君への愛を世界に叫ぶ
第一章 「眠れる森の魔女」はホムンクルスの夢を視るか
1
暗闇の一部をヘッドセットのライトが数メートルの楕円形に切り取る。その境界線の内側を、ヴァンは歩いていた。
眉にかかる程度の長さの栗色の髪と、切れ長の鳶色の眼を持つ少年だ。精悍な顔立ちの中にどこかあどけなさが残る。
男性用のジャケット、フロックコートを纏い、下は腰から膝までを覆う半ズボン脚衣、足は膝下辺りまで覆うブーツで固めている。
腰に騎兵刀の収まった鞘を下げ、腕に魔導具「回転台機構」を装着していた。
回転台機構は機械的な外見をしており、直径十二センチの魔法陣が刻まれた円盤が収められたテーブル二つと、それを調節する機材が組み合わさって出来ていた。
ホムンクルスの魔法遣いである魔法盤騎手の証だ。
回転台機構に繋がるヘッドフォンが、彼の片耳にあてられている。
歩みに合わせて、わだかまる闇の中から流れる景色は代わり映えのしないものだ。
継ぎ目の存在しない滑らかな天井と床、現在のテクノロジーでは再現不可能な建材が用いられた通路。どこかの工場か、さもなくば迷路を思わせる無機質さだ。
ヴァンは遺跡の中にいる。彼を含めるホムンクルスという種を生み出し、そして姿を消してしまった人類の建築物だ。
(何があるんだろうか?)
ヴァンは誕生日を迎えた子供のように、遺跡の中にいると胸が高鳴る。
人間――彼らは何を考え、どういったことを為したのか?
自分たちの造物主でありながら姿を消した……そんな彼らの足跡をたどるのは楽しい。
そして、何よりも人類のことを調査することで、ヴァンの目的を達成する糸口が掴めるかもしれないのだ。
ヴァンの望むもの――それは平和。
現在、ホムンクルスは戦争状態にある。相手は同じく人間により生み出されたオートマータだ。皮肉にも人が消え去って尚、両者は百年に渡って争い合っている。
その端緒となった出来事、理由は風化し、今や判らない。自分たちの創造主が人間であることさえ、一般的なホムンクルスの間では伝説に過ぎないとされている。
だから、ヴァンは生まれ育った町トリスケルで変わり者として認知されている。
(それでも構わない)
歩を進めていた彼は、開けた空間に出た。民家がすっぽり収まってしまいそうな広さだ。
用心しながら奥の方へ歩いていくと、スライド式の扉が見受けられた――その手前に何かが控えている。外見からすると、それは彫像だった。
鳥を模した嘴を持ち、人間的な身体を備えながら四足歩行という異形だ。悪魔の如き長い尾が尻から伸びている。
――茫、鬼火に似た光がその双眸に宿った。
瞳孔のない瞳がこちらに向けられる。それをヴァンは肌で感じた。刹那、鋼鉄獣は彼に襲いかかる。鋭い鉤爪が風を切る音が鳴った。
ヴァンはバックステップでそれを躱し、回転台機構を作動させる。
空気をビリビリと激しく震わせるリズムの発動旋律が流れた。
魔法式「空を纏った(スカイクラッド)」と「放電」の音色だ。
彼は魔法陣が記された円盤を指先で軽快に擦る(クラッチ)。
音が細かく途切れ途切れに漏れた。複雑な操作は、顕現する魔術をより高度、高威力なものへ変化させる。
鋼鉄獣が再度跳びかかった。ヴァンは体を開き、ステップを加え回避。心地いい緊張が身体を支配している。
音色が交わり、電撃が敵へ放たれる――電撃。
一瞬、真昼ように視界が明るくなった。
直撃、感電した鋼鉄獣が大きく軀を震わせる。そして、瞳から光が消え動かなくなった。
「ふぅ……」ヴァンは小さく溜息をつき、首筋の汗を拭う。
今まで彼を襲っていたのは、この施設の守衛だ。ホムンクルスやオートマータを生み出した人類が、幾ら飛び抜けた技術を持っていたとしても、民家にこんな物騒な代物を配置するような真似はしないはずだ。
つまり、ここは彼らにとって『重要な施設』ということになる。他の遺跡で仕入れていた情報であたりをつけていたが、それが裏づけられた。
彼は鋼鉄獣が守っていた扉へと近寄り、キーパネルの一部を破壊、自分の回転台機構に繋ぐ。キーに不正アクセスし、彼は数十秒後には鍵を解除していた。両開きの扉が開く。
「よし」――彼は暗闇の中へ足を踏み出した。
†
ヴァンの心臓が、胸郭を打ち破らんばかりに高鳴っている。
彼が今いるのは、研究室らしき場所だ。実験器具の類が部屋の中央にある広い机の上に置かれ、その周囲には端末が鎮座するデスクや、書類の束が収められた棚などが配置されている。
その端末の一つに、彼は自分の回転台機構を接続していた。電力を供給され、プロテクトが解除された端末の画面に、報告書らしき文章が表示されている。
暗闇に浮かび上がるモニターの文書の先頭には、
『メディア研究員の人工冬眠について』
と表記されていた。
メディア……それは、断片的に残る人類の情報に出てくる伝説的な魔女の名前だ。人類の魔法技術の発展に大きく貢献したことが、一部のホムンクルスの間では知られている。
――〈眠れる森の魔女〉目覚めるとき、長き争いに終止符が打たれるだろう。
ホムンクルスの間に伝わる伝説の一説だ。
幼い子供に聞かせる寝物語の類だが、あながち嘘ではないのかもしれない。
なぜなら、ホムンクルスとオートマータの戦争が人間の指示によるものだと証明できれば、その無意味さをみなに知らしめることができるからだ。
「……?」ふと、ヴァンは違和感を覚えた。鼻腔を強烈な臭いが刺激している。
焦げ臭い? 火事の現場のような、キナ臭さが漂っていた。――そう思った刹那、周囲は火の海と化している。
「そんな馬鹿な!」彼は目を剥いて叫んだ。火の気などなかった――頭の片隅の冷静な部分が、状況を分析する。
(……そうだ)
これは夢だ。現実の自分は、昨日遺跡の探索から戻ってきて自宅で眠りに就いた。
だが、それでも燃え盛る火は恐ろしい。夢の中だから熱さは感じないが、両親がオートマータの爆弾テロで亡くなって以来、火の気は苦手としている。
しかし、理不尽なのが夢というものだ。
目を閉じることもできず、彼は炎に包まれる……
「――ッ!」ヴァンは勢いよく瞼を開けた。
全身にじっとりと汗をかいている。心臓が早鐘を打ち、口の中に嫌な唾が溜まっている。それを嚥下し、彼は部屋を見回した。
いつもの自分の部屋だ。壁際は隙間なく本棚で占領され、机の上には紙の束や書籍が積み上げられている。学者の部屋みたいだ、とご近所の人に言われたことがあった。
夢から覚めたというのに、キナ臭さが消えていない――どころか、一層強くなっている。
またか……――彼は半ばあきらめの境地で嘆息を漏らした。
ベッドから足を下ろし、ブーツを履く。
脇の壁にかかっているチュニックを纏い、ベルトで締めた。
ベッドから見て、部屋の反対側には台所と食卓がある。その台所で軽やかに動く人影が存在した。
蜂蜜色の髪を三つ編みにし左右に垂らした少女だ。彼女の名前はパトリシア。ヴァンの幼なじみ。羊毛製の婦人用の筒型衣服カートルに身を包み、それを細いベルトで締めている。肩から先は花柄の着脱可能な袖を纏っている。
パトリシアは、朝っぱらから人の家に勝手に上がりこんで何をしているのか?
彼女はフライパンを振っていた。油が蒸発する音が聞こえている。
(間違いない、料理だ)
パトリシアを観察することで、「自分の勘違い」という材料を探そうとしたのだが、儚い夢だった。
何をそんなにヴァンは恐れているのか?
それは、パトリシアの生み出す劇物だ。彼女の手によって作られるのは、決して食べ物ではない。
錬金術顔負けの腕前によって、食材であったものが毒物へと変えられてしまう。その証拠に香ばしさとは程遠い臭いが鼻腔を刺激している。使い古したフライパンに鼻を当てればこんな臭気がするだろうか……
――ヴァンの気配を察したのか、彼女がこちらを振り向いた。
「あら、おはよう。ヴァン」眦の下がった愛嬌のある顔をした幼なじみは、微笑を浮かべて言う。
「おはよう、トリシア」彼女の愛称を呼びながら、彼は眉間を揉んだ。
そして、彼女へと近寄る。いつの間にか追い抜いてしまった背丈、それを実感しながらパトリシアの横に並んだ。
そこには、絶望的な光景が広がっていた。火事の跡のような一面の漆黒、それがフライパンの上に存在した。
「これは何?」とヴァンは祈るような気持ちで尋ねる。それが食べ物ではない、と応えることに一縷の希望を託しながら。
「キノコのオムレツよ、おいしそうでしょ?」
彼女は表情一つ変えず嬉しそうに告げた。
オムレツ……――墨を塗ったタワシのような物体を、パトリシアはオムレツと呼んではばからないらしい。
彼女には頭の検査が必要かもしれない――あるいは、自分が視力の検査をするべきなのか? ヴァンはそんな思いを抱く。
「あとちょっとで出来るから待っててね」
パトリシアは口もとに笑みをたたえて告げた。
「うん……」ヴァンは処刑を待つ死刑囚の気分でテーブルについた。
しばらくして、食卓の上に三つの皿が並ぶ。
一つはさっきのキノコのオムレツ。そして、泥の中に残る子供の足跡を切り取って並べたみたいな物体、多分ハム、バター、チーズとパンを組み合わせたクロック・ムッシュだろう。
最後のメニューは深皿に盛られている。
「これは白インゲンのスープよ」とパトリシアは嬉々として説明した。
なぜ、白っぽいはずのスープが真っ赤なのか?
「唐辛子を使ってみたの」彼女は一工夫加えてみたの、偉いでしょ、とでも言いたげな口調でつけ加える。
なるほど、スープが血の池地獄になるはずだ、とヴァンは内心納得した。納得してもまったく嬉しくないが。
「さあ、食べましょ」と彼女に促され、フォークを手に取る。オムレツを切り分けた。ザクザクとあり得ない感触に絶望的な気分になる。
覚悟を決め、彼はそれを口に運んだ。
パトリシアが料理をしてくれるのは、トラウマで火を使えなくなった彼を気遣ってのことだった。だから、それを無碍にはできない。
――美味いとか不味いという地平にはない、破壊的な味だった。味覚に対する拷問とも云える。
「おいしい?」とパトリシアが小首を傾げ尋ねた。
「……それをよく聞けるね」ヴァンは目元を引き攣らせながら、抗議の言葉を口にする。
「何よ、マズいって言うの?」パトリシアの表情が険しくなった。
「美味しいわけないだろ、こんなの!」思わずヴァンは声を張り上げる。
「何よ、人が一生懸命作ったのに!」
「どうせ作るなら、ちゃんと手順と要領を守って作れよ!」
「……――!」「……――!」と二人の怒鳴り合いは三十分ほど続いた……
そして、三十分後――パトリシアの眦に光るものが姿を現す。
うっ……――とヴァンは胸のうちで呻いた。予想はしていた事態だが、実際に直面すると弱気になってしまう。
(きょ、今日こそは、ちゃんと言うぞ――)
涙ぐらいで怯んでなるものか、と彼は自分を鼓舞する。
一方、パトリシアは唇を震わせて、ついに涙をこぼした。そこで、ヴァンの頭の中で決着を告げる鐘が高らかになった。……勿論、彼の負けだ。昔から、幼なじみの涙にはかなわない。
「ま、不味くないよ、ちょっと独創的だと思っただけで」
条件反射的に彼はそんな台詞を口にしていた。
「じゃあ、いっぱい食べてね。お代わりもあるから!」
パトリシアは花弁が花開くような笑顔で言い放つ。さっきまで泣いていたのが嘘のような表情だ――事実、あれは演技だ。それでも、ヴァンは折れてしまう。
そんな……――パトリシアの台詞に、彼はトドメを刺された。彼の視界は真っ暗になる。