彼氏と彼女の夏が終わりました
約束の夏祭り当日の夕方、龍太は事前に待ち合わせ場所に指定していた祭り会場の近くのベンチに座って愛美の到着を待っていた。
この日は折角の夏祭りと言う事もあり龍太の恰好も普段着でなく風物詩である浴衣を着用している。
そして龍太が待ち合わせ場所に着いてから五分もしないうちに愛美も合流して来た。
「お待たせ龍太。もしかして待たせたかしら?」
「あ……い…いや、僕も今来たところだよ」
待ち合わせ相手の声に反応して振り返った龍太は思わず言葉がどもってしまった。
やって来た愛美も夏祭りをより楽しむ為に浴衣姿をしているのだがその姿に目を奪われてしまったのだ。
初めて見る恋人の浴衣姿はどこか上品かつ艶やかな大人っぽさを醸し出しており、髪型の方も子供っぽさの残る普段のツインテールでなく落ち着いた様子のストレートヘアーで整えられている。身に纏う妖艶なその空気に龍太は圧倒されてしまっていた。
「な、何でぼーっとしてるの? もしかして私の浴衣姿が似合っていなくてつまらないとか?」
何やら弛緩している表情の龍太を見て不安気に愛美がそう尋ねてきた。
自信なさげな表情を垣間見せる恋人を安堵させようと龍太が素直な感想を彼女に送る。
「その…とても綺麗だよ愛美。いつもより大人びて見とれてしまっていた」
何とも陳腐な解答しか出てこない自分のつまらなさに呆れる龍太であるが愛美の方はとても嬉しかったようで満面の笑みで『ありがとう』と言って微笑んでくれた。その可愛らしい笑みがまた更に龍太の瞳を彼女へと釘付けとする。
「ほらそれじゃあいつまでもこんな所で座っていないで一緒に見て回るわよ」
龍太から褒められて嬉しかったのか彼女は上機嫌にその場で腕を組んで祭り会場へと走り出した。
流石は1年に1度の大イベントと言う事もあり祭り会場である商店街は普段よりも活気に溢れていた。そして祭りと言う事もあり金魚すくいや射的など開いているお店、それに飲食店からはわたあめや焼きそばなど祭り定番の食事が売られている。
もう時刻は夕方、二人共事前に夕食の食事は祭り屋台で何か買って食べようと決めていた。
「う~ん食べ物の美味しそうな匂いがあっちこっちから。何だか食欲をそそらせるわね」
「それじゃあまずは何か買って食べようか。あっ、向こうのお店の焼きそばなんてどう?」
お祭りの屋台の焼きそば、あまりにもド定番だが漂ってくるソースのいい匂いに愛美のお腹が反応して小さく鳴いた。
そのお腹の音は隣で腕を組んでいる龍太の耳にも届いており彼が小さく噴き出した。
「ぷっ、じゃあ焼きそばにしようか」
「わ、笑うなバカ」
気恥ずかしそうに軽く龍太の頭にチョップを入れる。
そんな恋人のどこか可愛い怒りを微笑ましく思いながら龍太が店の店主に焼きそばを注文する。
「すいません。焼きそば2人分もらえますか?」
「あいよっ! おっ、もしかしてカップルさんかい? いや~そんな美人さんを捕まえてお兄ちゃんもやるねぇ」
褐色の筋肉質のオヤジさんが豪快に笑いながら出来立ての焼きそばを二人に手渡す。
からかわれながらも周知の目にもにちゃんと恋人と見られる事にお互い少し嬉しさを感じつつ二人は近くに用意されている丸テーブルで焼きそばを頬張った。
「お祭りで食べる焼きそばってどうしていつもより美味しく感じるのかなぁ?」
「賑やかな雰囲気がそうさせるのかもね。ああもう、龍太ったら口の端に青のり付いてるわよ。ほら、じっとして……」
そう言いながら愛美はテーブルに用意されていた濡れティッシュで口を拭ってあげる。
そんな二人のやり取りを近くで見ていた男性客は羨ましそうに見ている。だが中には邪推を入れて来る輩も出て来た。
「おいおい随分と羨ましい事されてるねぇ」
「俺もそんな風に女性に口を綺麗にしてほしいぜ」
そう言いながら如何にもガラの悪そうな二人の男が絡んで来た。
このような大勢人が集まる場所でこう言った輩は必ず居る。少し野次を飛ばされる程度なら龍太も軽く流すのだが男達は愛美に向かって露骨に手を出そうとしてきた。
「おいチビ、ちょっとそこの美人ちゃん貸してくれね?」
「そうそうシェアしてくれよ」
見た目が気弱そうな龍太だからこそこの二人もここまで過激な行動を取って来たのだろうが、生憎この金木龍太は華奢そうな見た目とは裏腹にかなり鍛え上げている。
男達の手が愛美に伸ばされた段階で龍太も明確な敵意を目に宿し男達の腕をそれぞれ掴み、そのまま凄まじい握力で二人の腕を握りしめた。
「いだだだだッ!?」
「こ、コイツなんて握力してやがる…!?」
腕を万力の様な力で握られて男達は苦悶の表情を浮かべる。
「今すぐこの場から立ち去れ。大事な人に手を出すなら僕も大人しくしてないぞ」
「チッ、何マジになってやがんだ!」
本気の目を向けて来る龍太に睨まれ男達はすごすごと退散していく。
その様子を眺めていた愛美は相変わらず見た目に相反する龍太の強さに未だ慣れないでいた。
「いつも思うけど龍太ってギャップが凄いわよね。着飾れば女の子の様に可愛くなると思えば今みたいに男らしさを見せる事もあるし……」
「あはは、こう見えても毎日鍛えているからね」
そう言いながら肘を曲げて力こぶを見せる。
元々龍太がここまで鍛えていたのはかつての幼馴染である天音を護る為だった。だが天音と縁を切った今でも龍太は毎日トレーニングを欠かしてはいない。あの日、心の底から打ちのめされた自分を救ってくれた目の前の愛する人を護る為にだ。
下らない横やりはあったがその後も二人は夏祭りを存分に楽しんだ。
一緒に金魚すくいをしたり、1つの綿あめを分け合って食べたり、心の底から二人一緒にまた新たな思い出を形成していく。
そして夏祭りもいよいよ終盤へと近付いて来た。
二人は夏祭りを開催している商店街の祭り会場から大分離れて川沿いの土手に並んで座って夜空を見ていた。もう間も無く始まるこの祭り最後のイベントをその目で楽しむためだ。
「もうそろそろ始まるみたいだよ」
龍太がそう言った直後、夜空に向かって小さな光の粒が昇っていく。そしてその光が弾けると爆音と共に大きく鮮やかな花火が夜空に広がった。そこから次々と黒い夜空のキャンパスに多種多様の色や波紋の美しい花火が描かれていく。
「綺麗……」
夜空に彩られる幻想的な風景に二人は見惚れつつ、その一瞬の儚さにどこか不思議な寂しさを胸の奥に感じる。
そして二人はその寂しさを拭うかのように土手の上でお互いに寄り添って互いの温もりを感じていた。
「……この花火が終わると夏も終わるわね」
そう自分で言いながら愛美はどこかセンチな気分となる。
まだほんの少し夏休みが残っているとは言えこの花火大会の後は特に大きなイベントも無いだろう。そう思うと何だかこの日が愛美にとってはとても貴重なものに思えた。それは龍太も同じで彼は無意識に寄り添う愛美の腰に手を回し体を抱き寄せる。
「ふふっ、何だかちょっと大胆じゃない龍太」
「嫌…だったかな…?」
自分でも少し果敢に攻めすぎたかと思っていたので彼女に嫌悪感を与えたかと思うと次の瞬間に唇に柔らかな感触が触れた。
眼前には目を閉じた愛美の顔がドアップで迫っており、そのまま赤く染まった頬の彼女がゆっくり離れて行く。
「お返しなんだから。私も少し大胆になってみたわ」
「う…もう……」
小悪魔のような笑みでからかってくる恋人のいきなりの行動に思わず顔がカーッと熱くなる。だがいつもどちらかと言えば一方的にからかわれ続ける龍太も偶には反撃をしてみようと悪戯心が出て来る。
「そんな事ばかりしていると僕も男なんだから我慢できなくなるかもよ?」
そう言って不敵な笑みを浮かべる。我ながら似合わないセリフを言っている。
予想ではここで『馬鹿言ってるんじゃないわよ』とチョップでもされると思っていた。だがその予想と反して愛美はどこか照れくさそうにしつつも小さな声でこう切り返して来た。
「いいよ……龍太になら……」
「え……」
「……折角だしこの夏で……二人で大人になる?」
そう言いながら彼女はそのまま龍太の胸に顔を埋めて来たのだ。
完全に想定外の反応に龍太は思考が纏まらない。そんな彼に愛美は更に誘惑を掛けて来た。
「私……龍太ともっとお互いを深く知りたいな……」
もう自分だって子供ではないのだ。この言葉の真意を理解できない訳が無い。
正直な話を言うのであれば龍太だってれっきとした男だ。意中の人とそのような関係に踏み出したい欲が無いと言えば嘘になる。
だがそれでも最後の理性を働かせて愛美を抱きしめながら龍太はこう言った。
「その……いきなり過ぎてまだ度胸が持てない。だから、今はこれで我慢して欲しいな……」
そう言いながら龍太は初めて自分から彼女にキスをした。
ここにきて自分のヘタレ具合に情けなさを感じる龍太に対して愛美は少し物足りなさを感じつつも渋々今回はこれで我慢をする。
「もうヘタレなんだから。でも初めてあんたの方からキス…してくれたわね。今回の夏はここまでで我慢してあげるけど……次はもっと男を見せてね」
そう言いながらもどこか肉食めいた顔を一瞬ちらつかせる愛美に思わず色々な意味でドキッとする。
これから先も二人の関係は続いていくのだ。今回の夏はこの程度の歩みでも十分だろう。まだまだいっぱいお互い寄り添い同じ時間を過ごすのだから……。
こうして二人の夏は終わりを迎える。だが終わるのはあくまで夏の時間、二人の時間はこれから先もまだまだ続いていく。