高華天音のその後 ③再出発
今回の話で天音の物語は幕を閉じます。この後の彼女が学校内でどのような道を辿ったのかは読者様のご想像にお任せします。
大切だったはずの幼馴染を裏切ってからの私の日常は最悪と言っても過言ではなかった。そして遂に裏切りの代償を本格的に払う事となってしまった。
あの日、私と言う悪評の立っている都合の良いターゲットを見つけた他クラスの4人組から金銭を要求され、それを突っぱねてから私に対しての〝いじめ〟は加速したのだ。
いつも人目の付かない場所でこそこそ昼休みをすごしている私に奴らは粘着質に付きまとっては直接いじめ行為を働いてきたのだ。例えばペットボトルの水を頭からかけられたり、お弁当を取られると中身を全て捨てられたりされた。
すぐに夏休みに突入してくれたお陰で連中のいじめからは一時的に難を逃れる事は出来た。だが根本的な解決にはなってなどいない。休みが明ければまたあの4人から壮絶ないじめを受けると考えると夏休みはまるで楽しめなかった。まあいじめなど抜きにしても今の負い目のある自分が夏休みを満喫など結局は不可能ではあったのだが。
そしてつかの間の休息を終えて2学期に入ると予想通りあの4人は自分を待ちわびていた。
「夏休みは寂しかったよぉ。今日からまた私達と一緒に遊ぼうね♪」
そう言って4人組は嫌な笑みを浮かべながら歩み寄って来る。そのうちのリーダー格の女が手に持っていたペットボトルのお茶を頭からじゃばじゃばと浴びせて来る。
「ほーら私からの驕りだよ~。喉乾いていたでしょ?」
「ぎゃははっ、頭からお茶飲んでるわよコイツ」
頭から冷えたお茶を被りながら天音は歯を食いしばる。
ああ……また今日から地獄が始まってしまう……。
夏休みの間に覚悟は決めていたがそれでもいざこれから訪れる地獄を前にすると体がすくんでしまう。この連中の嫌がらせ行為は夏休み前から日に日にエスカレートしていた。こんな頭に飲料水をかけるなんてまだ前座だろう。
誰か……助けてくれないかな……。
天音は自身がいじめを受けている事実は親にすら秘匿にしている。かと言って学校側にも味方も居ない。そして……幼馴染だった龍太にも負い目から相談をしてはいない。そもそもこの学校に自分がいじめを受けている事を知っている生徒が居たとしても『ざまあみろ』と見放すに決まっている。それだけの悪事を働いたのだから。
だからこそ自分はこの苦行を甘んじて受けるしかないと諦めていた。
だがこの日、絶望の淵に居た彼女に転機が訪れた。
「オイオイ何をだせぇことしてんだよ?」
突如いじめを働いていた4人組へと向けて1人の男性の声が飛んできた。
折角の良いところに水を差された4人は敵意を宿した瞳で声の方角に顔を向ける。だが視界に映り込んだ人物を見て全員の顔が青ざめた。
そこに立っていたのは坊主頭の男子生徒だったのだが、しかし身に纏う雰囲気が完全に異質と言えた。
まるで猛獣を連想させるような瞳、それに口元には小さな傷跡がある強面、そしてボタンを外して曝け出されているシャツの上からも一目で分かる圧倒的体格の良さ。
しかもこの人物はこの学校内で〝悪い意味〟で有名な人物だったのだ。
「ちょっと……この人ってまさか2年の大門司先輩じゃ……」
この男は2年の大門司堅と言う名の〝問題児〟だった。
あくまでこの4人も噂程度しか知らないのだが何でも他校の生徒と喧嘩して複数人を病院送りにしたと言われている。だがこの男が一番煙たがられている理由、それは彼が自分の〝幼馴染〟に性的暴行を働いたと噂されている事なのだ。
ちなみに天音は彼と面識がある。とは言え仲が良いなどではなく、夏休み前から昼休みには一人で時間を潰そうとすると彼と場所がかち合う事があったのだ。その際には『俺が先約だ。邪魔だから消えろ』などと言われて別の場所に追いやられていたが。
「折角こっちは人気の無いスポットで昼寝を決め込もうと思っていたのにテメェ等の汚い笑い声で目が冴えちまったよ」
そう言いながら大門司はゆっくりと4人へと近付いていく。
元々陰に隠れて複数人でいじめを行っていた連中だ。いかにも喧嘩自慢と言わんばかりの不良相手に粋がる度胸も無くすごすごと天音を置いて退散していった。
「けっ…しょうもねぇ……」
そう吐き捨てながら大門司はその場から立ち去ろうとする。
去り行く彼の背中をしばし無言で見つめていた天音であったが、窮地を救ってくれた恩義の心から彼に礼を述べる。
「あの…ありがとうございます……」
「ふんっ……」
自分に対して向けられる感謝に大門司は小さく鼻を鳴らすだけだった。
この日からこの天音と大門司、後輩と先輩の奇妙な関係が続く事となった。
昼休みになると人気の無い場所で過ごしているとその場所で大門司と偶然にかち合う事がしばしばあった。どうやら向こうも向こうで昼休みには誰も居ない場所で時間を潰して過ごしているみたいだった。
最初は顔を見合わせれば天音も別の場所に移動をしていたが、何度も遭遇する事でついに二人で一緒に時間を潰す事が増えていった。
もしかしたらこの学園で誰も味方の居ない天音にとって誰かと一緒の時間を過ごす事を本能的に求めていたのかもしれない。
最初は特に会話を繰り広げる事も無くただ同じ空間に居るだけの間柄だった。だが互いに一緒に過ごす時間も増えて行き天音は意を決して大門司に話しかけるようになっていった。最初はうっとおしそうにしていた大門司も次第に天音に対して関心を持つようになり今では昼休みとなると二人きりの時間が出来上がっていた。
その過程の中で天音はこの大門司と言う人間について知っていく事となった。
天音も彼がこの学校内で浮いている理由については詳しく知らず、悪いイメージが根付いている人間程度の認識だった。だが話を聞けば真実は全然違ったのだ。
確かに他校の生徒と大喧嘩をした事実は本物だった。だが彼が他校の生徒と喧嘩をした理由は幼馴染を護る為だったのだ。
大門司の口から語られた真実はとても残酷なものだった。
「俺の幼馴染だった蓮華って女は正義感が強くてな、相手が他校の不良でも道を踏み外せば説教をするヤツだったんだよ。だがその性格が災いして他校の奴等に逆恨みから目を付けられてしまったんだよ」
他校の不良連中の策略で廃倉庫へと連れ込まれた蓮華は純潔を散らされてしまったのだ。だがそこへ大門司が駆けつけたのだ。
大事な幼馴染に乱暴を働いている連中を相手に大門司はたった独りで奮戦し、そして見事に廃倉庫から幼馴染を救出する事に成功した。
「でも俺はあいつを助け出すのが一歩遅かったんだ。そのせいであいつは……」
自分の身を穢された蓮華は精神を病んでしまっていたのだ。
その事に気が回らず大門司は廃倉庫から脱出したその後、すぐに自分のスマホで警察へと連絡した。
そして駆けつけ保護してくれた警察に対して精神が不安定な蓮華はこう訴えたのだ。
――『私は……彼から乱暴を働かれました……』
あろうことか蓮華は自分を助けてくれた幼馴染に性的暴行を受けたと警察に言ってしまったのだ。
この発言には大門司も驚き必死に誤解を解こうとした。だが蓮華は完全に錯乱しており、その後も突拍子の無い発言を繰り返し大門司の疑いは深まるばかりだった。
最終的には実行犯である不良グループは捕まり大門司の誤解は解けた……警察に対しては……。
「クズ共から身も心も汚された蓮華はそこからおかしくなっちまって引越しちまったんだ。そして警察に疑いを掛けられた俺が幼馴染を犯して精神的に追い込んだクズだと周囲の連中に曲解されたって訳だ。なまじ俺が悪人面だから大概のヤツはそのデマを信じた結果、俺はこの学校で孤立したってこった」
その話を聞いて天音はどうリアクションを返せばよいか分からなかった。
もしも自分が今の彼の様に孤立していなければこのデマを信じ彼を軽蔑していただろう。だがこうして話をしてみればこの先輩がぶっきらぼうながら根は優しい人間だと言う事が分かる。
それにこの人は私と違って謂れのないデマのせいで孤立している。それに引き換え私は本当に幼馴染を苦しめて停学処分を受けた最低女。
幼馴染を護ろうとした彼、幼馴染を苦しめた自分、孤立していても人間性はまるで正反対だ。
改めて自分が薄汚い人間だと気付かされ乾いた笑い声を漏らしていると大門司が話し掛けて来た。
「お前はどうしていつも独りで居るんだよ?」
学校内で自分の噂はかなり広まっているが大門司は常に一人きりだったので天音の悪評については詳しく知らなかった。
自分の悪行を話す事に躊躇った天音だが何故だか全てを彼に語っていた。もしかしたら誰かに自分の中に溜まった鬱憤でも吐き出したかったのかもしれない。
天音の悪事を全て聞き終えた大門司は小さく息を吐きながら率直に言った。
「なるほどなぁ……お前は完全に自業自得だわな。ああしていじめられていた理由も納得だわ」
こう非難される事は分かり切っていた天音だったが、次に彼の口から放たれた言葉に思わず息をのんでしまう。
「でもよ、ここからもう一度やり直してみたらどうだ?」
「それはどういう……」
「お前のやった事はそりゃ最低だ。でもよ、幼馴染のソイツはお前を許し、そしてお前も自分の罪を自覚して後悔している。そりゃもうその金木って幼馴染と関わる事は許されねぇだろうが人生を再スタートする権利はあるんじゃねぇの?」
人生をもう一度やり直す……そんな事など考えた事もなければ資格も無いと決めつけていた。
でも……いじめられっ子と言う最底辺に居続ける事が心地よい訳が無かった。
「人間なんて長い人生の中で道を間違える事なんて珍しくもねぇ。罪の自覚すらねぇクソは選んだ道をやり直す権利なんざねぇんだろうけどよ……罪を自覚したならその罪業を背負ってそこから別の道を踏み出すくらいは神様も見逃してくれんじゃねぇのか?」
大門司はまるでお前は自分の様な孤独な世界に居続けるなと言ってくれているようだった。
そんなぶっきらぼうながらもこの学校で唯一自分を叱り、そして道を示す彼に思わず目頭が熱くなる。
「何を泣いてんだバーカ。たくっ、いじめられている時は全部諦めた顔をしていた癖にちゃんと感情あるじゃねぇか」
それからしばらくの間、天音は無言で涙を零し続けた。そんな彼女の隣で面倒だと言わんばかりに寝そべり背を向ける大門司だが、昼休みが終わるまで彼はそんな彼女の近くに居続けた。
自分の人生はもう光など当たらないと思っていた天音だったが、この日から少しだけ〝明日〟に希望を持てるようになった。
そしてこの日以降から校舎裏や屋上など他の人間が集まらないような場所でこの二人は同じ時間を過ごす機会が増えて行った。たとえ傷の舐め合いだとしても人間は孤独には勝てない。天音と大門司はお互いの存在に開いた心の隙間を埋め合えた気がしたのだった。
遂に元幼馴染の物語も一通り締めくくれました。そして次回は遂に最終話となります。どうか最後までこの作品にお付き合いください。