【室町編】④★富子と代筆屋(その1)先読みの姫
「姫様!また、手が止まっております!」
「あ、ごめん、ちょっと考え事していた」遠い記憶の中を漂っていた富子は竹林の声で現実に引き戻される。
「寝ていたのではないですか?私には姫様が何か深く考えて行動するような方に到底見えませんが」
「失礼ね。竹林、それじゃ、私がいつも考え無しに行動する馬鹿みたいじゃない!」
「違いますか?ああそう言えば、いつも考え無しに行動する姫様を見て思い出しましたが、本日から来られる恋文の師範の方についての注意です。」
「ああ、代筆屋ね。どんな人なの?竹林」
「だから代筆屋じゃなくて、まあいいでしょう。今日来られるのは、当家の遠い分家の一つである永園家の方です。」
「永園家?知らないなあ」
「まあ姫様は、ご存じないでしょうが、表向きは文書関連に秀でた家とされております。」
「表向きは?」
「はい。これも姫様には覚えておいて頂きたい事ですが、政治というものは奇麗ごとだけではすみません。時には手を汚す必要があるものなのです」
「謀略とか諜報とか暗殺とか、そういうもの?」
「はい、そういった裏の仕事です。永園家は主には甲賀衆などを使って、そういう汚れ仕事を引き受けているのです。」
「甲賀衆?ああ忍者だね」
「今日お見えになる方は、実は甲賀衆の生まれで、最近、永園家の養子になった方です。ですから姫様はくれぐれも軽はずみな行動は慎んでください」
「へぇ、そうなんだ、どんな人なの?年は?」
「はい、年は姫様と同じくらい、見た目は非常に美しい少女です。」
「やった!美少女の先生なんて!」富子は目を輝かせた。
「ですから余計、軽はずみな行動は慎んで下さい!姫様は先日の怪我以来、女子と見るとすぐに抱きついたり抱擁しておりますよね!その方に対しては、そういう事は絶対におやめください。」
「なんで?抱きつくくらいいいじゃん。」
「彼女はそういう人との触れ合いを極端に嫌うのです。それと彼女は甲賀一の使い手です。噂では一人で30人以上の武士を仕留めたこともあるそうです。」
「へぇ、そうなんだ」
「ですから、姫様がいつもの調子で彼女に抱きつこうでもしたら、それこそ腕の1本や2本ではすみませんよ。」
「はい、はい、分かったよ、竹林。肝に銘じておきます。」
竹林が、この極端な人見知り、というか人間嫌いの甲賀の娘をあえて恋文の師範にしたのは理由があった。
もちろん彼女は恋文に限らずあらゆる文書についてとても優秀な代筆屋である。
しかしそれ以上の理由があった。
例の怪我以来、富子は見境いなく女子に抱きついて好意を示すのだが、不思議にそれを拒絶する人はいなかったのである。
逆に今度は、男性への興味が全くなくなってしまっているのである。
人間嫌いの甲賀の娘をあえて相対させ、拒絶を受けさせる事でのショック療法。
それにより富子の変な性癖を直し、あわよくば男性への興味をもつ普通の女性へ矯正させる、そんな狙いがあったのである。
実はいうと、この竹林も甲賀に縁あるもので、日野家の使用人になるまでは、手を汚す仕事をしていた。
そんな関係で、富子へのショック療法に適した人材を見つけてきたのである。
しかし、もし富子に何かあろう時には、命を捨ててでも彼女を守る決意はしている。
そのために今日は着物の下に鎖帷子をつけて懐に短刀を忍ばせているのだ。
「ねぇ、どんな可愛い子なんだろうね」
そんな竹林の思惑も決意もつゆ知らずウキウキ顔の富子である。
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「わたくしは、蔵人右少弁日野重政の娘、富子です。そなたには将軍足利義教様の御子息義政様と交わす文の手伝いをしてもらいます。よろしく務めるがよい。先ずは顔を上げて構いません。」一応、言われた通りの口上を述べる富子。
あっ!
頭を上げた少女の顔を見て腰を浮かせる富子。
両手を床について深く頭を下げていた甲賀出身の少女は、頭を上げた瞬間に相手の挙動を瞬時に読み取り、その行動線を予測する。
予め、侍女からは、富子の性癖も聞いていた。
もし富子が万一跳びついてでもきたら、どうか大きな怪我だけはさせないようにしてくれと懇願されている
そんな事、私には造作もないことだ。
身体を軽くずらしてやり過ごす。
そして勢い余った彼女が転倒しないように横から手を添えてやるだけだ。
サッ
彼女は目にも止まらぬ速さで身体を動かす。
そして・・・
えっ!?
・・・服の上からも感じられる肌のぬくもり・・・
・・・温かい息遣い・・・
・・・そして女性特有の心地よくも優しい香・・・
・・・今、私はこの方に抱きしめられてしまっているの???・・・
・・・こんな事って?・・・・
・・・でも何故だろう・・・
・・・全く怖い感じもしない。
・・・嫌な感じがしない・・・
・・・むしろ、このままでずっといたい気さえする・・・
・・・人の温もりってこんなに暖かいんだ・・・
甲賀出身の少女の目から一筋の涙が零れた。
「ごめん!驚かせちゃった?」富子はそう言って彼女から身体を離した。
そして侍女の竹林のほうを向いて口を尖らせた。
「竹林!何が甲賀一の使い手よ、この子、こんなに柔らくて可愛い女の子じゃない!ただの人見知りな子じゃない!」
「それは、その・・・」竹林も驚いている。
「まあ、でもいきなりでごめんね。菫ちゃん」富子は頭を下げる。
・・・菫!!・・・・・
少女は唖然とする
菫。それは訳あって隠していた自分の本当の名前だ。
もちろんあの侍女も知らないはずだし、事前に偽名を伝えていた。
「あ、これもごめん、あなた、私の知っている人に似ていたので、ついそう呼んじゃった。あなたお名前は?」
「菫、菫で結構です。富子様。菫とお呼びください。」
菫は、知らずに自分の口から飛び出た言葉に驚く。
しかし何故かこの人に菫と呼ばれて・・・
懐かしくも嬉しい感情の波が押し寄せてくるのは何故だろう・・・
あ、いけない!あわてて表情を消す菫。
「ご存じかもしれませんが、私には色々と裏の事情がございます。ですのでその場、その場で名前を変えております。ですから富子様は私を菫を呼んで頂いて問題ございません」
菫はあわてて理由付けをするが、こんな言葉であの如才ない侍女が納得するか不安にもなった。
しかし、そんな如才ないと思われていた竹林は全く別の事を考えていた。
・・姫様の動き。あんなのあの甲賀の娘の動きを事前に予測でもしていなければできないはず・・・
・・姫様には、やはり先読みの力があるということなのか?・・
・・それにあの人間嫌いのあの子の懐に入って無事なんて・・
・・あの不思議な力によって姫様が何か不幸な事件に巻き込まれければいいが・・・
一抹の不安を感じる竹林。