金木龍太と高華天音は幼馴染をやめました
その日の学園生活は龍太のとってとても寂しい1日だった。その理由は言うまでもなく愛美と過ごす時間が1秒たりともなかったからだ。いつもは一緒に屋上で昼食を食べていたがこの日は龍太は1人で済ませ、そして放課後も一緒に帰宅せず1人で帰路へと付いていた。
昼休みに廊下を歩く愛美の姿を一瞬だけ偶然見たが彼女は悲しそうな眼を向けるとそのまま背を向けてしまった。完全に自分を避けている事は明白、だがその時に龍太は悲しさ以上に彼女に対して申し訳なさすら感じていた。
本当にごめんね愛美。でももう少しだけ待っていてほしいんだ。今日僕は今度こそ天音との関係に決着を付けるから……。
学校終わりに彼が足を運んだ場所は幼馴染の自宅、つまり高華天音へと会いに来たのだ。
「この家までやって来たのは本当に久々だなぁ……」
天音から幼馴染の縁を切られて以降は龍太は当たり前と言えば当たり前だが天音の家には足を延ばした日はない。むしろ関わり合いを持たないようにしていたぐらいだ。
ははっ、それなのに僕は天音を許した。なんだこれ、よくよく自分の行動を見つめなおせば破綻している。天音が僕を裏切ったように僕も彼女のやらかした事を真剣に考えていなかったんだな。
自分の愚かな選択に対してしばし嘆かわしく思っていた龍太だが深呼吸をすると意を決して彼女の家のチャイムを鳴らす。
昨日から一睡もしていないにも関わらず今の龍太には眠気など微塵もない。それよりも今から対面する天音との関係について清算する事に緊張していた。
『……はい高華ですが……』
インターホン越しから聴こえる幼馴染のどこか覇気のない声に一瞬震えながらも龍太は口を開いて応対する。
「僕だよ天音。君と話したい事がある…」
そう言うとインターホン超しに彼女が慌てている様子が伝わって来た。
それからまるで初めから玄関で待機していたかと思う程の速度で天音が玄関を開けて姿を現した。
「りょ…龍太……どうして家に……?」
「昨日ぶりだね天音。実は話があって来たんだ。大事な話が……」
自分の顔を見ている天音はどこか不安そうな顔を浮かべていた。そんな顔を浮かべている彼女に対してこんなセリフを言うのは未だに心の片隅で気が引けている。だが言わなければいけない、それが自分にとっても彼女にとっても一番の選択なのだから。
「今日は君に言うべき事があるんだ。天音…いや高華さん、今日限りで僕たちは縁を切るべきだ」
「………」
自分の罪を許してくれた龍太から縁を切ろう、そう言われても天音は特に取り乱す様子は見られなかった。いやそれどころか彼女の表情はどこか納得しているようにも見えた。
「自分が酷い事を言っている事は十分理解しているよ。それでも昨日一晩考えて理解したんだ。僕と君はもう関わるべきじゃないと思うんだ」
母である陽抱から言われた言葉を龍太は何度も何度も頭の中で繰り返してやっと気付けた。自分がここで彼女を許して今後も関わりを持ってしまえば彼女はまた自分に〝依存〟してしまう。そしてまた自分も反省したからと言って彼女に歪んだ優しさを向ければ反省した天音を腐らせてしまう可能性がある。
「多分だけど天音……僕と君はお互いに依存していたんだと思う。思えば僕は君を悲しませたくないと君に厳しく接した記憶が無いんだ。一方的に縁を切られた時だって復讐しようなんて考えすら浮かばないなんて真っ当な人間からしたらあり得ないよ」
これが漫画や小説の中のキャラクターなら『復讐なんて悲しいだけ』などと綺麗ごとを吐くのだろう。だがそれはフィクションだから読者も納得できる。しかし現実世界の人間は架空の世界のキャラクターのような何でもかんでも許せるほど楽観的な感性ではない。
そうだよ、紙の上のキャラクターと違って僕たち現実の人間は些細な事で傷付くんだ。裏切りなんて受ければ許せないと思う方が当たり前なんだ。そんな事に今の今まで気が付かなかったなんて我ながらどうかしている。ましてや……一番大事にするべき恋人の気持ちを蔑ろにするような決断を平然とするなんて最低だ……。
「僕は君を一度許した。だからここでまた君に受けた仕打ちを許さないなんて言う資格はない事は理解している。でも……もう僕たちは互いに距離を置くべきだと思うんだ。そうでなければ僕たちはまたお互いに過ちを犯すと思う」
「……やっぱり龍太もそう思っていたんだね」
幼馴染の縁を切ろうと言われても天音は混乱するどころか同意している傾向の方が強かった。
「あなたが昨日私の行いを許してくれた時は確かに嬉しかった。また昔の幼馴染の関係に戻れると知って安堵もした。でもね、家に帰ってから本当にこれが正しいのか私も悩んだんだ。これだけの大罪を犯しておいて本当にまた龍太と仲良くして良いのかって。もっと言えばまた私はあなたの優しさに付け込んで罪を犯すんじゃないかって」
実は天音も天音で昨日の夜は一睡もせずに自分の行動を振り返っていたのだ。心から自分の罪を理解したからこそ彼女もこうやって自分の軽はずみな謝罪を正しかったのかと悩むことが出来ていた。
これで本当に正しかったのだろうか? いくら被害を受けた彼が許してくれたからと言ってそれで片づけても私は心の底から反省できるのだろうか?
「昔いじめを受けていた私の事を別クラスのあなたが助けてくれた。きっとその時から私はあなたは自分のピンチに手を差し伸べるヒーローに仕立て上げていたんだと思う。だからあなたなら何をしても許してくれると身勝手に考えていた」
「そっかぁ……僕もね、君がまたいじめを受けていた時代の様に悲しい思いをさせたくないって思っていた。だから幼馴染と言う関係を理由に君に優しく、いや〝甘く〟接していたんだと思う」
ああ…やっと理解した。僕たちは〝幼馴染〟と言う関係を誤解していた。僕も天音もお互いに幼馴染だからと言う理由から互いを悪い意味で特別に見ていたんだ。
だったら自分達が一番取るべき行動は縁を切る事なのだろう。そうでなければお互いに先に進めない。ここでやり直せば自分も天音も過去の思い出を言い訳にお互いに依存しあってしまう。
気が付けば二人は互いに一筋の涙を零しながら同時に別れを告げていた。
「さようなら……高華さん」
「さようなら……金木君」
その別れの言葉と共に二人は同時に背を向ける。そのまま天音は自宅へと戻っていき、そして龍太は自分が謝るべきもう1人の家を目指して歩きだすのだった。
この日以降から龍太も天音もお互いを今までの様な名前で呼ぶ事は一度たりともなかった。