第29話
試合の終了と同時に、ギャラリーが即席ライブ会場に集まってくる。豊中大学サッカー部の面々も、着替えた姿でやってきた。
集団から真っ先に駆けてきたのは海老津だった。
「クス、お前ヤバいな!俺らの応援のためだけに本物のアイドル連れてきちゃったわけ?てっきり冗談だと思ったら、マジやん!」
「大マジだ。じっくり聴いてほしい」
海老津は僕の隣にいるちはるに視線を移し、表情を固まらせた。それからスマホを取り出し、画面とちはるを見比べる。
僕は海老津の仕草から、『KuruMira』で推していた上位ランカー『ちはる』に結びついたことを悟った。
「海老津、紹介する。ちはるさん。僕の恋人だ」
あくまで僕は2人の関係を知らない立ち位置になるから、そういう言い回しにした。海老津の視線は僕とちはるとスマホの画面を行き来して、やがてちはるを指差す。
「えーっと、ちはるだよな?え?今、クスとつき合ってんの?何で?」
明らかに動揺していた。この時点でちはるの目的は達成されたのではないか?当のちはるは海老津を見据え、淡々と言葉を吐き出した。
「マッチングアプリで知り合ったの。きみが別の女に乗り換えた直後にね」
「へ、へぇ……あのクスと、ね。良かったやん。うん」
自分に言い聞かせるようにして何度も頷く海老津に、僕は内心で驚いていた。てっきり、ヘラヘラとした調子で祝福すると思っていたからだ。
ちはるは畳みかけるようにして海老津に言葉を押しつける。
「私に別れようって言った日、その場で次の女と電話してたよね。『今?空いてるよ。行く行く!』って。私はその瞬間、諦めることにしたの。きみはそういうタイプの男なんだって。でもね、きみと過ごした無意味な時間は取り消せないのよ。私の後悔はそこだけ。無駄な相手と無駄な時間を過ごしてしまったこと」
ふと視線を感じて、隣を見る。ちはるの瞳は確かな光を伴って、僕に注がれていた。
「後悔しても過去は変わらない。でも、後悔するのが私だけなのは嫌。だから、きみに現実を伝えたかった。別にきみじゃなくても、私は別の男とすぐつき合える。現に今、彼とつき合ってる」
「……ちはる」
「きみがマッチングアプリで目をつけてくれた相手、私なのよね?でもごめん、きみが私をフッたのよ?」
完全な決勝点だった。先ほどまでエースとして祀り上げられていた僕の同級生は、目の前でシュートを決め込まれ、立ち尽くしていた。
『KuruMira』で見つけた上位ランカーが元恋人だなんて夢にも思わなかったのだろう。でも、同じ人を再び見つけるということは、海老津の中でちはるは他の女性と異なり、特別な存在なのかもしれない。
ちはるは、手のひらをステージの方に差し向ける。
「そんなきみにプレゼント。黒崎理子さんが歌ってくれるって。2曲目に注目してね」
もはやチャンリコの力を借りる必要なかったんじゃないか、と伝えたい程度に海老津は放心していた。
ステージに立つチャンリコは、豊中大学サッカー部に向かってニッと笑う。
「よく聴いて下さい。きっと沁みますから」
言葉そのものは海老津に向けられているということに、気づいている人はほぼいない。
今からでも2曲目のスキップができるかどうか聞きたかったが、もう遅かった。
海老津に贈る海老津のためのライブは、始まってしまったんだから。
僕は2曲目の歌詞を思い出しながら、さすがに頑張り過ぎたなと心中で手を合わせる。
すまない、海老津。帰ったらゆっくり休んでほしい。
*****
夕方、大学に戻ると文化祭1日目は終わりに差し掛かっていた。
本城先輩は校門の前でハザードランプをつけてバンを止め、「今度ネームのチェックよろしく」と僕に手のひらを差し向ける。「ビール持っていきますよ」と告げると、先輩はニヤリと笑った。
チャンリコは校門から流れてくる学生を横目に、大通りの先を見つめる。
「マネがここにくるから待ってる。お疲れ」
「ありがとうございました!めちゃくちゃテンション上がりました!それとですね……」
僕はチャンリコに言おうか言うまいか一瞬だけ悩み、思いきって伝えることにした。
「ライブ枠を設けたらハグしてくれるとのことでしたがいかがでしたでしょうか!」
ちはるが隣で「うわぁ……」と低い声でドン引きしているが、知ったことではない。当然ちはるの目的を達成することは大事だった。でも、僕は僕なりの報酬があってこそ、活力となっていたのだ。
いろいろあったが、何よりチャンリコの生ライブを見られたのは人生におけるトップクラスの感動だった。海老津には悪いが、替え歌をそのまま起用してくれたのもファン冥利に尽きる。
チャンリコは僕を見て目を細めた。
「1人のファンだけを特別視するなんて、アイドル失格だし」
「えっ!でも小森江からは確かに……」
「アタシに唆されてもなお、アタシのファンでいられる?クズくん」
「……はい!ずっとファンです!」
泣きたい気分だったが、チャンリコの名誉に賭けて僕は我慢することにした。
「よろしい。でも、マッチングアプリはもう使わないし。アンタみたいな変な奴に出くわしたら堪らないし」
僕はたぶん、特殊ケースだと思う。でも、他の人とチャンリコが無償でデートする機会を消滅させるには、彼女の意思決定は重要だ。僕は彼女に「仰る通りです!」と返した。
数分後、黒塗りの車がチャンリコの前に滑り込み、後部のドアが開く。チャンリコは最後、僕とちはるを見ることなく去って行った。
僕はちはるに「ちょっと電話するね」と前置きして、福間さんに電話する。彼女は5コール目くらいで応じてくれた。
「あ、楠橋です。ごめん、遅くなった」
『いえ。軽音部の部室に準備した機材は全て撤去しましたので大丈夫です』
「何から何まで申し訳ない。今回は本当に助かった」
『先着30名に組み込んでいただけたので問題ありません。控えめに言って神でした』
二言三言話して、電話を終わらせる。軽音部には改めてお礼の挨拶をしよう。
ちはるが校門を振り返る。
「文化祭って何時まで?」
「確か、17時で閉門だったはず」
「じゃあ時間あるよね」
スマホで確かめると、16時30分だった。大広場に行けば、まだ何かやっているかもしれない。
「行ってみようか」
僕はちはるに手のひらを差し出す。暫定的な彼女は、一瞬の間を置いて僕の手をそっと握った。
手首じゃないんだね、と言おうと思ったけれど、野暮な気がして止めておくことにした。




