君への愛を世界に叫ぶ
2
「お前、なんで僕に攻撃してきたんだ?」
ヴァンは廊下の壁にもたれた姿勢で、オートマータに尋ねる。答えてくれるとは思っていなかったが、黙っているのも気詰まりで試しに訊いてみた。
相手に攻撃を再開しようとする意思が感じられないから、というのも理由の一つだ。
「ホムンクルスが魔導兵器を復活させようとしていると推測できた。遺跡に眠っている強力な魔導兵器はオートマータにとって脅威になる」
意外にも、相手は素直に応える。
その瞳は、どこか遠い場所を映しているように思えた。
「僕の名前はヴァン。ヴァン・ホーエンハイム」
ホムンクルスと一括りにされたことに多少の不快感を覚え、ヴァンは名前を名乗る。
「ホーエンハイム」苗字を確認し、オートマータはどこか考え込むような様子を見せた。
「どうした?」とヴァンは怪訝な思いで尋ねる。
(やりにくいな……)
手探りのやり取り――遭遇すれば必ず殺し合いになる相手だ。どう接するべきなのかが解らない。
「何でもない」とオートマータは無表情のまま首を横に振った。
「こっちは名乗ったんだ。そっちの名前を教えてくれてもいいだろう?」
相手を軽く非難する顔でヴァンは言う。
「――パガニーニ」と微かな間の後、彼は素っ気なく告げる。
「それでパガニーニ、これからどうするの? とりあえず、魔導兵器を甦らせようとしている訳じゃないのは解ったと思うけど」
我ながらマヌケなやり取りだ、とヴァンは思った。
天敵同士が、暢気に自己紹介したりしている。
(でも、こういう未来を目指してたんだよな)
たった一人と一体の交流でしかないが、拍子抜けするほど簡単に実現してしまっていることにヴァンは戸惑っていた。
「オートマータにとって、人間が無害なのか有害なのか、それを判断する必要がある。そのために観察を行う」
パガニーニは淡々と喋った。
「僕は天敵のホムンクルスだけど、殺さなくていいの?」
ヴァンは核心に触れる質問を行う。
緊張に脈拍が速まった。答え如何では、剣呑な末路が待っている。
「魔導兵器の復活が目的ならば、殺して奪取する必要があった。だが、今はその必要はない。殺害することは今回の任務ではない」
パガニーニの言葉に、ヴァンは気分を害し渋面になる。
(つまり、兵器の復活が目的なら殺されてたってことだろ)
だが、それをここで言ってみても仕方がない、と理性の部分で無理やり納得した。
「僕も彼女には用があるけど、一緒に待ってもいい?」
ヴァンは慎重な態度で尋ねる。
「あの娘を独占する意思がないのなら、構わない」
パガニーニは拍子抜けするほど簡単に許可した。
――殺し合うなんて馬鹿らしいでしょ。
魔女の台詞がヴァンの脳裡に甦った。
(そうだよ、争いあう必要なんてない)
彼は胸のうちで呟く。その言葉は彼にとって砲声よりも重い響きを持っていた。
ただ待っていると暇を持て余してしまう。
だから、ヴァンはパガニーニに質問をぶつけてみることにした。さっきの調子からすると、意外に相手が素直に応えてくれそうな気がする。
「オートマータは、みんな軍服を着てるの?」
とりあえず、軽い質問を発した。
「基本的にはそうだ。我々は関節部から塵が入って部品が劣化するのを防ぐために着ている」
応えながら、パガニーニはわざわざ服の袖を捲ってみせる。彼の関節部は、拳大の球体が収まっていた。まるで西洋人形のようだ。聞くところによると、彼らの全身の関節はすべて同じ構造をしているらしい。
相手がオートマータであることは分かっていたが、こうして間近でまじまじと見せつけられると新鮮な驚きがある。
「お前たちはなぜ、中世ヨーロッパのような衣裳を着ている?」
今度は逆に、パガニーニが尋ねた。
「国家全体が戦時下体制にあるから、首都はともかくそれ以外の町は工業力を軍事以外に注ぐ余裕がない。だから、昔ながらの製法で作れる中世の衣裳が流通してるんだ」
なんでそんな古くさいものを? と揶揄されたように感じながら理由を説明した。勿論、それが自分の自意識過剰であることをヴァンは頭では分かっている。
「そういう意味ではなく、なぜ無駄な構造の衣裳を好むんだ?」
パガニーニが淡々とした口調で、だが内容は決して友好的ではない台詞を吐いた。
「――ホムンクルスには人間と同じで心があるんだ。心のある生き物は、効率性や理屈だけじゃ生きていけない」
ちょっと、むっとなりながらもヴァンは告げる。
それを聞いて、パガニーニは「分からないな」と無感動な声で呟いた。
「お前たちの国の政治形態は民主主義だったな。何故だ? 非効率的だろう。我々のように単一の指導者の下に動けば無駄がなくなる」
「そういうのは、独裁制っていうんだよ」とヴァンはパガニーニに苦々しい口調で告げる。
だが、相手は「それのどこが悪い?」という表情だ。
「一人の指導者が間違った方向に国を導いたらどうするの? そのために、僕たちの国には指導者である首相に、議会が不信任案を出すことができる」
そんな彼に、さらにヴァンは独裁制の欠点を説く。
「我々は機王陛下のために存在する。だから、正解も間違いもない――機王の意思を実現すること、それだけが目的だ」
「……」彼の言葉に、ヴァンは言葉を失った。自分たちからかけ離れた、余りにも異質な考え方――価値観だ。思わず無言で左右に首を振る。
「一体、君たちの国はどんなところなの?」思わず、そう尋ねた。
「基本的には工場と倉庫で構成されている。オートマータ、兵器、車輛などを製造・整備する工場、とその保管庫だ」
「……」再度、ヴァンは適切な言葉が見つからなかった。
そんな潤いのない都市など住みたいと思わないが、パガニーニは現状に不満を抱いている様子は一切ない。
ひとしきり彼と話し話題も尽きた後、ヴァンは混乱しているはずの『眠れる森の魔女』について考えた。
自分にできることは何だ?
眠りから覚めれば、自分はやっぱりお腹を減らしている――情けないが、思いついたのはそんなことだ。
彼は後頭部を掻きながら顔をしかめる。……火を使うのは恐い。
食糧が尽きたとき、仕方なく野兎を捕まえて調理することがあるが、そういった場合を除いて火を使用することは皆無に近かった。
と、スライド式の扉が開いて『眠れる森の魔女』が姿を現す。
「ねえ、お腹減ってない?」と無意識のうちに彼は尋ねていた。
その様子を、直立不動のパガニーニが見つめている。
「メディア」とブスっとした表情で彼女は短く言葉を発した。
「え?」イエスでもノーでもない答えにヴァンは一瞬茫然となる。彼は軽く目を瞠った。
「名前、教えてなかったでしょ」と彼女はしかめっ面で告げた。その目は白兎のように赤くなっている。
「うん」唐突さと、メディアが泣いていたという二つの事実に、ヴァンは当惑する。適切な対応が思いつかない状況に気弱な表情になった。
「メディア、何か悲しいことがあったのか?」
そんな彼とは対照的に、パガニーニがずけずけと物を言う。そんな彼の発言に、ヴァンは内心ヒヤリとなった。
「――何でもない」彼女はパガニーニを軽く睨みつける。その反応は肯定と同義だ。
「そうか」パガニーニは無表情のまま肯く。微塵も怯んだ様子はない。何というか、ひたすら滑稽なやり取りだとヴァンは思う。
「それで、『お腹減ってない』ってどういうこと?」
メディアが険しい表情のままヴァンを見遣った。
「いや、料理でも作ろうかと思って」少し、しどろもどろになりながら彼は応える。
「そう――じゃあ、お願い」彼女は大きな声で言った。
だが、ヴァンにはメディアの腹の虫が鳴いているのが聞こえている。
どうやら、声量でそれを誤魔化そうとしたらしい。
く……ふ、ヴァンは声に出して笑うのは堪えたが、表情が緩んでしまうのは抑えられなかった。
「何よ!」メディアが顔を赤くしながらこちらを睨む。
「何でもない」慌てて、彼は首を横に振った。
†
料理といっても手持ちの食材の制限もあり、作れたのは干し肉を香辛料で味付けしたスープだ。
それでも、コンロの火を点けるのにかなりの勇気を要した。
だが、メディアの反応は劇的だった。
――居住区画の一室、娯楽室か何かのテーブルをヴァンとメディア、パガニーニは囲んだ。
側らでパガニーニは直立不動の姿勢を取ろうとしたが、
「落ち着かないから、あなたも座りなさい」
という一言で着席させられた。唯々諾々と従う彼に、ヴァンは少し軽蔑の念が湧く。
食堂から持ってきた深皿にスープが注がれ、それがテーブルに置かれている。同じく食堂から拝借してきたスプーンをヴァンとメディアは手に取った。
ヴァンは、メディアがスプーンを口に運ぶのを見守る。琥珀色のスープが唇に吸い込まれた。
「美味しい……」彼女の桜色の唇から、感嘆の吐息が漏れた。――刹那、その眦から透明な雫が流れた。
「ごめんなさい……」彼女は深皿に視線を落としたまま謝罪の言葉を口にする。
メディアの台詞が、この場にいる人間に向けられたものではないことが、ヴァンには理解できた。
「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい……」
彼女は憑かれたように、ひたすらその言葉を繰り返す。それでも足りないとでもいうように、涙が後から後から溢れた。
……ヴァンは躊躇しながらも、そっと彼女の肩に手を置いた。
「大丈夫だよ、きっと許してくれるよ――さっ、スープが冷めちゃうから」
彼は優しく告げる。
メディアが真正面からこちらを見つめた。
ヴァンが嘘を言っているか確かめようとしている。そう感じた彼は、大丈夫、と視線で伝えた。
しばらくして、メディアはおずおずとスプーンを動かすのを再開する。
あっという間に皿は空になった。
†
「他の部屋で寝てね」居住区画の一室の扉を開け、メディアは言った。その声が、真実を打ち明けた直後よりも柔らかくなったとヴァンは感じる。
「おやすみ」と彼は自然とその台詞を口にしていた。
(僕に出来ることはこれぐらいだ――)
メディアは僅かに眼を瞠る。思ってもみなかったものに出会った表情だ。
「おやすみ」彼女は微笑み、扉を閉じた。
「パガニーニはどうするんだ?」ヴァンはトーンを変えて側らの彼に尋ねる。
攻撃された事には腹が立つが、害意というものを持っていないらしい彼に対し、敵意は持ちづらかった。
「ここに立っている」とパガニーニは事もなげにそう応えた。
「あ、そう」さすがオートマータ、と呆れながら、ヴァンはメディアが入った部屋の隣の扉を開けた。