第27話
僕は『ちくわぶ』号外号の決裁を貰いに大学運営部の根城にいた。といっても、運営部は広報班の作業場から廊下を進んで3つ目の大部屋にいるので、緊張感はあまりない。
部屋に入ると、真ん中に『ロ』の字で机が並んでおり、会議に使われる。その奥が運営部員のデスクルームで、業務用の机が計8つあった。最もドアから離れた窓際に、部長席がある。この部屋は相変わらず大学生らしくない。
運営部の組織図は意外と大きい。庶務係、美化係、企画係に部員が属し、あらゆる雑務を処理している。ちなみに、広報班は企画係にぶら下がった独立部署だ。
部屋に入り、デスクにいたメガネ女子——福間さんと目が合う。できたての『ちくわぶ』をヒラヒラさせると、彼女は「ああ」と平坦な声で立ち上がり、手提げつきの小箱を持って近づいてきた。
「お疲れ様です。号外号ですね」
「お疲れ様。福間さん、文化祭の準備?」
「はい。企画係が1年で最も仕事する時期です」
能面の福間さんは、相変わらず企画という言葉に似つかわしくない淡泊テンションだった。庶務みたいなマニュアル仕事の方がよっぽど似合っている。
福間さんは小箱を開くと、決裁に必要な人たちのハンコを取り出す。大学だよりの右端に設けた決裁欄を見て、タンタンタンタンと丁寧かつ正確に押していった。
毎回思うが、雑な決裁だった。というか、決裁と呼ぶに値しない。毎月、福間さんのスタンプ芸を見にきているようなものだった。
「ねえ福間さん。本当にこんな適当で良いの?大学だよりって、大学の来年度予算計画に、学内の取り組みの1つとして記載してるから作ってるんだよね。後から苦情きても、僕は運営部を盾にするよ」
「『ちくわぶ』が衆人に認知される機会なんて、ほぼないでしょう」
真実を淡々と突きつけられるのは、意外と堪える。僕が毎月、しょうもない広報誌を僕の都合で撒いているみたいだ。実情は確かにそうなんだけど。
普段ならこれで退散し、構内に広報誌をばら撒く。でも、今日は大学だよりの決裁よりも数十倍近く大切な用件があった。
「ダメ元で聞いても良い?」
「ダメ元と思っているなら、もうダメです。勝ち目はありません」
「勝機はある!だから聞いてほしい!」
仕方ない、とばかりに福間さんが手近のパイプ椅子を手で示した。僕は会釈して椅子に座り、彼女と向き合う。
「1日目に体育館でオープンセレモニーやると思うんだけど、時間を延長するか出演する人を変えられるか別の場所を確保できるか、手を打てない?」
「文化祭、今週の金曜日なんですけど」
何を馬鹿なこと言っているんだ、と福間さんの表情が露骨に歪んだ。百も承知の反応だ。それを知っていて、僕は聞いている。
「実は、『DACCHA』の黒崎理子ちゃんから生ライブの話が持ち上がってるんだ。いろいろ事情はあるんだけど、とにかくライブをしてくれる。だから相談したかった」
福間さんは少しの間、僕の言葉を咀嚼していた。やがて人差し指でメガネの位置を整えると、首を振る。
「少なくとも私に執行権はありません。オープンセレモニーには、軽音部を呼んでいます」
「でも、福間さんだってチャンリコ好きだろう!去年の夏、僕と阪多タワー前の夜間ライブで偶然会って、意気投合したじゃん!旅芸人なんかより絶対感動するって!」
「ケースバイケースです。今の私は大学運営部の1人として楠橋さんと話しています。すなわち、希望は呑めないかと」
情に訴えたら、福間さんのオタク魂に火がつくかと思った。でも、予想以上に堅い。
「福間さんの上の人と話がしたい。陣原さんだっけ?どうにか会わせてもらえないかな」
すると、福間さんが急に机をバンッ!と叩いた。僕は反動で肩をびくつかせる。彼女の呪いに似た低い声が吐き出された。
「……文化祭は2ヵ月前から予算の工面、スケジュール調整、イベント内容の検討、打合せといった準備を進めて、今日を迎えています。楠橋さんなりの理由があるなら、陣原さんも応じてくれるでしょう。ですが、今の話しぶりから理屈の通った意見は見込めません。運営部の地道な努力をぶち壊すつもりですか」
ぐうの音も出ない。福間さんの言う通りだ。僕の攻め方が間違っていた。今の説明では、僕のツテでチャンリコを引っ張ってきたからライブ枠を組み込んでほしいという身勝手な要求にしか聞こえない。
本当に伝えたいことはそんな稚拙な理由じゃない。これでは、ちはるへの協力を申し出たチャンリコに合わせる顔がなかった。
福間さんが椅子から立ち上がり、奥のデスクに向かっていく。
「頭を冷やして出直すか、諦めるか、別の道を選ぶか。考えて下さい」
学生気分で話していた自分と、組織人としての意識が備わった福間さんでは話にならなかった。テーブルを見つめることしかできない僕は、小さな紙きれに気づく。
ちょうど福間さんがテーブルを叩いた位置だったはずだ。紙切れを手に取ると、一文だけ書かれていた。
『予定は未定です』
咄嗟に顔を上げる。福間さんが、口角を僅かに吊り上げて、僕にグーサインを出していた。




