第13話
作業場でやろうと思っていた仕事は放置して、クーコさんとのやりとりに集中する。
結論からいくと、「ぜひ行きましょう」だった。
文言を打ち、何度も読み返した後に送信する。
僕は冷静さを取り戻すべく、SNSを開いてチャンリコのアカウントを見に行く。彼女は数時間前に新作アニメ映画の試写会に参加したらしく、そのときの自撮り写真を投稿していた。今日も可愛い。
少し気分が落ち着いた。何といっても、トップは黒崎理子ちゃんだ。ずっと追いかけたいし、いつかちゃんと会話したいと切に思う。
再び通知音が鳴って、心臓がドクンと脈打った。通知を見ると、相手はちはるからだった。
『明日、午後なら大丈夫。買い物行きたいからつき合って』
ちはるからの返信を見て、なぜかホッとした。彼女との距離感は、恋人というより知人に近い。このくらいラフな方が良かった。何より、僕らは顔と目的以外でマッチングしていない疑似カップルなのだから。
*****
翌日の午後、阪多駅の新幹線改札口でちはると落ち合って、駅前の大型ロータリーからバスに乗った。市街地の指定ルートを環状する2両編成のバスで、毎回ドライバーさんの技量に感服してしまう。
ちはるは栗色のセミロングを肩まで下ろし、コーデュロイのボアジャケットにワインレッドのハイネックインナー、黒のニットスカートという大人びたファッションに身を包んでいた。
バスは一度も停車することなく、川沿いの大型ショッピングモール前に到着する。僕が素早く立ち上がると、ちはるが目を細めた。
「前の人、先に行ってもらった方が良くない?」
視線を移すと、初老の女性も立ち上がろうとしているところだった。僕は大人しく座り直す。周りまで意識を回せていなかった。ちはるが「せっかちなんだから」と溜め息を吐く。諦観の混じった態度に、思わずムッとなった。
「この前遊園地に行ったとき、しきりに先を急いだのはきみだったじゃないか」
「あのときはとっとと帰りたかったからよ。脈なし判定した男といても意味ないし。でも今は仮にもつき合ってるし、急ぐ必要なくなっただけ」
口喧嘩で勝てる気がしない。車窓から目を離さないちはるの横顔に、そっと声をかけた。
「降りるときにICカード必要だから、準備しときなよ」
「……そんなの分かってるし。馬鹿にしないで」
ちはるはむくれた顔を僕に向けてから、いそいそとバッグの中を漁り始める。重力に従って流れ落ちる彼女の髪は細くて綺麗で、柔らかそうだった。
ショッピングモールは東西南北に1つずつエリアを設けており、1階から4階まで店を連ねている。ここに行けば買いたいものはほぼ揃う、というのが利用者の謳い文句だ。最近オープンしたばかりだからか、店内はだいぶ混み合っている。
ちはるは北館の雑貨屋を指差した。
「まずここに行くから」
モール内の要領を分かっているらしく、一切道に迷うことなく雑貨屋に到着する。すでに友達と何度かきたのだろうか。僕はちはるから買い物カゴを受け取る。
ボールペンやノート、修正テープといった商品がカゴに放り込まれていき、最後はコスメ商品のコーナーで化粧水を1つ入れた。僕はそれを見て、思わず呟いてしまう。
「そういえば、チャンリコがこの化粧水オススメしてたなあ」
失言だった、と思わずちはるから目を逸らす。僕がオタクなのを、彼女は好ましく思っていなかった。
だが、ちはるの反応は予想と裏腹に前のめりだった。
「黒崎理子も使ってるんだ。私は別の女優さんの動画チャンネルとか、美容アプリとかでオススメされてて知ったんだけど、刺激肌にも優しく馴染むらしいんだよね。私、こう見えて肌弱いのよ」
「へえ。大変そうだけど、しっかり手入れしてるんだ。そりゃ可愛いのも当然か」
『KuruMira』で男性ユーザーから『いいね!』を1,000以上獲得できる基盤は、やはり彼女の努力なのだろう。
ちはるはそっぽを向いて、すたすたと歩いていく。
「……まあね。当たり前じゃん」
レジに並び、ちはるが財布から現金を取り出す。だが、小銭をあまり持っていなかったようで、数えるのに四苦八苦している。僕はスマホの決裁アプリを差し出した。
「いったん払っておくよ。お釣り、いっぱい貰ったら財布が重くなる」
「別に大丈夫。小銭があったら良いなって思っただけだし」
「奢るわけじゃないんだし、このくらい気にしないでくれよ」
「良いって言ってるでしょ。別にお釣りが出るだけなんだから」
意外と頑固だ。遊園地デートの笑顔が偽物だったのをますます痛感させられる。でも、買った商品を持つのはやはり僕だった。
「決裁アプリ、使ったことないのか」
「ないわよ。悪い?」
「別に悪いなんて言ってないよ。でも楽だと思う」
ちはるは僕の勧めに「考えとく」と返し、すたすたと歩き始める。今の回答は、恐らく使わないパターンだ。
「次はどこに行くの?」
「本屋さん。あんたも欲しいものあったら勝手に動いて良いから」
「どうして僕が本好きだと?」
「オタクって本好きなんでしょ。胸の大きい女の子ばっかりの漫画とかエロい雑誌とか。あ、でもあんたは黒崎理子のファンだっけ。じゃあグラビア雑誌と睨めっこ?」
「めちゃくちゃ偏見過ぎる!」
リア充から見たオタクって、こういうふうに思われているのか。犯罪者予備軍というキーワードが流布していた頃と今では、状況が違うはずだ。
東館の3分の2を占める広さを誇る本屋は、2時間近く籠っていられそうな高揚感を沸き立たせる。
ひとまず、ちはるの用事を優先することにした。彼女のプロフィールに本に関する情報はなかったが、実際は小説や漫画を読むのだろうか。
だが、ちはるが向かった先は受験生向けの書籍コーナーだった。高校受験や大学受験の問題集やテキストを物色する彼女の真剣さに、思わず声をかけてしまう。
「……本当は大学生ですらないの?」
「違うわよ!私、塾講師のアルバイトしてるの」
「プロフィールにそんなこと書いてなかったけど」
数学のテキストを見ていたちはるが、ジト目を向けてくる。
「勉強ができて頭の良い女だって思われたら敬遠されるでしょ」
マッチングアプリは情報戦だと考えたことがあった。あれは本当だ。クーコさんも、ひょっとすると僕の想像の斜め上をいく人かもしれない。
ちはるは大学受験向けの数学のテキストと問題集を手に取った。自分で勉強し直した上で生徒に教えるということらしい。美容然りアルバイト然り、彼女は意外と努力家だった。
周りをきょろきょろと見回したちはるは、料理系雑誌のコーナーを指差す。
「私、ちょっと雑誌読みたいから別行動しない?」
「ああ、うん。じゃあ僕も適当に回ってから出口に行く」
頷いたちはるは、一度も振り返ることなく歩いていく。ふと、買おうとしているテキストと問題集を持っておこうかと聞いておくべきだったかと考えたが、遅かった。
チャンリコはアイドルユニット『DACCHA』に所属しつつ、ファッション雑誌『Gir-line』の専属としても活動している。今月号が彼女の表紙だったはずだ。
本屋の出入口手前に設置されたファッション雑誌コーナーで『Gir-line』今月号を見つける。表紙はチャンリコだ。トレードマークである紫色のポニーテールを見て、無意識にニヤけてしまう。
そのとき、急に右肩をトントンと叩かれた。びっくりして肩が震え、後ろを振り返る。
筋肉質で横幅のある男が、ニヤニヤと笑いながら手を上げた。隣に紺のコートを着た美女を連れている。
「よっ、楠橋クン」
「山手……」
口内の水分が、一気に蒸発した。僕は乾いた声で相手の名を呟く。ショッピングモールに行けば、買いたいものはほぼ揃う。つまり知り合いに会う確率も上がるということだ。
嫌な相手に出くわしてしまった、と僕は心中で舌打ちした。




