第22話
クーコさん——黒崎理子は手元のカツラを弄びながら僕らを見渡した。
「黙って聞いてたら、アタシ全く話についていけないんだし。ていうかクスさん、めっちゃクズだし。アタシの大事なオフ返してくれないかなー。この4時間で筋トレできたし、他の子に遅れ取るし最悪なんだし」
僕はじっとりと汗の滲んだ両手を拭う。こんな運命的なイベントがあって良いのだろうか。何万人ものユーザーがログインしているマッチングアプリで、ずっと応援してきたアイドルに会えるなんて。
震える手でコーヒーカップを手に取り、一口含む。額や首の汗が気になったが、それよりもチャンリコに伝えたかった。
「ファンです‼以前、抽選50名の握手会兼サイン入りCDの直接頒布兼頭ポンポンイベントに参加しました‼好きです‼」
「いやいやコイツ頭大丈夫?数秒前に二股モドキみたいなこと発覚してたし。ごめんけど、アタシ無理」
「分かりました‼」
フラれた。でも想いを本人に伝えることはできた。僕はこの日を一生忘れない。
ちはるとオタ活について話していたのも良かった。もし彼女から事実を突きつけられていなければ、ここまで清々しい気持ちにはなれなかっただろう。
小森江がスマホでチャンリコを検索したらしい。「うわ、本物じゃん」とスマホの画像と本人を見比べている。彼女は物怖じせずにチャンリコへ話しかけた。
「え、どうしてマッチングアプリやってるんです?芸能人なら俳優さん狙えるのに」
スポーツをやっているだけあって、根性が据わっている。チャンリコは角砂糖をふんだんに入れたコーヒーをかき混ぜながら答えた。
「アタシ、人生設計組んでるし。一途に人を好きになった末の結婚が目標だし。芸能界はダメだし。金は持ってるけど遊びまくってるし、クズみたいな奴多いし。一般人なら、平凡だけど考え方はマシだろうし、アタシの方が年収高いから言うこと聞かせられるし」
僕はチャンリコの振る舞いに感動しつつ、呆気に取られたちはると小森江に解説する。
「昨年5月第2週号の芸能雑誌に『黒崎理子、けっこう黒い』という記事が掲載された。その記事にはチャンリコについて、『相当の野心家で負けず嫌い』、『自分が芸能界でのし上がることだけを考えて、脱落した者の背中は一切追わない』、『他人を蹴落とすことも辞さないプロ意識の持ち主で、オファーを受けた仕事は絶対に断らない』とあった。それから『彼女は自分の人生の計算を立てている。いつか急に熱愛報道や結婚といったニュースが流れても、全て彼女のスケジュール通りなのだ』ともあった。あれは本当だったんだ……!」
チャンリコが自分の両肩を抱き、ブルリと震える仕草をみせた。
「え、何コイツ。マジで気持ち悪いんだし。あたしのファンってこんな奴ばっか……?もう最悪、今日マジで厄日なんだし。アタシの時間返してよ」
痛いところを突かれると、何とも言えない。急に黙りこくる僕に、ちはると小森江が呆れたような視線を向けてくる。ちはるが可能な限り身体の向きをチャンリコに移して、頭を下げた。
「デートの邪魔をして、本当にすみませんでした。今ハッキリさせなくても良かったのに、いきなり話しかけてしまって」
「ホントそれだし。でもいずれ分かったことだし、この先一生会わないし。ていうかアンタの方が気の毒だし。大丈夫?こんなクズオタク、仮の彼氏でもダメだと思うし」
小森江が小声で「さすがにボロクソ言い過ぎじゃない?」と不服そうな顔をするが、手で制する。僕は背筋を伸ばし、覇気を心がけて言葉を発した。
「仰る通りです。ただ、ちはるさんについては僕も一度協力すると言った手前、辞退は考えておりません。本日はありがとうございました。途中までお送りいたします」
バイトでもここまで丁寧な敬語を使ったことがない。いつの間にこんな言葉遣いを覚えたんだろう。自分でも不思議なくらい流暢だった。
チャンリコはテーブルの端にあった伝票を手に取り、左右に軽く振ってみせる。
「代金、アタシが出すし」
「いえ‼もちろん僕が出します‼」
即答すると、チャンリコが初めて口角を僅かに吊り上げ、「上等だし」と呟いた。
*****
ショッピングモールを出ると、秋の乾いた風が首筋を擽り、思わず身震いした。チャンリコに出会えた興奮で身体が火照っていたから、慣れればちょうど良い気温だろう。
タクシーを捕まえようとスマホを取り出すと、着信が鳴った。表示された名前を見て無視しようと思ったが、コールが途切れそうにないので諦めて通話ボタンを押す。
「楠橋です。何ですか本城先輩。今忙しいんですけど」
『オレオレ。クス、原稿できたから見てくれん?』
そういえば、先週の金曜、大学だより『ちくわぶ』に4コマ漫画を掲載してほしいと言われて今週末までに出すよう指示したのだった。今日は土曜だから、確かに週末だ。
僕はテンション高めの本城先輩に向かって声を張り上げる。
「先輩すみません。今立て込んでて、後でも良いですか」
『今日夜勤やけん、もうチェストにいるんよ。原稿提出するだけっちゃんね』
チェストなら、ここから歩いて5分程度だ。でもチャンリコに歩かせるわけには。
すると、チャンリコが僕の隣に立った。
「用事あるなら大事にした方が良いし。アタシはマネにここまできてもらうし」
「いやいやそれはさすがに申し訳ないです」
『え、クス何?今誰かと一緒におるんかね?そのやさぐれた女の声、どこかで聞いたことあるんよねー。誰やったかな』
チャンリコが僕のスマホから聞こえる先輩の声に眉をひそめた。
「何コイツ、アタシのこと大して知らなそうなくせに失礼な奴だし」
先輩からもチャンリコの声が聞き取れたのだろう。ああ、と納得したような声を漏らす。
『クスがゾッコンのアイドルじゃね?ハスキーボイス過ぎて歌がヘタッピっちゃ』
まずい、今のはタブーな話題だ。チャンリコは自分の音痴を相当気にしている。
案の定、チャンリコは僕のスマホをひったくり、通話口に向かって怒鳴った。
「アンタ、本人に向かって大した度胸してるし。電話越しに挑発なんて舐めた態度許さないし。今からそっち行ってやるし」
『おー、本当に本物なん?よく分からんけどオレの漫画見せちゃる』
チャンリコが僕のスマホを突き返してきて、ドスの効いた声で命じた。
「ソイツの元に案内するし。舐めた口利けなくしてやるし」
「わ、分かりました……」
僕は3人の曲者女子を連れて、バイト先に向かった。




