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月を歌う

作者: M

20時、駅の横にある橋のふもとで今日も歌う。帰宅中のサラリーマンやいつも見に来てくれる人が足を止めてくれる。月の薄明かりの元で、聞いてくれている人たちと月に、気持ちをのせて精一杯の歌声を届ける。君にまた出会えるように。


僕は清水潤、高校3年生だ。高校に入学して2年が経ち、僕は既に高校生活に飽き飽きしていた。毎日学校に来て、勉強して、数少ない友達と話して、帰って寝る、それだけの日々。何が楽しいのか分からなかった。部活にでも入っていればもっとこのつまらない日々に意味を見いだせるのだろうか。いやきっと変わらない。答えのでない数学の問題を眺めながら、今日もふつふつと同じく答えのでない問いを考える。どうすれば心は満ちてくれるのだろうか。

学校が終わると真っ直ぐ家に帰る。家に着くといつものようにだらだらして、親が帰ってくるとご飯を食べ、19時になると軽くジョギングしに外へ出る。部活に入っていない僕なりの身体への配慮だ。街を1周すれば1時間ほどで再び家に着く。この時間のためだけに買った運動靴を履いて家を出た。

いつも通りの道を通り、もうすぐゴールというところで家の近くの橋で足を止めた。腕時計を見ると時刻は20時、僕はこの時間人通りが少ないこの橋を気に入っている。今日のように月が綺麗に見える日は、橋の下の小川の水面に月明かりが優しく反射してとても幻想的な景色が現れる。これを見ると、いつも思い出される歌詞を口ずさむ。

『月に届くほど歌えば君にも届くのだろうか

届いても儚く消える それでもいいからさ

月のように輝けたら僕の日々も満ちるのか

満ちてもいつか欠けてしまう それでもいいからさ 』

口ずさんだ後、もう一度月を見上げる。月になれたら、そう思う。

「いい曲だね」

後ろから急に声がする。誰もいないと思っていたのでびっくりしてうわぁ、と声をあげて腰を抜かしてしまう。その様子を見てその人は笑った。

「ごめんごめん、驚かすつもりはなかったんだけどさ。大丈夫?立てる?」

下ろした長い髪を耳にかけながら、その人は手を差し出す。僕はせっかくの厚意を無駄にするのも悪いと思い、手をつかんで立ち上がる。

「あ、ありがとうございます」

「んーん、ほんとごめんねー、そんなに驚くと思わなかった」

「い、いえ、この辺人通り少ないから声がしてびっくりしちゃって」

「私も最初びっくりしたよー、この時間にここに人がいると思わなかったもん。いつもはもっと早い時間に通るけど、その時間でも人いないもん」

「そうなんですか」

「うん、気に入ってるんだよねーここ。月を浴びれる感じがして」

「僕も気に入ってます」

また月を見上げる。そして月を見上げる彼女を見る。月明かりに照らされた彼女は妖艶という言葉が似合う美しい様子だった。長い髪が月の光を吸収しているように艶やかで、顔も月に負けないほど綺麗だった。見とれていると彼女もこちらを見てきてニコッと笑う。僕は慌てて目を逸らす。

「ねぇ、さっきのなんて歌なの?」

その質問にドキッとする。

「初めて聞いた曲けど素敵な歌だからさ、家でも聞きたいから教えてよ」

素敵な歌、そのようにこの歌を褒めてくれるとは。言うか迷ったが、正直に答えた。

「これはその、僕が作った歌なんです」

「え!そうなの?とってもすごいじゃん!」

彼女は興奮した様子で僕に近づいてきた。僕はびっくりして後ずさりする。彼女の嘘のなさそうな瞳を見て心からそう思ってくれているんだなと分かる。

「ありがとうございます」

「歌も上手いし、歌も作れるし、さてはモテモテだなー君」

「そんなことないですよ」

「みんなの前で歌ったりするの?」

その質問が心の傷をまた開く。消したい過去、僕にとって苦い思いをしたあの日を思い出してしまう。

「歌を歌うのはもう辞めたんです。もうそろそろ帰らなきゃなんで、それじゃ」

何か言いたげな彼女に軽く一礼して、その場から去った。


次の日もまたいつもの生活を送り、ジョギングに出る。橋の近くまで来て、彼女の姿が見えて行くか迷う。でも僕のお気に入りの場所でもあるので行くことにした。彼女も僕に気づいて優しく笑う。

「お、来たな少年。今日も来るかなと思って、ジュース買ってあげたんだぞー」

手に下げた袋の中からオレンジジュースをだして差し出してきた。

「こんばんは。いただきます」

「どうぞー。私も飲んじゃおうかな」

そう言って彼女は袋からお酒を取り出した。

「ちょっ、人通り少ないからってまずいんじゃ」

「ん?何が?」

「だって、お酒って、、万が一警察とか来たらどうするんですか?」

「どうもしないけど?」

堂々とした彼女の態度にきょとんとした。

「え、あの失礼ですけど何歳なんですか?」

「女性に年齢聞いちゃう?少年は?」

「僕は今年で18です」

「おーよかったー。勝手に少年呼ばわりしてたけど合ってたね。私はねー、んー、少年が月まで車で2往復できるくらいの時間分は年上かな」

「えっとー、つまり?」

「これ以上は教えませーん」

彼女はいじわるに微笑んだ。僕は聞くのを諦めて月を見上げた。今日は満月だ。

「ねぇ、答えたくなかったらいいんだけどさ、なんで歌うの辞めちゃったの?」

月を見上げながら彼女は尋ねてきた。答えるか迷う。静かな夜に無言で2人で月を見上げたまましばらく時間が過ぎる。迷った挙句、彼女になら話しても大丈夫な気がして、答えることにした。

「小さい頃から歌うことが好きで、家でよく歌ってました。中学生になってからは弾き語りに憧れて親に頼みこんでギターを買ってもらって家で練習しました。歌もギターも上達していくのがとても楽しかったのを今でも覚えています。中学3年生になる頃には大分上手くなってたと思います。音楽の授業でギターも歌も出来た僕は音楽の先生に文化祭で弾き語りを披露してみないかと言われました。乗り気ではなかったけど、先生が強く推すので出ることにしました。本番のために練習している間は正直、今まで練習してきたことをみんなに見てもらえるのは嬉しかったし、褒めてもらえるんじゃないかって期待しました。本気で練習して、迎えた本番、ステージに立つとみんなの視線を一身に受け、体が思うように動きませんでした。見ている人全員が怖く見えました。頭が真っ白になって、喉もずっと絞められてるような感じで、ギターを弾く手も思うように動かなくて散々でした。終わった後に先生や友達が同情の励ましの言葉をかけてくれました。でもそれが全て僕をばかにしているように感じられました。文化祭後もしばらく人の視線が全て痛くて、学校をしばらく休むこともありました。僕はそんな辛い思いをもうしたくないから辞めたんです。」

僕の過去を彼女はただ静かに聞いてくれた。高校に入って人にこの過去を話したのは初めてだった。思い出すだけで胸が痛む。

「でも私は君の歌好きだよ」

彼女は僕の方を真っ直ぐ見てそう言った。曇りひとつない瞳から発せられた言葉は他の人の同情の言葉とは何か違ってスっと胸に入ってきた。彼女から言われたその言葉が心の傷に沁みた。自分の歌を褒められるのがこんなに嬉しいなんて。嬉しくて涙がでることなんて初めての経験でどうすればいいのか分からなくなり、反射的に月を見上げた。

「ねぇ、歌うのは嫌いになったわけじゃないんでしょ?」

優しい表情で彼女は尋ねる。

「まぁ、嫌いではないです」

「じゃあさ、今年その過去消しちゃおうよ」

「はい?」

「だから、今年の文化祭で成功させちゃえばいいんだよ。みんなの前で弾き語りするのをさ」

彼女からの突拍子もない提案に涙がひっこむ。何も話を聞いてなかったのか?

「いやだから、僕はもう歌うのを辞めたんです」

「いいのそれで?」

彼女の真剣な顔を直視できなかった。

「本当はもっと堂々と歌いたいんじゃないの?」

彼女のその言葉にドキッとした。まるで心の内のさらに内に閉じこめた気持ちを見透かされたような気がした。

「そうだとしてももうあんな思いをしたくないんです」

「私のお墨付きなのにまだ自信もてないの?」

何故か自信満々な顔の彼女を見て、何も言い返せなくなった。

「せっかく出会ったんだから君の過去を消す手伝いさせてよ」

今夜の満月の光のように優しいその言葉がまた心に沁みた。


次の日から20時に待ち合わせをして、彼女に歌を聞いてもらうことになった。物置の奥の方にしまっておいたギターを取り出して持っていった。彼女1人といえど、人前で歌うのはやはり緊張して全然歌えなかった。それでも彼女は優しい表情で僕の歌に耳を傾けてくれた。毎日練習して少しずつ慣れてきた。そんな僕の成長を見て彼女は僕以上に嬉しそうだった。


文化祭の前日、20時に橋に行くといつものように彼女がいた。彼女に挨拶して隣に並んで同じ月を見上げる。

「見て見てー、今日満月だよ」

「本当だ、綺麗ですね」

「だねー」

月明かりに照らされた彼女は、とても綺麗だった。

「いよいよ明日だね」

「はい、今までほんとにありがとうございました」

「やだなー、私は何もしてないよ」

「でもきっかけを作ってくれなかったら、また挑戦しようなんて思いませんでした」

「いやいや、そこから頑張った君がすごいんだよー」

彼女は照れくさそうにそう言った。お礼を言われて嬉しかったらしい。僕はずっと聞きたかったことを聞いた。

「なんでそんなに僕に良くしてくれるんですか?」

「んー、強いて言えば君が月みたいだからかな」

「月?」

「うん。ほんのり優しいその笑顔とか、なんかすぐ消えちゃいそうな儚い雰囲気とか、輝こうと頑張ってるとことか、いるとついつい見たくなる感じが月っぽいなって」

彼女のその言葉がむず痒かった。彼女にそんなふうに思ってもらえてたことがとても嬉しかった。

「僕なんかよりあなたの方が月だと思いますよ」

「私?ないない」

「なくないですよ。いつも綺麗で、たぶんみんなに好かれてて、コロコロ変わる表情は月の満ち欠けみたいで、手を伸ばしても届かなそうだけど見るだけで優しい気持ちになれて、居るだけで心が穏やかになる、そんな感じが月みたいです」

言った後に自分が言っていることの恥ずかしさに気づく。まるで告白じゃないか。顔がかぁーっと赤くなる。

「えー照れるーそんなふうに思ってくれてたんだ嬉しいー」

少し照れたように、でもいつものように優しく笑う彼女を見て、大人の余裕的なものを感じる。やはり手は届かないなと思った。それでも彼女とこうやって過ごせるだけで満たされた。

「そういえば名前なんて言うんですか?」

僕たちは何度も何度も会っているのにお互いの名前を知らなかった。歌の練習に集中していて、それ以外の会話をゆっくりしたことはほとんどなかった。

「んー、それはまた次、立派になった君に会った時に教えるよ。とりあえず今は明日のために集中だよー」

「わかりました、成功させて立派になります」

「明日頑張ってね」

「頑張ります、じゃあおやすみなさい」

「うん、じゃあね」

満月に照らされ、満ちた心で家へ帰った。


文化祭当日、やはりあの過去が思い出され、怖いという気持ちが僕をおそった。体育館のステージ裏で自分の番を座って震える両手を合わせてじっと待つ。このままじゃ彼女の厚意を無駄にしてしまう。それは嫌だ。そう思い、とりあえずギターをケースから出す。出した時にケースから何かが落ちた。拾って見てみると、メッセージカードだった。

『君なら大丈夫。頑張れ!』

見慣れない美しい字で書かれたそれは彼女からのものだと確信した。そのメッセージを見て、手の震えは止まっていた。僕の番が来たようで、名前が呼ばれる。よし、やってやる。あの月に少しでも近づけるようになってやる。覚悟を決めて、ステージに立った。


20時より少し早くいつもの橋に着いた。早く彼女に報告したかった。本番の結果は、大成功。みんなの歓声がとても心地よかった。早く彼女に会って言いたい。ありがとう、そして好きです。まだ立派とは言えないかもしれないけど、あなたという月の隣にずっといたい。この気持ちを伝えよう、そう決めていた。

しかし、彼女はその日以降、僕の前に現れることはなかった。


高校を卒業して、大学に進んだ。大学に入ってからも彼女のことが頭から消えず、毎日橋に行った。でも1度も会えなかった。1人で見る月はより一層遠く感じて、決して彼女には届かない、そう告げているようだった。


彼女にも来れなくなった事情があるのかもしれない、そう思った僕は、橋のふもとで路上ライブをすることにした。僕の歌でまた彼女が僕の存在に気づいてくれることを願って来る日も来る日も歌った。しかし彼女は現れなかった。


橋のふもとで歌い続けて3年が経った。彼女は現れないが、その代わり3年間の活動でそれなりにファンができた。ファンが多くなってきて橋のふもとの細い道ではライブが厳しくなり、駅前に場所を移すようになった。場所を移したおかげで、ファンはより多くなった。ファンが増えたことに伴って、ライブハウスでのライブが決まった。ファンが喜んでくれてる様子を見て、僕も嬉しかった。

ライブハウスは思っていたより大きくて、思っていたよりたくさんの人がいた。久しぶりのステージ。緊張をほぐすためにいつもギターケースに入れているメッセージカードを見る。彼女の字を見て心を穏やかにしてステージに上がる。ステージから観客を見渡し、中央後方のある一点に目が止まった。月の光を吸収しているような艶やかな髪、まるで月のように美しく綺麗な顔立ち、あの何度も何度も思い出してきた笑顔。彼女だ。彼女がいる。彼女も僕が気づいたことを察したようで、月明かりの下でいつも僕に向けてくれた優しい笑顔で僕を見た。僕も微笑み返して、マイクの前に立つ。少しは立派になれたかな?月の隣に堂々と立てるようになれたかな?そう問いかけるように大勢の観客の前で彼女のために歌った。

『月に届くほど歌えば君にも届くのだろうか

届いても儚く消える それでもいいからさ

月のように輝けたら僕の日々も満ちるのか

満ちてもいつか欠けてしまう それでもいいからさ 』

彼女の満月のような笑顔を見て、僕の心はまた満たされた。

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