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となりのジジイ~加害者には読者さまを予定しています なおこの作品では読者さまは被害者でもあります

◇◇前書き◇◇

 さて皆さま、推理小説には『読者が被害者』 『読者が犯人』というジャンルの作品がございます。


 ミステリ慣れしている読者様であれば

「ああ叙述じょじゅつトリックね。よくある、よくある」

と、すぐに思い当たられることでしょう。


 けれども、普段あまり推理小説をお読みにならない読者様であれば

「なんで本を読んでるだけの私が犯人になるんだよっ?!」

「どうして読んでるだけの自分が被害者に?」

と不思議に思われるかも知れません。


 このたび春の推理2023に、大戸平おおとだいら高校 映研部の脚本書きである私 水口舞みなくちまい

『読者が被害者』であり『読者が加害者』

というシチュエーションで挑戦いたしたく思います。


 当然、お読みいただくからには、読中もろもろ御考察いただきますでしょうから

『読者様は探偵』

という要素も付け加えさせていただいても良いかと愚考ぐこういたします。


 『犯人は読者』 『被害者は読者』 『探偵は読者』という三題噺さんだいばなし、上手く成立いたしましたら拍手御喝采。失敗いたしますればゴメンナサイ、でございます!


 なお、本編で”登場人物の水口舞”を”美形の脚本書き”などと無駄に美化してありますが、ワタクシ水口舞本人とは別人物、単なる『記号』に見栄みえをはっただけ。お笑い下さいませ。


                      水口舞 拝


◇◇本編◇◇


「『お伽草紙とぎぞうし』に関しては、太宰治だざいおさむ大嫌いの三島由紀夫みしまゆきおも、さすがに高く評価せざるを得なかったみたいでさ」


 生物部員の片山修一かたやましゅういちが、無菌室で放線菌の植え付け作業を終えて戻ってくると、生物部室では修一の相棒である岸峰純子きしみねじゅんこ相手に、映研の脚本書きである水口舞みなくちまいが力説している最中さいちゅうだった。


「水口さん、『この尻をもって千尻なり』の脚本を書かなきゃいけないんじゃなかったの?」

 片山が問うと、美形の脚本書きは

「アレは片山クンがオチまで付けてくれたからね。もう完成したも同然なんだよ。で、興奮冷めやらぬままに純子を拘束して『見るなの禁忌タブー』について熱く語り合ってたというワケ」

とウインクした。

「アタシがここで蜷局とぐろを巻いてたんじゃあ、片山クンにも純子にも邪魔かも知れないけどさぁ」


「ま、それでね」と純子が受けて

「昔話の新解釈というか……根底のテーマを推理するという点では、太宰の『お伽草紙』は出色しゅっしょくもしくは極北きょくほくだねぇ、と語り合っていたところ」

と両腕を上げて伸びをしつつ、ニッコリ笑顔で相棒に応じた。

「中でも『浦島さん』は、見るなの禁忌に挑戦した作品でしょ。パンドラの箱と竜宮の玉手箱を対比させて。乙姫おとひめは、なぜ浦島さんに玉手箱をプレゼントしたのか? 浦島さんはなぜミルナの箱を開けざるを得なかったのか。乙姫には、浦島さんが『帰る』と告げた時、これから先に起きる事態を全て予見出来ていたのか」


「『これ以上の説明はよさう。日本のお伽噺には、このやうな深い慈悲がある。浦島は、それから十年、幸福な老人として生きたといふ。』 この締めくくりは名刀の切れ味だよねぇ。たまらん」

と脚本書き。

「私には、自力で到達不可能な雲の上の解釈なんだ。片山クンだって、千個の尻が詰まったミルナの樽を、単なる勘違いの滑稽こっけいバナシというオチにしか出来なかったわけだし、アタシの同類レベル」


 太宰治の『お伽草紙』は、『こぶ取り』 『浦島さん』 『カチカチ山』 『舌切雀したきりすずめ』の四編から成る連作短編。

 見るなの禁忌を扱った作品としては『浦島さん』がそれにあたる。


「で、『見るなの禁忌』なら他にも……そうだねぇ……例えば『みるなの座敷』とか『鶴の恩返し』とか有名ドコロが様々あるんだけど、チョイスされたのは『浦島さん』一作のみ」

 純子は、今度は香具師やしのように声を張ると

「にも関わらず、『となりじじい』テーマは二作取り上げられているんだよ? 『瘤取り』と『舌切雀』。四作品中に二作。50パーセントだ。かたよりがある、と言ったら言い過だろうけどね」



 『隣の爺』というのは、ざっくり言えば「正直じいさんが福を授かり、それを真似た隣の意地悪じいさんが失敗する」というタイプの昔話。

 厳密にいえば『舌切り雀』のように、失敗するのはばあさんであることもあるのだが、一括りに『隣の爺』の類話に分類されている。


 ただし太宰は単純に”悪役”として『隣の爺』を設定してはおらず、『瘤取り』では正直爺さんを

〇「家庭内では孤独な酒飲み」で、「若いころは美人であったであろう生真面目でシッカリ者の婆さんと同居。頬の瘤だけが孤独を紛らわす話し相手

と設定している。

 対して意地悪爺さんは

●「旦那あるいは先生と尊称を奉られている立派な人物」で、「陽気な若い嫁」と同居。嫁と娘から頬の瘤を揶揄やゆされるたびに癇癪かんしゃくが起きる

という設定だ。

 そして物語の着地点を「つまり、この物語には所謂「不正」の事件は、一つも無かつたのに、それでも不幸な人が出てしまつたのである。」とし、「性格の悲喜劇といふものです。人間生活の底には、いつも、この問題が流れてゐます。」と締めている。


 また『舌切雀』では正直爺さんを

○「親戚からの援助で生活している、何もしない、何も出来ない世捨人よすてびと

とし、意地悪婆さんは”隣の”ではなく、正直爺さんと同居している嫁だ。

●作中、婆さんは「もと「お爺さん」の生家に召使はれてゐたのであるが、病弱のお爺さんの世話を受持たされて、いつしかその生涯を受持つやうになつてしまつたのである。無学である。」と描写されている。

 昔話の『舌切り雀』では、正直爺さんは雀の宿から宝物の詰まった小さな葛籠つづらをもらって帰り、欲張り婆さんは大きな葛籠つづらを選んで、中から出て来たバケモノに驚く(もしくは食べられてしまう)。

 一方、太宰版『舌切雀』では、世捨人の”爺さん”は稲穂いなほかんざしひとつだけをもらうのに対し、世話役の”婆さん”は大きな葛籠を背負って動けないままに凍死してしまう。婆さんが背負っていた葛籠には黄金が詰まっていて、爺さんの方は婆さんの死で得た黄金で宰相さいしょうへと昇り詰める。

 太宰は四作中この作品にだけは、他の三作品のようなシメの教訓を示さず「世人はこれを、雀大臣と呼んで、この出世も、かれの往年の雀に対する愛情の結実であるといふ工合ひに取沙汰したが、しかし、お爺さんは、そのやうなお世辞を聞く度毎に、幽かに苦笑して、「いや、女房のおかげです。あれには、苦労をかけました。」と言つたさうだ。」と結んでいる。



「まあ、『隣の爺』テンプレは勧善懲悪かんぜんちょうあくエンド。はなしにメリハリがあるし、真面目に正直に生きなさいって教訓も付与ふよしやすいから人気だよね。勧善懲悪は”なろう系”でも『ざまぁ』モノとして人気ジャンルだ。『隣の爺』じゃないけれど、『かちかち山』も勧善懲悪モノだし」 

 片山は、そう返すと純子の横に腰を下ろした。

「ただし太宰の『カチカチ山』は、僕ら男子にとってはホントに身につまされる傑作だ。冒頭の『カチカチ山の物語に於ける兎は少女、さうしてあの惨めな敗北を喫する狸は、その兎の少女を恋してゐる醜男。これはもう疑ひを容れぬ儼然たる事実のやうに私には思はれる。』という一文から泣けてくるよ。そして最後はは『いやいや、そのやうに評論家的な結論に焦躁せずとも、狸の死ぬるいまはの際の一言にだけ留意して置いたら、いいのではあるまいか。曰く、惚れたが悪いか。』なんだもの」


「おやおや御挨拶だこと」と美形の脚本書き。

「片山クンには美貌びぼう相方あいかたが居るってのにね。純子が無慈悲な白兎ってことはないでしょ?」


「まあ私がアルテミスなウサギかどうかは置いておいて」

と純子は片山の二の腕をつねりあげて

「『隣の爺』のハナシをしているところに、別の勧善懲悪パターンをブチ込んで来たのは、考えあっての事なんだよね?」

と問うた。

「被害者・加害者が共に弁護される『お伽草紙』の中では、処女の残虐性だけは例外的に”そういうもの”として当然視されているけど」


「降参、岸峰さん。リアルに痛い」と片山は情けない声で白旗を上げた。

「『瘤取り』の正直爺さん、『浦島さん』の浦島太郎、『カチカチ山』の狸、それに『舌切雀』のお爺さんは太宰自身の投影だね。……まあ太宰治自身だけでなく、自分を社会不適合者と考えている鬱屈うっくつした若者全般と範囲を広げても良い。せんに話題に上がってた三島由紀夫も、『お伽草紙』は傑作と認めつつも、太宰は青年の欠点を甘やかすのがイカンって苦言くげんていしていたみたいだし」


「ふんふん、それで」と純子は手を離した。

「太宰版に出て来る『隣の爺』は一見すると悪役からは解放されているけれど、実は家庭だとか社会性だとか一般道徳だとか村社会存続に必須な存在なのにも関わらず、一方で青年の自由や飛躍を牽制けんせい・制約する存在だよって言いたいわけかね? 言わば社会存続上の必要悪と。必要悪は言い過ぎかな?」


「いや僕は『お伽草紙』論とか太宰論がしたいんじゃなくって――それは優秀な文学者とか評論家だとかが寄ってたかって格闘をしてきたものだからね――もっとミクロな疑問なんだよ。しがない高校生風情が、マクロで深遠な分析や評論に出る幕なんか無いじゃないか」


「ほう? それで?」と脚本書きが身を乗り出した。

「我らが名探偵殿は、何を疑問に思っているのかね?」



 片山は、うん、と一つうなづくと

「気になっているのは、実はオリジナル版の『舌切り雀』のほう。太宰版の『舌切雀』じゃなくって」

と脚本書きに応じた。

「典型的な『隣の爺』型の昔話のヤツ」


「うんうん」と脚本書き。「まあ色々と読み解かれているようではあるけどね。お爺さん・お婆さん・雀の三角関係とか。あ、太宰の『舌切雀』も、そのテイストだね。スズメは跳ねっかえりの美少女で、お婆さんの目を盗んで、世捨人のお爺さんにトゲのあるセリフを言いたい放題。お爺さんはそれを面白がっているふうではあるんだけど、どこか『カチカチ山』の兎とキャラが被るな」


「で、気になっているのは、具体的にはドコなのよ」

と純子。

「ハッキリ言ってくれないと、要素が多すぎて議論にならないよ」


「うん。えーと」と探偵は歯切れが悪い。

「お婆さんは、大きな葛籠と小さな葛籠、お土産みやげにどちらを選択するのが正解だったんだろうってね。そもそも選択肢に正解が含まれていたんだろうか?」



 純子と舞、二人の美少女は無言で顔を見合わせた。


 少し間を置いてから

「絵本を読んだ子供のとき、お爺さんの成功パターンを、そのまんま踏襲とうしゅうするのが、お宝ゲットの確実な正攻法なんじゃないかと思っていたけど……そう来たか」

と純子がうなった。

「欲張り婆さんなら、なんの躊躇ためらいもなく大きな葛籠を選ぶんだろうってね。だから小さな葛籠には宝、大きな葛籠には不幸が詰めてあったんだ、とね。なんてったって意地悪なオバアサンは欲張りとキャラ付けされてるんだもの」


「マジシャンが、見物人に自由にカードを選ばせていると見せかけ、実はマジシャンが期待した札を選ばせるテクニックだよね」

と脚本書きも頷く。

「けれど欲張り婆さんが葛籠チョイスするターンでは、実は葛籠二つとも、バケモノが収められている可能性もあるわけか。同時に二つの葛籠を開かないかぎり、小さな葛籠には前回と同じく宝が詰まっているとは観測できない」


「そう。お婆さんは、大小どちらかの葛籠を選べと言われて、そのゲームのルールに従った――ゲームに乗った――時点で既に負け確定、という可能性が捨てきれないんだ。意地悪な見方をすれば、だけどね。公平・公正な第三者の審判がジャッジしているデスゲームじゃないんだから」

と片山はタメ息をく。

「少なくとも負けない方法――ゲームに勝つ方法ではないよ――は、どちらの葛籠も選ばないで帰ることさ。雀や読者が全く想定していない、いわば卓袱台ちゃぶだいがえしだね。ゲームそのものを否定し、台無しにしてしまうという禁じ手で対抗することだ」


「読者? なぜ唐突とうとつに読者なんかが出て来るの?」

 美形の脚本書きが首をひねる。

「ゲームの主催者である”雀”は解るけど……。これはスズメとオバアサンのゲームでしょう?」


「それはそう……なんだけど」と純子は舞の目を見る。

「でも片山クンの言わんとするところは、なんとなく分かる気がする。オバアサンはスズメとの勝負に集中してるんだけど、スズメの方は第三者の目を意識してる感じ? なんとなく、だけどね。第三者、とはオジイサンなのか”社会”なのかは判然としないけど、少なくともオバアサンの方だけを向いているわけじゃない」


「うわぁ、そういう事か!」

と美形の脚本書きは感嘆した。

「スズメのお宿は、浦島さんの竜宮と同じ『隠れ里』なんだから、そもそも許された者だけしか中には入れない。スズメは、スズメ自身がオバアサンにいたくないと考えるなら、オバアサンの侵入を阻止するという選択もあった」


「うん」と純子が頷く。

「にも関わらず、オバアサンがスズメのお宿に入室出来たのは、スズメがそれを許可したからにほかならない。挑戦者カモ~ン! ってね。だから第三者の目を意識している感じがするんだ」


「レイディーズ・エ~ンド・ジェントルメン! 観客席の皆々様、どうぞ勝負の行方ゆくえ存分ぞんぶんにご堪能たんのう下さいませ!」

 脚本書きは芝居ッ気タップリに両手を広げた。

「スズメは――頭の中でなのかもしれないけど――観客席、あるいは読者に向けて、得意満面の笑みで宣言してるって趣向しゅこうだ。……復讐者のスズメにしてみれば、披露したいのはスリリングなガチ勝負ではなく、結論ありきの惨劇だわな」


「ここまで来ると観客の方も、不埒ふらちな挑戦者の成功を望んではいないでしょう」

 純子も頷く。

「戦いはスズメとオバアサンの間の勝負だったハズなのに、いつしか宝箱ミミックVS悪徳冒険者にすり替えられている。読者は円形闘技場コロッセオを埋め尽くす群衆よろしく『刺せ! 殺せ!』って叫びを上げて……」


「悪徳冒険者は猛獣に喰われる運命にある、か」

 脚本書きはフウと息を吐くと、片山を指差した。

「ストックトンの『女か虎か』だと、結末は謎のまま二つの解釈がどちらもあり得るけど、スズメの場合は実に明快。そう言いたいんだね」


「いや……寓話ぐうわは時代によって色合いを変化させると『作者』が頭の隅っこに置いていたなら、解決編は読者――あるいは後世――ゆだねたとも言える。『モノノケに喰われる』以外にも、『驚いて腰を抜かす』とマイルドなパターン、単に『石ころやボロが詰まっていてお宝ゲットならず』なんて派生形・改変形が生まれているんだし」

と探偵役は微苦笑した。

「けれど不届き者には懲罰を、これが勧善懲悪ザマァに”観衆”の求めているモノだからね。社会派推理モノみたような、悪が栄えて幕引きなんてビターエンドは、なにより読者が許さない。オバアサンはテンプレート上、懲らしめられる運命にあると考えれば、水口さんの説どおりなんだけど」


「スズメはオバアサンに対する私刑の実行犯だけど、観衆=読者が教唆犯きょうさはんってコトか。復讐が成功裡に終わるのは、スズメと読者の共同作業ってワケだね。言わば読者が共同正犯」

 ほうほう、と脚本書きは頬杖ほおづえをついた。

「言いたいことは解るよ。アタシだって脚本書きのはしくれだから。観客受けするには、どうオチを付けるべきか、は常に頭に存在する」

 そうしておいて「でも、なにかと自分の趣味に走ってしまうんだけどさぁ」と苦く笑った。

「悪が栄えるで終わる作品で、しかもそれが高く評価されるのは難しいんだよ。しかしそれにしたところで、”悪”が絶対的な美人とか、巨悪に屈服する卑小な個々人の無念とか、ニッチ受けテンプレートに乗ってないとダメだし」



「ははぁん」と純子が皮肉めいた目を相棒に向けた。

「それで太宰版では、オジイサンは『どちらの宝箱も選ばなかった』と? 選んだのは、そこに在る二つの葛籠のどちらかではなく、スズメのかんざし。オジイサンは万が一を考えてゲームを放棄したってことか」


 それを聞いて、頬杖をついていた脚本家は「ええっ!」と身を起こした。

「オジイサンが簪を貰ったのは、無欲さゆえではなく危機回避?!」


「だってオジイサンは、知識も教養もあるのに仕事をしない世捨人でしょう? 世知辛せちがら世間せけんの眼から見れば、白眼視されるべき立派な懲罰対象。スズメはそんなオジイサンにイライラして、さんざ毒づいていたんだよ?」

と純子。

「おとぎ話では小さな葛籠のお宝をもらうけど、太宰版のスズメはそんなに優しくないのかも知れない」


「そんな無差別懲罰ゲームだと、勧善懲悪テンプレから外れてしまうでしょうが」

と脚本書き。

 だが「グータラしてて寸鉄すんてつ人を刺しまくってるだけの高踏文人なんて、なるほど世間から見れば制裁対象に成り得るのか」とうなった。

「貧乏してるあいだは大目に見られても、多額の臨時収入を得たら見過ごされるはずもなく、と」


「『舌切雀』のスズメと『カチカチ山』のウサギが、キャラ被りだと言ったのはアナタ」

と純子は脚本書きを指差した。

「スズメとウサギは16歳の処女の残酷性を持っている。けれどそれは単に『自己評価 美少女』だけの特権・特性ではなく、自己評価が高い人物に特有の自己肯定感・他者否定感の急進性といったモヤッとした性格付けで」

 純子はここで言葉を切ったが

「それは大なり小なり、世間というモノの反応・読者の眼でもある、ってコトか。ナルホド」

と脚本書きは後を受けた。

「昨今のSNSの炎上事例なんかを考えると、思い当たるフシが無いこともない。ヒステリックなまでに過激な他者弾劾傾向は、年齢性別関係無し。むしろノイジー・マイノリティーの特質だね。そして世間ではノイジー・マイノリティーの声ばかりが目立つ。サイレント・マジョリティーの思惑抜きで」


 うん、と純子は頷くと「だからクレバーなオジイサンは、ノイジー・マイノリティーからの干渉を怖れて宝箱チョイスから逃げた」と微笑んだ。

「なんてソフィスティケートされた対応なんだって思う。今はね」


「勝負を受けたオバアサンは、太宰版では大きな葛籠にいっぱいの黄金をゲットする。太宰版スズメは、一応フェアなゲームをしたように見えるけどね。スズメも弁護されるべき、と」

と美形の脚本書きは首をかしげた。

「結果だけからみれば、大きな葛籠・小さな葛籠、どちらも中には金塊が詰まっていたんだと推定されるか。『瘤取り』同様、不正は一つも無かったのに不幸な人が出てしまった、と言いたかったのかな?」


 純子は、親友の脚本書きが”フェアなゲーム”と言ったことに異議を唱えた。

「フェアではないでしょ。大きな葛籠イッパイの金塊は、一人で背負うには重すぎる。純金の比重は19.32だ。水の19倍だよ。1㎏の金塊は51.8㎝3だから、縦5㎝×横10㎝×高さ1㎝くらいの小さな延板のべいた。カマボコ板より一回り大きいくらいかな? それが52L大になれば、すでに1tだ。一立方メートルだと、1000L÷52L=19t。動けない、というより圧死しちゃうよ」


「おぉ、マジか!」と脚本書きは唸った。

「大きな葛籠が、仮に半分の500L大だったとしても10tか……」


 うん、と純子が頷く。

「尻が詰まった垂水峠の樽ではないけれど、担げる金塊の重さが30㎏程度とするなら、15㎝×10㎝×10㎝くらいの大きさまでだね。隙間のない丸一個のカタマリならば」


「そう言や地金じがねに混ぜ物があって箱に隙間があっても、千両箱は木箱の重さまで含めると、たいたい一つで25㎏くらいあるんだってね。二つ担ぐなら50㎏だ。時代劇の盗賊は、気軽に担いで塀を飛び越えちゃうけど。どんな怪力ヤロウなんだよ」

と脚本書きが苦笑する。

「オバアサンが、千両箱ふたつ背中に載せられたら、そりゃあ動けなくなるか」


「う……ん」と純子は応じたが、曖昧あいまいな声音だった。

「イヤな予測をするなら、小さな葛籠には金塊が隙間なくビッチリ、大きな葛籠には延板か粒金が雑に入れてあった場合、どちらを選んでも挑戦者は助からない。やっぱりオバアサンは大小どちらを選んでも、必ず失敗するように仕向けられていた可能性があるんだ」


「一見フェアに見えても、スズメは必ず復讐を果たす意思、と……」

 脚本書きはタメ息を吐いた。

「太宰の意思というより、太宰のペンを持ってしても、勧善懲悪テンプレートからは逃げきることが出来なかったということか。まあ『ナマケモノのオジイサンとは違って、オバアサンは葛籠いっぱいの黄金を持ち帰りました』ってんじゃあ、読者が納得すめぇ」


「それだけじゃないんだよ」と純子は片山の目を見る。

かんざしだけを貰うことで危機回避に成功したに見えるオジイサンも、やっぱり制裁を受けている」


「そうだね」と片山は相棒の意見に微苦笑で応じた。

「世間と関わりたくなかった世捨人が、世間というモノから宰相にまでされるんだ。国の政治をつかさどるんだから、聖人君子では務まらない。清濁併せ吞むだけでなく、非情な決定も下さなきゃならない。『大の虫を生かすために小の虫を殺す』みたいなね」


「そっかぁ。それでオジイサンはお世辞を言われても僅かに苦笑するだけで、あれには苦労をかけました、と言うしかなかったのか」

と脚本書き。

「『カチカチ山』が悪女勝ちエンドなら、『舌切雀』は卑小な個人が世間に屈服する幕引きなんだ。勧善懲悪パターンと見せかけ、実はビターエンドなんだ。バッドエンドとまでは言えないケド」


「それを生むのが、『瘤取り』のシメで喝破かっぱされる”性格の悲喜劇というもの”で、生まれた悲しみは年月とともに忘れ去るしかない、という『浦島さん』の玉手箱の慈悲ってコトだねぇ」

と純子は続けた。

「四作品、それぞれ一つずつでも珠玉の名品だけど、互いにフィードバックし合って連作の完成度を上げてるんだねぇ」



 一息入れると、純子は「どんな作品でも、作者と読者に右往左往させられる”登場人物”は、常に被害者的立場と言えるね。仮にそれが恋愛小説のヒロインでも、推理小説の犯人役であったとしても」とニヤリと笑った。

「操り人形の悲哀ひあいってヤツだ。彼らは、いかなる手を使っても、実行犯であり創造主たる作者や、評価者であり教唆犯たる読者に対抗できない」


「実はそうでもない」

と脚本書きは苦く笑った。

「登場人物は――特にキャラ立ちした登場人物は――作者や読者に復讐を果たす。作者は青くなり、読者は真っ赤になって怒るんだよ。ナニコレ? ヤラレタ! ってね」


「そういう事はあるだろうね」と探偵役は立ち上がった。

「登場人物が作者――創造主――を衝き動かし、筆を思ってもいなかった方向へと滑らせるのは、レアなケースではないらしい。綿密にプロットを練っていても、書き進めているうちに興が乗ったあげく整合性が破綻する経験は、脚本書きの水口さんにもあるんだろう。一方読者には『なんて駄作だ! 時間を損した』って腹立たしくなることもね。そんな場合には、傀儡くぐつが創造主や観客・読者に復讐を果たしたとも言えるんだけど、まあ、操り人形には復讐を果たして溜飲を下げる喜びは無いんだろうけどね」


 そして探偵は「そろそろ帰ろうか」と二人の美少女を促した。

「もうこんな時間だ。まるっきり無意味ってことはなかったかもしれないけど、時間はだいぶ費やした。無関係な読者だったら『この時間ドロボウめっ!』って頭から湯気を立てているかもしれないよ?」


                         おしまい


◇◇あとがき◇◇


 以上、本編終了でございます。

 お読みいただき有難うございました。


 さて、読者様におかれましては「なんたる愚作。時間の無駄であった」と、さぞかしお怒りのことでしょう。

 わかります、わかりますとも。


 その憤怒ふんぬ、ぜひとも感想欄に暴言ぼうげんというカタチで吐露とろして下さいませ。


 ……実は、『そうしていただく事』で、この作品は完成に至るのでございます。


 ほら、あらかじめ『前書き』で宣言させていただきましたでしょう?

『読者は被害者』で『読者は犯人(加害者)』である、と。


『読者が犯人(加害者)』というレトリック、通常の叙述トリック小説であれば、犯人は「犯人が読んだ手記なり小説なりで、探偵役から文中それを指摘される」という構造で成り立ちます。


 けれど『小説家になろう』のような、作者と読者との関係性がより近しい――気軽に感想を送付できる――という環境下では、先行する諸名作とは違ったロジックを使って『読者が加害者』を成立させ得る、と思い付きました!


 まあ推理小説に不可欠なトリックというモノが無いので、単なる屁理屈・引かれ者の小唄と言われてしまえばそれまで、ではあるのですが。


 さて、この『あとがき』、普通の推理小説であれば解決編の直前に置かれるべき『読者への挑戦状』にあたる、という事になりましょうか。


『作者が加害者で読者が被害者』という構造を『作者が被害者で読者が加害者』という構図へ、見事逆転していただけるような、厳しい御感想をお待ち申しております。


                         水口舞 再拝

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― 新着の感想 ―
[良い点] なるほどと説得させられてしまいました。読者は目撃者にも共犯者にもできそうかもしれませんね。
[良い点] 企画から拝読しました。 昔話の独自解釈は面白いですね。 推理物で『読者が犯人』のネタは、『作中作の読者が犯人』とか『実は毒蛇だった』などがありますが、こういうパターンもあったんですね。
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