第9話
通報されるか、情報をばらまかれるか。僕に突きつけられた選択は残酷で、なす術もない。でも、僕は不思議なくらい冷静に今日のデートを振り返っていた。
「……僕のこと散々言ってますけど、ちはるさんも大概だと思うんですよね」
「は?何が?」
「『KuruMira』のプロフィールと全然違うじゃないか」
不利な立場の僕に反撃されたのが予想外だったのか、ちはるさんの顔が強張った。何か言いかけた彼女より先に、僕は言葉を吐き出す。
「おっとりしてて天然ってプロフィールに書いてたのに、けっこうせっかちで強引だし。甘いもの好きだって聞いてたからクリームパンとチョコパン買ったら、僕のコロッケパンと焼きそばパン選んだし。ビーズアクセサリーみたいな細かい作業に没頭するって話してたわりに、パンの包装破くの下手くそだし」
「それは……あんたに興味なくなったから、普通に素の自分で良いやって思っただけよ」
「胸パッド入れてるし!」
「ぶっ殺す!」
ちはるさんが勢いよく立ち上がり、箱がグランと傾く。驚いた彼女が足元をふらつかせた。
「あっ」
瞬時に立ち上がって、後ろによろめく彼女の背中に腕を伸ばす。そこまで重くないが、思わず僕も身体ごと持っていかれそうになり、足に力を込めた。どうにか彼女を抱える状態で踏み止まったものの、僕は心臓の高鳴りを押さえられなかった。
ほんの数センチ先に、ちはるさんの顔がある。鼻先と鼻先が触れそうな間隔で、僕らは視線を交差させた。つんと伸びたまつ毛にまん丸い目、きめ細やかな白い肌、薄ピンク色の唇、ブラウスから覗く細い鎖骨。彼女から微かに放たれるフローラルな香水に、首をじっと見てしまう。
「……こんなに可愛いのに、もったいないくらい残念ですね」
ちはるさんの目の奥に灯った怒りを感じたが、遅かった。ゴツン、と額に頭突きを食らって視界がチカチカする。でも、僕が今ここで倒れたら彼女も尻餅をついてしまう。さすがにそれはさせられなかった。
僕の配慮など知る由もないちはるさんが、僕から離れようと暴れ始める。
「ちょっと、いつまで背中に手回してるのよ!」
「まず態勢を整えてくれって!このままじゃどっちも倒れるだろ!」
「じゃあ普通にあんただけ倒れろ……って!」
すると、背中から倒れそうになっていたちはるさんが急に起き上がった。彼女がそのまま僕を振り解いたせいで、僕の両手は宙をさまよった。掴むものを見つけられぬまま、尻餅をつく。
「いったッ」
顔を見上げると、僅かに上気したちはるさんが肩で息をしていた。まさか助けようとした相手に突き倒されるとは思わなかった。彼女は僕を見下ろして、再び溜め息を吐いた。
「あんたこそ、普通に顔は良いのに。……隣に並べて嬉しいくらい好みなのに、中身が残念にも程があるわよ」
「人の善意を突き飛ばした相手に言われたくないね。僕だって、きみのことはもう好きになれないけど、隣にいてほしいくらい可愛いと思うよ」
ここまで関係が劣悪になって、今さら自分を取り繕う必要性を感じなかった。きっと相手もそうだ。だからこそ、僕は今ちはるさんから侮蔑の視線を投げつけられている。
「1,000人近くから『いいね!』を貰える上位ランカーだからって何様なんだ。外れを引いた瞬間、態度を急に変えてさ。毎回男を値踏みして、勝手に減点して切り捨ててるんだろ。そのくせ自分はプロフィールをでっち上げて盛りまくってフル武装してるんだから、目くそ鼻くそだよな」
「女の子が自分を可愛く見せるのは普通に当たり前でしょ?そんなことも分からないから、プロフィールが嘘塗れになるのよ。どうせ彼女が欲しいって理由で片っ端から女子にメッセージ送ってるんでしょ?言っておくけど、私レベルのユーザーがあんたみたいな底辺に会うことなんて普通にありえないんだから。今日は本当に時間の無駄だった。通報されたいか情報ばら撒かれたいか、早く決めてよ」
「まさかと思うけど、きみこそ僕に弱みを見せてることに気づいてないのか?僕は今すぐにでもきみの評価をいくらだって下げられる。それに胸を触ったところを第三者が見たわけじゃない。いったい何を通報するつもり?」
「……あんた、さては相当執念深いクズ野郎ね」
「きみも十分に性格悪いし、自分を盛りまくってるペテン師だ」
観覧車が天辺を通り過ぎて、緩やかな下降に入った。西日が射して、ちはるさんの顔がよく見えなくなる。でも、彼女の表情がぼやけている理由は、それだけではないだろう。
ちはるさんとの関係に進展はない。僕らは偶然知り合って、偽物の運命に導かれて現実に直面し、終点を作り出そうとしている。どうせ別の誰かがいる。たまたまマッチングしただけで、彼女だけが全てじゃない。そもそも僕にはチャンリコがいる。
眩しくて、思い描きたくなくて、ちはるさんの顔が見えない。僕を値踏みした挙句、あっさり切り捨てようとした彼女を忘れたい。それなのに、どうしてだろうか。
「「もう少し隣にいてあげても良いけど」」
ちょうど西日がビルの奥に隠れて、ちはるさんの顔が視認できた。彼女はまん丸い目をさらに見開いて、僕を見つめていた。僕は携帯でその顔を撮りたい欲求を我慢して、ひたすら目に焼きつけようと試みる。
僕は今日、自分をデート仕様に加工して彼女との逢瀬に臨み、恋愛経験値の低さを露呈させた。彼女には幻滅されたし、僕自身も彼女の裏側にドン引きした。でも、唯一正直でいられる部分がある。
ちはるさんは、本当に僕好みの容姿をしている。
チャンリコとはタイプが違うし、スタイルも話し方も似ていない。でも、5年近くチャンリコに心血を注いできた僕にとって、ちはるさんは開拓だった。こんな僕にも、まだチャンリコ以外の女性で隣にいてほしいと思う感情があるのだと知って、新鮮だった。
僕としては、条件に沿った恋人なら誰でも良い。けれど、ちはるさんはどうしても会ってみたいという気持ちを抑えられなかった。彼女の性根の悪さを知った今でさえ、彼女の顔を見ていたい。
しんと静まり返った箱の中で、ちはるさんが顔をしかめた。
「私、してあげるみたいな言い方する男、普通に嫌いなの」
「意見が合うな。僕も上から目線みたいな態度が嫌いだ」
「あんたがクズで気が遣えなくて自己中で、本当に残念。でも、あんたの顔は普通に好みなのよね。だから、隣にいたいならどうぞ」
「以下同文過ぎるから割愛するけど、僕もハッキリ言える。きみの顔は好きだ。きみ自身は好きになれないけど」
僕らは視線を逸らし、そのまま黙りこくった。理想は本当に理想であって、現実に落とし込みきれないのが悔やまれる。きっと僕は彼女と上手くやっていけない。そもそも、長続きするとも思えなかった。
でも、今の僕に彼女は必要だ。ずっといてくれなんて言わない。一時的で十分だから、傍にいてほしい。
観覧車が乗り降りゲートに到着し、先ほどの係員が強張った顔でドアを開ける。僕はちはるさんに手のひらを差し出した。
「僕としては、3ヶ月だけ隣にいてくれれば良いだけなんだけど」
ちはるさんは胡乱な目つきで僕を見上げてから、手のひらではなく手首を握って立ち上がった。
「奇遇ね。私も3ヵ月間だけでお腹いっぱいよ」
僕らは箱のステップから地上に降りて、ゲートを後にする。係員が口をあんぐり開けながら僕らを見送った。
閉園間近の遊園地は、すでに日中の喧噪を出場ゲートへと押しやって静けさに包まれていた。僕ら以外で残っている客は僅かだ。首筋を撫でる風が少しひんやりしていて、嫌な汗をかいた全身を震わせる。
けれど、暫定彼女に強く握られた右手首だけは、異常なくらいに熱を帯びていた。




