乙女ゲームのヒロインに転生したので楽しい学園生活を送れると思ってたのに話が違う
乙女ゲームのヒロインというのは、多少の困難に立ち向かいつつも、最終的には攻略対象と結ばれるものだ。それが学園ものであれば、困難の種類も命がけのものとはいかない。攻略対象のトラウマ解消レベルの話だ。それが貴族社会の学校を舞台にしたゲームであればなおさらである。
そう。このゲームは命の危険などなく、ぬくぬくとした学園生活を楽しめば、攻略対象たちとの絆が深まる。そんな難易度の低いゲームだったはずなのだが。
「なんでどのキャラのルートにも入れないんだーーー!!!!」
八つ当たりするように、抱きしめていた枕をベッドに叩きつける。ぼすぼすと軽い音がしたけれど、それを咎めるような人はこの場にいなかった。
初めまして。私はレイチェル・ホーガン。乙女ゲームのヒロインである辺境伯令嬢に転生した元日本人です。
いやね、仮にも乙女ゲームを嗜んでいた身としてはね? 大好きだった乙女ゲームの中に転生したらね? いろいろと妄想もしちゃうわけじゃないですか。大好きなキャラたちと繰り広げる楽しく甘い学園生活。それがゲームでも夢小説でもVRでもなく、実体験できるのだ。しかも私はヒロイン! 悪役じゃない! めちゃくちゃ楽しみじゃないですか!! 推したちの前に出るために、小さいころからいろいろ張り切って準備もしてきたってわけですよ!!
なのにね。なぜかね。ゲームのイベントが全然発生しない。おかしい。イベントのある所に行っても何も起きない。出会いイベントさえも有耶無耶な状態なんてある? 実はここゲームの中じゃないんじゃない?
でもクラスメイトに王太子殿下もいるし、公爵家の跡取りも、騎士団長様の次男も、みんないるんだ。ここまで揃っていてゲームの中じゃないなんて、そんなことある・・・?
「全然わかんなーーい!!!!」
ばすばすと枕を振り回しても、埃の一つも湧き上がらない。うちのメイドさんたちすごい。
「姉様、うるさい」
「うっ」
唐突に室内に響いた声に、私は反射的に枕を振り回す手を止める。ゆっくりと視線を扉の方へ向ければ、そこには腕を組んだ弟の姿。
「いい年して何を暴れてるんですか」
「・・・弟まで冷たーーい!!」
うわーん、と叫んでも、帰って来るのは呆れ顔だけ。うう。本当に冷たい。傷つく。
何を隠そうこの弟。もちろん攻略対象だ。我が家の直系は私だけ。跡継ぎに恵まれなかったお父様が、傍系から養子にとったのがこのルーク。つまり、血が繋がっていないので、攻略対象でも全く問題ないのだが。というか、ゲームの中では「姉様、姉様」と後をついてくる可愛い子だったのに・・・
「夜中に暴れてる姉様のほうが悪いでしょ」
・・・現実はかくも冷たい。別に苛めたりしたわけでもないのに、なんでこうなったの!?
とはいえ、今この場で正しいのはルークだとわかっている。わかっているから、私は枕を抱いてぼすんとベッドに横たわった。
「そうそう。そのまま静かに寝てください」
「・・・ルーク、一緒に寝ない?」
「は?」
「なんでもないです」
あまりにも冷たい声に一瞬で心が折れた。隠れるようにもぞもぞとシーツの中に潜り込み、物理的に視線から隠れる。
「おやすみなさい、ルーク」
「・・・おやすみなさい、姉様」
言葉のすぐ後に、ぱたんと扉が閉まる音がする。冷たい現実に打ちのめされながら、私は静かに目を閉じた。
お判りいただけたと思うが、同じ家に住んで、子供のころから一緒にいる弟がこれである。学園で出会う攻略キャラたちの冷たさはもっと酷い。というか、たぶん私の事なんて知らないと思う。それくらい全く接点がない。
「レイチェル嬢、先生が呼んでる」
「はーい」
今日の私は日直だ。なんで貴族の学校に日直なんてのがあるんだろう、と思うけど、本来ならば攻略キャラたちと一緒に雑務をこなすプチイベントなので仕方ない。
全然一緒に仕事してくれないけどね!!!!
クラスメイトに言われて、私は職員室へと足を向ける。同じ当番であるはずの騎士団長の息子は、ちらりとこちらを見はしたけれどついてこない。くっそ、乙女ゲームどこにいった!!
「ネイサン先生、来ました」
「おー」
クラス担任であるネイサン先生も、もちろん攻略対象だ。教師と生徒の関係なので、他のキャラに比べれば険悪な仲ではない。
もちろん、教師と生徒としての線引きは全く越えられないけど!
先生の席まで歩いていけば、そこにはプリントの束が置いてあった。
「・・・まさか」
「全部じゃないさ。これとこれだけ頼む。悪いが配っておいてくれるか」
あ、よかった。これだけなら一人でも余裕で運べる。そうだよね、仮にも貴族令嬢に大量のプリントなんて渡さないよね。もう常識が何もわからなくなってた。よかった。ほっ。
プリントの束を受け取って、職員室を出る。窓の外はいい天気なのに、私は一人で日直の仕事。はぁ・・・乙女ゲームってなんだっけな。
一人とぼとぼと廊下を歩いている時だった。
「あ、辺境伯プリンセス」
「・・・・・・」
その呼び方、なんとかならないものですかね。
我が家はいわゆる、辺境伯、というやつだ。その名の通り辺境、よく言えば国境を守る貴族。なので私は学校が始まるまで1度しか首都に来たことがなく、当然知り合いもいない。だからこそゲームのヒロインとして様々な人との出会いイベントが始まるわけですが。
・・・わけですが。今の私にはただの嫌味でしかない。首都の貴族たちは知り合い同士で固まって行動する。出会いイベントは発生しなかった私は、入学した時から入れるグループなどなかったのだから。
気が重たいけれど、相手が誰かわからない以上、聞かなかったことにもできない。私より地位の低い貴族であれ・・・と願いながら振り返ったところ・・・
そこにいた人物に、思わず目を丸くしてしまった。
「・・・ロイ様」
「あれ、僕のこと知ってるんだ」
にこにこと近づいてくる人物は、ロイ・クルボーン様。このゲームの隠しキャラである、現国王陛下の隠し子だ。
何故話しかけられたのかわからず、思わず一歩後退してしまった。けれどそんなことなど気にもならないとでもいうかのように、ロイはさらに距離を詰めて来る。
「辺境伯プリンセスに知ってもらえてるなんて光栄」
「・・・嫌味にしか聞こえません」
「そう? どこが気に障ったのか教えてもらえると嬉しいんだけど」
・・・ゲーム内でも、この癖のある性格が得意じゃなかったんだよね、このキャラ。全員を攻略しないと出会えないキャラだけあって、個性が強すぎるのだ。まぁ、国王陛下の隠し子という立場上、他の貴族と同じように育ったわけじゃないので仕方ないことではあるんだけど。
いやぁ・・・それでも生で見るとやっぱり胡散臭い。
「辺境伯プリンセス、の呼び方です」
「君が言い出した呼び方じゃないの?」
「違います。気付けば呼ばれていただけです。普通に名前で呼んでください」
「いいの?」
「はい。プリンセスなんかよりずっとマシです」
私の言葉に、ロイは少しだけ考える素振りを見せた。
「・・・じゃあ、レイチェルと呼ばせてもらおう。君もロイと呼んでくれ。はぐれ者同士、仲良くしようじゃないか」
「え」
「これからよろしくね、レイチェル」
にっこりと紡がれた言葉に、私の拒否権などは存在しなかった。
「はぐれ者」。ロイは確かにそう言った。
知り合いなどおらず、入学した時から友人作りに失敗した私。
一般人として育ち、生まれを明らかにもできないから、入学したころから浮いていたロイ。
「はぐれ者」という単語は、確かに私たちにぴったりだ。私だって友達は欲しい。乙女ゲームのヒロインとしてちやほやされたい。されたいが・・・ロイが相手となると話が別。なんで好きなキャラたちは見向きもしないのに、唯一苦手としている隠しキャラだけが近寄って来るんだ。何もかもがおかしいじゃないか。
・・・とは思っていたのだけど。実際にロイと話すようになって、明らかに学校生活が楽しくなってきたのだから困る。
他の人たちがそうであるように、ロイもゲーム内とは性格が変わっているようだった。笑顔がうさんくさいのは変わらないが、その奥には素直な性格が見え隠れしている。最近は感情表現も素直になってきたものだから、こちらもつい素で対応してしまうことも増えてきた。
「・・・ロイがそんな性格だとは思わなかった」
いつだったか、思わずそう言ってしまったことがある。しまった、と思ったが、予想に反してロイは気分を害した様子もなく、
「一市民が貴族くらい性格悪かったら、国なんてもたないだろ」
とけらけらと笑ったものだから、逆にこちらが言葉に詰まってしまった。
「・・・私も貴族だからね?」
「貴族社会に馴染めてないくせに」
「・・・・・・」
まぁ、そうなんですけど。馴染めてないのはお互い様だ。
そんな歯に衣着せない交流をしていれば、自然と仲良くもなる。気が付けばロイの口調も砕けており、二人でいることになんの違和感もなくなっていた。
「姉様、最近ロイ・クルボーンと仲がいいって本当?」
ある日、夕食時にルークに聞かれて、私は軽く目を見開いた。
「本当だけど・・・それがどうかした?」
私の答えを聞いた途端、ルークの表情が分かりやすく歪んだ。苦虫を噛み潰した、なんてものじゃない。まるで汚らわしいものを見るかのような表情に、私のほうが驚いた。
「同級生と仲良くなるのは、悪い事ではないでしょう?」
「市井の出です。その上、特別成績が良いわけでもない、取るに足りない者です」
・・・ああ。ゲームのルークは、そんなことをいう子ではなかったのだけど。もはや完全に別人だ。
もう食事をする気にもなれない。ナイフとフォークを置き、ナプキンで口元を拭って立ち上がる。
「姉様?」
「部屋に下がる。ごちそう様」
「姉様!!」
歩き出した私を、ルークが呼び止める。けれど、私はもう、ルークと同じ空間にいることさえ嫌だった。
元々ルークとの仲はよくなかったけれど、この出来事が決定的になった。今までは一緒に食事をとっていた食堂に行かなくなれば、それだけでルークとの接点はなくなった。
家での立場が強いのは私のほうだ。私は直系、ルークは養子。私が「嫌」といえばそれがすべて。ルークと会わないってこんなにも簡単だったのね。自分でも驚いた。
家での過ごし方は少しだけ変わったけれど、学校での過ごし方は何も変わらない。相変わらずクラスでは一人。休憩時間だけロイとお話する。食堂だったり、図書室だったり、校内の庭のベンチだったり。学外で会うことは一切なく、健全な友人付き合いを続行している。
「なぁ、ここわかんねぇ」
「んー?」
試験が近いので、今日の私たちは図書室で勉強会だ。
ロイは市井の出身なので、私たち貴族に比べると基礎学力が低い。習う機会がなかったのだから当然だ。それをルークはあんな言い方・・・想像力がなさ過ぎる。
そしてここは貴族の通う学校。出自を明らかにしていないロイに勤勉に教えてくれるような先生などおらず、私が率先して勉強を教えていた。
「ここはね」
自分の説明がうまいとは思わないが、ロイは理解が早い。地頭がいいんだろう。1を説明したら10くらいは理解していくので、すぐに私なんて追い抜いていきそうだ。
私の説明を黙って聞いていたロイがペンを走らせれば、すぐにノートが埋まっていく。それを見て、私もまた勉強に戻る。ただそれだけの時間を数日繰り返せば、試験の日がやってきた。
試験を終えて、週末をはさんで、結果発表の日。校内に張り出された成績上位者を見て、私はロイの元へと急いだ。
「ロイ!」
彼のクラスに駆け込んできた私に、物珍しそうな視線が集まる。ロイも一瞬だけ驚いたようだったけど、すぐに教室を出てきてくれた。
「場所変えるぞ。その顔は駄目だ」
「うー・・・」
どんな顔をしているっていうんだ。私はいつも通りだ。
そう思いはするけれど、ロイが歩き出してしまったらついていくしかない。逃げられないように服の裾を掴めば、少しだけ笑われた気がした。
ロイが移動したのは、人気の少ない裏庭だった。表側と違い、こっちは建物の陰になっているので、貴族の令息・令嬢たちはほとんどこちらにこない。
周りに誰もいないことを確認して、私は本題を切り出した。
「ロイ、どうして貴方の名前がないの?」
「名前?」
「順位表!!」
「ああ」
私が何を言いたいのか理解して、困ったように眉根を下げる。そんな顔をさせたかったわけではないが、私はどうしても納得できなかった。
この学校に通う生徒は決して多くない。貴族向けの学校。同年代の貴族の子供が数百人もいるはずがない。貴族の様々な事情に考慮して入学年齢は広いけれど、学校は1学年しかない。先輩・後輩がないのだ。今の生徒は100人もいないだろう。
そして順位表は50位まで発表される。上位50人だ。私が10位に毎回入るレベルなのに、同じくらい勉強したロイの名前はなかった。採点の不正を疑いたいくらいなのに、なんで本人はこんなに平然としてるのだろう?
私には全く理解できなかった。
「説明! まさか解答欄ずれてたなんて言わないでしょうね?」
「あ、いいな、それ。次は使うわ」
「ロイ!!」
名前を叫べば、ロイはますます困ったようだ。眉根を下げて、いつもは明るい笑顔も曇っている。
だけど私は本当の事が知りたい。その願いを込めて睨み付ければ、観念したように深く息を吐いた。
「・・・目立ちたくないんだ」
ぽつりと呟かれた言葉の衝撃は、頭を鈍器で殴られたみたいだった。
ロイの立場はとても危うい。国王陛下には正式な王太子がいて、その立場は揺るぎない。隠し子が現れたところで、王太子の地位が脅かされることはなく、むしろ、ロイの命が危ないだろう。
・・・そうだ、ゲーム中のロイもそうだった。だからこそ、彼は胡散臭い笑顔を浮かべて本音を晒さず、攻略は最高難易度だった。
ああ・・・なんでそんなことを忘れていたんだろう。彼は、やりたいことなど何一つ自由にできないのだ。
「・・・なんでお前が泣くんだよ」
「泣いてない!!」
ぐっと目元を拭ってしまったけど、決して泣いてるわけではない。そう、泣いてない。泣く理由なんてないのだ。
・・・・・・ないはず、なのだ。
「貴方は悔しくないの?」
「んー・・・そういう感情は元からないな」
元から。ああ・・・もう感情自体が麻痺してしまっているのか、もしかして。それは、なんて・・・
「だから泣くなって」
「泣いて!! ない!!」
もう説得力も何もない。拭っても拭ってもぼろぼろと溢れて来て、まったく止められない。ああ、もう、なんでこうなったんだろう。
無理だ。駄目だ。我が家の力を使えば、我が家がロイの後ろ盾になれば。彼が目立ってもなんの問題もないだろう。我が家は国境を守る辺境伯。未来ある若者の後見になることは、ロイが結果を残すことで誇るべき美点となる。
けれどロイはそれを望まないだろう。私だって嫌だ。
私にできることなんて、何もないのだ。
「貴族社会なんて大っ嫌い・・・」
「俺もだよ」
吐き出すように紡いだ言葉に、抑揚のない返事が返って来る。
泣いている私を、ロイは決して慰めない。ここにも貴族の壁があるようで、私はしばらく泣き止めなかった。
大泣きした日からしばらく経った。けれど、私とロイの関係は、何も変わっていない。
多少気まずくなることも覚悟していたのに、翌日会ったロイは至っていつも通り。いつも通りの彼のテンションに引き摺られるように、私もまた今まで通りに接していた。
当初狙っていたゲームのような恋愛は欠片もないまま、時間が過ぎ・・・
ゲームの最終日である、卒業式の日がやってきた。
貴族を舞台にしたゲームによくあるように、このゲームの卒業式も豪華なパーティーだ。
お父様は私にとても綺麗なドレスを用意してくれた。ゲーム内では攻略したいキャラの好きな色のドレスを選べたけれど、攻略が進んでいない私にはそんなものも必要ない。私の髪色に合わせた薄い桜色のドレスに文句はなかった。
エスコートもなく会場に着いた私を、好奇心に満ちたいくつもの視線が待っていた。けれどもう、どうでもいい。私はドリンクだけ受け取ると、すぐに壁際のソファへと腰を下ろした。
会場の中央では、華やかなパーティーが続いている。生演奏の音楽に合わせて、ダンスに夢中な卒業生たち。ある者は食べ物に夢中で、またある者は友人たちとの学生生活最後の会話を楽しんでいる。どれも私には縁がないものだ。
「こんなところで壁の花か?」
「・・・・・・お酒が美味しくて」
「嘘つけ。流石にまだ酒はないだろ」
・・・まぁね。貴族とはいえ、まだ学生だ。みんな家では飲んでるかもしれないけど、流石に学校が公式行事で出すことはない。
ロイは笑いながら近付いてきて、ソファの隣に立ち、壁に寄りかかった。
「座ればいいのに」
「流石に今日はやめとく。折角綺麗なドレスなのに踏みそうで怖い」
・・・おや? 今なんと?
「綺麗なのはドレスだけ?」
まさかの殊勝な発言に、思わず乗っかってしまった。いつもの軽口の延長戦。そう思っていた私は、けれどすぐにこの発言を後悔する。
「そんなわけないだろ。レイチェルが綺麗だから、ドレスが綺麗に見えるんだよ」
「・・・・・・・・・・・・」
言われた言葉を理解するのに、ゆうに数秒は必要だった。
今なんて言いました、この男。
私の困惑は伝わっているのだろう。思わず上を見上げてしまった私を、ロイは見たことのない表情で見下ろしている。
「綺麗だよ、すごく。見惚れた」
「・・・・・・・・・・・・なっ!?!?」
なん!? なんて!?!?!?!?
顔中に一気に熱が集まる。熱い。なにこれ熱い。おそらく真っ赤になっているだろう私を見て、元凶は憎らしいほど爽やかに笑った。
「今日が最後なんだ。言いたいことは言ってもいいだろ」
「そ、の言い方、は」
まるで、今までも、口に出さないだけで、言いたかったみたいな・・・
「言いたかったよ、ずっと」
私の思考を読んだかのような返答に、ぐっと言葉に詰まってしまう。けれどロイはやっぱり笑っていた。
「あの日もそうさ。泣いてるお前が綺麗すぎて、慰めることもできなかったんだ」
「!?」
あの日ってあの日だよね!? 今更!? 今更なんてことを言うんだ、この男!!
え、だって、ちょ、待ってほしい!! 怒涛の展開すぎて頭が全くついてこない。
「どこかに頭ぶつけた!?」
「失礼だな。言っただろ。今日が最後の日だから、これが最後かもしれないから、ちゃんと言うんだ」
ロイが私の前に膝をつく。驚きすぎて見ていることしかできない私の手を、それはそれは大切そうに握りしめた。
「レイチェル。俺には、今のお前が持ってるようなものは何もあげられない。だけど、もし。もしも、お前が許してくれるなら・・・全部捨てて、俺と一緒に生きてくれないか?」
「!!!!」
そんなセリフ、ゲームの中でも言ってなかったじゃない・・・!
ロイが本気なのは目を見ればわかる。返事をしなければ、したいと思うのに、うまく言葉が出てこない。そんな私を、ロイは黙って待ってくれていたけれど・・・
唐突に、私たちの間に大声が割って入ってきた。
「姉様!!」
・・・姿を見なくてもわかる。ルークだ。
見たくないけれど、ちゃんと確かめなければ。そう思って顔を上げた私は、今日何度目かもわからない驚きの光景を目の当たりにした。
なにせそこにはルークだけではなく、他の攻略対象のキャラたちもいたのだから。
「姉様、そんなやつからは一刻も早く離れてください!」
「いつまで手に触れている。離れろ」
ルークと殿下に立て続けに言われて、ロイが反射的に手を離そうとした。けれど、今度は私がロイの手をきつく握りしめる。
「おい」
「嫌。離さないで。お願い、ロイ」
頼めば、ロイは少しだけ目を見開いたが、それ以上は何も言わなかった。それをいいことに、私は立ち上がってルークたちの前に立つ。
ロイは今日は言いたいことをすべて言うのだと言っていた。言ってくれた。ならば私も、言いたいことを言ってしまおう。
どうせこれが最後なのだから。
「聞いていたでしょう? 私は彼と行く」
「聞かなかったことにします」
「そう、好きにしなさい。どうせ結果は変わらないわ」
ルークが文句を言ったところで、私の意志は変わらない。お父様はわからないが・・・あの娘馬鹿が、私の嫌がることをするとは思えなかった。
まさか私が言い返すとは思わなかったのだろう。ルークはわずかに眉間に皺をよせ、
「そんな得体のしれない男のどこがいいというのですか? 姉様は厳格な人が好きなのでしょう?」
「そんなことを言った覚えはないけれど・・・仮に言っていたとしても、貴方は厳格でもなんでもないわ」
私に言わせれば、ただのモラハラだ。この世界にはそんな言葉はないから言わないけど。
ルークが何故か傷ついたような顔をしたけれど、もはや気にもならない。ロイの手を握ったまま移動しようとした私の前に、今度は殿下が立ちふさがった。
「貴女は人嫌いではなかったのか?」
「・・・・・・誰がそんなことを?」
流石にこれは聞き捨てならない。思わず低い声が出てしまった。
殿下は何も答えない。けれど、彼の視線はまっすぐルークに向けられていた。
ああ・・・もう言葉も出ない。
「・・・ご覧の通り、そんなことはありません。ですが殿下には関係のないこと。失礼いたします」
それ以上何か言われる前に素早く一礼して、ロイと一緒に歩き出す。周囲の注目を浴びていることはわかっているが、まっすぐに顔を上げて、会場を飛び出した。
会場を出て、向かったのは噴水の広がる前庭だ。そこに並んだベンチに座って、私はやっと詰めていた息を吐き出した。
「はーーーー・・・信じられない」
もう本当に信じられない。私の乙女ゲームいちゃらぶ作戦を壊したのがルークだったなんて。何考えてるのよ、あの子。セットが崩れるのも気にせず、思わず頭を抱え込んでしまう。
「なんか・・・悪かったな」
「貴方は何も悪くないわ。悪いのは全部ルークよ」
「いや、そうとも言い切れない」
「?」
ロイが我が家の事情に関わっているはずなんてないのに、どういう意味だろう。こてりと首を傾げたら、ロイはまっすぐに私を見て、
「お前が噂とは違うってわかってたのに、独り占めしたくて黙ってた。俺も同類だ」
「!!」
顔中に熱が集まるのがわかった。熱い。なによ、今までそんな素振り欠片もみせなかったくせに、今日に限って・・・いや、今日だからなんだろうけど。思いがけない言葉ばっかりくれるのね。
顔を隠すように両手で覆い、体を折る。もう無理。頭がパンクしそうだ。
パンクしそうなのに。
「なぁ、やり直していい?」
「・・・何を?」
「いや、答えはもうもらった気持ちなんだけど。お互いにちゃんと言えてないから」
いや、だから何を?
そう口にした私の前に、またロイが跪いた。驚いて顔を上げた私を、まっすぐな瞳が射抜いてく。
「レイチェル、愛してる。俺と一緒に生きてくれないか?」
「!!」
ああ・・・そうか。ルークが邪魔したから、やり直しなのね。
わかって、また体中が沸騰しそうになる。だけどロイが勇気を出して言ってくれたのだから、私もちゃんと言葉に出そう。
「もちろん喜んで。一緒に連れて行って」
ルークのことも貴族社会のことも見限ったけれど、家族まで見限ったわけじゃない。というか、ちゃんと話を通さないと犯罪者になるのはロイのほうだ。そこだけはしっかり対応するとしても、だけど、そんなことも全部後回しでいい。
手を延ばしてベンチから離れれば、逞しい腕が受け止めてくれる。いつの間にか立ち上がっていたロイは、私を受け止めくるりと回った。
「レイチェル、ありがとう!」
「お礼を言うのは私の方よ。私の事を好きになってくれてありがとう」
そう告げれば、ロイはゲームでも見たことがないほどの晴れやかな笑顔で、私の事を抱きしめた。
~ side ロイ
幼いころに、一度だけ貴族を見たことがある。たくさんの護衛を連れて、街に遊びに来ていた少女。
そのあまりの美しさに、呼吸をすることさえ忘れたほどだった。
けれど、その時はあくまでも遠目に貴族を見たというだけだ。美しい少女の姿は強く脳裏に焼き付いていたけれど、もう二度と会えることはないということもわかっていた。
自分も貴族、それも王族の一人だと聞いたのは、それから数年経った後。唐突に家にやってきた男たちが母さんに何かを伝え、母さんはその場に泣き崩れてしまった。その時やっと、死んだと思っていた父親が生きていることを知ったのだ。
王城で働く侍女だった母さんに手を出して、それが王妃にバレたからと城から追い出したクズだったとは思わなかったけど。
それからは怒涛の毎日だった。王太子のスペアとして城に連れていかれ、基本的な読み書きを教えられ、歩き方さえも矯正され。1ヶ月ほどの付け焼刃で、入学させられた。
そこで俺は、運命に再会したのだ。
息を飲むほどの美しさは、幼い時以上。成長した彼女を見て、体中の血液が沸騰しそうになったのを今でも覚えている。
そしてそれは、同じ貴族であっても変わらないらしい。美しすぎる彼女に話しかけるものはおらず、その孤独がまた彼女を輝かせているように見えた。誰もがその美しさに魅了され、更に話しかけなくなるという悪循環。
・・・だと思っていた。
「辺境伯プリンセス」
その呼び名を聞いたのは、偶然だった。それが彼女・・・レイチェルを表す言葉だと知ったのはもう少し後で、そうだと知ってからはよく耳にするようにもなった。
人嫌いのプリンセス。貴族社会と一線を引く、辺境のお姫様。
彼女の弟が言い出した呼び名だとは後で知った。知ると同時に、同じ家で暮らす弟の言葉の説得力は強く、余計に人が近づかなくなっているのだと気が付いた。ああ・・・何故誰も気付かないんだ。あの弟。義理の弟。あれは姉を見る目じゃない。もっとドロドロとした感情を宿した男の言うことに、説得力なんてないだろうに。
そしてある日、彼女が一人で仕事をしている姿を見かけた時。
我慢できずに話しかけてしまったことを、俺は一生誇りに思うだろう。
それからの毎日は、平凡だった日々が一気に色が増えた。彼女は想像していたよりもずっと優しく、明るい、人嫌いとは到底思えない人だった。
もちろん、楽しいだけではなかったが。
「平民ごときが、レイチェル様に話しかけるなど図々しい」
俺に面と向かってそう言ってきたやつもいたし、陰で言っていたやつはもっといただろう。だが、誰になんといわれても、レイチェルとの仲をなかったことになんてできるはずもない。大なり小なりの嫌がらせなんて、彼女に会えるだけで全部どうでもよかった。
ただ一度だけ、俺の兄弟になる男に話しかけられたことがある。
「お前がロイか」
「・・・・・・ドーモ」
1ヶ月ほど王城で暮らしていた時も、俺は別邸みたいなところから出れなかったから、こいつに会うことはなかった。この時が正真正銘の初対面だ。
俺の義理の・・・兄か弟かはわからないが、とにかく、俺はこいつのスペアだと国王陛下に言われた。学園で優秀な成績を修めれば、スペアが本物になることもある、と。
まぁ本物になんて興味はないから、適度に底辺を維持しているわけだが。
「父上から聞いてる」
「・・・・・・」
だから? と言ってやりたいところだが、流石に無礼だとわかっている。故に沈黙を保てば、王太子はふと窓の外へと視線を移した。
「・・・相変わらず美しいな」
釣られるように外を見れば、そこではレイチェルが一人ベンチで本を読んでいた。3階にいるこちらのことは気付かないだろう。なんだか盗み見ているようで、俺はすぐに視線を外した。
その先で、俺をまっすぐに睨み付ける瞳と目が合った。
「彼女は辺境伯唯一の令嬢だ」
「・・・知ってます」
「そうか。ならば不用意に近づくのはやめてもらおう」
は? 急に何言いだすんだこいつ?
言葉には出さなかったが、表情には出ていたと思う。けれど殿下は表情一つ変えず、
「今の王国内に、彼女以上に王妃が似合う者などいない」
「・・・・・・・・・・・・は?」
何言ってんだこいつ? まったく理解できない。
「忠告はしたぞ」
あまりにも理解できなくて呆けている間に、言いたいことを言い終えた殿下が歩き去っていく。気付けばその後ろには護衛の騎士だのなんだのの取り巻きがくっついていて、今の会話が筒抜けだったことを知った。
・・・そういえば、俺たちの関係について明確な言葉は口にしなかったな、なんて。そんなことさえも後で気が付いた。
だが誰になんと言われようと、俺のために泣いてくれた優しいレイチェルを一人にすることなんてできない。見た目や噂、家柄で判断するような奴らに、レイチェルの何がわかるっていうんだ。くっだらねぇ。
レイチェルは俺の事を何も聞かなかった。ただ、同級生の一人として接してくれる。なんとなく察しているような雰囲気はあったが、俺は何も言わなかったし、彼女も何も聞かなかった。それでいいと思っていた。
彼女は貴族社会なんて嫌いだと言っていた。城下で育った俺と生きるために、貴族を辞めてくれるだろうか。いや、そもそも簡単に辞められるものなのだろうか? 制度としても、暮らしぶりにしても。貴族社会で生きてきた彼女が、そこから出て生きていけるだろうか? 俺は、彼女を満足させてあげられるだろうか? このまま友人として満足すべきなのではないだろうか?
ああ、でもそうなったら・・・お前は違う男のものになるのか。欲望に満ちた目を向ける弟や、お前をアクセサリーのように扱うクソ男のものに。それは・・・限りなく嫌だ。ありえない。だけど、生活に困ることはないのだろう・・・
言いたい言葉はたくさんあった。それ以上に、言えない言葉もたくさんあった。考えは堂々巡りを繰り返し、不安が尽きないまま踏ん切りがつかず、日々だけが過ぎていき・・・
ついに卒業式の日がやってきてしまった。
着飾った彼女は、この世のものとは思えないほど美しかった。誰もがその美しさに見惚れ、遠巻きに眺めている。そんな光景を見て、心は固まった。
このままでは彼女は永遠に一人きり。貴族の世界で、その見目だけで判断され、いつかそれを失った時に・・・母さんのように、捨てられてしまうのだ。そんなこと、絶対にさせるものか。
一歩ずつ近づく。決意したはずなのに、足が震える。一歩ごとに心臓の鼓動が早くなり、今にも口から飛び出しそうだ。頭の中は真っ白で、自分がどこにいるのかさえもわからなくなりそうだ。
それでもお前という光に吸い寄せられずにはいられない。
「こんなところで壁の花か?」
口から出たのはいつもの軽口。けれど、今までは陰っていたお前の表情に笑顔が宿ったから・・・心臓の音が大きくなりすぎて、俺はもう自分が何を口走ったのかも覚えてない。
その後のことはもう、知っての通りだが・・・
レイチェルのカッコよさに俺が何度惚れ直したかわからないってことだけは、ここだけの秘密としてほしい。
「大好きよ、ロイ」
今の俺には、笑ってそう言ってくれるお前がいる。それだけで、俺は幸せだ。
蛇足ですが補足。
ルーク:
レイチェルの父親に「お前はレイチェルの支えとなり、あの子を口説き落として我が家を継ぐ」と言われて育った。
レイチェルのことは初めて出会った時から大好きであり、父親の言葉もあって、彼女は自分のものだと思っている。
レイチェルが父親が好きなため、彼の真似をして厳格であろうとしている。
が、厳格なのはルークや家臣の前だけであり、レイチェルや妻に対してはまったく違うことには気付いてない。
王太子:
幼いころ、一度だけ挨拶に来たレイチェルに一目惚れした。
入学前はどうやって話しかけようかそわそわしていたが、実際に成長した姿を見て言葉が出なくなった。
助言を求めたルークは姉を渡したくない一心で嘘をつき、それを真に受けたため、口説くどころじゃなくなった可哀想な人。
王子としては致命的なほどに人の言葉を信じてしまうため、心配になった国王がロイを探し出したということには、もちろん気付いていない。
レイチェル:
乙女ゲームだやっほーい!!推しに負けないレディになるぞ!!
と幼いころから頑張った結果、容姿が上限突破した状態でゲーム開始を迎えたことに本人は気付いてない。