたい名前が聞こえ、美咲は我が耳を疑った。
「いま――なんていったの……?」
話しの腰を折られ、不満の表情を隠さずに浮かべながらリノアは言った。
「だから、ミキエですわ。ミキエ・クドウ。今世紀最高の傀儡師ですわよ」
ミキエ。美紀恵。――工藤美紀恵。
あの女………!!
尋常ならぬ怒りに顔を歪める美咲に、リノアは訝しげな眼差しを向けた。
「話を戻しますが、あなた、あの【探求者】の娘なんでしょう? だからYr-03を遺産として受け取った。違いますの?」
「―――遺産?」
「そうですわ。マギノイド計画の終了後、ミキエはYr-03を受け取ってすぐに死去してしまいましたから。――もしかして、知らなかったのですか?」
脳裏に浮かぶのはアキトの言葉。
『私が美咲様の役に立つことこそが、天に召された母への恩返しです』
――死んだ。あの女はとっくに死んでいた。
その事実が、美咲の頭を真っ白にする。
ポツリポツリと、雨が降り出していた。
†
五時ごろから降り出した雨は未だ止まない。
雨音だけが響く薄暗いリビングの中、アキトは客室へと向かった。
押入れを開け、毛布を取り出す。ソファーに眠る美琴にそっと被せた。
姉の帰りを待っていた美琴は眠っている。きっと疲れていたのだろう。
「……手伝わせちゃいましたもんね」
美咲の誕生日プレゼント選びに始まり、メインディッシュの制作。更には部屋の飾りつけまで、美琴が望んだとはいえ、手伝わせてしまった。
その事実にアキトは不甲斐無さを感じてしまう。
「やっぱり、ボクは頼りないんでしょうか……」
きっとそうなのだろう。この幼い主の寝顔がなによりの証拠だ。
主人を補佐すべき人形が、主人に補佐されたあげくに疲れ果てて居眠りをさせてしまう。
その事実は姉妹のサポートを目的にするアキトにとって、存在意義に関わる問題だった。
このまま解雇されたほうがいいのかも知れない。自分は主人たちに迷惑をかけているだけ。ここは潔くラボに戻り、解体処分になるべきなのでは――。
そこまで考えが進むと、アキトは頭を振って否定した。
自信を持つんだ、アキト。成果は出ている。自分が訪れるまで放置されていた庭や塀、使われていない部屋などの環境は改善した。たしかに、主の感情面を考慮した行動や思考には問題があるけど、それら以外の事柄に関しては優秀のはず。それに、自分が必要か不必要かを決めるのは主だ。一介の人形が考えることではない。
ミサネェの判断を聞いてから。そう結論付けたアキトは、テーブルの上においてある二つの箱の内の一つを手に取った。
「よろこんでもらえるでしょうか……」
アキトより、とカードがついた小箱に入っているのは、厚手のリボン。
『お姉ちゃん、おしゃれしないから、こんなのがいい』という美琴の意見をサンプルに、永遠とも思える思考のループの果てに選んだプレゼントだった。
「よろこんでくれたら、うれしいです」
このリボンをつけた美咲の笑顔を想像していると、玄関の開く音がした。
「あっ、帰ってきましたね」
プレゼントをテーブルの上に戻したアキトは、主人を出迎えるために玄関へと向かった。
「お帰りなさい、ミサネェ。あのですね、今日は――」
言葉を半ばで切る。
「ど、どうしたんですか? ずぶ濡れじゃないですか!」
玄関の戸を開けたまま立ち続ける美咲は、俯いたまま反応しない。
「……どうしたんですか、ミサネェ?」
不審に思ったアキトだが、原因の追究が最優先事項ではないと考えた。
「あ、待っててください。いますぐタオルを持ってきますから」
「――いいわよ、別に。それよりちょっと付き合いなさい」
言って、踵を返した美咲。どしゃ降りの外へ出ようとするので、アキトは慌てて止めた。
「だ、ダメですよ! そのままじゃカゼを引いちゃいます、まずは体を――」
「いいから来いって言ってンのよ!!」
怒鳴ってから、美咲は顔だけを振り返らせた。
その鳶色の双眸に宿るのは怒りの色。長年にわたりなお、鎮まる事無く燃える憤怒であり、熟成された憎悪でもあった。
初めて目の当たりにする主人の本気の怒りに、無言となるアキト。美咲は目を細めると静かに――然れど僅かにも怒気を衰えさせずに言った。
「――命令よ。ついてきない」
「……はい」
うなずいたアキトは、出て行く美咲のあとについていった。
美咲が足を止めたのは、工藤の敷地を出てすぐの道路だった。
「……ここでいいわ。それ以上近づかないで」
彼女は鉛色の空を見上げ、全身が雨に打たれることもかまわず、立ち続ける。
同じく、傘を差さずについてきたアキトは、美咲から距離を取って立つ。
冷たい空気に冷たい雨。雨音だけが響く世界で、ふたりは沈黙を保つ。
無言を作ったのが美咲ならば、破ったのもまた彼女だ。
「――死んだのね、あの女」
雨に掻き消されそうな、か細い呟き。その言葉が指す人物を瞬時に悟ったアキトは、思わず一歩踏み込んでしまった。
「こないで!」
途端、吐き出されたのは拒絶だ。
刃物のような鋭さを持つ拒絶に、アキトは踏み出した足を戻した。
「どうしてそのことを――」
尋ねて、バカな質問だと気づいた。
決まっている。【指揮者】だ。それ以外に誰がいるのか。
理解すると、美咲が僅かに肩を落とした。
「……そう。やっぱり、死んだのね。あの女は」
誰に言うまでもなく呟いた美咲は、肩を震わす。
「……悲しいんですね、ミサネェ」
「―――悲しい?」
訊き返した少女は、クルリと振り返った。
刹那、アキトは訊かなければよかったと後悔する。
「なんで悲しまなきゃいけないの?」
――笑顔。これまでに見たことのないくらいの、とびっきりの笑顔。
まるで長年の望みが叶ったかのような笑顔で、美咲は快哉を叫んだ。
「当然――当然の結末よね。お父さんが苦しんで死んだのに、あの女がのうのうと生きてるなんて、おかしいもんね! ざまーみろ!!」
狂喜する美咲に、アキトはたまらず言った。
「やめて、ミサネェ」
「そうよ。おかしいのよ。どうしてあんなにいいお父さんが死んで、あの女が生きてたわけ? それって、やっぱりおかしいわよね」
「やめてください。お願いです、ミサネェ」
「あんな女、どっかのバカの慰みものにでもなればよかったのよ。それで頭をおかしくしてから死ぬのが妥当だわ。――そうは思わない?」
「やめてくださいってば!!」
叫んだアキトは少女の肩を掴む。
すると、それまで笑顔だった美咲の顔が鬼面となった。
「さわるんじゃないわよ! このガラクタ!!」
アキトが反射的に手を放す。彼の体をドンと押して、逆に弾かれて美咲は距離を取った。
呼吸を荒げ、血走った目で睨んでくる美咲に、彼は頼み込んだ。
「ホントに、やめてください……お母さんを、悪く言わないでよ……」
「……やっぱりそうだったのね」
「――うん。ボクはお母さん――ミキエ・クドウに作られました」
ギリッと歯を食い縛らせた美咲は、射殺さんばかりの視線をアキトに向けた。
「モニターって話は?」
「……嫌ってる、って聞いてたから、辻褄を合わすためにでっち上げ、です」
「騙してたのね……」
「………そう、なります」
「―――――消えなさい」
「……………」
「消えろっていってンのよ! 解約よ、アンタの顔なんて見たくもない!! 命令よ!!」
美咲が怒鳴って『命令』する。
「――わかりました。現時点を持って、仮契約を解除します」
踵を返し、美咲に背を向けたアキトは感情のない声で尋ねた。
「ウォルフとファルケは――」
「もってきなさい。あの女の作ったものなんていらないわ」
「わかりました。ウォルフ、ファルケ」
呼んでしばらくすると、玄関から二匹の獣が出てきた。
アキトが訪れたときに持っていた、大型トランクを引き摺って現れたウォルフと、その背中に乗ったファルケに、彼は無線で工藤家への立ち入り禁止を伝える。
すると二匹は美咲を見た。
「二度とくるんじゃないわよ」
睨まれたウォルフはシッポを地面につけ、ファルケは小さく鳴く。それから、トボトボと近くの路地へと消えていった。
「――ミサネェ、最後に言わせてください」
美咲に背を向けたまま、アキトは言った。
「お母さんは、ミサネェとミコネェを愛してましたよ」
「……なんでそんなことがわかるのよ」
「『愛してる』そう言っていましたから」
「ふざけないでよ!!」
愛してる。その陳腐な単語に、美咲の憎しみと怒りが爆発した。
「あたしを愛してる? 美琴を愛してる? あの女が? ――冗談でしょ。お父さんが撃たれたときだって現れなかった。いくら手紙を送っても返事一つこなかった! そんな女が愛してるですって!? お父さんの葬儀のときにさえ現れなかったのよ、あの女は!!」
「お母さんはそんなヒトじゃない! 事情があったんです!」
「事情、ね。お父さんを悲しませて、ようやく歩けるようになった美琴を捨てて、音信不通になったかと思えば、こんなガラクタ作りに精を出す事情。なにそれ? どんな事情よ!?」
「……………」
アキトは答えない。美咲は怒りに駆られて捲くし立てた。
「あんたにわかる? 捨てられた子供の気持ちって。逃げられたって同世代のガキにバカにされる悔しさって。傀儡がうまくなれば帰ってくるって信じ続けて、毎日地下室に篭って傀儡の術を鍛えて――ある日突然もう帰ってこない気づいたときのむなしさが!!」
喚いた美咲は肩で息をして、アキトの背を睨み続ける。
「あんたにわかるわけ? あたしの心がわかるわけ!? わかるんだったら言ってみなさいよ。次世代の人形で、感情だってあるんでしょ? ほら!!」
「……………」
長い沈黙。雨に漆黒の髪を濡らすアキトは、ようやく答えた。
「……ムリ、です。ボクの感情は、あくまで表面的なもの。理解は――できま、せん」
たどたどしく言うと、アキトは歩き出す。細い体を雨に濡らしながら、歩き出す。
頬を歪めた美咲は最後に、アキトの背中めがけて吐き捨てた。
「――人形の分際で口出ししないでよ。気持ち悪い」
アキトはなんの反応も見せず、路地へと消えた。