君への愛を世界に叫ぶ
4
その日は、気分転換にとヴァンはメディアを釣りに誘った。
だが、昼食用にサンドイッチを作り、バスケットやシートを携え遺跡の出口を出たところ、予期せぬ人物と遭遇してしまう――
ヴァンはバスケットを取り落とした。
「どうして、ここに?」茫然となりながらも、彼は無意識の裡に尋ねる。
当然、その隣にはメディアとパガニーニの姿もある。前者は少し表情を曇らせ、後者はいつも通りの鉄面皮だ。
「いや、仕事が大変そうだからな。差し入れを持ってきた」
ブルースは愛想笑いを浮かべながら応える。
「そう」ヴァンは肯きつつも、彼の視線がメディアに向かっていることに焦燥を感じていた。火事場の真っ只中で迫りくる炎の熱さを背中に感じている気分だ。
「そちらのお嬢さんは?」とブルースはメディアのことを尋ねる。
どうすれば……? ヴァンは頭が真っ白になっていた。
そのとき「この娘は私の娘です」パガニーニが咄嗟に機転を利かせた。
柔軟性に乏しいはずの彼のアドリブに、ヴァンは目を瞠る。が、その驚きが逆に冷静さを彼に取り戻させた。
「そうなんだよ」ヴァンは、何食わぬ顔で肯定する。
「そうか」とブルースは、特に疑念を抱いた様子もなく納得した。
彼はそのまま「じゃ、差し入れは渡したからな」バスケットをヴァンに押し付け帰っていった。
ほっ、とヴァンは胸を撫で下ろす。
けれど、こうして予想外の事態が起きたことを鑑みると、こういう綱渡りの日々は長く続かないのかもしれない、そう思えた。
†
梢の間から穏やかな陽射しが降り注いでいる。
小川に迫り出したちょっとした岩場の上に、ヴァンたちは陣取っていた。手製の釣り竿を握り、川面に糸を垂らしている。
陽光を受けて、砕けて四散した硝子のように輝く穏やかな流れの中、時折魚影がちらついた。
ヴァンの竿に結ばれた糸の先、ウキが小刻みに動く。
そして、急に水面に沈み込んだ。彼の手が翻る。竿を上げ、餌を口にしているはずの魚の口に針を引っ掛けた。
ぐぐぐ、ぐぐ、と魚が必死に抵抗する。右に左にと、泳ぎ回り逃げようとした。
「頑張れ!」隣で糸を垂れるメディアが表情を輝かせ声援を送る。
「メディア、引いてる!」彼女のウキが沈んでいるのにヴァンは気づき、声を張り上げた。
「きゃ、どうしよう!?」と彼女は狼狽え、竿ごと流れに引きずり込まれそうになる。
「パガニーニ、手伝ってあげて!」取り込み中のヴァンは、彼に向かって怒鳴った。
彼は独特のキビキビした動きで彼女の背後に回り、竿を脇から握る。
二人の体が密着する――その事実に、ヴァンはコルセットで締め付けられるような胸の圧迫感、息苦しさを感じた。
その間に、ヴァンは魚を釣り上げた。水面を割って、陽光に煌めく虹鱒が飛び出してくる。三十センチ近い大きさがある。
竿を傾け、彼は手もとに糸を引き寄せた。針を外し、ニジマスを魚篭へと放り込む。
隣では「きゃ、暴れないでよ!」最後の抵抗で水面をニジマスが尾で叩き、飛び散った飛沫がメディアの顔を塗らしていた。
その表情、仕草すべてが愛らしい(アマービレ)。
それを見て、ヴァンは声を上げずに笑った。先程の粘着質な感情がきれいさっぱり消える。
ただ、胸の奥の方には淋しさが去来していた。
(もし、メディアのことが『眠れる森の魔女』として周囲に知れ渡ったら、僕はこうして彼女と接することは出来なくなる……)
朝の出来事のせいで、彼はそんなことを考えるようになっている。
そうでなくとも、そのうち彼女は同胞を求めて旅に出てしまう。旅立ちの日を間近に控えた鳥の雛のように、ヴァンは切なさを感じていた。