高華天音 ⑦
「あーマジでウザかったわぁ」
いきなり月夜愛美から屋上に呼び出された天音は腹の中のムカムカが治まらなかった。あのまるで物覚えの悪い子供を叱るかのような説教など一体何様のつもりだと言うのだろうか。自分と同じ高校1年生でありながら生意気極まりないと苛立ちが芽生えて仕方がない。
だが実際には天音は物覚えの悪い子供以下と言えるだろう。何しろ自分の幼馴染に対して働いた悪行をあろうことか正当な報復行為だと思っているのだから。
そうよ、私は何も悪くない。自分の幼馴染がクラスで孤立しているのに助けてくれない冷血漢の龍太が全部悪いのよ。別にアイツに直接暴力を振るったわけでもなし、ただアイツのノートをカッターで切り裂いただけじゃない。
もうここまでくれば尊敬すらしたくなるほどの身勝手ぶりだ。もし彼女の幼馴染が優しい心根の龍太以外ならば今頃彼女はどうなっていただろうか。少なくとも彼女の悪行に慈悲など与えずとうの昔に制裁を加えていただろう。今よりも遥かに大々的に学校内に天音の悪評は広まり自主退学にまで追い込まれていたかもしれないと言うのに。
だが彼女は気が付いていない。今回の屋上での愛美との対話が正真正銘やり直せる最後のチャンスだったと言う事実に。
「あ…アイツ……」
昼休みに入ってすぐに屋上に連れ出されたせいでまだ昼食を彼女は済ませていない。まだ休憩時間終了までは大分時間があるので購買にでも行こうかと思っていたが廊下に忌まわしい人物が立っていた。
それは自分を今の肩身の狭い状況へと追い込んだ男である金木龍太だ。
どうやら向こうの方も自分に気付いたようだが露骨に目を逸らされる。普段ならこちらとしても会話などしたくないが今は屋上であんなことがあった後なのでその態度がどうにも気に食わなかった。
「分かりやすく目を逸らすわね。そんなに私とは顔すら合わせたくないかしら?」
天音の方からそう言われてしまえば龍太としても少しバツが悪い。
今日の昼休みに愛美は彼女と最後の対話を試みて反省するか確かめると言っていた。だがこの態度を見る限りでは恐らく自分の望む結果は得られなかったのだろう。
彼が目を逸らしたのは一目見ただけで彼女が反省などしていない事が分かってしまったからだ。これで……もう彼女はやり直せるチャンスを放棄したと知って悲しみから目を逸らしてしまったのだ。
「今しがたアンタの彼女と話したわよ。アンタ、私がノートを盗んだことを既に知っていたみたいね」
「……そうだよ……僕からも確認したいんだけど君はその事を悪いと思っている?」
もしここで『ごめんなさい』の一言が聞ければ愛美に最後の慈悲を与えて上げて欲しいと頼みに行くつもりだった。
だが彼のそんな淡い希望は踏みにじられてしまう。あの日、自分の作った手作りのマフラーを踏みつけられた時と同じように……。
「残念でしたぁ。私が盗んだ証拠がアンタの目撃だけならもう盗まなきゃ私を裁けないでしょ。はいはい残念賞~」
そう言いながら彼女はヘラヘラと反省の心を示すどころか上っ面の謝罪すらもしなかった。
「言っておくけど私は自分が悪いだなんて思ってないわよ。これは私を助けもせず放置し続けたアンタに対して行った正当性のある報復なんだから」
そうよ、私の味方をずっとしていたくせにコイツは結局幼馴染よりも一緒に居た時間も短い恋人を選んだのよ。だったらこれぐらいの仕返しは受け入れるべきよ!
不思議なことにこの心の中の声がブーメランとなって自分の頭に突き刺さっている事を天音は気付いていなかった。
小学生時代から彼女を想い続けてくれた幼馴染を先に裏切り安藤のような男を選んだ彼女自身は何故か『裏切った』認識が皆無なのは本当に不思議なことだ。
「とにかく私は謝らないわよ。アンタなんかに頭下げるなら死んだ方がマシだわ」
そう言うと彼女は敵意をむき出しにして通り過ぎる際に勢いよく龍太の足の甲を踏みつけて行った。
「いつっ!?」
「………」
完全に足を踏み抜いていったにも関わらず相変わらず彼女の口からは『ごめんなさい』が出てこない。
ふん、それにしてもこれでもうストレス発散できなくなっちゃったわね。まあいいわ、今度はもっとバレないような方法でアイツを困らせてやる。
そう思いながら天音は最後に一度だけ龍太の方に視線を向けた。そこには悲しそうな顔をしながら自分を見つめる間抜けが1人いた。
はんっ、情けない顔。……それにしても何よあの哀れみでも向けるかのような顔は……。
今しがた目撃した龍太の悲しそうなあの表情に奇妙な違和感があった。あれはただ悲しんでいるだけではない気がする。
この時に天音はどこか言いようのない不安が胸の中で渦巻いた気がした。まるで自分が最後の命綱を自ら切断して奈落に落ちていくかのような……。
その翌日に天音は校長室へと呼び出される。そして……彼女の人生は一気に悪化の一途を辿る事となるのだった。