第二章 人形のお供は絶滅危惧種
その日の授業が終わり、ぼ〰〰と、帰路についていた美咲は名を呼ばれて足を止めた。
「工藤、帰りかい?」
振り向くと少し離れた場所に裕子がいた。
「そーよ、一緒に帰る?」
「ああ、そうさせてもらうよ」
裕子が追いつくのを待ってから、美咲はまた歩き出した。
「どうかしたのか、工藤?」
「ん〰〰、なにが?」
空をぼけぇっと見上げながら疑問で返す。
「最近、ボンヤリしていることが多いよ」
「ん〰〰、そーお?」
「……訂正、いまもだね」
裕子が言う。それからやや躊躇って、
「もしかして……私が原因か?」
「なんで?」
「いや、この前は少し一方的過ぎたと思ってね。イヤなら、どちらもやめるけど……」
曇りを入れた顔に、美咲は三日前の出来事を思い出した。
「なに言ってんの。あんたがしつこいのはいつものことじゃない」
笑って続ける。
「昨日メールで伝えたとおりよ。練習試合の件は保留。使用人はいらない。――以上よ」
「そうか、いい返事を期待してるよ。けど、使用人の件は本当にいいのかい? お爺様は遠慮するなって言ってるよ」
「いいの。だって――」
「『だって』?」
「――なんでもない!」
「工藤、キミは気になるところで話しを切るね」
裕子は肩をすくめる。美咲は空を見上げ、優しい光に目を細めてから、
「色々あったのよ、色々、ね」
いまひとつ現実が信じられないような、そんな顔をした。
「フツー、ありえないわよね」
「?」
裕子は疑問を募らせるばかりだった。
ときを遡ること二日前、工藤家深夜のリビングにて。
「【創幻人形】?」
ソファーに座る美咲が、書類の一枚を見て呟くと、アキトが付け足す。
「【創幻人形】は開発名称でして、正確には第7世代人形創幻系列試作機(ジープテ マリオネット テストタイプ マギ)。第6世代人形を越える人工知能(AI)を筆頭に、多くの新技術を組み込んだ次世代の人形のテストタイプです」
他の書類をテーブルに並べていたアキトが付け足すと、美咲の瞳に疑いの色が表れた。
「人形―――って、冗談でしょ?」
疑惑の眼差しを向けられた彼は、穏やかな笑みを浮かべたまま唐突に彼女の腕を掴むと、自分の胸に押し付けた。
驚いた美咲が手を振り解く前に、目を閉じたアキトが言う。
「心臓、動いてないでしょう」
美咲はまた驚く。まぶたを開くと瞳の色がアイスブルーからダークブルーに変わっており、しかも薄っすらとだが、電子回路のような模様まで浮かんでいたのだ。
「……人間じゃないことはわかったわ」
アキトの手を振り解いた美咲は、状態を元に戻したアキトをまじまじと観察した。
「でも、まだ半信半疑。擬態した宇宙人や変化した妖怪って言われたほうが納得できるわ」
全身の造形、肌の質感、標準的な体温、接合面のなさ。そして、このAI。
美咲はむうっと唸った。
「最新型のアンドロイドだって比較にならないじゃないの」
「はい。問題を持つ技術、機能の低い技術などは錬金術などによって補強できます。ソフト面に置きましても、大半の物事を単独で処理できるだけの独立性の確保に成功しました。私は現在存在する人形及びアンドロイドを凌駕していると自負しています」
「つーか、もうアンドロイドかゴーレムよね。人形じゃないじゃないの」
傀儡師の定義から言えば、人形とは幻糸で操るものを指す。昨今の人形は自動人形化が著しいとはいえ、ここまで勝手に動いて勝手に喋るとなると、人形の領域を超えている。
しかし、アキトは首を横に振って否定した。
「私は人形です。アンドロイドでもゴーレムでもありません。人形なのです」
力の篭った言葉。熱を宿した瞳を向けられて、美咲はちょっと身を引いてしまった。
「ま、まあいいけど……それより、恭子さんの根本的に大丈夫って、こういうことだったのね」
相手が人形なら、秘匿以前の問題だ。
いらぬ気遣いで溜まった疲れを吐息と共に吐き出してから、美咲は話を進めた。
「それで、なんで使用人なんてやってるのよ」
アイスブルーの双眸から熱を消したアキトは、柔和な笑みを浮かべながら答える。
「稼働試験です。私が社会にとけこめるか、人形と見破られないか、想定外の問題をうまく対処できるか。それらを調べるため、ハウスキーパーをやっています」
「あたしが傀儡師だってことは?」
「独自の調査で可能性が上がり、工藤恭子様に説明されて判明しました」
言葉を聞いて、美咲は納得した。
おかしいとは思ったのだ。工藤家の秘密を一番良く知り、なんだかんだいっても口の堅い恭子さんがプレゼントと称して使用人を住み込み&終身雇用で雇って贈るなどありえないし、アキトの外見と釣り合わない精神年齢の低さもまた当然。彼はまだ試作機なのだ。
理解すると同時に疑問が見つかり、ぶつけてみた。
「単刀直入に聞くわ。なんであたしなの?」
「美咲様が傀儡師だからです」
「傀儡師なんてほかにもいるでしょ。どうしてあたしを選んだのかって訊いてんのよ」
「本社が出したモニター条件を満たしているためです」
アキトは細かな説明を始めた。
「私はほぼ完成しています。思いつく限りの問題を想定した実験を行い、実際に対処してきました。ですが、常に熟練傀儡師がついており、非常時のデータが足りません。本社はそれを危惧しています」
一呼吸置いて、断言した。
「美咲様。あなたほど私の主にふさわしい御人は他に存在しません」
「あたしが未熟だから?」
「失礼ですが、そのとおりです。しかし、それだけでもありません」
「どういうこと?」
「美咲様は創幻人形開発計画にどれだけの資金がつぎ込まれたと思いますか?」
「さあ?」
「約二〇億ユーロです」
「に、にじゅうおくゆーろ!?」
とんでもない額だった。
「それ故にこの技術を盗まれるわけにはいきません」
「そりゃそうでしょうね」
「技術情報の流出を(りゅうしゅつ)防ぐため、稼動試験のモニター候補にはどこの組織にも所属しない者であり、私の技術を知っても利益を得ない者が選出さ(せんしゅつ)れました。厳選に厳選を重ねた結果、ヒットした唯一の御人が美咲様なのです」
「ちょっと待った。あたし一応,八神の一員なんだけど……」
「八神は除外しています。異能力者が明るみにでそうな事件、存在を明らかにする組織への粛清こそ苛烈ですが、それ以外に関しては寛容――と言うよりも放置していますから」
「へぇ、そうなんだ」
考えてみれば、工藤家に八神の者が訪れたことなど一度もなかった。
納得する美咲の前で、アキトは立ち上がって話しを進める。
「ここは恰好の実験場です。街には工藤家以外の傀儡師はおらず、一番の問題であった血族者も干渉してきません。しかも、美咲様は簡易掌握に五分もかかる見習い中の見習い傀儡師。更にはもう何年も家事を行っているのに、未だに簡単な料理しか作れないほどの料理下手。まさしく私の主となるために存在するかのようです。奇跡です。ルーンの導きです。これほどの無能で無力で無知な傀儡師は美咲様をおいてほかに――」
「アキト」
静かに、されど熱く語るアキトに美咲は花の咲くような微笑みを向け、
「黙れ」
「――申し訳ありません。御許しを」
「わかりゃいいのよ。で、あたしのメリットは?」
「無料でのハウスキーパーの取得及び礼金です」
「デメリットは?」
「月に一度のレポート提出。それだけです」
「ふ〰〰ん」
「悪い話だとは思いませんが?」
たしかに悪い話ではない。
未熟だから選ばれたというのは、正直腹が立つ。しかし事実だし、真剣に傀儡の術に取り組んでいるわけではない。使えて損はない、いわば趣味みたいな感じで覚えているに過ぎないのだ。そんな趣味で使用人を無料で雇え、礼金まで貰える。願っても無いことだ。
なんだか旨過ぎる気もするが、秘密の人形稼働試験とはそんなものなのかもしれない。秘匿性を第一に考えれば、多少の出費は厭わないのだろう。なんせ二〇億ユーロだし。
だが、
「質問」
「なんでしょうか?」
「あれはウソ?」
「あれ、とは?」
美咲は目を細めて、
「初仕事ってヤツ。申し訳がたたないってヤツ。お母さんに合わせる顔がないってヤツ」
アキトは言った。使用人の仕事を絶対成功させると。母や恩人のためがんばると。
「あれは、ウソなの?」
「ウソではありません。訓練と教育は受けていますが、実際の仕事は初めてですし、一週間以内のラボ帰りは皆様を落胆させます。そして、造物主――母の名を貶め(おとし)ます」
「母?」
「開発主任です。私の設計とコンセプト決定。AI構築にEO神経の精製――そして、イクシルの改良を担当しました」
「イクシル?」
聞き慣れない単語に、美咲は眉根を寄せる。「なにそれ?」と訊くと、アキトはネクタイを解き、ワイシャツのボタンを外し始めた。
「ちょ、いきなりなに脱いでんのよ!」
「お見せいたします」
言って、アキトは真っ白な胸板に両手を置く。そして徐に(おもむろ)指を突き刺すと、胸骨ごと胸を開いた。
「ッ――」
悲鳴を呑み込めたのは、慣れていたからだろう。
幼いころより人形に触れ、操り、整備し、分解してきたからこそ、呑み込めた。
ドロリと滴る水銀も、鈍色の骨も、透明度の高い電動筋の束も、予想できたものだった。――ただ一つ、大量のコードと管に繋がれた黒い石以外は。
「これが、イクシルです」
「イク、シル……」
ゴクリ、と息を飲んで反芻する。
「幻糸を受信する宝石の一種……違う。透明度が足りなすぎる。これは金属――なの?」
「私も詳しくは知りませんが――少なくとも金属ではありません。私の中核と動力炉を成しています」
アキトは開いた胸を閉じる。整備上の仕様なのか、胸の裂け目はすぐに消えた。
イクシルが隠れたことに、美咲は残念に思うと同時に安堵した。
アレは真っ当なものじゃない。見ていただけなのに背筋が凍りつき、魅入られたように目が離せなかった。アレは、人間の触れていいものではない。
「どうでした?」
「……とりあえず、あんたのお母さんが只者じゃないことがわかったわ」
「はい。素晴らしいヒトでした。私が美咲様の役に立つことこそが、天に召された母への恩返しです」
「――死んでるの?」
「はい」
「……ごめん」
「気になさらないでください。――質問は以上ですか?」
「え? そ、そうね……」
急にふられて、美咲はどもる。
このしんみりとした空気がイヤで、消すために咄嗟に浮かんだ疑問を口にしていた。
「あたしが断ったら、どうするの?」
次の瞬間、美咲は体を硬直させてしまった。
「データ取り用に分解されます。上層部が指定したモニター候補は美咲様だけですから」
こうやって話しているあいだでさえ忘れそうになるが、アキトは人形なのだ。傀儡師のために働く人形。商品として作られた人形。たとえどれだけ人間に近くても、人形である以上は人権などない。
「……いいわ。その話、乗ってあげる」
顔を明るくさせたアキトが口を開くが、美咲が遮る。
「ただし、条件付でよ」
彼女は真剣な顔で、
「条件は美琴にあんたが人形だってバレないこと。知られたら即解約。その条件で仮契約をして、一週間後までに正式に契約するか決めるわ。――悪く思わないでね」
「当然の判断です。むしろ、その判断を望んでいました。それでこそ傀儡師です」
「そ、そう」
「では、書類にサインと指印を。これはモニターとしての仮契約書になります。あたっての仮契約事項及び私に関する情報はこちらに入っています。必ず目を通してください」
渡されたメモリースティックを揺らしながら、出された書類にサインし、指印を押す。
「はい。これでいいわね」
「ありがとうございます、美咲様」
好青年のように微笑むアキトに、美咲はむず痒そうに自分の体を抱いた。
「そんな言葉使いやめて。ガラじゃないの。あと、様も禁止――元に戻しなさい」
「助かります。表面人格<スレイブ>の使用は、私の演算能力を三%も低下させるのです」
では、解除します。と目を閉じるアキト。理想的ともいえる笑顔が幼いものとなり、口調もまた同じく。
「はぁ〰〰……疲れました、ミサネェさ」
あっ、と口を塞ぎ、アキトはためらいながら、
「――ミサネェ」
「……まぁ、いいわ。それくらいは妥協してあげる」
美咲はぶっきらぼうに言った。
†
裕子と別れてひとりの帰宅、我が家を囲う塀を見た美咲は目を丸くした。
「おおっ、あれだけ汚かったうちの塀がこんなにも……」
本来の色を取り戻した塀に触れながら「やるわね」と呟く。
アキトが訪れてからというもの、うれしい驚きの連続だった。
まず、屋敷からほこりが消えた。リビングや台所は無論、廊下に使用していない部屋、更には倉庫さえ生まれ変わったようにきれいになった。
次に庭全体が見渡せるようになった。視界を遮る荒れ放題、伸び放題だった雑草は刈られ、夏直前のプールのように透明度ゼロの池は、鯉が棲めるようなものへと変わった。
そして今日は、汚れに汚れた万年塀。となると、明日あたりは道場の壁だろうか。
日に日に改善されていく我が家の生活環境に、美咲は気分を良くする。
「うんうん、なかなか有能じゃない。本契約しちゃおっかな」
ごきげんな顔で美咲は門を潜ると、表情が固まった。
「――は?」
デンと存在するのは箱。
縦横二メートル、奥行き三メートルの、コンテナ風の木箱が庭に鎮座していた。
「……なに、これ?」
見覚えのない箱に疑問を募らせていると、縁側から美琴の声が上がった。
「おかえり」
「ただいま、美琴。悪いんだけど、ちょっときてくれない」
「わかった」
読書中だった美琴は、読んでいたハードカバーの本を閉じるとメガネを外し、サンダルを履いてから姉のとなりに来る。美咲は箱を指差して、
「コレ、なに?」
「……パイールバナナ」
ポケットから出した伝票を覗き込みながら言う。
たしかに、箱の中央には英語で『パイールバナナ』と書かれている。
うん。間違ってはいない。間違ってはいないが、ンなこたぁ聞いちゃいない。
「じゃなくて。いつ、どこからきたか知らない?」
「三〇分前。クレーンで下ろしてた。個人宛では初めてみたい」
「でしょうね。誰宛なの?」
「……わからない」
「見せて」
「ん」
伝票を受け取った美咲は眉を寄せる。
「国際便? 外国からみたいだけど……なんて読むのかしら?」
書かれた文字は英文体らしいのだが、読めない。しかし工藤宛ではないことはわかった。受取人の欄に書かれた頭文字が、KでもMでもない。
「送り間違いね。引き取ってもらうにしても――それまでどうしたものかしら?」
美咲は何気なく木箱を小突いた。
すると突如にしてあっけなく外れる側面。
「――はい?」
二人に向かってゆっくりと倒れてくる。そのサイズ、姉妹を押し潰せるだけはあった。
「運んできた人が釘を外しておいてくれた。開けるときは気をつけたほうがいい……」
「そういうことは、先に言っときなさい!」
二度目となれば対処も早い。美琴を小脇に抱えると、木箱から距離を取った。
側面が音をたてて倒れる。庭にバナナがぶちまけられた。
「あっちゃ〰〰〰」
美咲は顔を手で覆った。
「……弁償かしらね、これ」
「……いくら?」
「考えたくもないわよ。――とりあえず拾うから、手伝って」
うなずく妹。姉妹は庭に散ばったバナナを拾う。腕一杯抱えるとコンテナの中に戻し、
「……ん?」
いま、バナナの中でなにか光ったような。
首を傾げた美咲は、恐る恐ると両手を木箱の奥に入れた。
「なにこれ……あったかい? しかもなんだかふわふわして――」
目が合った。バナナの底にいるなにかと目が合った。
美咲が腕を引っこ抜くより先にバナナが盛り上がり、大量のバナナごと押し倒された。
「うひゃぁっ!」
「―――――」
悲鳴は美咲、硬直は美琴。
「なに! なんなの!? 食べられる!? バナナに食べられるの!? ヒッ――!!」
生暖かくてべっとりとしたものが、顔を這った。生理的嫌悪感に、美咲の顔が真っ青になり、パニック状態に陥る。
「いや! いや! くるな、こないで! バナナ!! バナナの星に帰れ!!」
近くにあったバナナを掴んで、伸しかかるそれを追い返すように振る。ソレは驚いたように横に飛びのき、美琴の背後に隠れた。
「…………犬だ………」
「………いぬ?」
思いもよらぬ言葉に、美咲は我に返る。
上半身を起し、目を擦り、ソレを凝視した。
たしかに、それはイヌだった。主な毛並みは灰色。部分部分に生える毛は薄い黒。瞳は銀一色で、前に突き出た口には鋭い犬歯が並んでおり、イヌの特徴があった。
「イヌ――なの?」
美咲はなにかひっかかり、疑いの目で妹と見詰め合うイヌを見る。
大きい。二本足で立ち上がれば自分より高いであろうサイズのイヌ。それはもうイヌではなく、
「オォォォォォォオカミィィィィィィィィッ!!」
大きかった。尾が太かった。足が細かった。牙がやけに鋭かった。目が怖かった。
「………トリもいる」
「ば、バカ! 離れなさい美琴――って、トリ?」
美琴の視線を追うと、小山となったバナナの頂点にトリがいた。
美咲の頬がヒクリと引き攣る。
羽があった。嘴があった。鉤爪があった。たしかにトリだった。トリではあったが、
「タァァァァァァカァァァァァァァッ!!」
猛禽類だった。凶悪なツラだった。白の眉斑と黒の眼帯にハンターの威厳があった。
絶叫し混乱する美咲。どことなくうれしそうにオオカミとタカの頭を撫でる美琴の姿が拍車をかける。
「狼に鷹――オオカミにタカ!? なんで!? なんでバナナからオオカミとタカが!? って言うか、早く美琴を助けないと!!」
そこで、狼と鷹と目が合う。肉食獣VS人間。
「勝てるかああああああああああああああああああああ―――――――――ッ!!」
脳内小人による脳内議会、満場一致即決の叫びだった。
ビックリする畜生ども。予想外の反応に混乱度UP。
「ええい! 考えるのよ美咲! あなたにはお父さんの優秀な血が流れているのよ!!」
考える美咲。その顔は知的な美少女だったが、握ったバナナがブチ壊している。
「……待った。どうして箱からタカとオオカミがでてきたの? 絶滅危惧種よね?」
ある結論が浮かんだ。
「――まさか、密輸入品? 手違いでウチに来たの!?」
だとしたら、マズイ。警察に通報したら、取引場と勘違いされて家宅捜索を受けるかもしれない。工房には禁制品が多数あるのだ。隠し階段がバレたら、尋問&逮捕される。
しかし、だからといってこのままというわけにはいかない。ご近所さんに通報される。ベストなのは努力と根性で鷹と狼を木箱に戻し、素知らぬ顔で運輸会社に返すことか。
――いや、ダメだ。釘の状態で一度開いてしまったことがバレている。密輸入業者から口封じされる可能性が高い。そして、もっとも確実な口封じは、死体にすること。
美咲の顔から音をたてて血の気が引いていった。
「四面楚歌!? 名古屋港に沈むの!? それとも臓器を採られるの!?」
絶望的な現状。頭を高速回転させて暗すぎる未来を想像していたら、肩をたたかれていることに美咲は気づいた。
「どうしたんですか、ミサネェ?」
振り返ると、大量のビニール袋を抱えた買い物が帰りのアキトがいた。
「あ、アキト……?」
美咲は小さな希望を見つけた。近日株価を上昇させてきている優良な希望だ。
そうだ、うちにはいま人形がいるんだ。二〇億ユーロの最新型の試作人形。そんな巨額な資金をつぎ込めるのだから、大企業に決まっている。ならばアキトを通して、その企業に連絡すれば、なんとかしてもらえるかもしれない。
友人に大極道がいることをすっかり忘れている彼女は、希望に縋った。
「いいところに帰ってきたわ、アキト!!」
木箱を指差す。次に美琴に撫でられる狼と鷹に向けて、
「戻ってきたらコレが置かれてて、中からバナナに紛れて出てきたの! 密輸入の片棒を担がされた可能性があるわ! すぐに――」
「……ウォルフにファルケ? えっ、もうついたの?」
「―――はい?」
哺乳類のウォルフと猛禽類のファルケが、うれしそうに鳴き声を上げて寄ってくる。
「あは。久しぶりだね。元気にしてた?」
アキトは足元でじゃれつくウォルフの頭を撫で、肩に下りたファルケの首をくすぐってやると、同じく歩み寄ってきた美琴がアキトの手を引っ張った。
「……アキトのペット?」
「ボクのしもべです。こっちのオオカミがウォルフ、タカのほうがファルケって言います。ほら、ウォルフ、ファルケ。ちゃんと挨拶して。彼女がキミたちの護るボクのご主人さまの一人、ミコト・クドウ――ミコネェだよ」
ウォルフが美琴の手を舐め、ファルケが頬に頭を擦りつける。少女は微笑んで、二匹を抱きしめた。
「……よろしく……」
「………。ねえ、アキト」
顔を伏せた美咲は、静かな声で呼んだ。
「これ、アンタのペット?」
「ですから、しもべです。ボクをサポートしてくれるんですよお」
「つまりは、あんたの持ち物ってことよね?」
「えっと……そう、ですけど……」
顔をあげた美咲はにっこりと微笑み、握っていたバナナをアキトに手渡すと、
「紛らわしいのよッ!!」
鋭いフックがアキトの顎を襲う。
株価は大暴落。本契約は先延ばし決定となった。
午後の六時。
アキトに木箱の解体を命じると、美咲はシャワーを浴び、ジーンズとTシャツの私服に着替えた。そしてリビングに訪れソファーに座り、改めて手を擦る。
「あたたた……」
「大丈夫ですか?」
リビング入り口で、救急箱を抱えて現れたアキトが尋ねる。
木箱の解体は既に終わったのだろう。風呂場に入るときは厚手のツナギを着ていたが、いまはいつものスーツ姿だった。
小走りで近づいてきたアキトに、美咲は顔をしかめながら言った。
「まだ痛むわよ。あんた、ずいぶん硬いのね」
「えっと……一応は、人形ですから」
「……失念してたわね」
「それより、見せてください。治療します」
「いい、かまわないで。それより――」
視線を庭に向け、妹が外にいるのを確認してから訊く。
「あの畜生どもはなに?」
「ウォルフとファルケ。肉体一部に機械化処理を施した半機獣――動物版サイボーグです。有能なんですよ」
頭を美琴のほっぺに擦り付けるタカのファルケ。ゴロリと横になり腹を見せるオオカミのウォルフ。美咲は二匹に冷たい目を向けたまま、うさんくさそうに呟いた。
「有能、ねぇ……まあいいけど。で、その半機獣とやらが、なんでうちに来てるのよ」
「へ?」
キョトンとなるアキト。まじまじと見つめられて、美咲は心地悪そうに身を引く。
「……なによ」
「えっと……ジョーク、じゃないですよね」
「はあ?」
「見てないんですか……」
ため息をついたアキトは、ドイツ製PDAを取り出すと手渡してくる。不審な顔で受け取った美咲が画面を覗き込むと、PDFファイルが起動していた。
「これがなに?」
「これは仮契約に関する各種規定とボクとその周辺機器の情報が記されたPDFです。必ず目を通してくださいって、仮契約の際に渡したんですけど……」
「あ〰〰、そーいえば、もらった記憶があるような、ないような……」
「……閲覧してませんね……」
「ア、アハハハ」
誤魔化し笑いを浮かべていると、アキトは液晶画面を指差した。
「ここをクリックしてください」
カーソルを動かし、指差された場所でクリックする。規定の一つが日本語で表示された。
「『規定二十九項。契約にあたってYr-03が所有するすべての部品と道具が配送される』? あの二匹って、あんたの道具扱いになるの?」
「主人のボクが人間じゃないですから。それにウォルフとファルケはボクの機能を補助するためのオプション的な役割もあります。位置的にはゴーレムや人形と同じですよ」
「ふ〰〰ん」
そんなもんかな。美咲は思いながらPDAを操作する。『半機獣』という項目が目に入り、クリックしてみた。
「えーと、なになに――『Yr-03には専属のサポートユニットがおります。サポートユニットはごくごく普通の身近にいる動物ですが、特殊な処理が施されており、買い物から偵察、お子様の遊び相手から要人暗殺まで幅広い――』って、アホかッ!!」
さわりの段階でアキトに喰いかかる。
「どこの世界にここまで両極端なペットがいるの!? そもそもタカとオオカミって凶暴極まりない肉食獣じゃない!!」
「アハハ、違いますよ〰〰」
珍しくうろたえないアキト。自信を持って訂正する。
「オオタカとハイイロオオカミです」
「余計にタチが悪いわ! 絶滅危惧種と元絶滅危惧種じゃない! 日本のどこに、ここまで目立つ猛獣を飼って一般家庭があるの!?」
「……いませんか?」
「いてたまるか!!」
「で、でも日本には一〇〇匹以上の動物を飼うヒトがいるって……」
「ムツゴロウ王国と比較するんじゃないの! あれは別よ、別! つーか、いくらムツゴロウさんでもワシントン条約に引っかかる動物は飼ってないわよ!!」
「そ、そうなんですか。でも、大丈夫ですよ」
「どこが!?」
鼻息荒くつっかかる美咲に「と、とりあえず聞いてください」とアキトは提案する。いまにも飛び掛りそうな体勢だと気づいた美咲は、コホンと咳をついてイスに座りなおした。
「……いいわ。聞いてあげる」
「ありがとうございます。まずはウォルフですけど、あのコはシベリアンハスキーで通ります。よく似てますし、生物学者や獣医でもない限り違いはわかりません。それにそもそも、ハイイロオオカミは日本に生息していませんから、たとえ見られても、オオカミ犬だと言えば問題ありません」
「タカ――ファルケだったけ? あれはどうするの、こればかりは言い逃れできないわよ」
「ええ。確認されれば言い逃れはできません。けど、あくまでも見つかれば、の話です。高度一〇〇〇フィートを飛行するファルケを、タカと見破れるヒトなんていませんし、クドウの家は三メートルの塀で囲まれています。人目につくことはまずありえません」
「そりゃそうなんだけど……」
いまひとつ、安心できない。アキトの言うことにはそれなりの説得力があるのだが、机上の空論と言うべきか、決め手にかけるのだ。
「安心、できませんか?」
「う〰〰〰ん、ちょっと、ねぇ……」
「なら、これを見て安心してください」
アキトはウォルフの背に乗ったファルケに視線を向ける。気づいたファルケは縁側に飛ぶと、器用に頭で窓を開け、これまた器用に雑巾で足を拭くと、彼の肩に飛んできた。
「ファルケ、光学擬態タイプ4」
肩にとまったファルケの体に紫電が奔る。一瞬の輝きの後、全身が空の色に変わった。
「――うそ。光学迷彩!?」
「その一種です。色を変えるだけで、さすがに完全な透明化はできませんけど――これで充分だと思いますよ。ウォルフもできます」
「……たしかに、充分よね」
色を変えた二匹を見て狼や鷹とは気づくものは少ないだろう。現在開発中の技術を目の当たりにして、美咲はいまさらながらアキトが最新鋭の人形であることを思い出し、ようやく固い表情をほぐした。
「わかったわ。納得した」
伝染して、アキトもニヘラと笑う。
「よかったあ。これで次の話に移れますよお」
「まだなんかあるの?」
「えっと、ですね。カードの使用許可が欲しいんです」
美咲の顔に固さが戻る。
ハウスキーパーとしての仮契約の際、生活費は月々アキトの口座に振り込むことになっていた。生活費が途中で足りなくなった場合には、美咲の許可を得ることで工藤家の口座のキャッシュカードが使える。
そして生活費は、つい昨日に振り込んだばかりであった。
「あっ、ち、違うんです! 今月分はまだたくさん残ってるんです!」
「じゃあ、なんでよ」
「故障した電化製品が多いんですよ。特にトースターなんて、使い物になりません」
アキトが来るまで炭化した朝の主食を提供していたトースターを思い出した。
「あー、調子悪かったもんね。あのトースター」
「トースターだけじゃないんです。掃除機にドライヤーにアイロンにエアコン。どれもいつ壊れてもおかしくありませんし、雑貨品だとホース、バケツ、鎌が買い替え時期です。ほかにも色々とありますから、この機会に一気に買い換えようと思うんです」
「ふーん。どれくらいかかるの?」
「えっと、こちらのリストに詳細を書いたんですけど……」
おずおずと渡される。必要度合いがABCに別けられたリストを受け取った美咲は、総費用額を見てぎょっとした。
「こ、こんなに!?」
「大型電化製品の大半の寿命が過ぎてるんです。丁度、商店街で春の家電製品フェアをやってますから、出費を抑えるためにまとめて買いたいんです」
「う〰〰ん……」
大量の家電を買うのはさすがに勇気がいる。渋い顔の美咲にアキトは別の提案をした。
「ならBランク以上のものだけでもお願いします。電化製品のほうは、修理してみます」
「できるの?」
「パーツがあれば、ですけど。メーカーももう生産していませんから、粗大ゴミ処理施設やリサイクルショップで探すことになると思います」
「やめなさいよ、そんなみみっちいこと。――わかったわ、許可するわ」
「ホントですか! なら、これがボクのオススメの型式です。耐久年数と信頼性を重点に選びました。ほかにも候補を上げておきましたので、好きな型にチェックを入れてください。決まりしだい買いに行きます!」
と、なにがうれしいのかホクホクの笑顔で出される新たなリストは、数字とアルファベットのみ。機械ならではの記憶力を持つアキトにとっては、それが一番わかりやすいのだろうが、美咲は人間だ。わかるはずがなかった。
しばらくジッと見ていた美咲は、おもむろに紙を破いた。
「ああ! ど、どうして……」
「あたしって実物を見てからじゃないと、信用できないタイプなのよね。いっしょに行くわ。今日は金曜日だから、明日でいいわよね。学校ないし」
「で、でも、これってボクの仕事ですよ。ミサネェに手伝ってもらうわけには……」
「いいじゃない、別に」
「よくないですよお。ボクの存在意義に関わりますぅ〰〰〰」
泣きそうな顔で言うアキト。美咲は少し考えると、庭の妹に声をかけた。
「美琴」
「……なに?」
「明日、買い物に行くけどあんたも行く?」
「本屋さん、寄る?」
「好きな本、一冊買ってあげる」
「行く」
即断する美琴。美咲は微笑むとアキトに視線を戻した。
「と、言うわけで。明日は家族と使用人揃って買い物ね。文句あるの?」
「うぅ〰〰〰」
批難がましい目。いつになくしつこい。しかたなく、美咲は主として言った。
「アキト、これは命令よ」
命令。人形である以上、命令は絶対だ。
「あんたはあたしたちと一緒に買い物にいく。わかった?」
「……Ja」
「よろしい」
不服そうなアキトとは対照的に、美咲は満面の笑みを浮かべた。
†
ボクはなんのためにきたんだろう――。
繁華街の喫茶店にてアキトは思う。
自分の役目は工藤家の世話。家事のすべてを担い、主人を補佐するのがその存在理由だ。
従って、家の雑務は自分の仕事であり、まったくもって主人が気にする必要はない。そもそも人形は、主人を煩わせる物事を片付け、研究や趣味に没頭できるよう作られたのが、そのはじまりなのだ。
――それなのに。
「いやー、今日は買ったわねぇ」
ご満悦の様子で、美咲はアイスコーヒーをすすりながら言う。
「まさかスーパーのムラタが開店八〇周年記念をやってるなんて。ラッキーよね」
ほくほく顔の美咲は大量の食料品をぽんぽんとたたく。
「ちょっとハリキリ過ぎたわ」
「……………」
アキトのメモリに浮かぶのは、購入した必要物資の配送手続きを終えたあとのこと。さあ、これらからどうしようか、と美咲が言ったのちの出来事だ。
『八〇周年企画、現品限りの一律八〇円セール!』
そのPOPを見た瞬間、美咲は鬼となった。
「美琴、ついてきなさい! アキトはそこで待機! 一歩でも動いたら解約よ!」と、叫ぶや否や、姉妹はセールというなの戦場に飛び込んだ。
隙間ともいえない隙間に無理やり割り込み、セールス品を奪い取る。同じ商品を求める手は最小限の動作で払いのけ、かごがいっぱいになると「絶・対・死・守!」の言葉と共に投げよこして、また戦場に飛び込む。
繰り返したのは姉妹合わせて計七回。ハリキリ過ぎもいいところだった。
そして、それは人形のやることで、主人のすることではない。絶対、ない。
「あの、ミサネェ。さっきのセールのことですけど……」
「ん、なに?」
「あれはちょっと、どうかなあ、と思います」
「?」
「あれは、ボクの仕事です。一言『行け』って命じてくれれば、ボクはどんな場所にも行きますし、どんな任務も果たします。だからその、あのようなことは……」
「あんた、あの状態で買い物できる?」
「うっ……」
「できないでしょ。あんたにゃムリよ。気迫が足りないもの」
「い、いまはできないかもしれませんが、すぐにできるようになります! 経験さえ積めばボクにできないことは少ないんです。だからミサネェは、もっと別のことをするべきだと、ハウスキーパーのボクは思います」
「別のこと?」
訊かれて、アキトは周囲を見渡す。聞き耳を立てている者、お手洗いに行った美琴が戻ってこないことを確認してから、言った。
「えっと、音楽鑑賞や絵画鑑賞。スポーツや勉強や読書や――傀儡術の鍛錬、です」
「……傀儡はなんとなくやってるだけよ。本職にするつもりはないわ」
不機嫌な顔で美咲は言った。
どうやら傀儡に関することはタブーらしい。アキトは理解したが、あえて言った。
これは、知らなければならないことなのだ。
「ミサネェは、傀儡の才能があります。基礎もしっかりしてて、合理的なものです」
でも、と続ける。
「……指向節に入ると、その質が極端に落ちます。まるで幻糸を扱う無線傀儡からは、独学で覚えたみたいに……」
「……………」
「ミサネェ。お師匠さまは、いないんですか?」
問いかけに、怒気を含んだ視線で美咲は応えた。
「アキト、あんた何様のつもり?」
「……えっ?」
「何様のつもり、って聞いてンのよ」
アキトを睨みつけ、怒りに震える声をぶつける。
「あんたは人形。あたしは主人。主人のプライベートに干渉するのが、人形の役目なの?」
「……す、すみません……で過ぎたまねを、しました……」
「二度とその話をするんじゃないわよ」
吐き捨てると、美咲はメインストリートに視線を向ける。
美琴が戻ってくるまで、ふたりが言葉を交わすことがなかった。
買い物を終えての帰り道。
子供連れの夫婦や若者でごった返す商店街を進む美琴に、美咲は訊いた。
「今日は楽しかった?」
「うん。本、見つかった」
ぎゅっと本を抱く美琴。その笑顔につられたように、美咲の顔に笑みが浮かぶ。
が。
「あ、あの。ミサネェは、楽しめました……?」
「……ぼちぼちね」
一瞬にして貼り付けられるのは不機嫌の大文字。歩幅が僅かながら大きくなり、戦利品を抱えたアキトを置き去りにするよう進んでいく。
美琴が戻ってから三〇分、話しかければ返ってくるのは、合成音のような言葉。表情もまた一世代前のアンドロイドのごとく固い。
アキトは歩行速度を上げると、美咲に並ぶ。そして謝る。
「ご、ごめんなさい」
「なんで謝るのよ」
「えっと……ミサネェが怒ってるみたいですから」
「怒ってなんかないわよ」
「さ、さっきのことはホントにごめんなさい。もう二度と訊きません。だからその、機嫌……直してくれませんか?」
「だから、怒ってなんてないわよ!」
アキトの顔を見ようともせず、大股でずんずん進んでいく美咲。
取り付く島もないとは、このことを言うのかな。
いくら謝っても返ってくるのは不機嫌の文字。打開のきっかけも得られない。どうすれば機嫌を直してくれるんでしょうか。
動きを自動化させて考える。――そのためだろう。対応が遅れたのは。
「きゃっ!」
短い悲鳴と共に上がるのは柔らかいものがぶつかる音。内なる世界から外の世界へと意識を移行させたアキトが見たのは、尻餅をつく美咲と駆け出す男の姿だ。
アキトはすぐさま美咲に駆け寄った。
「ミ、ミサネェ! 大丈夫ですか!?」
「お姉ちゃん、大丈夫?」
「イタタタ……なんなのよ――って、あたしのバック!」
美咲の叫びに、アキトは一〇秒前の視覚データを再生させる。人ごみから現れた男が美咲を突き飛ばすと、バックを強奪する姿が映っていた。
ひったくり。手荷物を奪う強盗の一種だ。
即時解決の対応方法はひったくりの捕獲。難しい場合は警察へ通報し、通信会社と銀行に口座の即時凍結を命じるのが一般的だ。
マニュアルに従い、荷物を置いたアキトが追おうとすると、
「なめんじゃないわよ、このひったくらーが!!」
バネ仕掛けのおもちゃのように立ち上がった美咲が、全身から怒りを放って走り出す。
「どいたどいた! 邪魔よ、邪魔! 邪魔っていってンでしょッ!!」
セールス戦争の鬼の再来だった。
美咲はざわめく人ごみの中に飛び込むと、拳にものを言わせて道を作る。
「――あっ。ま、待ってください!」
我に帰ったアキトが追いかけようとすると、
「あんたはそこで荷物番! 動くんじゃないわよ!!」
血走った美咲の目。命令に、体が硬直してしまう。
「待てっつってンでしょ!!」
響く怒声に唸る拳。周囲からどよめきが上がり、それを広げながら美咲は消えて行った。
「……行っちゃった」
「ど、どうしましょう?」
アキトがおろおろとする中、美琴は冷静に問題解決に動く。
「……交番。行ってくる」
「そ、そうですね。ならボクも」
「アキト。待つ」
言って、美琴は人ごみの中に紛れ、消えた。
これで困ってしまうのはアキトだ。荷物をもったまま、ひとり固まってしまう。
本来ならば一番に追わなければならないのに、『待て』と命令されてしまった。
命令には絶対服従。主の危機に関してのみ制限は解除されるが、今回の場合は生命に関わるほどの危機になる確率は低い。
それ以前にだ。この人ごみでは本来の速度がだせない。前回と同じよう、追いつくどころか離されるだけという結果は、目に見えていた。しかもアキトは、ひったくりの姿を既に見失っている。
「うう……どうしましょう〰〰」
考えるアキト。最良の結末は、美咲より先にひったくりを見つけ、取り押さえることだ。
時間が勝負である。時が過ぎれば、ひったくり捕獲の手間は上がり、成功率は反比例して低くなる。そして、この人ごみを潜り抜ける『足』と、ひったくりを見つける『目』が必要不可欠。更には制限に引っかからずに行動する必要もあった。
「……出番、みたいですね。待機させておいてよかった、早くもチャンスです」
手に持った買い物袋を見ながら、アキトは呟いた。
購入物は大半が配送。今現在持つ買い物袋の中身は、美咲と美琴が手に入れたもの。
今日は役にたっていない。しかも昨日、ウォルフとファルケを紹介したときの美咲の顔。
胡散臭い。それ、役に立つの?
思い出したアキトは、よく通る声で呼んだ。
「ファルケ!」
一〇秒もかからず飛来したのは大鷹。
獰猛な猛禽類の出現に、周囲から悲鳴が上がるがアキトは無視する。時間が惜しい。
「ミサネェのバックを奪ったドロボウを見つけるんだ」
無線回線で画像情報を送ると、ファルケは低く鳴いて了承の意を伝えた。
「いいコだね――行け! クドウ初の任務だよ、ミサネェとミコネェにキミの力を見せつけるんだ!」
アキトの言葉にファルケは力強く羽ばたいて応える。テンションが高い。飛翔するとあっというまに見えなくなった。
光学迷彩により、ファルケが空に溶け込むのを視認すると、近くの細い路地に目を移す。
「ウォルフ。キミも出番だ」
日陰になっていた路地裏からハイイロオオカミが現れた。また悲鳴が上がるが当然無視。
「ファルケと協力してドロボウを叩きのめすんだ。バックには傷一つつけちゃいけないよ」
ウォルフは吠えて了承を伝えると、身を低くし疾走。ファルケに負けてはなるものか、という意気込みが見える走りだ。かなり速い。
「――うん、いい気迫だ。これならすぐに解決しますね」
腕を組んがアキトは呟く。その顔が実に誇らしげなのは、自慢のしもべが全力で命令を遂行しようとしているからだろう。
アキトが誇る忠実な二匹の半機獣。
ファルケこと天空の覇者のオオタカは、『目』を強化した情報収集を得意とする支援鳥。
ウォルフこと誇り高きハイイロオオカミは、『足』を強化した狩りを得意とする戦闘獣。
人語を解し、理性と野生を両立させた二匹に捕らえられぬものなどない。
「あとは待つだけですね〰〰」
無数の好奇の視線に曝されながら、アキトは言われたとおり待機する。
遙か遠くから悲鳴と怒声――サイレン音が上がったのは、捕獲が終了したころだった。
†
商店街から二キロほど離れた再開発区域。
東海尾張大震災の爪痕が未だ残る区域内で、美咲は怒声を上げた。
「まったく、信じられない!」
肩を怒らせ歩いていた美咲は、振り返るとまた怒鳴った。
「あそこまでやる、フツー!?」
「……ごめんなさい」
美咲から距離を置いて歩くアキトは、頭を下げた。
「で、でもですね、クドウにきて初の実戦だったんです。意気込みが強すぎただけで、彼等なりにミサネェの役に立とうと――」
「黙りなさいッ!!」
言われたとおり口を閉じるアキト。美咲は主の斜め後ろを歩く、二匹の猛獣を睨んだ。
「それ以前の問題よ! アレはなに、アレは!」
『アレ』とはバックを盗んだ男との追走劇が終盤に入ったときのことである。
男が袋小路に逃げ込んだとき、事は起こった。
悲鳴染みた男の絶叫――飛び込んだ美咲が見たものは、盗人を襲うオオタカとハイイロオオカミの姿であった。
電柱の後ろでビクつく二匹に美咲は叫んだ。
「あんたら、食い殺すつもりだったの!?」
腕を食い千切ろうとしていたウォルフと目玉を抉り出そうとしていたファルケは、主共々(ともども)『しゅん……』と縮こまる。美咲が止めなければ惨事となっていただろう。
「大体ね、なんであんたらがここにいるのよ? 家で留守番してたんじゃないの?」
二匹は揃ってアキトを見た。美咲の頬がひくつく。
「やっぱりね。……あんた、あたしに恨みでもあるの?」
「えっと、その、あの……ごめんなさい」
また、アキトは頭を下げる。美咲は特大のため息をつくと、揃って落ち込む一体と二匹から目を外して歩き出した。
ホント、信じられないわ。
溶接の音やらドリルが鉄板に穴を開ける音やらが反響する路地で、美咲は頭を抱えた。
この人形とそのお供、妙なところでズレている。
たとえばさっきの続きから上げれば、美咲に怒られたウォルフとファルケはこともあろうか、逃げ出すと大通りに出たのだ。人ごみを掻き分けて、慌てて追ってみれば、アキトの後ろに隠れていた。
アキトもアキトでズレている。大勢の人にウォルフとファルケと接する姿を見られても、ポケ〰〰〰と突っ立っていた。警察官の声が聞こえていたと言うのに。
引き摺ってでも逃げ出さなかったらどうなっていたことやら。
美咲は思考を進める。
礼金と家事からの解放に目が眩み、仮契約してしまったのは間違いだっただろうか。今のうちに解約したほうがいいのでは?
真剣に考えていると、遠くからサイレン音が聞こえた。
内心、ビクリとしながらも平静を装って、アキトに尋ねる。
「アキト。警察の動きはどう?」
警察の無線を傍受するアキトは言った。
「えっとですね――まだ商店街周辺をメインに捜索してますね。聞き込みを行っているみたいですけど、あそこは人通りが激しいですから。難航してます」
「あのひったくりは?」
「全治一週間の軽傷だそうです。ただ、混乱状態に陥っているらしくて、事情聴取もできないみたいですね。――あ、五〇メートル先を左です」
アキトのナビゲートに従い、現れた分かれ道を曲がりながら安堵の吐息を吐く。
「大事にならなくてよかったわ。美琴はどう?」
交番に行っていると知った美咲は、ケータイで美琴に連絡を入れるとそのまま帰るように言ったのだ。そのころはまだ。猛獣騒ぎと物取りは別件として扱われていたらしく「ひったくりはバックを捨てて逃げた。取り戻した」と言うとあっさり帰ることができた。もっとも、この騒ぎで警察官が借りだされたからだろうが。
「もう家についてますね。携帯電話のGPSで確認済みです」
「なんとか逃げ切れそうね。……アキト、あんた足のつくようなものは残してないわよね」
「はい。荷物はひとつも落してません」
「へぇ。あたし、けっこうマジ走りだったんだけど……」
「ボクのバランサーは優秀ですから。……次の角を右です。その先のT字路を左に曲れば、庄内川にでます」
曲がるとすぐに、『ト』の字を描くT字路が現れた。
朽ちたビル群が消えて、傾いた太陽と鉄橋が目に入る。橋を越えれば、家はすぐだった。
美咲は狭苦しい裏路地から抜け出し道路に出ると、足を止めて振り返った。
いてはならない獣たちに、そろそろ隠れるよう、命令しようとしたのだが、
「ミサネェ!」
切迫感の入った声と反対側からクラクションの音。
慌てて振り向くと、でかいダンプカーが自分に向かって突っ込んでくるところだった。
迫り来る巨大な質量。
甲高いブレーキ音が耳をつんざき、暴力的な風が襲ってくる。
硬直してしまった美咲の体をなにかが包み込んだ。
「act skin set maximum.――衝撃に備えてください!」
衝撃が、美咲の体を貫いた。
「――う……あ……」
吐き気を堪えながら、美咲は目を開いた。
頭はグラグラ、背中や首が痛み、胸も苦しい。
思考が定まらない。まるで頭のピンボケだと美咲は思う。
明るいような、暗いような。浮かんでるような、沈んでるような。ストロボの如く明滅する世界は、酷く不安定だった。
なんであたし、ここにいるんだろう……?
思い出そうとするがダメ。どうも記憶が飛んでいる。
とりあえず体を動かそうとして、動かないことに気づいた。
動かない……違う……固定されてる……?
そこまで気づくと、ようやくもどりはじめる視覚に感覚。
世界は暗かった。そして、妙に硬かった。
鉄や岩の硬さじゃない。解凍し切れていない冷凍肉みたいな硬さ。少しだけ熱を持った硬さに体を挟まれていた。
美咲は無理に体を起こそうかとは思わなかった。それはたしかに硬く熱を持っていたが、
「……あったかい……」
そう、あたたかい。懐かしい温かさ。ずいぶんと、久しぶりなぬくもり。失ってしまった温度。美咲は甘えるように、それに頬擦りをした。
「なんだろ……これ。……いいや……なんでも……」
姿勢をラクにして、美咲は硬いなにかに指を這わせる。と、別のなにかに触れた。
それは反転して柔らかいもの。ぬくもりを宿しており、妙に長い。ウインナー?
どこかで触ったことのあるような。そう、たしか、ずっと昔に、お父さんと一緒にお風呂に入ったときに――
「ミサネェ……ちょっと、恥ずかしいですう……」
そこで美咲の頭は覚醒した。顔が見る見る内に紅くなり、目が血走り、パクパクと酸欠の金魚のように口を開閉させて、
「いぃぃぃぃぃぃィィィィィィィやぁぁぁぁぁぁぁァァァァァァァァァァ――――ッ!!」
いつぞやの地下室とは違う別種の悲鳴。それはたとえるならば乙女特有のものであり、恐怖ではなく、多大な嫌悪感とほのかな喪失感からくる悲鳴だった。
顔を赤から青に変えた美咲はズバッ! と体を起こし――膝を崩した。
「わぷっ」
つんのめるとあたるあの硬い感触。鼻を打った美咲が涙目で顔を上げると、アキトが覗き込んでいた。
「大丈夫ですか?」
声を聞いて、顔がまた紅くなる。慌てて離れようとするが、
「あ、あれ?」
下半身が動かない。どれだけ動かそうとしも、うんともすんともしなかった。
「もしかして――腰が抜けちゃったんですか?」
「ち、違うわよ!!」
キッとアキトを睨んで口を開くと、美咲は目を丸くした。
美咲の瞳に映ったのは、アキトの背後のへこんだ鉄骨。
ようやく、思い出した。
自分がダンプに轢かれたことに。その直前、アキトが割り込んで庇ってくれたことに。
「……あ、あんた……大丈夫?」
「はい。この程度の衝撃でしたら問題ありません。アクトスキンも稼働しましたから」
「あの程度って……ダンプにぶつかったんだよね?」
「正面衝突でした」
「で、無傷?」
「少なくとも外傷はありません。念のため、低稼働モードに移行して、自己診断プログラムを走らせているところです」
美咲は呆れてしまった。
ダンプに撥ねられ、鉄骨をへこましながら無傷。どうやらこの人形、内部骨格そのものから規格外らしい。
「大したものねぇ――それで、ここどこ?」
「建て替え途中のビル内部ですね」
「ああ、どーりで……」
あたりにはアキトの背にするような鉄骨が無数に立ち、様々な工事用器具があった。一箇所だけ破れているビニールシートは、吹き飛ばされてきた際に破ったのだろう。
騒ぎを聞きつけた作業員と野次馬たちが集まりだす。彼等は破れた養生幕を見て驚き、抱き合うふたりを見て目を丸くした。
「あ、あはは……失礼してまーす」
美咲が引き攣った愛想笑いを浮かべると、作業員たちが一斉に顔を青くした。
「って、なによ。その反応」
柳眉を逆立てる美咲だが視線が自分ではなく、その頭上に集中していることに気づいた。
「上? 上になにが――」
美咲の顔が作業員同様、青ざめた。
「えっと、一難去ってまた一難――ですよね。この状況を指すことわざって」
アキトはのほほんと言う。
ふたりの頭上では、鉄骨でできた骨組みの一部が崩れはじめていたのだ。
「――これって、さすがにヤバくない?」
「ヤバイです。こんどは後ろに跳んで衝撃を殺せませんし、連続であたるのはちょっと」
「冷静にコメントしとる場合か! さっさと逃げるわよッ!!」
「そ、そんなこと言われても、自己診断中で電動筋の出力が上がらないんですよお」
アキトが絶望的なことを言うと、イヤな音をたてて鉄骨が落下を開始。
悲鳴を上げる美咲をアキトが抱き寄せる。
「ちょ、なにを――」
「大丈夫です」
前髪が触れそうなほどよせた顔に微笑みを浮かべて、
「ミサネェは、ボクが守ります」
とくん、と美咲の心臓が脈打つ。身長差の関係上、いつもは見下ろす形のアキトを見上げているからだろうか。妙に大人びて見えた。
「ボクはそのためにいるんです。だから、心配いりません。大丈夫です」
根拠の無い言葉だが、美咲は信じることにした。アキトの腰に腕を回し、目を瞑る。
アキトは美咲の体を抱きしめると、神に祈るよう、言葉を紡ぎ始めた。
「ボクは詠う、幸福の四葉の詩を。ボクは願う、ユルのルーンの加護を」
不思議な声。不思議な響き。不思議な詩。
それは子守唄のようであり、美咲の体から恐怖が抜ける。
「幸(Der)運(vier)の(blät)四(trigo)つ(kle)葉(es)の(lan)盾(tern)」
流暢な独語で呟くと、鉄骨が大地に激突する轟音が響き渡った。
†
「……大変」
リビングにて、話を聞いていた美琴がそんな感想を漏らす。
「はい。大変でした」
笑顔でうなずいたのは、エプロン姿のアキトだ。
「野次馬に囲まれて、しかもおまわりさんまできちゃいました。逃げるのが遅れてたら、もっと大変なことになっていましたよ〰〰」
彼は野菜炒めを作りながら、続ける。
「運が良かったです。祈りが効いたんですね。おまわりさんからも逃げれましたし、鉄骨はぶつかりませんでした。あとちょっとで、あたるところだったんですよ」
「……奇蹟」
「天国のお母さんが護ってくれたんですね〰〰」
「……………」
ソファーに寝そべっていた美咲は、亡き母に感謝するアキトを見て思う。
――あれ、ホントに運が良かっただけ?
顔を上げたときに見た光景は、運がいいの一言では片付けられないものだった。
自分たちを中心に、円を描くよう突き刺さった鉄骨の数々。それはまるで、ふたりだけを避けるかのように、落ちていた。
アキトがなにかをしたのだろうか。
でもなにを? どうやって?
納得のいく答えが見つからない。寝返りを打った美咲は、アキトの横顔を見る。
菜箸を動かしながら火の通り具合をたしかめる人形。「……おいしそう」と覗き込む美琴に「自信作です。味見しますか?」と言いながら野菜炒めを小皿に乗せて渡している。
美咲はふと思う。
いったいどんな傀儡師がアキトを作ったのか。
喋り考え笑う。この限りなく人に近い人形をなぜ作ったのか。
脳裏をかすめるのは栗色の長髪をポニテールにした女の姿。
「まさか、ね……」
美咲は頭を振ると可能性を否定した。
ありえない。あの女がこんな人形を作るはずがない。
あの女にとって、人形など道具に過ぎない。意見を言うような人形を作ったりはしない。
誰が作ったかはわからないが――少なくとも只者ではないことはたしかだった。
†
街の中心にあるホテルの最上階。そこに女はいた。
照明の消された部屋の中、彼女はコーヒーを片手にノートパソコンを覗き込んで笑う。
「――Der vierblättrige Klees lantern.四葉のクローバーの盾、ね」
唯一光を放つディスプレイに浮かぶのは、夕暮れに起こった事故の映像だ。
建設途中のビルの一部が崩壊。数本の鉄骨が抱き合う男女の座り込んだ場所へと吸い込まれるように落ちて行き――ずれる。
ふたりを潰すはずの鉄骨が、男が左手を上げると同時に軌道をずらす光景が映っていた。
それを何度も何度も繰り返し見つづけた女は呟く。
「風を障壁状に発生させる叙術? それとも不可視の腕を作り出す複製術かしら?」
指を噛みながら続けるものの、推測の域をでない。
「実際に見ればわかるのですけど……。それは後日の楽しみにしましょう。にしても、四葉のクローバーなんておしゃれな術」
女は熱い視線をディスプレイに映る男へと向けた。
「気に入りましたわ。Yr-03――アキト・ユル・アイデ」
もう一度笑い、女は前祝とばかりにコーヒーを飲む。
途端、笑顔が消えた。
「………苦いですわ」