第12話
豊中大学の文化祭は11月第3週の金曜日から日曜日にかけて行われる。開催を2週間後に控えた構内は、すでに連日お祭り前夜の勢いだった。
大学運営部が主管となり、任意のサークルとゼミに出し物や展示を募る。出し物の制限はない。ただ、不思議と運動部系が食べ物を扱い、文化部系が展示物や体験系に別れる傾向にある。
構内最古の4号館にある、打合せ向けの部屋が並ぶ廊下——通称『牢屋』の左奥から2番目の部屋で、出店希望リストを眺めていた。
正式な出店リストが学生に公開されるのは、開催の1週間前だ。毎年、出店を希望しているにもかかわらず、運営部の手続きを踏めなかった部活やサークルが浮上して、出店リストを何度も書き換えるという手間が発生する。その対策として、リストをギリギリまで出さないのだ。
「シシブさん、このリストは運営部から貰ったんですか?」
「勝手にコピー機から出てきただけサ。文化祭なんて微塵も興味ないからナ、俺ハ」
歴代のシシブさんに弱みを握られた大学関係者が、その口止めとしてシシブさんにあらゆるデータを流している。出店希望リストを献上した大学運営部の誰かは、シシブさんに義を誓っているのだろう。
僕は今、大学だより『ちくわぶ』の号外号を作っている。運営部の指示で出店リストを記事に載せることは決まっているが、オススメを厳選してPRする命も受けたのだ。そこでシシブさんに頼んで、今日現在の出店希望リストを拝見している。
「今年も傾向は変わらないか」
僕はスマホのメモ帳を開いて、記事候補の出店先を書き留めておく。公平性を考えるなら、『ちくわぶ』に記事を載せる通知を出して、希望を募るべきだ。でも広報班のマンパワー不足は歴然としていて、希望を聞いたらほぼ全ての出店先の記事を書かなければいけなくなる。それはもはやガイドブックだ。
薬品臭とタバコの臭いとコピー機辺りから放たれるトナー臭で、とにかく臭い。毎回鼻がもげそうな心地になるが、部屋に居座れば慣れてくる。人間の適応力はときに恐ろしい。
部屋の主——シシブさんは僕の隣に座り、横からリストを覗き込む。
「俺も今年は応募してみるカ……歴代シシブが暴いてきた大学関係者のマル秘情報展覧会ってのはドウダ?」
「たぶん構内の5割近くマスコミで溢れ返るんじゃないですかね」
シシブさんが何者なのか、僕はあえて聞かないでいる。ただ、彼が構内の便利屋であることと、13代目のシシブさんであること、焼きカレー好きなことを知っていた。それから、OBといまだに繋がりを持っていて、彼が左耳に常備しているイヤーカフで情報を集めていることも。
「シシブさん、ありがとうございました」
僕は財布から焼きカレー定食の半券を3枚抜いて、灰皿の横に置く。シシブさんは「上出来だ」と口角を吊り上げた。
ソファから立ち上がり、ドアの方へ向かう。すると、後ろからシシブさんに声をかけられた。
「彼女はもうできたノカ?」
シシブさんは、知り合いの依頼でユーザーの意見を収集していると話していた。きっとこの質問は、それを兼ねているのだろう。いわゆる情報料ということか。
「実はできました」
ちはるのプロフィールを見せると、シシブさんの口がポカンと開いた。
「……けっこう人気のある奴じゃないノカ」
「偶然って凄いですよね。僕も数打てば当たるくらいの感覚だったんですけど」
「その子以外にも連絡を取っている奴はいるんじゃないだろうナ?」
「実はいまして」
ちはるのページから『クーコ』さんのページに移動する。チャンリコに似た特徴を持つ彼女のプロフィールを見たシシブさんは、テーブルの電子タバコをひったくった。
クーコさんとのメッセージのやり取りは、無事続いている。
最近はアニメの話をしていて、来週公開の新作アニメ映画への期待や展望を話し合っていた。ちなみにこのアニメ映画にはチャンリコも声優として出演している。
シシブさんは口から白い煙を吐き出しながらクツクツと笑った。
「お前、ある意味肉食ダナ」
「違いますよ。リアルじゃ何もできませんから」
僕は軽く会釈して、シシブさんの部屋を出る。4号館の古びた廊下は、どこか安心感のある黴臭さで立ち込めていた。
*****
1号館2階にある広報班の作業場に向かう。文化祭に向けて作成中の大学だより『ちくわぶ』号外号の下書き作成と、記事を書く出店先の選定をするつもりだった。
その道中、ちはるからメッセージが返ってきた。お互いに連絡を取り合う優先順位が低いのか、1日1回程度のやり取りがちょうど良かった。
昨日、ちはるに豊中大学の文化祭にこないかと誘ってみた。彼女の目的は、自分をこっぴどくフッたらしい海老津を後悔させることだ。文化祭の楽しい雰囲気には合わないが、目的を果たすには打ってつけのタイミングだろう。
ちはるからのメッセージは理路整然としていた。
『文化祭行きます。でも、私たちが本当につき合ってるのか疑われるかも。再来週の文化祭までに、もっと情報共有しておいて口裏合わせておきたいんだけど』
『分かりました。明日は会える?』と返信した。クーコさんと連絡を取り合っていることも伝えようかと思ったが、止めておく。僕が誰と会おうが、暫定彼女のちはるに都度報告する必要はない。契約を交わしたときも、許容するまでに留めている。
広報班の作業場に入ると、またもや先客がいた。僕の席で、本城先輩が漫画用の原稿用紙に並々ならぬ集中力を持って格闘している。
「先輩、どうやって1階通って2階まできたんですか」
僕の声かけに、本城先輩が伸びきった前髪の奥から血走った眼を向けてくる。
「……ああ、うん。事務の人に捕まったけど班長に助けてくれよった。古いよしみでってことで」
「え、班長いたんですか」
広報班の班長は、僕の上司にあたる。だが僕自身、最後に会ったのはいつだろうというくらいに会っていない。まだ大学にいるのか。
「で、わざわざリスクを冒してまで大学にきた理由は何ですか?」
「クス、文化祭で『ちくわぶ』の号外出すんやろ。オレの4コマ漫画入れてくれん?」
「え、嫌ですよ。先輩の絵、本当に下手じゃないですか」
「お前めちゃくちゃ失礼やんビックリしたー。エナジードリンク漬けの身体には堪えるから勘弁してくれんかね」
僕だって、お世話になっている本城先輩を無下にしたくない。でも、去年の号外に先輩の4コマ漫画を掲載した結果、アンケートボックスに大量の『ご意見』が寄せられた事実を考えると、ゴーサインに渋ってしまう。
本城先輩がのそりと立ち上がり、僕の両肩をガシリと掴んだ。
「オレ、この1年でだいぶ画力を上げたっちゃ。今年はいける。めっちゃ面白いやつ描いちゃる。ギャラはいらん。原案作るのクスでも構わんし」
「構わんというか、いらないんですけど」
「マッチングアプリで知り合った娘、つき合っとるんやろ?デートの話なんか面白そうやけん、どうよ」
いつも僕のことをクズ扱いするけど、人の恋路をネタ扱いする辺り、この人も大概クズだよなあ。
僕は「よく聞いて下さい」と一拍置いて先輩の目を真っ直ぐ見る。
「『大学だより ちくわぶ文化祭号外号』のレイアウトは決定していて、運営部の決裁を貰ってるんです。今さらレイアウトの変更はできません」
「え、そうなん?じゃあ号外号の付録にしようや」
「そういうことじゃなくてですね」
先輩は、漫画の話になると異常に執念深い。何かに憑りつかれたような勢いで食い下がってくる。衣食住を蔑ろにしてまでネームに時間を割いているわりに、芽が出ない。それでも先輩は全く諦めようとしなかった。
しばらく堂々巡りの攻防を繰り広げたが、最終的に僕が折れてしまった。
「分かりました。先輩、来週末までに原稿を下さい。内容を見て判断します」
「さすがクス、次期広報班長。オレ、お前との腐れ縁に感謝しとうよ」
先輩相手では、ドライになりきるのも難しい。彼が下手くそなスキップをしながら部屋から出て行くのを見送ると、ちょうどスマホの通知音が鳴った。
ちはるからかと思ったら、クーコさんだった。彼女からの返信を見て、僕は絶句する。
『もし良かったら、来週の土曜、映画を観に行きませんか?』
直近にメッセージでやり取りしていた新作アニメ映画を一緒に観に行く約束——デートのお誘いを受けてしまった。




