第17話
「……という話を海老津としてきた」
大学の講義を終えた僕は、阪州大学の近くにある抹茶の喫茶店でちはると合流していた。彼女はクリームホイップの入った抹茶ラテを力強くかき混ぜている。
ちはるの指示で、海老津に彼女のことを記憶から掘り起こしてもらうよう仄めかしてきた。その報告会をしていたところだった。
「つまり、あまり響かなかったってこと?」
「見た目上は。もしかしたら内心感づいてて、気にしてるかもしれないけど」
「本音と建て前を分けて考えるタイプじゃないわよ、彼。たぶん何も気にしてない」
ちはるとは、この間の買い物で少し言い合いになったものの、気まずい雰囲気はなかった。むしろ、ようやく様子見の段階が終わった気がする。
僕は口元を真一文字に閉じるちはるに「ヘコんでる?」と尋ねた。彼女が勢いよく顔を上げる。
「は?別に落ち込んでないし!まだアイツにタネを仕掛けた段階だもの。意識さえしてくれれば良いだけだし」
「それで今の硬い表情にはならないよ」
「この前、同窓生にフルボッコにされて落ち込んでたときのあんたもだいぶ強張った顔してたわよ」
僕もちはるも同じタイミングで飲み物に手を伸ばした。ストローで口を塞ぎ、相手の対応を待つ。
降参したのは僕だった。
「……同類相手にからかうと自分に跳ね返ってくるからしんどいな」
「だから言ったじゃない。同じ穴の狢だって」
「どちらかが先に目的を果たさないと不毛な口論は終わらない。先にクリアできそうなのはきみの方だと思うし、文化祭までの1週間でいろいろエピソードを作っておこう」
相手は海老津だ。表面的な間柄であることを悟られたら、彼の中の『ちはるをフッた』後悔を引き出しにくくなる。今の僕らに必要なのは、お互いを知ることだ。
僕はバッグから水族館のチケットを取り出す。2日くらい前に、次のデート先を話し合って決めた場所だ。ちはるが意外そうに目を丸くする。
「今回は準備してくれたんだ」
「そんなに驚かないでほしい。僕だって学習するよ」
喫茶店を出て、近くのバス停から水族館行きのバスに乗る。午後の平日だからか、途中の乗り降りもほとんどなく、15分程で水族館前までやってくることができた。
ロータリーから水族館までの広々とした道をちはるのペースに合わせて歩く。1人なら、今のペースの3倍くらいで歩けるだろう。
館内に入ってチケットを係員に渡す。ちはるが周りを見渡したので、何となく案内図を指差した。彼女が「私、ここにきたの初めてなんだよね」と照れ笑いを浮かべる。
「3階の展示から見て行って下に降りる感じで行こうか」
「うん。そうしよっか」
ちはるが僕を見上げて頷く。心なしか、彼女の表情は柔らかかった。
エレベーターで3階まで上がり、横長の展示コースをゆっくり歩く。正直、今までの人生で水族館や動物園といった場所に友達ときたことがない。
『各地域の近海』と名づけられたコーナーには、僕らの住む地方に面する3つの海に住む生き物が展示されていて、その海の様子を再現していた。通路の左右に展示された魚やカニといった生き物を前に、ちはるの視線があちこちに飛んでいく。
「ワラスボって食べられるらしいよ」
「……水族館でなんてこと言うんだ」
海の特徴によって、そこに住んでいる生き物も変わる。当たり前だが、自然に関心のなかった僕にとっては素朴な発見だった。
自分にとって脅威となる生き物への対抗措置を身につけたり、生きやすい場所を作り出したりして適応している。交わるのではなく、馴染んでいく。
僕だって本当は馴染んでしまいたい。リア充はリア充の生きやすい場所にいれば良い。僕は僕の生きやすい場所でアイドルの追っかけを楽しみたい。交わったところで、反発が起こるだけだ。
3階を一通り見終えて、2階に向かう。外洋を再現した水深7メートル近くの大水槽があって、その中で小魚やサメが泳いでいた。
大水槽の手前にソファがあったので、千春と一緒に座る。彼女がポツリと呟いた。
「オタクでも彼女がいることを同窓会で示したくて、彼女を作ろうと思ったのよね」
「え。ああ、うん。そうだけど」
「クズ根性のあんたのことだから、どうせオタクがオタクの彼女を連れても効果は見込めないと思ったんだろうけど」
図星過ぎて言葉を失った。以前、本城先輩に『アイドル研究会に入れば同類の彼女ができるだろ』と言われたのを思い出す。ちはるは僕の無言を肯定と受け取ったらしい。
「ならどうして大学デビューまでしたの?普通に彼女作れば良かったのに」
僕は大水槽の下層を泳ぐ小魚を眺めながら、言葉を整頓した。




