仮の婚約者と言われた公爵家令息の苦悩(1)
クロエさんとリオン君。
時間はちょっと戻って、まだ森の妖精がリリスの前に姿を現すより前のこと。
にこやかに会話していた、その内容とは。
「これは無理かな。王都に二人で出たりしたらもっと大変な騒ぎになりそう。
クロエ嬢、お茶は学院の食堂にしましょうか。
リオンも一緒に来てくれる?」
リリスが小首を傾げて頼んできた。今日も可愛い。…じゃなくて。
「ああ。
先に行って、席を取っておいてくれないか?」
「いいよー」
小さなリリスがてくてくと食堂の方へ向かうのを笑顔で見送りながら、隣のヤツに小さく声をかける。
「……おい、どういうつもりだよ?」
「女の子同士で話がしたかっただけですわ。
そこに割り込むなんて、公爵家の御令息ともあろう方がなんとも狭量ですこと……かっこ悪。」
「ぁんだと、コラ」
まぁこわい、などと言いながら口元に手をやってはんなりと笑っている女に、負けじと笑顔をつくり直した。
隣の女は、リリスに頼まれて護衛まがいのことをすることになった、クロエ・フローデンだ。
公爵家とも取引がある商会の娘で、父親に連れられて挨拶にきたとき何度か会ったことがある。
我が娘ながら優秀でと商会長の父親が言っていたのは欲目ばかりではなかったらしく、好成績で入試を突破し学院高等部の経営科に入学してきた。
訳あって、よく一緒に行動するようになって数日、学院内で俺と彼女とが噂になり始めてしまった。
とんでもない誤解だ。
そもそも、こいつは初っ端から喧嘩を売ってきた。
再会当初、研究室でリリスがお茶を準備するために離れた途端、
「ガレリィ様とは以前お会いしたことがあるとは思うのですが、銀色の眩しいアタマ以外覚えてなくて申し訳ありません」
って、笑いやがったんだぞ!
唖然とした俺を見てふって嗤った後、茶器を運んで戻ってくるリリスに気づいてすぐ令嬢スマイルに切り替えやがった。
他の奴らはクロエのことを『天使のようだ』と思っているらしいが、全員、この見た目に騙されてる。
確かに人柄は悪くないんだと思う。リリスが魅了の術を解いたあとも級友たちがクロエから離れていかなかったのは、そういうことなんだろう。
けど。
「ガレリィ様は公爵家のご令息でいらっしゃるのに、ずいぶんと横柄な言葉をお使いになられますわよね?
まるでお芝居に出て来る破落戸のようですわ」
俺に対しては口を開けば終始こんな感じだ。
その間、淑女の鑑のような笑顔を崩すことはない。腹芸ならぬ、顔芸だよな。
わりと、いや結構腹が黒いぞ、こいつ。
厄介なのは、この女がリリスに強い関心を抱いていることだ。出会いは全くの偶然だったらしいが、魅了がらみで一緒に行動するようになって以降、やたらぐいぐいとリリスに近づこうとしてくるから阻止すべくさりげなく間に割って入っている。
驚いたことに、まだ対外的に発表をしていない俺とリリスの婚約を知っていた。王国内外で広く商いをしている大商会の情報網で掴んだと言っていたが、それを使ってリリスのことを調べてたんだと思うと気分が悪い。
「人の婚約者を勝手に連れ出さないでいただけますか?フローデン嬢」
「とは言え、どこにも未発表の状態でございましょう?」
「他人には知り得ない事情ってもんがあるんですよ」
「そうですの。
なら、事情を知らない他人がどう振る舞おうと仕方ありませんよね。
今日は残念でしたわ。せっかく、リリス様とお茶する機会を得たところに折よく我が兄が王都にいるというのでお引き合わせできると思っておりましたのに」
喧嘩腰な言葉を送り合いながらも紳士らしく微笑を保っていた顔が引き攣りかけた。
そう。一番けしからんのは、どうやらコイツは自分の兄貴とリリスとの縁を取り持ちたいらしいってことなのだ。
なんで俺を敵視してくんだろうと思ってたが、理由はこれだったようだ。
今日だって、放課後にリリスの姿が見えなくて探していたら、クロエと一緒に人に囲まれているところを捕まえた。
なんでも、王都に出てカフェでお茶をしようとクロエが誘ったらしい。もちろん俺抜きの二人だけでだ。
その後で実験資材を買いたいというリリスを、フローデン商会の王都店に連れて行くつもりだったとか。
十中八九、その店にはクロエの兄貴が待っていて、偶然を装って会わせる算段だったんだろう。
リリスは優秀だ。
中等部の間に高等部で取るべき単位まですべて習得してしまい、かつ論文も多数執筆している。
商品化したものもあり、今は公爵家傘下の商会で販売しているが、独立しても十分やっていけるだろう。
そんなリリスを、クロエは実家のフローデン商会に縁づかせたいようだ。
クロエの兄はリリスの作った魔獣避け魔道具に救われて以降、リリスに感謝と憧憬を抱いたらしい。商人としてリリスと繋ぎをつくってあわよくばフローデン商会に取り込みたいと目論んでいるのか、ただ単に、リリス本人に興味があるのか。どっちにしても、絶対に会わせるわけにはいかない。
クロエ自身もリリスの人柄に心酔しているように見えるが、そこは大商会の娘だ。本心はわからない。
商人は皆、外交官だと父は言う。
自分の店という領土を護り、大きくするために、扱っている商品はもちろん、話術も己の容姿さえすべて計算に入れて出来る限り有利に交渉を進めるのだ。
何があっても、こいつからリリスを護らないと。
あ、と声を出して、先に歩き出していたリリスが振り返った。
「実験資材、買いに行こうとしてたんだった……」
「いつもの材料でいいなら、公爵家傘下の商会に届けさせるぞ?」
「それも頼みたいけど、他にも見たいものがあって」
「なら、今度俺と行こう」
「ん。じゃあ、お願い」
「おぅ」
くるりと踵を返して、リリスはまた歩き出す。
すかさず横から小さく悪態が聴こえてくる。
「………物で女性をつるなんて、情けないとは思いませんの?」
「お前は人のこと言えねぇだろ?」
並んでリリスの後ろ姿を見送りながら、笑顔で毒を吐きあう。
こんな風に俺たちはリリスを巡って喧々諤々と牽制し合っているのに、その様子を遠目に見たやつらには仲睦まじいように見えているらしい。勘弁してくれ。
思春期真っ盛りの学生の頭の中は満開の花畑だよな。その花全部引っこ抜いて燃やしてやりてぇ。
イラつく俺を見ながら、クロエが小さく溜息をこぼす。
「でもまあ、連れ出してしまってリリス様にご迷惑をかけたことは反省しております。
大勢に取り囲まれたときは少々怖かったですし」
根はそんなに悪いやつじゃない。
「仕方ないです。
リリス様とご一緒できるなら貴方付きで我慢しますわ」
俺への態度にはくっそ腹立つけどな!
「私だって、リリス様の意思を無視してどうこうしようなんて思っていませんわよ?
ただ学院を卒業後の進路、いろんな選択肢の中の一つとして、うちの商会を知ってほしいだけですわ」
「………」
本心かどうかは別として、クロエの言うことには俺も同意見だ。
俺だって、彼女を囲い込んでしまいたいわけじゃない。
将来何をしていきたいかもリリスの自由。誰とどこで仕事をするかも自由。
ただその隣には、俺が居たいっていうだけだ。
「もちろん、その過程で知り合ったうちの兄とリリス様が想い合う、という可能性もありますわよね」
満面の笑みを浮かべてそんなことを宣う女に、笑んだ口元がひくつく。
「心配しなくてもそんな未来は訪れないよ、クロエ嬢」
「さあ?そこはリリス様次第、でしょう?
私も一緒に行きますわ!リリス様!」
駆けていくピンク頭を苦々しく見ながら、俺も慌てて二人の後を追った。