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数学的ゾンビ・如月煙霞の群像奇譚  作者: 眠るネムリブカ
愚かなるメシアの愛餐
2/2

1:エデン連続悪魔焼死事件

 始まりは、とある空き地で一人の悪魔が遺体となって発見されたことだった。

 手首、足首に釘を打ち付けられた上で縛り付けられた跡があり、身体中に何度も鋭利な刃物で突き刺された痕跡が残っている、何とも酷い死体だったそうだ。

 しかし、特筆すべき点はこれだけではない。現場には被害者の血液で、天使を象ったマークが描かれていたのだ。また、被害者の死因は失血ではなく、内臓の熱傷だった。被害者の内臓は体内から炙られたかのように焼け爛れていたのである。そして最も重要なのは、この不可解な熱傷から天使の持つ「逆行」の力の痕跡というあからさまに犯人を示唆する特徴が見つかったことである。

 天使は白髪、翼、頭上のヘイローの他に「逆行」と呼ばれる、物や生物の時間を巻き戻す魔素導力を持っている。生物に使えば若返り、物に使えば経年劣化が元通りになるという力だ。しかし、並の天使ではあまり強い力は使えず、精々数年巻き戻すのが限界である。

 この力は「天使至上主義」の思想を持つ者の間で若々しさを与える力だと神聖化されており、純粋さ、無垢さ、清らかさの象徴とされている。

 そして、今回の事件の被害者である悪魔の持つ「順行」の魔素導力というのは、「逆行」の逆、物や生物の時間を早送りする力である。生物に使えば年老い、物に使えば経年劣化が進むという、「逆行」とある意味では似た力であり、並の悪魔では数年しか早送りできないという点も似通っている。

 そして「逆行」とは対照的に、「悪魔差別主義者」の間では老いを早める忌むべき力であると蔑まれており、悪辣さ、狡猾さ、穢らわしさの象徴とされている。

 過去、上品だがプライドが高い大多数の天使は、個性的かつ個人主義者の多い悪魔のことを一方的に見下し、天使こそ最も優れた種族であると思い込んで悪魔を迫害していた。このような差別というのは、どこの世界でも横行しているものなのだ。ちなみに、天使以外にもこれらの思想を支持する者はそれなりにいる。反悪魔差別運動によりかなり数を減らしたとはいえ、今でもこのような思想を持つ者は数多く存在する。彼らは度々悪魔に対して暴力行為をはたらいたりするため、警察の悩みの種となっている。

 また、これらの「順行」、「逆行」の魔素導力が互いにぶつかり合うと熱を発しながら相殺される。

 要するに「逆行」は悪魔に、「順行」は天使に対しては単なる攻撃手段として作用するということだ。

 そして、今回の被害者の遺体からは大量の「逆行」の魔素導力の痕跡が見られた。体内の損傷は激しいが、外傷は刺傷以外見られないことから、接触して直接大量の「逆行」の魔素導力を流したことが分かる。

 一件目の殺人が発見されてからというもの、およそ一週間に一回の頻度で類似した悪魔の遺体が発見されるようになった。

 アリステラ連邦捜査局は悪魔差別主義者の天使グループが犯人と見て捜査を進めているが、未だに犯人の尻尾を掴めていない。

「……といった事情でして、如月さんに協力をお願いしたいのです。『記憶の海』に漂着した被害者の記憶を記録していただき、そこから犯人の手がかりを掴めればと。また、今回の事件が大規模なテロに発展する可能性もあるため、我々からの緊急招集がかかったときは可及的速やかに現場に向かい、機動隊や特殊任務遂行部隊と協力して鎮圧に協力していただきたい。もちろん、十分な報酬を支払いますので」

 音海が姿を消す数日前。煙霞は玄関先で鬼人(きじん)の捜査官と会話していた。

 その小さい体に溢れんばかりの自己肯定感、少しばかりの軽薄さを詰め込んだ煙霞は、話を聞くと余裕の笑みを浮かべ親指を立てた。

「ふむふむ、なるほど。いつもの奴ですね。まあ、どーんと任しといてくださいよ、玻璃(はり)さん。皆様の安全はこの如月煙霞が守ってみせましょう。じゃあ、被害者のプロフィールを頂けますか?」

「どうぞ、こちらです」

 玻璃から渡された資料には被害者の顔写真、簡単なプロフィール、そして現場の写真が掲載されている。

「被害者は三名。それぞれ七月十三日、二十一日、そして二十六日、つまり昨日、一名ずつ遺体で発見されました。被害者達には悪魔であるということ以外に共通点はなく、悪魔の中から無作為に標的を選んだと考えています」

 今まで何回か殺人現場を目の当たりにしてきた煙霞も、今回の遺体の惨状には流石に顔を顰めた。

「うわあ……こりゃ惨いですねえ。これは天使を模ったマークか何かかな——思想が過激な天使だっていうのが分かりやすいというか……いや、カモフラージュの可能性もあるんですかね? 本来の目的を隠すために悪魔差別主義者を装ってるとか。実は被害者の間に繋がりがあったりしませんかね」

「我々が調査した限りありませんでした。しかし……もちろん、完全に網羅できている訳ではないので。何かしら繋がりがある可能性は十分あります。悪魔差別主義者は今でも数多く存在している上に、百パーセント悪魔差別主義者の犯行であると断定しきれない、要するに天使の犯行である事にしか確信を持てていません」

 ここまでほとんど表情を変えなかった玻璃が、その怜悧で理知的な瞳に僅かな疲弊の色を見せた。

「我々は、犯人は人気の無い夜道を歩いている被害者を拉致し、犯人のアジトで犯行を行ったと見ています。そしてアピールのために遺体を適当な場所に放置したと。犯人は恐らく、かなりこういうことに手慣れています。目撃者はおらず、監視カメラの場所を把握しているため映像にも残っていない……天使であるということ以外、何一つ痕跡を残していないんです。そのため捜査が難航していて……」

「なるほど、そりゃ厄介ですねえ。私という名の最終兵器を持ち出すのも無理ないです。随分疲れていらっしゃるみたいですし、ここは私に任せて、玻璃さんはデスクでブラックコーヒーでも飲んでてくださいよ」

「お気遣いありがとうございます。ですが、この足で情報を集めるのも仕事なので。それと、お恥ずかしいのですが、私ブラックコーヒーは苦手で……」

「……はは、人間の飲むものじゃあないですよね、私もブラックコーヒーはどうも好きになれなくって。あんなの飲むのは極まったカフェイン中毒者くらいのものですよ」

 玻璃をリラックスさせるために口にした冗談は彼女たちの間の空気を気まずいものにしたが、煙霞は気にせず質問を投げかける。

「そうだ、ついでに聞きたいんですけど、『逆行』の力が残す痕跡って偽装できないんですか? もしできたらさらに容疑者の幅が広がっちゃいますよね」

「それは絶対にできません。魔素の残滓は嘘をつきませんから」

「そっか、なら良かった。じゃあ、何かしら収穫があったら連絡しますので。朗報を待ってて下さい」

「はい、よろしくお願いいたします。……いつも力を貸していただいて申し訳ありません。記憶の海を自由に探索できるのはあなたしかいないので。本当に助かっています」

「ははは、困った時は助け合いって言うじゃないですかあ。報酬も貰ってるのでWin-Winって奴ですよ」

 玻璃は少し迷ったような表情を見せた後、煙霞におずおずと尋ねた。

「……これは個人的な質問なので、答えたくなければ答えなくて構いません」

「はい、どうしました?」

「……その、この『記憶の海』での生活に不自由や障害は無いのですか? 私はただの捜査官に過ぎないので、何故あなたが『記憶の海』なんて本来ならば人が住んでいるはずのない世界で、たった一人で暮らしていらっしゃるのかは存じてないのですが……。『悪霊』と呼ばれる存在が彷徨っている危険な場所であるのは知っています」

 煙霞はいつも通りの軽い調子で答える。

「まあ、そうですね。危険な場所ではありますけど、そこまで辛いとは思ってませんよ。むしろここでの生活は楽しく思ってます。暇なときはここを散策してるんですけど、熱帯雨林の真横にツンドラがあったりして面白いんですよ。『悪霊』に出くわすこともままありますけど、不快には思いませんね。ワクワクします。めちゃくちゃ怖いですけどね。案外慣れれば快適な場所ですよ」

 玻璃は自分の常識からあまりにも外れた「記憶の海」の実情に少々眩暈がしつつも、目の前の奇怪な感性を持つ少女に礼を言う。

「そうですか……。個人的な質問に答えて下さりありがとうございます。最後に、あと一つ良いですか」

「どうぞどうぞ」

「暁星は迷惑をかけていませんか。彼が監視という名目であなたの家に入り浸っているのは知っています。今もこの家のどこかにいるのでしょう? もしかして、そういう関係でいらっしゃったり……」

 煙霞は玻璃がとんでもない勘違いをしているのを理解し、慌てて首を横に振った。

「いやいやいやいやいや! 違う! 違います! 私とあいつはそういうんじゃないんです、ただの友達というか……こういうの、不味かったりしました?」

「……いえ、おそらく問題無いでしょう。ただ、彼が職務を怠慢していないか気になっただけです」

「ちゃんと四日に一回、直接血を飲ませてるので職務は怠慢してないはずですよ。ほら」

 煙霞は大きく開けたシャツの襟元をはだけ、首筋を見せる。そこに傷口は残っていないが、代わりに赤と黒のバツ印を模った模様が小さく刻まれている。

 それを見た玻璃はぎょっとしたような表情を見せた後、ぎこちなく呟く。

「……わざわざありがとうございます。……完全にこちらの都合とはいえ、その印を見るとあなたが彼の……いや、失敬。あまりこういうことは口にしないほうが良いですよね」

「別に良いですよ、気にしてませんから。実際にあいつがこれ使ったこと、一度もないですし」

「そうですか、お気に障って無かったのならば良かったです」

 玻璃は目を伏せると、再び口を開いた。

「……彼がアリステラ連邦捜査局特殊部隊の一員として働き始めてからもう四年経つので、彼の戦闘能力にも責任感にも信頼は置いています。ただ、何と言うか。彼は純粋な人ですから、感情で動いてしまう場面が多いと感じていて。彼はあなたを深く信頼しているでしょうから、義務である4日に一度の血の摂取を勝手に不要だと判断したりしていないか不安になってしまって……」

「あはは、確かにそうかもしれませんねえ。でも、私という不安分子を制御するにはこうするしかないですもんね。そろそろ政府の方々にも信頼してもらいたいんですけどねえ…… そうだ、あいつに何か言っておきたいこととかあります?」

「……あると言えば、ありますね」

 煙霞はこくりと頷くと、玻璃に向かって小さく手招きをした。靴を脱ぎ、抜き足差し足で廊下を歩いて行く煙霞に着いていくと、彼女はそっと一つの扉を開け、その先を手で指し示す。

 煙霞の指した先で床に寝転がったまま漫画を読んでいる深谷と玻璃の視線が交差した。

「えっ! あっ、ああ……」

 完全に油断し切っていた深谷は予想外の出来事にひどく動揺している。

「よお……あ、相変わらず別嬪だな! なんかいつもより角に艶がある気もするし……。流石玻璃さん、日に日に美貌に磨きがかかってるぜ。俺はそんな君を一目見られてとても嬉しい。だから……きっと、その、美人で最高にクールで話の通じる玻璃さんなら分かってくれると思うんだけど、これはサボってたとかじゃ全然なくてだな…」

 状況を理解した途端、悪戯が見つかった子供のように顔を青くしながら、慌てて無茶苦茶なおべっかを並べ、どうにか弁解しようとする深谷。

「……暁星さん。」

 玻璃は呆れたようにため息を吐くと、少し声のボリュームを上げて彼の名を呼ぶ。

「ハイ……」

 深谷は何かしら注意を受けるのだろうと身をすくめた。

「如月さんと親交を深めるのは構いませんが、ちゃんと職務は全うしてくださいね。刑事部所属で、あなたとほとんど関わりのない私が言うことでもないかもしれませんが」

「も、もちろんサボったりなんかしねえよ! 玻璃さんは安心して任せといてくれれば良いからさ」

「それなら良かったです。では、私はこれで。捜査にご協力いただき感謝します」

 玻璃は冷や汗をかく深谷を一瞥し、踵を返して去っていった。

「暁星、今度から玻璃さんが来るときは注意しておいた方が良いよ」

「お前が勝手に入れたんだろ……!」

「はは、まあそうカッカしなさんな」

 不満を表す深谷を軽くあしらうと、煙霞は改めて彼に向き直る。

「かくがくしかじかあって、ちょっと外出してくるよ。私の帰りが遅くなったら勝手に帰って良いから」

「オッケー。玻璃さんが来てたっつーことは、また捜査局案件だろ? 悪魔が天使に酷い殺され方してるって事件か?」

 深谷の推測を聞くと、煙霞は口を真一文字に結んだ。

「守秘義務があるからあまり詳しくは……いや、君は捜査局の人間だから良いのかな。ピンポンピンポーン、当たりだよ。いつものアレ。分かるでしょ? という訳で行ってきます。帰るときはちゃんと鍵閉めて帰れよ」

「おう、分かってるって。行ってらっしゃい」


 煙霞が扉をバタンと閉めると、室内には漫画のページを捲る音と、煎餅をバリボリと齧る音のみが残った。

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