プロローグ
初投稿の作品です。
いたらぬ部分等あると思いますが、動物園のパンダでも見るような眼で、見てやってください。
この下にお母さんがいる。
足元の階段を覗き込んで、工藤美咲はゴクリとのどを鳴らした。
道場の床下に隠された扉より始まる地下への石段は、闇に呑まれて終わりが見えない。
あたかも魔界への道。モンスターがうようよしているダンジョンの入り口。
『入ってはいけない』と母の注意を思い出し、美咲は帰ろうかと考えたが、すぐに顔をぶんぶんと横にふって消した。
あたしはお母さんに会わなきゃいけない。会ってクグツを見てもらうのだ。
これは試練。お母さんのようなりっぱなクグツシになるための試練なのだ。きっと。
お母さんはこの奥にいる。お母さんに行けて、あたしが行けないはずがない。たぶん。
揺らぐ決意を、なけなしの勇気で奮い立たせた美咲は、装備の数々(かずかず)を確かめた。
右手には懐中電灯、左手には木刀。非常食のお菓子とジュースが満載してあるリュック。
そして、ポケットの中には人形。
――かんぺきだ。これならどんなモンスターがきても大丈夫。
気合を補充した美咲は、懐中電灯のスイッチを入れ、へっぴり腰で石段を降り始め、
「なにやってんの、美咲?」
耳元で囁かれて、美咲は悲鳴を上げて逃げ出す。
「ちょ、あぶないわよ! そこ滑りやすいの!」
切迫した声に「えっ?」と思うと姿勢が崩れた。
足が石段を踏み外す。美咲の体は闇の奥へと落ちていった。
目を覚ました美咲が見たのは母――美紀恵の顔だった。
ポニテールにした栗色の髪にぱっちりとした鳶色の瞳。
お母さんが、自分を覗きこんでいた。
「大丈夫、美咲?」
頭はちょっと痛くて、ぼんやりとしたが、大丈夫とうなずいた。
「そう、よかった。起きられる?」
もう一度うなずき、美咲は膝枕をされていることに気づいた。
後頭部から感じる温もりが心地良く、ずっとこのままでいたかったが、お母さんに迷惑をかけてはいけない。寂しく思いながらも体を起こした。
「ホントに大丈夫みたいね」
美紀恵はほっと胸を撫で下ろすと、打って変わって厳しい顔を美咲に向けた。
「どうしてあんなところにいたの? ここにきちゃいけないって、いつも言ってるわよね?」
美咲は薄暗い部屋を見渡した。
コンクリートの壁と床。低い天井。そして、部屋を埋め尽くす無数の人形。ここは地下にある母のコーボーだと気づいた。
「答えなさい、美咲」
「あ、あのね……」
息を飲んでから、美咲は言った。
「み、見てほしいの」
「なにを?」
「クグツ。あ、あたしのクグツ、見てほしいの」
発声につまずきながらもなんとか言い終えると、自分の人形を取り出す。
ポケットから出てきたのは、人形とも言えない人形だ。
親指サイズの木片と木片を、糸で繋げただけのもの。アルプスかどこかの山中にある土産物屋の隅っこに、埃を被って放置されていそうな、できそこないの民族工芸品のような人形だった。
そんな人形とも言えない人形を床に置いた美咲は、人形の背中――人間でいうと背骨の辺りから伸びる糸を両手で握り締めた。そしてまぶたを下ろすと、囁きを始める。
「あたしはうたう、もぞうなるきょぐうのこえを。もしたなれ、つくりしあるじのねがいをきけ。もされたなれ、のぞみしあるじのねがいをきけ……!」
囁きが終わると始まるのは怪異。
美咲の握った糸の先、座っていた人形がピクリと震えると立ち上がったのである。
「やった……!」
恐る恐ると目を開いた美咲は、喜びの声を上げた。
「ほらほら! 見て! できるようになったの! クグツができるようになったの!!」
美咲の心に同調するよう、人形はバンザイをする。駆動装置など持たないはずなのに。
一部始終を眺めていた美紀恵は、丸くなった目で美咲と人形を何度も交互に見遣る。
信じられない。そんな表情を浮かべ続ける美紀恵だったが――やがて感嘆の息を吐いた。
「――驚いた。あたしが初めて傀儡に成功したのは、中学のときだったのに」
「ねぇねぇ! すごい? すごいでしょ!?」
興奮した様子で袖を引っ張る美咲に、美紀恵は微笑んでみせた。
「ええ、すごいわ。がんばったのね」
「うん!」
満面の笑みで美咲はうなずくと、目を輝かせて訊いた。
「これでここにきてもいいんだよね! お母さんといっしょにクグツシになるべんきょーしてもいいんだよね!」
「傀儡師になる勉強……?」
「お母さん、言ったよ。いっかいでもクグツに成功したら、コーボーでクグツシになるためのべんきょーを教えてくれるって!」
「……あー、言ったわねぇ」
認めたものの、美紀恵の表情は固い。腕を組んで悩む。
「でもまさか、こんなに早くできるなんて思わなかったし……どうしようかしら」
「……ダメ、なの?」
「うーん―――ま、いっか」
表情から固さを取り除き、笑顔に変えて言った。
「いいわ。教えてあげる。でも、傀儡師の道は険しいわよ?」
「うん! あたしがんばる!」
「よしよし」
美紀恵は美咲の頭を撫でると、名案を思いついたようにピンっと人差し指を立てた。
「そうだ。傀儡が成功したごほうびに、ひとつだけお願い事を聞いてあげる」
「おねがいごと?」
「そうよ。なんでもいいのよ」
「なんでも」
「なんでもよ。欲しい物があるなら買ってあげるし、食べたい料理があるなら作ってあげる。ママはわりとなんでもできるのよ」
「ホントに……ホントになんでもいいの?」
不安そうな顔。そうよ、と美紀恵が言うと、美咲は一転して顔を明るくさせ、
「ならね、あたし、あたしね――」
――願いは七年たったいまでも叶っていない。