第23話
居酒屋チェーン店『チェスト』彦崎店は、ショッピングモールから伸びる幹線道路を5分程歩いた交差点にある。僕は「先ほどの男はここにいます」とチャンリコに告げた。
チャンリコは店を眺めていたが、やがて過去に来店したことを思い出したらしい。
「アタシ、マネと一緒にきたことあるし」
「はい。ちなみにそのときシフトで僕と先輩が入っていました」
チャンリコは「どうでも良いし」とサラリと話を終わらせ、定食タイムの『チェスト』に入る。次いで小森江、ちはるの順に進んでいく。すると、ちはるが僕の腕を軽く突いた。
「あとで少し話したいことあるんだけど」
「……分かってる」
僕とちはるが交わした契約——『周囲に暫定カップルであることを知られてはならない』。
ちはるの機転で暴露は免れたが、人が聞いて納得してもらえる理由とは言い難い。僕とちはるの問題とはいえ、小森江も全然飲み込めていなかった。
加えて、ちはるの様子で気になるところがあるのも2人で話したい理由の1つだった。
店内に入ると、制服に身を包んだ本城先輩が待ち構えていた。彼は僕を見るや否や、頭を下げて薄汚れた原稿を差し出してくる。
「クス班長補佐。ご査収の程、何卒よろしくお願い申し上げます」
「はあ。承知しました。それと先輩、こちらの方ですが」
僕は隣にいるチャンリコを紹介しようとして、言葉を失う。彼女はじっと先輩を見つめていた。彼女の横顔に、何か良からぬものを感じてしまう。
「チャンリコさん……チャンリコさん!」
何度も呼びかけて、チャンリコさんがハッと我に返る。どことなく背筋がしっかり伸びている気がした。
「さっきは電話でずいぶん馬鹿にしてくれたし。アンタがクズの先輩?」
「オレがクズみたいな言い方やね。クズなのは後輩よ。オレ、本城。アンタが黒崎理子?思ったより綺麗な顔しとるね。音痴なのは覚えとったよ」
この人どうしてすぐに喧嘩を吹っかけるんだ!たぶん先輩は思ったことを口にしているだけだが、なお質が悪い。
チャンリコが僕を睨んで、先輩に人差し指を突き立てる。
「アンタの先輩、アタシのアンチ?さっきから失礼過ぎるし。名誉棄損で訴えたいくらいなんだし」
「すいません!でも先輩が人の顔と声とか覚えるのって珍しいんですよ!いつもはわかれて3分くらいしたら忘れるんで!思い出すという作業から無縁の人なんです!」
「……へえ。で、この先輩がアンタに何を渡したし」
僕はインクで汚れた原稿をチャンリコに見せる。4コマ漫画の原稿だ。チャンリコは僅かに目を見開いて、僕から原稿を奪い取った。
静かに原稿を読んでいくチャンリコに、先輩も僕も固唾を呑んで見守る。人気アイドルが先輩の漫画を読んでくれる日がくるなんて、思いもしなかった。
やがて、チャンリコは苦々しい表情を浮かべて原稿を僕に渡した。
「クソほど面白くないし。ボツ行き以外にどこに行くんだって感じだし」
先輩が目を剥いてチャンリコに食ってかかる。
「ハァッ?これから原稿チェックしてくれるクスの前で何言っとんじゃコラ。アンタ、ちゃんと目ん玉ついとるんか?よく見い!」
「そこのクズがこの原稿使うってヤバすぎだし。どうしてレストランで料理を注文したら客のスマホから飛び出してくるんだし。アンタ、スマホに夢見過ぎだし」
「スマホってガラケーよりも凄いんやろ!それくらいできるんやないの!」
「できないし!スマホが万能だと信じてるジジイなの?」
2人の言い合いはしばらく続き、待ちかねた僕が「原稿ちゃんと読みますから!」と諫めた。先輩は漫画のことになると相変わらず我を忘れる。
『チェスト』を出てスマホを見ると、午後2時を回ったところだった。チャンリコは両腕を上げて背筋を伸ばすと、長い長い息を吐いた。
「慣れないことすると本当に疲れるし。結局オフ無駄にしたし」
僕は改めて「すみません」と頭を下げる。本来なら、あのまま上手くいっていたかもしれなかった。でも、起きてしまったことは変えられない。
とはいえ、暫定カップルというキーワードを出していたらさらに厄介なことになっていたから、ちはるには感謝しかなかった。
チャンリコがちはるに声をかける。
「まぐれにまぐれが重なった結果かもしれないけど、元を辿ればアンタの元カレが原因なわけだし。こっちは変に巻き込まれて消化不良だし」
「そうですよね……今日はいろいろとすみませんでした」
「聞きたいのは謝罪じゃないし。アタシも振り回されて終わるのは癪だし、アンタは気の毒だし。アンタさえ良ければ、アタシの憂さ晴らしついでに助太刀するし」
思わぬ申し出に、僕らの目が点になる。チャンリコが、僕らのイザコザに介入する?どうしてそうなるんだ?混乱し過ぎて、逆に頭が冴えてきた。
「ちはるの元カレに一泡吹かせるつもりなんですけど、チャンリコさんが協力して下さるということですか?」
「そう言ってるし。だって、アタシこのままじゃアンタらの揉めごとに巻き込まれて、マッチング相手がクズだって判明して、大事な休日を棒に振って帰ることになるし」
事実を述べているだけなのだが、だいぶ心にグサグサと刺さる。自業自得か。
チャンリコは「アタシのステージで元カレを罵倒してやっても良いし」と小悪魔めいた笑みを浮かべる。僕は慌てて訂正を申し出た。
「もうちょっと優しいやつでお願いしたいです」
「我が儘な奴だし。とりあえず、連絡先教えてほしいし。今日はもう疲れたから帰るし。あ、クズ。お前の連絡先はいらないから」
結局、ちはると小森江がチャンリコの連絡先をゲットした。羨まし過ぎる。
数分後、黒塗りの普通車が交差点付近に停車した。運転席から、金髪のホスト風の男が手を上げる。以前、『チェスト』にやってきた男だ。彼はやはりマネージャーだった。
チャンリコが振り返り、ちはるに声をかける。
「アンタも、いい加減に前の男なんか忘れた方が良いし。ついでに、そこのクズも。ダラダラ引きずってたら、いつの間にか歳食ってるし」
ちはるはいつになく真面目な面持ちで一礼する。チャンリコを乗せた黒塗りの車が去った後も、僕らは黙って幹線道路を見つめていた。
ふと、ちはるが僕にポツリと尋ねてくる。
「ねえ、黒崎理子って何歳?」
「20歳。僕と同い年だ」
「……アイドルよね?貫禄凄くない?」
それは僕も激しく同感だった。




