君への愛を世界に叫ぶ
第四章 狂騒は熱を帯びていき、悲劇の輪は広がる
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昨日まで、平凡で有り触れていたはずの田舎の町が、焔に包まれていた。その勢いは、地獄の業火でさえ種火に思わせるほどだ。
悲鳴と怒号が飛び交い、人影が逃げ道を求め瓦礫の山の間を錯綜している。
その中心には、一匹の獣がいた。獅子の身体に胴から生える山羊の頭、尾は蛇という自然の造詣にはあり得ない姿だ。
獅子の頭部からは焔を、山羊の頭からは周囲を凍りつかせる冷気を、蛇の頭部からは雷霆を吐き出している。
逃げ遅れた人間が一瞬で炭になり、まだ形を保っていた建物が粉々に砕ける。
獣は獲物を求め悠然と焔の海と瓦礫の中を渡る。町の住民、人影を目敏く見つめる度に嬉しそうに吼え、物言わぬ骸へと変えていた。
時折、猟銃やライフルの銃声が鳴るが、銃痕を穿たれても獣は一向に怯まない。痛痒を感じている様子は微塵もなかった。
――逆に、銃声の源に焔、冷気、雷を放ち抵抗する者を殺した。
警官や猟師程度ではどうにもならない……
逃げ惑い、あるいは息を潜め隠れている住民たちは絶望する。
だが、獣の前に立ちはだかった影があった。
金を溶かしたような長髪が熱風になびく。涼しげな目元のエキゾチックな顔立ちをした男装の麗人。長身痩躯で、丈の短いヴェストにズボン吊りで支えた長ズボン(パンタロン)を身にまとっている。二角帽をかぶり、首もとには色つきの絹のネッカチーフを巻いていた。
回転台機構を腕にそう装着した美女だ。
既に発動旋律の音色が流れ、細く長い指が目まぐるしい動きで円盤の上を舞っていた。
もっとも強く(フォルティッシモ)――メロディーは、周囲の景色と同じように燃え盛る焔を連想させる烈しさを秘めていた。
もしかしたら、怪物を斃してくれるかもしれない――その光景を目撃した人間の心に微かな希望が宿る。
だが、一方で「いや、あんな怪物を一人で斃せるはずがない……」という昏い気持ちがそういった者の心を支配していた。
「Goooooooooooooooooooooo!」と獣が不満を露わに叫ぶ。
――獅子の口腔から、激流に似た焔の奔流が噴出する。
同時に、美女の回転台機構の操作が終わった。
刹那、彼女の手が届く距離から、龍の焔の吐息を思わせる灼熱が生まれる。
――獣の焔と業火は真っ向からぶつかった。
蝋燭の火が風に吹き消されるが如く、呆気なく彼女の放った魔術が打ち勝つ。焔の津波が獣を呑み込んだ。
「aaaaaaaaaaaaa……」身を捩じらせ、獣は苦しげに咆哮を上げる。……焔が収まった後には、毛を灼かれ丸裸同然になった獣が横たわっていた。
美女は腰に下げていた鞘から騎兵刀を抜き、獣へ近寄る。
「gu,rururu……」獣が身動きの取れない状態でも尚、憎悪に燃える眼で彼女を睨んだ。
死を目前にしても、合成獣の恨みの念は減じることなく、むしろ風に煽られた焔のように燃え盛っている。
「そうね。恨んでいるわよね」美女の眼に哀切の情が浮かぶ。
「ごめんなさい」謝罪の言葉と、騎兵刀の切っ先が獣に向けられた。
刀身の先端は紛うことなく、獣の心の臓を貫いている。獣が大きく身を仰け反らせ、瞼を数度痙攣させた。
そして、その瞳から命の灯明が消える。だが、どこかその死に顔は獣であるというのに安らかさを感じさせる。
「先に地獄で待ってて」と美女は苦渋の溶け込んだ声音で告げた。
合成獣を退治した美女は、魔術を遣って瓦礫を破壊し、また怪我人の傷を癒した。一通り自分に出来ることをこなすと、彼女は町の住人の気づかぬうちに姿を消す。
きっと住人たちは、礼の言葉さえ受け取らずに町を去った彼女のことを褒め称えるだろう。
だが、それは自身にとっては当然のことだ。
贖罪だから――森の中の街道を歩きながら彼女は胸のうちで呟く。
(それにしても、魔導兵器が活動を始めたのは何故?)
美女は合成獣の姿を脳裡に思い描きながら、そんな疑問を抱いた。
理由は解らないが、そこで弟子の姿が浮かんでくる。それは予感だ。言葉で説明することは出来ないが、自分の弟子がこの件に係わっている気がした。
(あなたもあたしと同じ過ちを犯すの、馬鹿弟子……)
世界を平和にしてみせると息巻いている弟子、その幻像に向かって彼女は語りかけた。
「また、無茶をしましたね、アンジェラ」
色素欠乏症――眼が血に染まったように紅く、髪が色が抜けたように白い中年の男が、木陰から姿を現す彼女に話しかける。
アンジェラは翳りのある表情のまま、肩を竦めてみせた。そして、
「しょうがないでしょ、グラント」と彼に応える。
「とにかく、弟子のもとに急ぎましょ」さらに、真剣な表情でアンジェラは言葉を接いだ。