仮の婚約者と言われた公爵家令息の苦悩(2)
リオンサイドの過去話。婚約をエルベ家にお願いしに行ったときのお話。
どうしてプロポーズより先に家同士で婚約するハメになったのか。そして二人の婚約を未発表にしている訳とは。
「巫山戯るなよ、小僧」
浅葱色の冷たい双眸に睨み据えられ震え上がるのを、今現在、俺は必死で耐えている―――
7歳の頃から、俺には心に決めた相手がいる。
父の学生時代からの気のおけない友人の娘。
俺にかけられた呪いを解いてくれた、満天の星が煌めく夜空みたいに綺麗な瞳の女の子だ。
小さい頃から精巧に作られた人形みたいに可愛かったんだが、成長して年齢の割に大人びた美しい少女になった。
本人は自分の容姿が他人からどう評価されてるかまったく頓着していなくて、周りのやつらから淡い想いを込めた視線がやたら飛んできているのにも気づいていない。
だからこそ、俺は学院に入った当初から横に張り付いて男どもを威嚇してきたんだが、当の彼女は「リオンはほんとに世話焼きお兄ちゃんだよね」と言ってくる始末。誰が兄ちゃんだ、誰が。
想いはことごとく伝わらないまま、ずっと一番の親友という位置に陣取り続け、10年目の春。
王妹でもある母が、王妃との茶会から帰ってくるなり俺を呼んで、とんでもない話を聞いてきたと打ち明けた。
王太子のまだ幼い息子、つまり王孫(俺から見たら王太子は従兄、その子は従甥になる)が、俺の大切なあの子を妃候補にしたいと言い出した、と。
あの餓鬼まだ学院にも入れねぇちびのくせに、歳の差いくつだよ!?
いや、年齢差がある夫婦はいくらでもいるから(うちの両親こそ15くらい歳離れてたわ)そこはまあ目を瞑るにしても。
「よりによってなんでリリスなんだ!?」
「以前、あの子が公爵邸に急に来たときにリリスちゃんとお茶したり、本の話をしたことがあったのよ」
「はぁ?そんなこと俺は知りませんでしたけど!?」
「リオンはたしか、任務で数日王都を離れてたのよ。
母様寂しくてね、リリスちゃんをお茶会に招待しておしゃべりしてたら、急に訪ねてきたレグルスが乱入してきたのよねぇ」
「なっ…!?」
リリスは母にとって幼い頃から成長を見守ってきた娘のような存在だ。
俺を口実に、というか俺抜きにでもしょっちゅう公爵邸に呼んでいるのは知っていたが、まさかそれがちびっ子とはいえ他の男との接点を作るきっかけになってただなんて………!
「確かにレグルスはまだ幼いし歳下ではあるけど。
でも10年もいっしょにいるくせにちっとも行動に移せない男よりは、いいかもしれないわよねぇ……」
10年を強調しながら「情けない」と呆れた目を向けられてもぐうの音も出ない。
だがこうなったらリリスは鈍いからゆっくり伝えてけばいいなんて呑気なことは言ってられない。
もしも妃候補に選ばれてしまったら、エルベ家としては断ることはできないだろう。
王家が動くより先に、公爵家として婚約を結んで仕舞うしかない。
「………婚約を、公爵家から申し込んでいただきたいのです」
父であるガレリィ公爵に頭を下げて頼んだ。
父は、ついにかと喜んでくれた。たぶんリリスが俺の求婚に頷いてくれたんだと思ったんだろう。
俺のヘタレ具合をよく知っている母の視線は冷たいままだ。
とことん順番が逆だってんだろ?わかってるよ。
彼女にちゃんと結婚の意思を伝えてからの婚約って思っていたのに、用意した指輪もまだ渡せてもないのに。
もちろん婚約後には今まで以上に必死にアピールしていくつもりだ。
彼女を奪われることに比べたら、今はどんな非難も、失望の視線にも、耐えて見せる。
そう思っていたんだが。
「大丈夫よ、お父様。
ほんとにお嫁に行くわけじゃないわ。
リオンに好きな人ができるまでの、仮の婚約だもの」
正式に彼女の家を訪ねてご両親も交えて婚約を正式に申し込んだ日、リリスが言った台詞に場の空気が凍った。
とくに、正面に座る彼女の父、ユーリウス殿からの圧が凄い。
「…………リリス、お茶が冷めちゃってるわ。
花嫁修行の一環よ、淹れ直しに行きましょう」
「花嫁ならないから、修行もいらなくない?」
「……いいからいらっしゃい。
お父様に淹れて差し上げたら、泣いて喜んでくれるわよ?」
「大袈裟ねぇ。
はぁい、わかりました」
ロザリア夫人に促されて一緒に部屋を出るリリスに「置いていかないでくれ!」と縋りつきたくなったが耐える。
いつもよりゆっくりと閉まる気がした扉から、視線を正面に戻す。
「説明してくれるかな?」
まっすぐ俺を見据えながら尋ねられた。……怖い。
彼女の父、ユーリウス・エルベ殿は、宰相を長とする内務府の上級官吏だ。爵位はないが、上級官吏なので王城内での序列は子爵相当である。
うちの父親と同窓だった学院時代から頭角を表し、平民出身の文官は少なからずいるものの、内務府で宰相直属なのはユーリウス殿ただおひとり。宰相メルース・ミュラー公爵をして、「彼無くしては、王国の内政はもちろん外交もままならん」と言わしめる逸材だ。
リリスは「父は官吏だけど自分は平民だから」と言っているけど、退職したらたぶん陛下から直接爵位を渡されるんじゃないかとうちの父が話していたっけ。爵位がないからこそ目立たずできる役割があるのだと、叙爵を断り続けているんだって。
夫人やリリスといるときや公爵邸に父の友人として訪ねて来られるときは、暖かい人柄が滲み出る優しい方で、俺のことも「リオン君」と呼んで可愛がってくれる。
だが、軍部の末席として任務に当たる直前、会議の場で目にしたユーリウス殿は厳格・勤勉という言葉がぴったりの能吏だった。
柔和な笑顔で時には無理難題を押し付けながら意のままに相手を動かしていくミュラー宰相とは対照的だが、その宰相が全幅の信頼を置く能力の高さが会議の端っこに居る俺にも伝わってきたのを覚えている。
そりゃあそうか。優しいだけの人に宰相直属補佐官は務まらない。
退席したリリス達の気配が廊下の向こうへ去るのを待って、俺はユーリウス殿に言い訳、ならぬ説明を行った。
ずっとリリスだけを想い続けてきたこと。
第二王子がリリスを妃候補にしたいと言いだしていること。
順序は逆になったが必ずリリス本人からも結婚の承諾を得るつもりであること。
会議で見たのと同じ、温度を感じさせない浅葱色の瞳に凝視されながらも、誠心誠意、真摯に俺の気持ちを伝えた。
「つまり、二人はまだただの友人で、娘は君に想われていることにすら気づいていない。
だが王家に横から掻っ攫われる可能性が出てきたから、慌てて家同士での婚約を取りまとめようとしている、と?」
冷や汗が背中を伝い落ちるのを感じながら、指摘された内容が事実であると認めた。
その上で投げかけられたのが、冒頭の台詞というわけだ。
事情を知らないものが聞けば公爵家令息に対する言動としては不適切だと言われるかもしれないが、「ふざけるな」と言われても仕方ないことは俺自身が一番わかっている。
「……十年かかっても想いを伝えきれてない不甲斐なさは、重々承知しています。
でも、本当に、俺は心からリリスを愛しています。
死に物狂いで彼女に伝える努力をします。ですからどうか、婚約を認めてください……!」
膝に額が着くほど頭を下げた。なんなら跪いたっていい。
「…………顔を上げてくれ、リオン君」
しばらく無言だったユーリウス殿だったが、長い沈黙の末に溜め息交じりに声を掛けてくれた。
だが、承諾をもらうまではと頭を下げ続ける。
するともう一度、深く溜め息をつくのが聴こえた。
「首を洗って出直せと言いたいところなんだが……」
首!?顔じゃなくて?
しかもこの流れ、もしかしなくても断られる!??
伏せていた顔を上げて再度説得しようと口を開きかけた俺を、ユーリウス殿が手で制した。
「リオン君には悪いとは思っているんだよ……」
「いえっ、悪いのは俺の方で…!」
「いや……君がこれまで、誠意をもって娘の傍にいてくれたのは我々もよく知っているんだ。
真摯に気持ちを伝えようとしてくれていたのもね。
今回のことも、カールソンから聞いたとき本当にありがたいと思って、快諾したんだ。
だが……まさか、当の本人から”仮の”だなんて言葉が出るとは…。
だって、あんなわかりやすい色のイヤリングを渡されて、しかも毎日学院に着けて行ってて、想い合ってないなんて思わないだろう!?
我が娘ながらなんて鈍い……」
ユーリウス様と俺は同時に深い溜め息をついた。
そうなのだ。
俺の想い人は、鈍い。
リーデンス師匠にも「アマリリス相手には言葉を惜しむな」と言われたのを何度実感したかわからない。
好きだよと思い切って伝えれば
「私も好きよ、一番の親友だもんね」
と可愛さ満点の笑顔で心を抉られ、
容姿を褒めれば
「ありがと。でもリオンの方がずっと可愛いし綺麗だと思うの。今度ドレス着てみない?」
と期待を込めた目で斜め上の提案をされ、
俺の学院入学時にリーデンス師から貰ったブレスレットに嵌まった濃紺のラピスラズリ(もちろん魔道具に使う装飾品は俺がリリスの色の石が嵌まったものを選んだ)をチラ見せしたら
「魔法剣が仕込まれてるんでしょ?出して見せてよ」
と石のことは完全無視で魔道具の機能の方に気を持っていかれ、
最後のとどめに、家から正式に婚約を申し込んだら「仮」だと言われた。
イヤリングに関しては、学院入学祝いとして師匠から渡してもらった俺の失敗だった。純粋なリリスは、本当に師匠からの祝いの品だとしか思っていなくて、銀と濃い青の組み合わせに全く気づかなかったので。
「私達もね、もっと年頃の女の子と交流をさせるとか、もう少し色恋というか、異性にも興味を持てるようにすべきだったかもしれないと反省してるんだよ。
まさかここまで、恋愛に興味を示さないとは思わなくて」
「俺はそれも含めて、全部そのままのリリスが愛しいので…」
ありのまま、素直な気持ちをそう言葉にしたら、ユーリウス殿は浅葱色の瞳をいつものように優しく細めて微笑んでくれた。
「ありがとう、リオン君。
あの子をずっと、変わらない目で見守り続けてくれて。
そんな君だから安心してリリスを任せられると思って、焦らなくてもいつか自然にそうなってくれたらと、悠長に構えていた。
まさか王家から声を掛けられる可能性が出て来るなんて、思わなくてね」
「……はい」
すみません。原因の一端を担ったのはうちの母です。
「まだ噂にしか過ぎないが、いざ現実になってからでは手遅れだからね。
我が家としても、王家と縁続きになるなんて、正直荷が重すぎて御免こうむりたい。
あ、これはご両親にも内密にしてくれよ?」
「わかっております」
「とにかく、今回のお話はありがたくお受けしようと思う」
「!! 本当ですか!?」
「ただし」
言葉を切ったユーリウス殿に、身構えた。
優しさの中に厳しさが滲み出るその表情に、喜びに沸きかけた気持ちがすっと冷える。
「私たちは、あの子の親だ。
例え誰相手であろうと、あの子の望まない結婚はさせたくない。
望まれてないってわけではないだろうけど」
「当然です!」
「うん。だからね、猶予を設けさせてもらおうと思うんだ」
「猶予、ですか?」
「今から一年。
リオン君が学院を卒業するまでに、娘からちゃんと結婚に対しての承諾を得ること。
仮だなんて言葉、二度と聞かせないでほしい。
もしもできない場合、またはリリス自身が承諾しなかった場合、この婚約はなかったことに。
それでいいかな?」
「あ、ありがとうございます!」
もう一度、深々と頭を下げた。
緊張が解けて涙ぐむ、ってか正直ちょっと泣いた。
その後帰宅すると、母から話を聞いてキレた実父が待っていた。父にしたらリリスは親友の娘でもあり、かつ母と同じく実の娘も同然に可愛がってきたので、その子に不誠実な婚約を結ばせたと怒り心頭だったのだ。
父の淡青色の目に睨み据えられながら再度冷や汗まみれで説得を試みなければならなかったが、なんとか婚約の白紙撤回は免れた。
ただ、
「周囲からの認識を変えることでアマリリスに余計な気遣いをさせないため」
という理由で、我が家の両親からは婚約発表はしないでおこうと告げられた。
要は、自力で求婚に良い返事をもらってこいということだ。
まさかそれがこの婚約が仮のものだというリリスの誤解を深めることになるとは。
さらには、リリスになんとしても気持ちを伝えていこうという俺の決意を秘めた表情が、この婚約が不本意でしかたないように見えていたとは、思いもよらなかったのである。