第1話
マッチングアプリを選ぶ上で重要なのは、ユーザー数と目的と言われている。
ユーザー数が多ければ多いほど出会える確率は上がるし、恋活や婚活といった目的毎のアプリがあれば、出会う相手の前提を間違えないで済む。結婚願望のある男が、恋愛を楽しみたい女と出会っても長続きするかは分からない。
アプリ開発会社がユーザーの需要や目的意識、心理的側面を調査し、アプリの機能に落とし込んでいるからこそ、ユーザーは自分の用途に合ったアプリを選び、運命の相手を探すことができるのだ。
マッチングアプリ『KuruMira』は、業界で5本の指に入るほどの知名度を誇る人気アプリと言われている。
ターゲット層は20代前半から半ばで、ネットサイトでは恋活のジャンルに挙げられることが多い。ユーザー数は60万人ほどとされているが、ネット情報なので真偽は不明だ。
魅力的なアプリのラインナップで『KuruMira』を運命の相手探しに選んだのは、使用会員数の多さだ。
マッチングアプリは基本的に女性を無料としているため、ユーザー登録していても実際に使っているとは限らない。メッセージのやり取りが続かなかったり、『いいね!』が飛んでこなかったりして飽きてしまう人も少なくないだろう。
だが『KuruMira』のグループチャット機能は、自分と似た価値観や趣味を持つ同性・異性とグループ内で話せるため、1人がダメでも別の誰かに再チャレンジすることができる。こうした機能もあって他のアプリに比べて稼働率が高いらしく、有料で臨んでいる男性陣としても助かるのだ。
ちなみに、僕は4,000円の3ヵ月パックを購入した。つまり、4ヵ月後には彼女が隣にいるという想定で活動している。お金を払ったんだから彼女ができるに違いない。
だからこそ、4畳半の自室でアプリの更新ボタンを連打する自分に焦りを覚えていた。
「どうしてメッセージのやり取りまで行き着かないんだ?」
アプリ開始から10日経ち、34人の見知らぬ女性が僕のプロフィールを見にきてくれた。すかさず全員に『いいね!』ボタンを押してメッセージを飛ばしたが、返信はない。さらに、4人の見知らぬ女性から『いいね!』が飛んできたのでメッセージを送ったが、返信はない。
『いいね!』機能は1人につき2ポイントを消費する。つまり本来は有料だが、登録から2週間は毎日10ポイント与えられることになっていた。僕は毎日5人に『いいね!』とメッセージを投げているので、少なくとも50人にアプローチをかけていることになる。
しょぼしょぼする目を擦り、検索機能で自分が指定した条件を見直す。
『近距離恋愛』『人見知り』『無言が大丈夫な人』『心理戦苦手』『お互いの趣味を尊重できる』『大学生』『スポーツジム通い』『東急ハンズ好き』『ファッション好き』『スイーツ好き』『バイト経験あり』『アルコール飲めます』『料理は得意じゃないが好き』……条件に不足はないはずだ。
最初は『アニメ好き』や『アイドル好き』、『DACCHA』といったキーワードも入れていたが、アイドルオタクに通じそうなタブは外した。そうでもしないと、女性側がすでに『オタク系』と分類して敬遠される気がしたからだ。
画面上の時刻を見ると、大学に行こうと思っていた時間だった。当然、大学で『KuruMira』を開くことはない。でも、今日『いいね!』をつけられる人がまだ2人残っている……。
あと2人にメッセージを送ってから大学に行こう。誰でも良い。今はとにかくメッセージのやり取りに辿り着かなければ。
僕は検索条件から『アルコール飲めます』『無言が大丈夫な人』『心理戦苦手』を消して、『牛タン大好き』『海に行きたい』『一緒に笑い合える人』を追加して再検索をかけた。
*****
豊中大学、通称『ブチュー』の駐輪場に自転車を停めて、大学運営部のある1号館に向かった。1階の事務部を通り過ぎて階段を上り、2階の細い通路を一番奥まで進んだところに、大学運営部広報班の部屋がある。
鍵の壊れたドアノブを回すと、部屋から「うわぁ!」と声が飛んできた。それだけで先客が誰なのか当たりがつく。
両端の壁と真ん中のデスクを書類の山が占拠する雑多な部屋で、童顔の美少年が僕を見て硬直していた。彼の手には握力を鍛えるパワーハンドグリップが握られている。彼の足元だけ紙束が整理され、腹筋ローラーが転がっていた。
「……三四朗さん、今日は男らしさを磨くために筋トレに挑戦ですか。でもそのグリップ、抵抗力1キロって」
女性でも5キロを選ぶんじゃないか?と思ったが言わないでおく。リアル男の娘の三四朗さんには厳しい現実すぎる。色白の小顔に柔らかそうな髪質のボブカット、薄赤く形の良い唇が、学生内に伝わる『癒し力340%』の異名を隠し切れずにいた。
「だ、誰にも言わないでくれよ!というかクス、今日は3限からの出席じゃないのかい?」
「大学なんて古本屋に行くのと変わらないテンションでしょ。ここでネットサーフィンしてから授業出ようかなーと思って。そもそも広報班じゃない三四朗さんがここにいるのがおかしいんですけどね」
「だってこの部屋、大学関係者なら365日侵入可能なガバガバルームじゃないか。入られたくないなら、鍵を直してもらえば良いだろうに」
「その提案、うちの班長に言ってやって下さい」
「広報班は実質クスのワンマン運転なのに、変人班長の意見が必要なのかい?あやつ、しばらく大学でも見かけておらんぞ」
「一応、僕の上司なんで。今何してるか知りませんけど」
愛用のデスクトップがすでに起動していることに気づく。ホーム画面の中心で、黄緑色のバーがじわじわと動いていた。HDDのポート口を見ると、USBが挿してある。僕がUSBを抜こうとすると、三四朗さんが苦笑いしながら僕の手首を掴んだ。僕が無理やりUSB接続を切ろうとすると、彼は僕をパソコンの前から押し退けようとする。
「いや三四朗さん、うちのファイルから勝手にデータ抜くの止めてもらえますか!僕がこなかったら完全に隠蔽工作だったでしょ!」
「違うのだクス、さすがにぼくもそのような真似はせんよ!」
「何よりの証拠が現在進行形で実行中なんですけど!」
僕は絶賛処理中のデスクトップを指差して、動きを止める。バーの下に表示されている一文をちゃんと見ていなかった。
『ファイル内のデータをインポートしています』。僕は掴まれていた手首を振りほどき、パソコンを操作する。USBデータの転送先は、パソコンの使用者である僕ですら把握していなかった写真フォルダだった。
「三四朗さん、もしかして写真部のデータをちょくちょくこの端末に移動させてます?」
「仕方ないではないか!運営部がケチすぎて、USBやメモリーチップの予算を認めてくれないのだよ!溜めたデータが膨大過ぎて、写真部の端末も容量がいっぱいなのだ!」
「僕のパソコンが重くなるだろ!運営部だって堅物じゃない、コンクールか何かで実績を積めば、予算計上してくれるはずです」
「それは本当か⁉」
実際はどうか知らない。そんな規程が存在するかどうかも知らないし、基本は交渉次第だろう。でも、今は三四朗さんを引き下がらせるのが先決だ。
「試しにコンクールの日程を確認してみたらどうですか?その辺の情報収集くらいなら手伝いますよ」
ちょうどデータの転送が終わり、バーが消えた。転送先のフォルダを見て、三四朗さんが過去半年近くのファイルを蓄積していることを知る。最近、特にパソコンの動作が重たかった原因の一端はこれだろう。
三四朗さんが上目遣いで僕に問いかける。
「クス、お主からも運営部に掛け合ってみてくれないか?」
可愛い。僕の好みのタイプとは言えないが、このまま抱きしめて「もちろん」と答えるのが正解だろう。やっぱり外見や強みは大切だ。
ふと、マッチングアプリのことが脳裏を掠めた。そういえば、僕のプロフィールはどんな感じだっただろうか。必要事項をササっと記入して、すぐ女性探しに移った気がする。
ひょっとして、相手とのメッセージやり取りに繋がらないのは、楠橋一利という男のプロフィールが物足りないからじゃないか?もう少し、手を加えてみても良いかもしれない。
僕は三四朗さんの両肩をガッシリと掴んだ。
「三四朗さんなら、僕のフォローなんかなくても運営部をイチコロで落とせます。だから、今はとりあえず」
すかさず写真フォルダを切り取って、USBのフォルダにドラッグ&ドロップする。黄緑色のバーが、再びデータの転送状況を示した。
「データは三四朗さんに返します。大丈夫、三四朗さんが男らしく立ち振る舞えば効果はあるだろうし、コンクールで頑張れば実績も兼ねて予算出してくれますから!」
「クス、お主は本当に良い奴だ!建設的な意見をありがとう!」
三四朗さんは可愛い。そしてチョロい。僕はちょうど良いタイミングで鳴ったチャイムを理由に、広報班の部屋を飛び出した。