【室町編】⑱★懐かしい背中
「菫、いいお風呂だったわね」
「はい、富子様。私も柄にもなくのぼせてしまいました」
そんな2人に対して使用人が頭を下げている。
「すいませんが、このようなものしかなく」うやうやしく着替えを差し出す使用人。武士の狩装束であった。
「ありがとう、こういうの着てみたかったのよ」使用人に手伝ってもらい、狩装束に着替える富子と菫。
まだ濡れている髪はまとめて烏帽子の中に入れてしまった。
「菫も似合っているわね」2人ともまさに眉目秀麗な若武者といった感じだ。
そして着替えを終えた2人はこの家の謁見の間に向かう。
「足利義政様、日野富子様。このようなむさくるしい場所にお出で頂き恐懼に堪えません」
下座に座った館の主は平伏していた。
「友利殿、まあ頭を上げられよ」
「あっ、さっきの肥え桶のおっちゃん!」顔を上げた館の主を見て驚く富子。
「日野様、先ほどは大変失礼いたしました。楠木友利と申します。」
楠木友利。河内の豪農で、かの楠公の子孫である。
「びっくりしたなあ。でも楠木様は、なんであんな恰好していたのですか?」富子は尋ねる
「そりゃ、やつは富子様の為人を・・」と途中まで言いかけてやめる義政。
「まあ、わたくしは、武家と言っても半分は百姓ですから、ああいう事も当たり前にするんですよ。
それにうだつの上がらぬ小物のわたしですが、最近は命を狙われることもあるんです。それでまあ、ああいう恰好で農民に混じっているのです。」
富子は、「楠を隠すなら糞の中ですね」と言おうとしたが、あまりに下品な言い方と思いやめる。
「楠木様、変装みたいなもんですか?」
「まあ変装と言えば、そうかも知れませんね。でも私の変装などは手練れの者にとっては簡単に見破られてしまうものですね。」そう言って菫のほうを見てにやりと笑う楠木。
「永園菫と申します。元は甲賀の生まれで我が一族は幾度となく楠木様に与力しておりましたので・・」
「ああ、あなたが噂に聞く・・」楠木は納得する。
「なんだ菫、肥え桶のおっちゃんの正体知ってたんだ。ひどいなあ」
「富子様、もう、その呼び方はいかがかと」
「ハハハ、構いませんよ。それでは参りましょうか」
そう言って、富子を自慢の菜園に案内する楠木。
初めて見る野菜を興味深く観察し、栽培の概要などの説明を受ける
楠木は博学で話も面白く時間がどんどんと過ぎていく。
「さて、私のほうからの説明はざっとこんな感じですが、富子様は何か質問がございますか?」
「では、楠木様。ジャガイモというのはご存じですか?」富子がずっと知りたかった事だ。
「ジャガイモ?それは、もしかしたら、ジャガタラ芋、別名ジャワカラ芋の事かと思います」
「ご存じなのですか?それはここにはあるのですか?」目を輝かせる富子。
「残念ながら、ここにはございません。ただ人から聞いた話では、女木島という所にはあるらしいのです。」
「女木島?そこに行けばジャガイモがあるのですか?」
「ええ、ジャガタラ芋に限らず、このあたりにはない珍しい植物や動物、鉱物などもあると噂されている場所です。ですが・・」
「?」
「今まで、何人もの人たちが、まあ殆どが略奪目的の海賊連中ですが、女木島に上陸しようとして誰一人として戻らなかったのです。」
「そうなのですか。で、場所は?」
「日野様に行くなと言うのは無駄な事ですね」そう言って地図を書いて渡す楠木。
「ありがとうございます。楠木様」
「日野様、女木島自体、得体の知れない場所なのですが、最近、かなりの数の海賊が徒党を組んで女木島に上陸しようとしているという噂もあります。そちらにも十分ご注意下さい」一応の警告と助言はする楠木。
夜は地元の百姓たちも交えての大宴会となった。
身分隔たりない無礼講は、都では経験できない代物だ。
そして、その晩は楠木の館に一泊させてもらい、翌早朝にいざ京に向けて出発という段になって、楠木の使用人が入ってきた。
「姫様方からお預かりしましたお召し物がまだ乾いていないのです」と使用人は申し訳なさそうに言う。
「それは困ったわ。もう1泊させてもらう?」と富子は笑う。
「富子様!本日は、京へ戻る途中で再び有馬様へ訪問される予定ではないですか?富子様の大事な大事な幼馴染の・・」
「ああ、そうだね。じゃあ、昨日お借りした狩装束をお借りして帰ることにしますか。狩だけに」
「そうして頂ければ助かります」使用人は富子の駄洒落には何の反応も示さずにそそくさと狩装束を用意しに行った。
再び若武者の姿となる二人。
「ねぇ、菫。この姿で今依ちゃんを騙してやりましょうよ」いたずらっぽい笑顔を浮かべる富子。
「かしこまりました。殿」菫は了承した。
「では参るぞ!」そう言って、楠木の館を後にする富子。
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「お父様、やはり納得がいきません!私が烏丸に行くことが!」
「許せ、お今。お家のためじゃ。力なき父を許してくれ」
「お父様にとって、私は何なのですか!」
有馬の屋敷の門前で、有馬持家と今依が激しく言い争っていた。
言い争いと言うよりは、一方的に今依が父を責め立てていると言ったほうが正しいかもしれない。
門前には立派な車がとめてあり、黒い僧服の男が二人の姿を見やっている。
そして僧服の男の後ろにはずらり並んだ屈強な男たち。見るからに悪党、ならず者といった風体だ。
それを見て菫は一瞬の刀の鞘に手をあてたが、すぐに引っ込める。
そして草むらの中から手頃な枯れ木の枝を物色し手にとった。
菫のその行動は、富子の目には、菫が「それほどの豪の者がいないからこれで十分だろう」と考えたように映った。
富子は最近、菫に対して「すぐに殺そうとするな」と口うるさく言っていることもあり、そのせいかなとも思う。
富子は、馬を進め有馬父子のほうに近づいていく。
2人の口論は続いている。
「私にはわかるのです!私が烏丸に行った時の状況が!彼は恐ろしい企てに私の力を利用するのです!そうに決まっています!」
「准大臣様にそんな企てはない。お前の思い過ごしだ」
・・・そうではないだろう・・・
未来の歴史、准大臣烏丸資任の陰謀を知っている富子は今依のほうに共感する。
そして、どうも未来の今依がとった行動は本人の意思以外によるものだとも直感する。
「有馬持家殿、お今殿、もういい加減にして頂きます!」
業を煮やした黒衣の僧は、そう言ってならず者たちに目配せした。
ならず者たちは、今依を強引に車の中に押し込めようとする。
「いやっ!おやめください!」悲鳴を上げる今依。
・・お、おいっ・・・
富子は思わず、馬を進めて割りこんでしまう。
「何事じゃ、その娘は嫌がっておるではないか?」
この言い方は妙だなと思いつつも、富子は若武者設定を続けている。
「どなたか知りませんが、これは当家の問題です。口出し無用に願います!」有馬持家は富子を睨みつけた。
「その当家とやらも、一枚岩であるようにお見受けしませんが」菫も続ける。
「口出し無用です!」持家は同じ言葉を繰り返す。
「そうではありますが、では、そこの娘。あなたはどうなのです?」富子は今依に問いかける。
「私は・・私はもう嫌なのです。誰かの思惑よって閉じ込められたままでいるのが!」今依の言葉と表情は真剣そのものであった。
「ではどうしたいと?」
「私も行ってみたいのです!まだ私の知らない世界に飛び出してみたいのです」
「そうか、では」
そう言って富子は今依に手を差し伸べた。
「えっ?どういうことですか?」
「貴方は私の事を知らないと思います。」
「当たり前です!初めてあった人なのに知るわけがない!」
「ですから、あなたの知らない私がこれからご案内する世界がそうなのですよ。」
「あっ」その言葉に今依は驚く。
「いかがされますか?」
「お願いします!私をここから連れ出してください!」今依は富子のほうに手を伸ばす。
「了解しました。では」
富子はそう言ってはお今の手に握り、片手でひょいと馬の背に載せてやる。
「娘さん、飛ばしますので、落ちないようにしっかり私にしがみついて下さい。」そう言って馬に鞭を入れる富子。
「おい!逃がすな!」黒衣の僧は、ならず者たちに声をかける
ならず者たちが富子を追おうとした瞬間に彼らの前に菫が立ちはだかった。
「な、なんだこいつは!」ならず者たちは菫を取り囲んだ。
「申し訳ありませんが、最初にお詫び申し上げます」菫は、ならず者たちを睨みつける。
「た、たかが若武者一人に!」そう言うならず者たちの声色は何故か震えていた。
「今、わたくしは非常に機嫌が悪いのです」と菫。
「いや・・それは・・その・・そちらの都合でして・・」途端、しどろもどろになるならず者たちの首魁。
「理由も都合も関係ありません!」そう言って菫はならず者たちに飛び掛かっていく。
京へ向かう田舎道を疾走する一頭の黒馬。
馬上で鞭を振るう若武者。
疾走する馬上から振り落とされまいと必死でしがみついている少女。
そんな中で彼女は気づく。
・・このお方、女の人なの?・・・
・・だけど、私なんでこの人が女性だってわかったんだろう・・・
・・いままで女性にも男性にも抱きついた事なんかないのに・・・
・・あ、でも、この背中なんだ・・・
・・懐かしい感じの背中だな・・・
知らぬ間に今依の目から涙が零れ落ちていた。
そしてその口から自分でも思いもよらぬ言葉が流れ出した事に驚く。
「星を・・・」
「ん?何か言いましたか?娘さん」その言葉を聞き返す富子。
「星、星を見せてくれたよね・・・」
「えっ」
「星を見に連れていってくれたよね・・・」
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烏丸麻衣は人見知りで臆病な少女だった。
小学校に上がっても一人も友達を作れない。
他の子供と遊ぼうともしない。
毎日、部屋から一歩も出ずに本ばかり読んでいた。
心配した両親は、遊び相手として一人の子供を彼女の部屋に連れてきた
屈託のない笑顔。
麻衣と同じくらいの年頃。
ややくせ毛のショートカット。
「ねぇ、君は毎日、何をやっているの」その子は、人懐っこい目をして麻衣に尋ねる。
「本を読んでおります」麻衣は視線を本から離さずに答える。
「どんな本なの?」そう言って、その子は麻衣の読んでいる本をのぞき込む。
それは星と星座、それに星座にまつわる物語が書かれた本だった。
「星が好きなの?」
「はい、とても好きなのです」麻衣は初めて少し笑顔をつくり視線を向けた。
「星を見るのが好きなの?」
「・・・・」麻衣は無言になる
「どうしたの?」
「本物の星は見たことがないのです。」
「どうして?」
「私の家からは星は見えないのです」
烏丸の屋敷は、周囲に高層ビルが立ち並ぶ市街地にあった。
夜でも煌々と光るビルの照明や広告の灯りに星の瞬きはかき消されてしまっている。
「じゃあ、見にいこうよ」
「外には行きたくないのです」
「星をみたくないの?」
「それは見たいのですが」
「じゃあ。行こうよ。今晩行こう」
「でもお父様がお許し頂けるかが・・・」
「こっそりいけばいいよ。ばれないようにいけばいいんだよ」
「はい」こっくりと頷く麻衣。
そして時間と待ち合わせ場所を約束する二人。
夜も更けて、こっそりと屋敷の裏口から抜け出す麻衣。
小さな冒険。
親には内緒の行動。
生まれて初めて自分でやりたいと思ったこと。
待ち合わせの場所にその子はいた。
「こんばんわ。どちらに向かうのですか?」と麻衣。
「うん、稲荷山に行くよ」
「歩いていくのですか。ここからは遠いと思います」
「だからこれで行くよ」
そういって自転車を指さす。
「1台しかないのですが」
「後ろに乗ってよ」その子は自転車に跨る。
「はい」可愛らしく頷く麻衣。
「飛ばすからしっかりつかまっていてね」
麻衣は言わるままに、その子に背中から抱き着いた。
「じゃあ、行くよ」
心地よい夜風
街の喧噪の音
服の上からも伝わってくる肌の温もり
息遣いと心臓の音
・・・あ、この感じだったんだ・・・
小高い丘の上に寝そべって空を見上げる二人。
小さなビーズを空一面にこぼしたような星空
その一つ一つがキラキラと瞬いている
・・・きれいだな・・・
知らぬ間に麻衣の瞳から涙が溢れでる
「あれがアルタイルです」麻衣は指さす。
「そうなんだ、よく知ってるね」
「初めて見ました・・初めてなんですよ」
「よかったね」
「はい、本当にありがとうございます。」
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「富ちゃんは私に”はじめて”をくれたんだよ」
「あは、まいん、その言い方、懐かしいね」転生した今依をその名で呼んだ富子。
「いっぱい、いっぱいくれた。富ちゃんは私に”はじめて”をいっぱいくれた」
「まいん・・・」
「でもね、富ちゃん、富ちゃんが、いなくなって私も変わったんだよ」
「ごめん・・・」
「富ちゃんの知らない私が一杯できたんだよ」
「うん」
「性格が悪くて性根が腐っているひねくれ者の科学サイドの人間。それが今の私なんだよ。もうあの日の私には戻れないんだよ。初恋のあの日には!」
「初恋?」
「そうだよ、富ちゃんは私の初恋の人だよ。だから・・・」
「だから?」
「いまだけ、あの日に戻らせて下さい。そして」
「まいん」
「いまだけ、あなたの恋人でいさせてください!」