第15話
15時の休憩間近のスタバは案の定混んでいたが、入店したタイミングが良かったらしく、席を確保できた。ちはるに席へ行ってもらい、僕はブレンドコーヒーSサイズとキャラメルマキアートSサイズを注文する。
ソファ型の2人席に戻ると、ちはるがブレンドコーヒーを見て固まった。何か不手際がっただろうか。
「メニュー表見なかったから、この間と同じブレンドコーヒーかと思って」
「うん、ありがと。そこは合ってる」
つまり、別の部分を間違えたというわけか。大方サイズだろう。僕は「精進します」と答えて、ちはるの正面に座る。
ちはるはボアジャケットを脱いで膝元に置き、脚を組み直した。黒のニットスカートから伸びる滑らかな白い脚に、思わず視線を逸らす。
「ごめん。さっき高校の同窓生と偶然会っちゃって。この前話した事情と大して変わらないんだけど」
「同窓会でオタクを馬鹿にされたら、彼女はいるって言いたい話?」
「あんまり大きな声で言わないでほしいな」
言葉にするとめちゃくちゃアホみたいな動機なのは明らかだ。隣の席に座る女子高生グループから視線を感じたが、我慢する。
「僕、高1の頃にクラスのマドンナ的な人に告白されて、断ったんだ」
ちはるは「うんうん」と完全に聴き手の姿勢だった。今、軽く鼻で笑われると思ったが、そんな素振りはない。
「僕にとって、クラスで人気の女子よりもチャンリコの方が上だったから。チャンリコにいつか会いたいし、話したいし、全部を知りたいと思ってる。だから彼女に割く時間がなかった。僕が彼女にそう伝えたら、次の日からクラスメイトが敵になった」
「友達に相談する手は考えなかったの?まさか、友達いなかったとか……」
そこは馬鹿にしてくるのか。僕は「友達はいたけど相談はしなかったよ」と答えてから、キャラメルマキアートを口に含む。
「どれだけ周りに諭されても、僕の意向は変わらないって分かってたから。結果的に僕は自分の趣味を守りきったけど、日中の生活環境を失った」
『末期のオタク』として趣味を馬鹿にされ、否定され、『一生童貞』の烙印を押された。僕は自分の方針と意見を発信しただけだ。なぜ分かってもらえなかったんだろう。
「『アイドルに金を投資して何の意味がある』とか『現実逃避が気持ち悪い』とか『理想ばかり追ってて何が楽しいんだ』とか、いろいろ言われた。みんな、僕をどうしたかったんだ。僕が嫌々マドンナの告白をオッケーしたら万事解決だったのかな。でも、僕はチャンリコを最優先に考えた。彼女のことを忘れる日なんてない。他人の言葉で気持ちが揺らぐようじゃ、アイドルオタク失格だ」
ちはるは何も言わず、じっと僕の目を見ていた。身体の向きを変えることも、ブレンドコーヒーを飲むこともない。他人の話を聞くという明確な意思が真っ直ぐ伝わってくる。
「1つ、聞いても良いかしら」
「もちろん」
「どうして黒崎理子がそんなに好きなの?」
「何をそんな急に……」
どうして。僕は答えようとしたが、なぜか言葉が出てこなかった。好きであること以外に理由なんてあるのか?でも、きっかけはあったはずだ。僕がチャンリコに心を突き動かされた動機が。
けれど、いくら引き出しを開けても、始まりのエピソードが見つからない。
ちはるが小さな吐息を漏らし、ソファに寄りかかる。
「今のあんたは、無理してる」
「……無理?」
「黒崎理子を好きになったきっかけを思い出せないなら、それはもう好きとは言えないもの。今のあんたは、義務感でオタ活してるだけ」
思考が真っ白になる。何も言い返せない。ちはるの言葉が淡々と流れ込んできて、感情の襞にじわじわと侵食していく。彼女から追随の言葉が飛んでくる。
「マドンナをフッた自分の判断は正しかったと信じ抜くために、チャンリコを好きな自分を守っているだけ」
気づけば、僕は立ち上がっていた。デイパックから書籍や文房具を引っ張り出し、千円札と併せてテーブルに置く。ちはるは訝しげに眉をひそめた。
「また逃げるの?都合の悪くなった私から逃げて、『他大』で『アイドルオタクに寛容な』別の女の子を見繕うつもり?」
「……もうそんなことはしないよ。ただ、同窓会に行かなければ済む話だなって気づいたんだ」
僕の考えが間違っていた。過去を払拭する必要はない。僕がチャンリコの応援に精を出したところで誰かに迷惑をかけるわけじゃないし、今さら悪態を吐かれるのも慣れっこだ。
出口に向かおうとすると、背後からちはるに声をかけられる。
「趣味に没頭しているのに、心底楽しめない自分に気づいてしまう。残酷よね」
僕の中で、感情がプツンと切れた。ちはると向き合い、感情のままに言葉を吐き出す。
「じゃあ僕にどうしろと?きみだって、海老津を負かしたいだけじゃないか!フラれた事実が許せなくて僕を利用しているのに、人のことをとやかく言う資格はないだろ!」
強めに言ってからハッとなる。周りの客からの視線が痛い。完全に痴話喧嘩の構図だ。一方、ちはるは至って冷静だった。無感動な瞳を僕に向けている。
「確かに、あんたの言う通り。でも当たり前じゃない。私たちは利害関係と容姿に惹かれて繋がっただけだもの。同じ穴の狢が吠え合ったところで何も解決しない」
ちはるはテーブルの商品と千円札を手に取り、僕に差し出した。
「でも、逆に今がチャンスだと思わない?ここで逃げ出したら、私たち一生誰かを好きになれないかもしれないし」
「僕はチャンリコ一筋だから別に構わない」
「チャンリコは別にあんたのこと好きじゃないよ。一方通行の想いって、本当に鬱陶しいし。……人って1人じゃ生きられないの」
僕は黙ってちはるから荷物を受け取り、デイパックに戻す。それから彼女に手のひらを向けた。
「ごめん。言い過ぎた」
ちはるは「私も少し熱くなったから」と、僕の手首を強く握りしめた。その圧迫力で、差し出した手のひらが閉じていく。
今、僕と手を繋ぐ人は誰もいない。でも隣に人がいる。それだけでなぜか安心した。




