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Dear ME.

作者: 蓮川晃一郎

学祭のためにしたためた処女作です。

 過ぎてしまったことをよく覚えているほうではない。小学校の頃に起きた印象的な出来事を訊かれても、そうだったかなとか、そんな気がするとか、曖昧にしか応えられない。断片的にしか存在しない記憶の中で、自分がどんな人間であったかなんて覚えていられない。久しく会っていなかった友人と旧交を温める機会を得ても、以前自分がどのように彼と接していたか判然とせず困惑してしまう。

 過去のことを忘れてしまう、況や未来のことをや、だ。校庭で走り回っていた八歳の頃の俺が、部活動に打ち込む十三歳の自分を想像できていたか?あるいは恋だなんだのにうつつを抜かしていた十四歳の俺が受験勉強を前に追いつめられる十五歳の自分が想像できただろうか。そんなないないづくしの俺が将来どんな人間になっていくのかなんて、これももちろんわかるはずがないのだった。

「そんなふうに言い訳しても書かなきゃいけないものは書かないと」

「だいたい将来の自分への手紙なんて書くのはいいが二十歳は五年後だぞ。こういう手合いの手紙はたいてい書いた内容を忘れてしまっているから、自分自身からの手紙なのにあたかも他人からの手紙のように感じるんだろ。なるほど昔の自分はこんなふうに考えていたのか、なんてしみじみ感じ入る、というのが醍醐味なんじゃないのか。五年後なんじゃあ何を書いたかくらい覚えていそうだが……。それに黒歴史になりそうなもんだろう」

 県立神谷中学校三年生は現在、将来の自分への手紙を書くという課題に頭を悩ませていた。

「そんなふうに考えて頭を悩ませている面倒くさい男は君だけだろうけどね」

 と、含み笑いが聞こえてきた。

先ほどから微笑を絶えず湛えているこの男は佐野和泉といって小学校からの知己だ。人当たりのいい顔つきに加え軽快な口調で我が三年一組男子からの人気をほしいままにしている。学ランの第一ボタンをはずしていて蛍光色のだらしないインナーが見えそうだ。

「……そういうお前は書き終えたんだろうな?」

「これから書くつもり」

 この課題は今週の月曜日に出されたものだからざっと三日は考え込んでいることになる。文章を書くことを不得手だと感じたことはなかったが、こうも苦戦すると考えを改めたほうがよさそうだ。

「お前も大概じゃないか」

「僕の方は部活で忙しいからね。それより行き詰っているんだったら一度頭を冷やしてみたらどう?」

 冬の日没は早い。十二月も下旬に差しかかり冬の至りというのにふさわしい寒空に傾いだ太陽がうかがえる。落日を背にした教室はなんとも叙情的で考え事をするのにはお誂え向きといえる。できれば例の煩わしい課題をさっさと片づけたいところではあったが、いかんせん筆が進まないのだからしようがない。こいつの話でも聞いてみるか。

「なにかあったのか」

「うーん、実は昨日のことなんだけど、リビングで件の手紙を書き進めていたら兄貴が部屋から出てきて『懐かしいもん書いてるな』って話しかけてきたんだ。兄貴は次第に饒舌になっていって楽しそうに思い出話をしていたんだけど、さっきまで愉快そうに話していた兄貴が急に口を閉じたんだ。そして家を飛び出していったんだ。一体なにがあったんだろう」

「ほかに何か言ってなかったか?」

「そういえば郵便局の閉業時間を訊いてきたね」

 となると、可能性のある線が一つ頭に浮かんだ。

「……お前の兄貴は例の課題を見て昔自分も同じ手紙を書いたことを思い出したんだろう。俺がさっき言ったみたいに黒歴史になりそうなこっぱずかしい内容もセットで。それで誰かに見られるわけにはいかない。急いで郵便局まで行って届を取り消さないと――とこうは考えられないか? 親が先に受け取って見る可能性もある」

「うん、それはありえるかもしれない。僕に対しては『触るな』の一声で十分だけど、両親にそんなことは言えない」

「そんなにおっかない兄貴なのか……」

「まあね」

 こいつとはかなり長い付き合いだが、知らないことは意外と多い。とはいえ和泉の兄といえばうちの学校の卒業生で俺も面識がある。弟に似て優しい人好きのする男だったと記憶している。やっぱり人の記憶なんてあいまいなものだな。

「そしたら和泉兄は自分の手紙の到着を阻止しようとしていたってことになるな」

「そろそろ下校時間ですよ」

 少々推理が進んできたところで後ろから声が聞こえてきた。

 その日は暖かかった。小春日和というやつだろうか。こうも暖かいと春を思わずにはいられないな。こんな日は外に出ないと損だ。と、いったものの春眠暁を覚えず。早起きは三文の徳、とはいえ三文は今の価値で言うとざっと百円程度らしい。そんなはした金なんかよりも二度寝のほうがずっと価値がある。

 俺は昼まで寝ることにした。

 どうやら寝すぎたようだった。まったく、早起きには確かに三文くらいは徳があるのかもしれない。

 そんなふうに思いながら部屋を出ると和泉が何か書き物をしている。将来の自分への手紙だ。懐かしいな。俺は思い出話をするのが大好きだ。和泉も俺の武勇伝を聞きたいに違いない。俺は少し話をすることにした。

「それで言ってやったんだ。『それじゃあ一体だれがパイを焼くんだ?』ってな」

「……」

 弟は最初の内こそ笑っていたが今は仏頂尊もかくやの無表情だ。宿題の邪魔をしてしまっただろうか。そういえば俺は中三のとき何と書いただろうか。あいつは元気にしているだろうか。そこまで思いを馳せたところで思い出してしまった。

「あ」

「ああああああ!」

 話しかけてきたのは担任の辻美幸だった。

 辻は分け隔てのない生徒への接し方から男女を問わず人気を博している国語科教員でもある。

「何の話をしているんですか? 私にも聞かせてくれませんか」

 正直この先生苦手なんだよな……。そう思ったが、少し話を整理するのもいいかもしれない。

「あー、要するにどういう話になったんだっけ?」

「えーと、僕が先日将来の自分への手紙を書いていたら、兄貴が来て思い出話に花を咲かせたんです。でも急に兄貴が血相を変えて家を飛び出していくもんですから、気になって何かあったのかと訊いても答えてくれなくて……。どうしても気になるので真相を解き明かそうと、考えていたところなんですよ。ひとまず兄貴が僕たちと同じく昔書いた恥ずかしい手紙の到着を阻止しようとしていた、という線で考えています」

「あなたたちに推理の趣味があったとはね」

 改めて推理が趣味とか口にされると恥ずかしいな……。こういう恥ずかしいところを突っついてくるところも好きになれない理由だ。

「……とすると佐野君のお兄さんはどんな手紙を書いたんでしょうかね?」

「大した用事じゃないのであれば訊いたら答えてくれるはずだ。なのに答えなかった。やっぱり人に言いたくない内容だったんだろう?」

「いいですね、いよいよ推理めいてきました」

 辻はさっきからにやにやとしながら俺たちの話を聞いている。まったく、仕事はいいのかこの人は……あの手紙に書く、人に言いたくないこと。郵便局。俺が難しい顔をしているのを見て

「そういえば佐野くんのお兄さんはいくつになったんですか?」

 辻が見透かしたように言った。俺はこの表情がどうも苦手だ。

「先生、兄を知っているんですか」

「この学校に勤めてもう長いですから。担任だったとか、直接話したわけではありませんが君のお兄さんのことはよく知っています」

 なぜだ。担任でもないやつがよく知っている、なんて言うのは。

「君のお兄さん、というか君のお兄さんと付き合ってた子が有名でね。月並みな表現だけれどとても綺麗な子と付き合ってたんですよ。そうすると自然に相手の男の子にも目が行くでしょう」

 訊くまでもなく辻はそう言った。

「それに二人の仲は中学生の恋愛とは一線を画す仲睦まじさでしたからね」

 ……こういった話を弟に聞かせるのはいかがなものだろうか、と当の弟のほうを見てみると、

「そんなことがあったんですか! もっと詳しく聞かせてほしいです」

 ……兄弟の艶話に興味津々なやつもいるんだな。

「それじゃあ聞かせてあげましょうか。彼らの仲が私の耳に入ってきたのは彼らが二年生になった頃でしたが、噂によると一年生の頃から懇ろな仲だったみたいです。それから卒業するまでずっと付き合っていたようですが、今も仲良くやっているんでしょうか」

 辻はどうして生徒間の事情にここまで精通しているんだ……。まあ辻は生徒からの―もっぱら女子生徒からの人気だが―人望厚い女性教諭だからな。恋愛相談なんかも請け負っているんだろう。

 「お前はそんな仲がいい恋人が自分の兄貴にいたこと、知ってたのか」

「まったく。でもこれは意外な話すぎる……くく」

まったく、楽しそうな奴だ。話が脱線したようだが、でもこれで中学三年生の和泉兄の脳内がどんなもんだったかが分かってきた。

「中三の和泉兄が考えていることと言えばその彼女か、受験のことくらいだった。三年間も付き合ったくらいだから相当惚れていたんだろう。それに人に知られたくない話と言えば、色恋沙汰か失敗談くらいのものだろうからな」

「うん。なかなかいい線をいっているように聞こえるよ」

 お?ちょっとそれっぽくなってきたぞ。

「だとしたら手紙にも恋人のことを書くだろう『まだあの時の○○さんと付き合っていますか』とかな」

これは真相を突き止めたといっていいんじゃないか?

「確かに。それはありえそうな話ですね」

 辻は先刻からうっすらと笑みを浮かべたまま肯じる。その笑みに一瞬、意味深なものを感じた気がするが。

「要するに、和泉兄は将来の自分にむけた手紙に当時恋仲だった女性のことについて温度感そのままに書いたことを思い出した。今も付き合っているならいいが、そこは中学時代の恋愛だ。どうせとっくに別れてるだろ。元恋人にのぼせ上ってた時の自分なんか思い出したくもない。見たくもない。だから郵便局に行って発送を取り消したんだろう」

 こうして問題は解決した。が。

「一つ問題が解決してすっきりしたところで悪いですが下校時間はとっくに過ぎています。さ、帰りましょう」

 同時に俺は自分の問題、すなわち例の手紙を結局書き終えていないことを思い出す。少々脱線しすぎたな。だが、なかなか愉快なひと時だった。手紙は明日にでも書こう。俺たちは家路を急いだ。

 事件が起きたのはそれからひと月もしない頃だった。正月はとっくに過ぎ去ったものの、元来のせわしなさに潔く戻るのをよしとせず、いつまでも間延びした生活を送っている、そんな時だった。

 今日は成人の日。その昔、新年最初の満月の日に元服の儀を執り行っていたことに由来しているそうだが、昨晩は新月だったからあまり関係はないのだろう。閑話休題。実をいうと我が家にも本日、成人を迎える人間がいる。姉だ。弟の俺が言うのもなんだが器量が良く、聡い姉だ。俺含め家族はみな、姉の成人を祝し昨日は眠りについたのだが、朝一番に郵便受けから紙束を取り出して見てみると一通、姉宛ての手紙があった。

 送り主の名は、『佐野千早』。和泉の兄からだった。

 何がどうなっているのか。混乱するのもつかの間、女性にしては背が高く、男性にしては髪の長い中性的な面立ちの人物がたずねてきた。というか家のすぐそばでずっと見ていたようだった。

「初めまして。千代田美加さんの友人、いや同級生の佐野といいます。弟さんですよね。急に悪いんですがお話を聞いてもらえませんか?」

「は、はい。どうも初めまして。えーっと何のお話ですか?」

 実際は初対面ではないのだがじっくり話したことはないのだ。話を合わせておくに越したことはない。とはいえ、何の用だ?

 まったく、訳が分からない。和泉兄からの手紙、突然の訪問。二つに符合するものはなんだ?

「ここじゃ寒いし、場所を変えません?」

 その提案には賛成だが、どうやら話は長くなるようだ。

10

 やってきたのは近所のファミレス『ジョイナス』。24時間営業であることに加え、リーズナブルな価格、豊富なデザート類で人気のレストランだ。祝日、それにこの時間帯は空いていて複雑な事情の在りそうな話をするのにもってこいだ。

「突然押しかけて、そのうえこんなところまで連れ出してしまって本当に申し訳ない」

「ええ、構いません。なんとなく事情があることは察していましたが、お話というのは?」

「その前に俺から手紙が届きませんでしたか?」

 ふむ、人の口から聞くとなんとも奇妙な文句だな。

「ええ、びっくりしました。遅めの年賀状、というわけでもなさそうだったので」

 しかも彼の話を数週間前にした矢先のことだ。それも「手紙」についての話。無関係ではあるまい。

「それを俺に渡して、いや返してほしいんです!」

 話は約一か月前にさかのぼる。

11

「ああああああ!」

 完全に失念していた。具体的に何を書いたかは思い出せないが、当時付き合っていた彼女に向けた熱烈な“ラブレター”だったことは確かだ。なぜあんな暗黒の歴史を、ピンク色の手紙を、今の今まで忘れていたのだろう。いや、黒歴史だからこそ無意識のうちに忘れたがっていたのかもしれない。

 なんであれ、あんな超ド級の生き恥がこの世界にいまだ存在していて俺の将来を脅かそうとしているなら、消さねばならんだろう。

 俺は走り出す。

 昼過ぎまで寝ていたせいで郵便局がすでにしまっていることにさえ気づかぬまま。

 五年前の俺は将来の自分宛ての手紙のほかに“もう一枚”手紙を出していたのだ。彼女に。

12

 どうして自分にしか送れないと考えていたんだ。そりゃそうだ。手紙を出す以上住所を書く。それが自分の住所じゃなくても否応なくその住所に届く。なぜこんな簡単なことに気づけなかったのか。

「僕たちは普通、自分に向けてしかこの手紙を書かない。そのことがノイズになっていたのか」

 和泉兄との邂逅ののち、軽めのモーニングをご相伴にあずかった俺は昼前には帰宅していた。もちろん手紙は彼に返した。昼下がり、振袖で着飾った姉を見送った後一連の事件に答え合わせを求めて和泉を呼び出した。場所は当然例のファミレスだ。

「どうやらそうらしい。調べてみたが、住所や電話番号、希望する配達時期・時間等を書いておけば誰だって、誰にだって出せるんだそうだ」

「でも兄貴はわざわざ郵便局まで行って取り消そうとしてたのにできなかったのか?」

「それも調べてみたんだが、どうも一か月前までに取り消しをしないといけなかったみたいだ。成人の日の朝に届くようにしていたみたいでその一か月前には間に合わなかったんだそうだ」

「にしても君のお姉さんと兄貴が付き合ってたなんてね……」

 事の顛末はもうお分かりだろうが、俺の姉貴と和泉の兄貴はそれは情熱的な仲だったらしい。まったく兄弟姉妹のことで知らないことがあるのはお互い様だったみたいできまりが悪い。

 若かりし和泉兄は「将来の自分への手紙を書く」という課題が出たとき、不運にも思いついてしまったのだろう。「将来の恋人へのラブレターを書こう」と。

 あの様子からすると中学卒業後まもなくして二人は破局を迎えたのだろう。苦い記憶は便せんとともに固く封緘されてしまった。時を経て弟の和泉によってその封は切られ、手紙を燃やしてしまおうとしたが、かなわない。どうしても手紙を手に入れたい和泉兄は千代田宅に張り込むことにした。当の元恋人に会ってしまっては本末転倒だ。少し離れたところから見守ることにする。ややあって欠伸を噛み殺しながら俺が出てくる。まったくもって俺が出てきたことは和泉兄にとっては僥倖というほかなかったろうな。事情を説明しにくいのは同じだが、元恋人の両親と話すことに比べれば幾分かマシだろう。

「なんかそういわれればどうして気づかなかったんだろうって感じの真相だな」

「でも俺たちは気づけなかった。お互いの兄弟姉妹同士が付き合ってたことに気づかなったことと同じくな」

「思い込みのせいもある、と私は思いますよ。それにしてもなかなか面白い展開になったものです」

 いつの間にかそばまで来ていた辻もそう言ったものだ……っていうかこの人はなぜここにいる!?

13

「先生! びっくりした!」

「佐野千早、千代田美加。……ふふ、本当に懐かしい名前ですね」

 やはりこの女教師は危険だ。神出鬼没にもほどがある。こいつにだけは弱みを握られないようにしなくては。

「先生は俺の姉のことも知っていたし、和泉兄と付き合っていた人こそが俺の姉だってことも知ってたんですよね?」

 なぜ教えなかった。そう含みを込めて言うと辻は口角を上げた。

「君たちのことを見ていると本当に退屈しませんね。当時の彼らを思い出してしまいます。」

 こいつは何を言っているんだ。質問の答えにもなっていない。

「私は先生ですから、たいていのことは知っています。あなたのお姉さんが三年間、恋人のことで悩んでいたことも。千早くんが心の底から彼女のことを愛していたことも。もちろんね。」

 辻は突然語り口調になった。

14

「美加さんは美しかった。心は千早くんにありませんでしたが、それでも中学生の恋愛です。一度付き合ったと周囲に知れるとお似合いカップルのレッテルを貼られる。それほど好きではない、かといって嫌いというわけでもない相手と付き合い続けた。

「千早くんは彼女を好いていた。常に美加さんのことを考えているような人でした。温度差はあれど周囲は彼らをお似合いとみなして持て囃した。結果、美加さんは美加さんで、千早くんは千早くんで悩みを持つようになる。美加さんは気持ちが彼に大してないのに交際を続けるのが不誠実ではないかと悩み始め、千早くんは彼女の気持ちが自分にないことに気づき悩み始める。

「結局のところ私にできることはありませんでした。でも二人共の味方をしたかった。自分の気持ち通りに動けない美加さんも、まっすぐな気持ちを持っていた千早くんも、二人とも大好きでしたから。結果私が選んだ道は中途半端なものでした。

「何をとってもまずは美加さんの気持ちを考えないわけにはいきません。彼女は周りの目を気にしていたので卒業してから別れるのはどうかと提案しました。他方で千早くんにはあきらめてほしくなかった。だから彼女が別れを切り出したあとも好きでい続けることができれば、振り向いてくれるかもしれない、と助言しました。美加さんの味方をしながら千早くんの応援もした。今思えば非常にわがままなことです」

15

 えらく遠いところまで来た感が否めないが、これですっきりした。和泉兄は破局ののち例の手紙をしたためたのだろう。俺たちの話を聞いて辻は和泉兄が姉貴に手紙を出したことまで見透かしたのだろうか。

 辻は嬉しいような、寂しいような複雑な表情をしている。当時の和泉兄が将来の元カノに手紙まで出したことが嬉しいのか、だとすれば、もう半分の寂しさは手紙を回収しに来た行為の裏にある和泉兄の心の移り変わりを察してのものだろうか。

「藤原道綱母は色の移ろいだ菊の花に手紙を挿して、夫の心変わりを隠喩し、嘆いたそうです」

 そうだ、結局和泉兄は手紙をなかったことにしようとしていた。つまるところ、二人の仲は最後まで破綻していた、ということだろう。若い頃の恋愛なんてそんなものだと悟ったようなことを言いたいわけではない。でも仕方ないだろう。人間生きていれば心も変わる。

「彼もまた色褪せた菊の花に、手紙を挿したのでしょうね」

 辻は神妙にそう言った。

16

 姉にも話を聞いてみるか、そう考えながら帰宅すると姉はまだ帰っていなかった。成人式の後すぐに同窓会にでも顔を出しているのか。居間にいた父はコーヒーをすすってテレビを眺めている。どこか嬉しそうな父に

「姉貴は?」

 と尋ねると

「ああ、美加なら髪の長い男前とデートに行ったよ」

 ん?え?

 ああ。そうか。そういう可能性もあったのか。やっぱり未来のことはわからないもんだな。偉そうに推理したつもりになっても俺は全然わかってなかった。分かった風なことを言う辻にも先のことはわかってなかったってことだ。

 俺は一人納得して姉貴の部屋に入る。机上には金色に輝く神谷中学校指定の制服ボタンとつい今朝見た覚えのある手紙があった。

 なあ、なんて書いてあったと思う?

小ネタをいくつか含んでいます。わかっていただけたら嬉しいです。コメントにて是非感想をお聞かせください

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