第2話 さざなみのレクイエム
幼い頃から包み込んでくれた海は、ハルにとって怖いものではない。魚を取る時、少し怪我をすることはあったが、それくらいのことで、彼は恵みの海を恐れはしなかった。
無造作に海へ飛び込み、ハルは目当ての大物を狙う。程なくして、彼は自身の背の半分以上はあろうかという大魚を見つけ、銛の狙いを定めた。
(ようし、ここまで来たらこっちのもんだ)
銛の漁に、ハルは充分慣れている。その慣れに油断があった。狙いをつけ、銛は素早く大魚を刺し抜いた! しかし急所がわずかに外れ、眼前の死に怒り狂った大魚は、猛然とハルに向かって突進して来る! 彼は捨て身の反撃をかわすことができず、足に大傷を負ってしまった。大魚は銛が体に刺さったまま、死物狂いで沖へ逃げていく。
「ぐっ……。痛い……。なんとか帰らないと……」
かろうじて浜辺まで辿り着いたハルは、動かすことも困難な足で、這うようにしてカレンが待つ家へ戻った。
精巧すぎるアンドロイドは、女神かと疑うような能力を備えている。カレンは、ハルがどこかで怪我をして帰るたび、両手のひらを彼の傷にかざし、優しい暖色の光で、たちどころにやんちゃな息子を回復させてきた。しかしこの大傷は、そのようにはいかない。
「どうしてこんなことに……」
大傷はふさがってはいるのだ。だが、カレンの回復光にも限界があり、完全には治っていない。血を大量に失ったハルは、体力と抵抗力を失い、傷から入り込んだ病原菌により、高熱を発する大病にかかっていた。こうなってはカレンにも為す術はない。熱を和らげ、必死に見守ることしかできない。
「はあはあ……。母さん……」
「どうしたの? お母さんはずっとここにいるわ。大丈夫よ、ハル」
高熱に浮かされながら、ハルはカレンに微笑んでいる。その微笑みが何を示すのか悟ったカレンは、すぐにありったけの回復光をハルの体に注ぎ込んだ。
「いいんだ……。母さんが駄目になっちゃう……」
「私はどうでもいいの! ハルは生きなきゃダメ!!」
「母さん……。俺、母さんの子でよかった……。楽しかった……ありがとう」
「ダメよ!! 生きて!!!」
安らかな笑顔を残し、母を一人残し、ハルは黄泉へ旅立つ。全てを失ったカレンは、ハルの遺骸を抱き、一晩中泣き続けた後、焦点を失った目で、茫然と潮騒の響きを聞いていた。
寄せて返す波は幾星霜も繰り返すが、ハルはもう戻ってこない。最愛の息子に旅立たれた聖母には、もう絶望を通り越した心しか残されていなかった。