月夜愛美 ④
どうして……どうしてこんな事になってしまったの……!! どうして龍太がこんな酷い目に遭わないといけないのよ……!!
月夜愛美は両手で頭を抱えながら自分の恋人の身に降りかかった不幸を嘆いていた。
彼女が現在いる場所は学び舎などではなく病院であった。
正気を失い狂った安藤の手によって龍太は頭部に石を叩きつけられ意識不明でこの病院へと搬送された。救急車に担ぎ込まれる彼を見て愛美はパニックになりかけていた。だが龍太の身を案じる気持ちが強くギリギリで正気を保ちつつ、病院まで運ばれる彼に同行してここまでやって来たのだ。当然だが愛する人の一大事、学校には何の説明もせず許可も得ずにほっぽり出してここまで来た。
今は彼の眠っている病室前の廊下の長椅子に座っている。先程まではベッドの上で眠っている龍太の様子をしばし見守っていたが頭部に包帯を巻いている姿が痛々しすぎて一度退出してしまった。
でも良かった。医者の話ではすぐに意識を取り戻して起き上がるらしいし……。
幸いなことに龍太の負った怪我は命に別状はないらしい。意識の方もすぐに戻って目覚めると言われた時は安堵のあまり膝から力が抜け落ちて垂直に崩れ落ちてしまった。
それからしばらく廊下の長椅子に腰かけていた愛美が再び病室に戻ろうとした時だった。
「あっ、愛美姉も来ていたんですね! お兄ちゃんは大丈夫ですか!!」
聞き覚えのある声に反応して視線を向けるとそこには深刻そうな顔をしている龍太の妹の涼美が立っていた。どうやら彼女もまた学校を早退して駆けつけて来たらしい。
自分の兄が病院搬送されたと知った彼女は青ざめていた。
だがそんな彼女を後ろから諫める1人の女性が居た。
「落ち着くのよ涼美ちゃん。お医者さんの先生もすぐに目を覚ますって言っていたでしょぉ。それに病院内では静かにね~」
そこに居た女性はおっとりとした雰囲気を身に待った若々しい二十代半ばと思われる女性。
この人は一体誰かしら? もしかして龍太のお姉さん……いやでもお姉さんが居るだなんて聞いてないわよ。
もしかして親戚の誰かが駆けつけて来たのかと想像していると涼美の口からとんでもない事実が発覚した。
「もう〝お母さん〟はのんびりし過ぎだよ。確かに医者の話ではすぐに目を覚ますって言っていたけど……」
「……お母さんッ!?」
ここが病院だと言う事も忘れて愛美は驚きのあまり大声を出して椅子の上からずり落ちそうになる。すぐに口を閉じて音量を下げると愛美は今の涼美の口から出て来た単語についての説明を求めた。
「涼美ちゃんちょっといいかしら? その…私の聞き間違いかしら? お、おかあ…さん……?」
「あっ、そう言えば愛美姉が顔合わせするのは初めてだよね。この人が私達のお母さんなんです」
「初めまして~龍太ちゃんの母の金木陽抱ですぅ。もしかして龍太ちゃんのお友達かしら~」
確かに二人からは自分達の母は実年齢と比べてかなり若いとは聞いていた。だがだとしても限度があるはずだ。いくら何でもこの見た目で高校生の子供を持つ母とは思えない。どう考えても大学のお姉さんと言われた方が納得できる。
驚きつつも愛美も彼氏の母親に自分と息子さんの関係について話した。自分と彼が交際関係だと知るとあまり顔には出ていなかったがそれなりに驚いていたみたいだった。
「まさかこんな素敵な彼女さんが居たなんてね~。龍太ちゃんったら今まで自分に彼女さんが居るだなんて一言も教えてくれなかったのに~」
それは愛美にとってもかなり意外であった。てっきり自分に彼女が出来た事実は話しているものだとばかり……。
そんな考えを頭に浮かべていると涼美ちゃんが傍によって私に耳打ちして来た。
「お兄ちゃんが愛美姉とお付き合いしている事はあえて伏せていたんです。ほら、裏切られるまではお兄ちゃんはあの最低幼馴染が好きだったでしょ。まだお母さんには天音のヤツがお兄ちゃんを傷つけた事実を隠しているから……」
涼美のその説明には得心が行くものだった。息子の交際相手が大好きだった幼馴染以外の女性となれば幼馴染とはどうなったのかと思うだろうから。
だが自分が交際相手と知っても陽抱さんは特に深い詮索はしてこなかった。もしかしたら清い交際であると知れたならそれ以上の追及はすべきでないと大人の判断をしたのかもしれない。
それから3人で病室に訪れると龍太は無事に目を覚ましてくれた。
いくら医者に大丈夫だと言われても目が覚めるまでは気が気ではなく、龍太が起き上がった時は思わず号泣してしまった。
それから頭部の怪我の様子を見守るために龍太は1週間の入院が余儀なくされた。当然だが彼が入院している間は学校終わりに病院へと向かいお見舞いに行った。
「あっ、愛美姉じゃん。今日もお見舞いありがとね~」
病院の入り口まで行くと背後から涼美の呼び止める声が聴こえてきた。
「あら涼美ちゃん。あなたこそ今日もお見舞い何て健気な妹さんね」
「まあねぇ。お兄ちゃんは寂しがり屋だからさ~」
互いに毎日病院で顔を合わせて会話をしていたお陰で二人の距離間もかなり縮まった。今では涼美も自分を本当の姉の様に慕って砕けた口調で話し掛けて来るようになった。
明日には退院できるとあって二人の足取りも軽く龍太の病室まで歩いていく。だが彼の部屋の扉を開けようとすると中から女性のがなり声が響いてきたのだ。
「えっ、何か騒がしくない?」
そう言いながら涼美が扉を少しだけ開いて隙間から覗き込む。その直後に彼女の表情は一気に険しくなる。その反応に只事ではないと思い愛美も上から病室内の様子を伺う。そして数秒後に涼美と同じく表情が怒りに染まる。
なんと病室内には酷い裏切りを働いたあの高華天音が龍太に突っかかっていたのだ。
耳をすませば彼女はこの期に及んで身勝手な発言を繰り返して龍太に当たり散らしていた。
『ぐっ、何を一丁前に命令してんのよ! アンタみたいなチビとまた仲良くしてあげようとしてんだからアンタは黙って頷きゃいいのよ!!』
もうここまでが限界だった。愛美と涼美の二人は取っ手を掴んで叩きつける勢いでドアを開いた。
もうこれ以上は龍太の人生の足を引っ張らせない。その想いと共に愛美はいきなりの事態に戸惑っている天音の元までツカツカと歩み寄って行った。