母が息子を心配しました
どうしてこうなってしまたのだろう、そんな安い言葉を頭の中で繰り返すのはこれで何度目だったかもう思い出せない。
「僕は……間違っていたのかなぁ……」
自室のベッドの上で体育座りをしながらそう後悔の念と共に呟く龍太。その姿はとても脆く今にも崩れそうだった。そう、かつて幼馴染の天音に一方的に縁を切られた時の失意の底に居た時のように。
自分から逃げるかのように走り去っていく恋人の背中を結局は追いかける事が出来なかった。あの後に電話やメールを送っても返事はなく彼の心はより暗闇に包まれる。ショックのあまり食事もほとんど喉に通らず母にも心配されたぐらいわかりやすく落ち込んでいた。ただ妹だけは何も言わず無言のままだったが。
部屋の電気を点けずに静寂な空間で彼は妹から言われた言葉を思い出していた。
――『今あなたが一番大事にしないといけない人は誰なのか? それを今一度考えてみる事だね』
自分が一番大事にしないといけない人? そんなものは決まっている。最愛の恋人である月夜愛美こそが自分の一番大事にしないといけない人だ。裏切りの絶望を味わった自分は彼女に命を救われたと言っても決して過言ではないだろう。
「あれ…じゃあ僕はどうしてその裏切った天音を許したんだ?」
ここまで思考を進めてようやく龍太は自分の行動に疑問を抱くことが出来た。
そうだよ、僕が天音に向けられる悪意で苦しんでいる時に彼女は何度も救ってくれた。そして僕の為に天音の行いを我が身の事の様に怒ってくれた。そんな彼女の目の前でその幼馴染をあっさり許してしまって愛美は納得するだろうか? どう考えても僕の行動は破綻していないか?
そんな訳…無い…反省した幼馴染を許すのは普通の事だ……そう今の自分は言い切れなかった。
だってもし自分が逆の立場だったとして、愛美を苦しめた相手が謝っても簡単に認められないだろう。それどころか愛美がそんな相手をあっさり許してしまえば自分は納得しないどころか嫌悪感だって抱くのではないだろうか?
じゃああのまま天音の謝罪を聞き入れず突き放す事が正解だったのかな?
この場合は例え龍太が天音を冷酷に突き放しても誰も彼を責めなかっただろう。だが彼の中の良心がその行為を無意識に拒んでしまったのだ。だがその結果、彼はもっとも愛している人を苦しませてしまった。
「あはは……こうして振り返ってみると自分が優柔不断だって事が良く分かるな。こんな風にふらふら裏切った幼馴染の思い出に縋る男なんて愛想尽かされても仕方がないよね」
なら僕はどうする事が正しい? こんな優柔不断な自分では彼女を苦しめるだけだと別れる事が正解なのか?
「嫌だよ……やっぱり愛美と別れるなんて認めたくないよ……」
何とも女々しい発言をしている自覚は十分にある。でも自分に何度も向けてくれたあの微笑みが、照れ隠しが、温もりが腕の中からすり抜けていく事を考えるとショックを通り過ぎて恐怖する感じる。
それからも自分の部屋で悩み続けていると部屋の扉が少し強めにノックされる。
「ちょっといいかしら龍太ちゃん。少しお話があるんだけど~」
扉の向こう側から母である陽抱が語り掛けて来た。
食事もほとんど残し、しかも部屋にこもる息子を心配して様子を伺いに来たのだ。
「入るわよ~」
龍太が入室の許可を出すよりも先に陽抱は間延びした声を出しながら部屋の中へと踏み込んで来た。
「あら電気を点けないでどうしたの~?」
部屋の明かりをつけると彼女はベッドの上で座り込んでいる息子の元へ寄り添う。静寂の中で苦悩し続けている中で優しい母の声を聞いたことで感情が乱れてしまう龍太は幼子の様にポロポロと泣き出してしまう。
その今にも壊れてしまいそうな我が子を見ると陽抱は優しく背中をさすりながら話を聞いてくれた。
「もう龍太ちゃん。悩み事があるなら話してくれなき駄目よ~お母さん心配になっちゃうでしょ」
口調は緩やかだがその顔を見れば彼女が息子を本気で心配している事は龍太にも伝わって来た。
「ぐすっ、ごめんね母さん心配させて。もしよかったら何だけど相談…乗ってくれないかな……?」
「そんなの当たり前よぉ。子供の悩みは母親の悩みでもあるんだから遠慮なく話していいんだからねぇ」
そう言われると龍太は情けなさを自覚しつつも自分の抱え来んでいる悩みを全て吐露した。
胸の内の苦しみを表情に滲ませながら龍太は恋人を悲しませたこと、そして幼馴染と今後どう向き合うべきなのか分からない現状を相談する。
一通りの話を聞き終えると陽抱は一度小さく頷いた後にこんな言葉を口にする。
「龍太ちゃんが何に悩んでいるのかは凡そ把握したわぁ。つまり龍太ちゃんは恋人の愛美ちゃんを愛しているけど幼馴染の天音ちゃんも放っておけない、そういう事ねぇ」
「うん……もちろん今の僕にとって大事で最愛の人は愛美だよ。でも…だからと言って天音を斬り捨てる事が正解とも言えるのか分からないんだ。正解が……見えてこないんだ……」
「そうなのねぇ。それじゃあ私から龍太ちゃんにまず言いたい事はこの言葉よぉ」
そう言うと彼女は穏やかな表情のままうじうじと悩んでいる息子に言ってやった。
「今一番大事な人を何よりも優先すべきでしょうが。いつまでも過去の記憶にかじりついてんじゃねぇわよボンクラ息子」
今まで一度たりとも聞いたことの無い絶対零度の母の暴言に龍太は間抜けに口を開ける事しかできなかった。
次回はおっとり系のお母さんがマジギレします(笑)