兄が妹に怒りました
初めて彼氏の家にお邪魔させてもらった愛美は現在言いようのない緊迫感に包まれていた。その理由は先程から自分に対していくつも質問をしてくる龍太の妹にあった。
まるで尋問でもするかのように涼美はいくつもの質問を今もなお愛美へとしている。
「それじゃあ次の質問です。愛美さんはお兄ちゃんのどんなところが好きになったんですか?」
「え、えっとぉ……」
ここにきてこれまでの質問内容とは異なり口にしづらい問いに言い淀んでしまう。本人である龍太がすぐ隣にいるこの場で『ここが好きになった』などと恥ずかしくて正直に答えにくい。
「お兄ちゃんのここが好きになった。それを教えてはくれないんですか?」
「ほ、本人の居る前で言わなきゃいけない?」
「こら涼美あんまり困らせないの!」
強引な質問をする妹を流石に止めに入る龍太。何より自分の居る前で答えられるのもかなり恥ずかしい。当然だが質問をされた側である愛美としても気恥ずかしさから言いづらく口をもごもごとさせてしまう。だがその態度を見て涼美が疑いの眼を向けながらとんでもない事を言って来たのだ。
「彼氏にした人の好きな部分を答えられないって……それって本気でお兄ちゃんを好きになったんですか?」
「りょ、涼美? 急にそんな怖い顔してどうしたの?」
今の質問に対する具体的な返答を貰えなかった次の瞬間に涼美から放たれる雰囲気が変わり出したのを二人は敏感に察知した。場の空気が重くなり圧迫感が強まる中で更に涼美は尋問まがいの質問を愛美に対してぶつけ続ける。
「お兄ちゃんの妹として私はあなたが兄のどの部分に惚れ込んだのか知りたいです。それを答えられない、つまりはお兄ちゃんを本気で好きになった訳でないと捉えてもいいんですか?」
「なっ、それはどういう意味かしら!?」
ここまで大人しく質問を答えていた愛美であったがこの質問は流石にいただけなかった。
確かに切っ掛けこそは一目惚れと単純な理由だったのかもしれない。だがその後から彼と言う人間を深く知り彼の持つ優しさに心の底から本気で好意を抱いたのだ。決して軽い気持ちで彼と交際した訳ではない。
反論しようと愛美が口を開くがそれよりも先に涼美の方が言葉を被せて来た。
「もし何となく私も彼氏を作ってみようなんて軽い気持ちなら私はお二人の交際は反対です。お遊び程度の心構えで始める恋愛なんて碌な結果にならないと思いますよ」
いくら恋人の妹とは言えここまで言いたい放題言われては怒りも出て来る。
元々沸点が低い愛美が思わず声を大にして反論を口にしようとしたその時であった。
小さな乾いた音がリビングの中を駆け巡った。
「いい加減にしなさい涼美」
その音の正体は無礼を働き続ける妹に対して兄が放った平手打ちだった。
「さっきから黙って聞いていればまるで尋問まがいの質問ばかり。何が気に入らないのか知らないけど流石にこれ以上は僕も容認できない」
いつも穏やかで優しい兄に久しぶりに本気で怒気を向けられて涼美もようやく我に返った。
何をやってるんだろ私ったら。お兄ちゃんをもう悲しませない為なんて言って私が悲しませていたら世話ないじゃない……。
叩かれてジンジンと熱のこもった頬を押さえながら龍太の方に視線を向けるとそこには怒りだけでなく悲しみも滲ませた兄の顔があった。
彼女としても決して兄や愛美に対していやがらせを働いていた訳ではない。ただ幼馴染に裏切られた兄がもう女性に苦しみを植え付けられない為にどうしても月夜愛美と言う人物を信頼できるか把握したかっただけだ。
この人なら私の大好きなお兄ちゃんを悲しませない、その根拠が欲しいあまり暴走してしまった。
「ごめんなさいお兄ちゃん。私…どうかしてた……」
「謝る相手は僕じゃないよね? 涼美がちゃんと頭を下げないといけない人は誰だと思う?」
決して大声でがなり立てる訳ではないが静かで覇気のある言葉に怒られている張本人でない愛美も少し緊張してしまう。
へえ…普段わたわたしている龍太もこんな部分があるんだ。
不謹慎かもしれないが新たな彼氏の一面を見れて少しだけ得した気分になる愛美だった。
「ごめんなさい月夜さん。さっきから私かなり失礼でしたよね」
そう謝罪と共に頭を下げる涼美の姿を見てさすがに彼女の怒りの風船もしぼんでいく。
ただ愛美は許してもまだ龍太の方はどうしてこんな無礼な対応をしたのか訳を問う。すると涼美は目尻に涙を浮かべながら訳を語り出す。
「ごめん……もしまた女性関係でお兄ちゃんが傷付いたらどうしようって考えると月夜さんがどういう人かちゃんと知っておきたかったから……」
その言葉を聞いて妹は自分の為に暴走していた事を知り龍太の表情は複雑そうに歪む。
確かに自分を悲しませまいとする心はすごく嬉しい。でも何の非もない愛美からすれば涼美の言葉は理不尽極まりないだろう。
どんな言葉を掛けるべきか龍太が悩んでいると愛美が口を開く。
「優しい妹さんを持っているわね龍太。今時の妹さんはここまで兄貴の事を考えてくれないわよ」
涼美の尋問に近い問いかけの訳を知った愛美は小さく笑った。その顔には怒りや嫌悪感は一切感じられず皮肉でなく本心から涼美を出来た妹だと言っている事が見て取れた。
「心配しなくても大丈夫よ涼美ちゃん。私は決してあの元幼馴染と違って龍太の傍から離れたりしないわ。絶対にお兄さんを悲しませないと誓う。だから心配しないでちょうだい」
そう言いながら彼女はバツの悪そうな顔をしている涼美の手を握る。
散々自分に失礼な態度を取られ続けて本当なら文句の1つでも言いたいだろうに。だが自分を安心させようと微笑みを向けてくれる彼女に申し訳なく涼美は改めて頭を下げる。
「本当にごめんなさい月夜…いえ愛美さん。それからもし許してくれるなら私ともこれから仲良くしてください」
「そんなの当たり前でしょ。私の方が年上なんだから遠慮せずおねーさんに甘えなさい」
こうして無事に彼女と妹も和解できて良好な関係を築けたとひとまずは安心する龍太。
そこからは険悪な空気は完全に消え3人は楽し気に談笑しあった。特に涼美はすっかり慣れ親しんで『愛美姉』なんて呼び出している。
ただ完全に打ち解けてからの涼美は失礼を働いた分、少しでも愛美と距離を縮めたいと思ったのかとんでもない代物を見せて来たのだ。
「ところで愛美姉。実はあなたにお見せしたいものがあります」
「ん、なにこれ写真……ぶはっ!?」
「うええ!? いきなり鼻血を出してどうしたの愛美!?」
妹が何やら持ってきた写真を見た途端に鼻血を撒き散らす恋人に驚愕する。一体全体どんな写真を見せたのかと背後から覗き込んで龍太は顔が真っ赤に染まる。
「ななな何でまだこんな写真を持ってるの!!」
妹の握られている写真は言うなれば龍太にとっての黒歴史だった。
写真の中では女性ものの服を身に着けて羞恥心に小さく震えている龍太が映し出されているのだ。
「いやー前に冗談でお兄ちゃんに頼んでお母さんの服を着させた時あるでしょ。お兄ちゃんって自覚ないだろうけど結構幼さ残って可愛らしく見えるからかなり女性ものの服とか似合うんだよ。その記念に撮っておきました。ちなみに他にも数枚あります」
「そ、そっちの写真も見せてもらっても!?」
「ちょっと愛美まで何を言い出すの!? 処分! 今すぐ処分してぇ!!」
「はーいちなみにこちらがミニスカバージョンです」
「ぶはぁ!?」
「やめてぇぇぇぇ!!」
折角和やかな雰囲気で終わりそうだった顔合わせも結局は涼美に場をかき回される事となったのだった。